リゾート☆パラダイス♪トロピカル

千歌と曜

第1話 プロローグ

 雲ひとつない、青空――なんてものじゃない。

 見ているだけで心の底まで澄み渡るような鮮やかな青がどこまでも広がり、綿あめみたいに真っ白な雲がちりばめられている。その眼下には、同じように、けれど、また違う感動を覚える透明な青が波音を響かせながら存在している。都会では絶対に見られない色。自然が織りなす広大な色。

 どこまでも、青く、青く、青く――こんな青を、榎本昴流は初めて見た。

「きゃ――やったわね」

「あはは」

 そうして、異なる輝きを放つ青の狭間へ目を向ければ、そこには、砂浜がくっきり見えるくらいに透明な海の中で、楽しそうにはしゃぐ水着姿の美少女達がいた。

 ここは、南国の海の真ん中に存在する島に作られた楽園。三百六十度、どこまでも広がる青い空と澄んだ海。振り向けば超高級ホテルがそびえたち、そこを中心として、島の各地には、ショッピングモールや自然公園、ゴルフ場などのあらゆる施設が並び、巨大な観覧車を擁する遊園地まで存在している。大企業である榎本グループが、その財力を結集し造り上げた究極のリゾートアイランド。そんな夢のような世界に、一人の少年、榎本昴流は、四人の美少女達と一緒にいた。

 そして、他には誰もいない。この夢のような楽園は、昴流達だけの貸し切りなのだ。高校一年の夏休み。昴流はその夏をこの島で過ごし、そして、将来の相手を決めなければならない。そんな現実を前に、昴流はつぶやく。

「――どうして、こうなった?」


『昴ちゃん、お誕生日おめでとー♪』

「おー、ありがとー」

 それは、夏休みに入ってから一週間ほど経った頃のことだった。

 しばらく……というか、高校が始まってからは数回しか会っていない母から電話が来た。

『元気ー? お母さんは太陽の女神と間違われるくらい元気だよ♪』

 母の名は、榎本華蓮。明治の頃に財閥として名を馳せ、今も世界の代表である榎本グループの総帥を務める女性。彼女の才能と手腕、そして人から愛される天性の魅力と天真爛漫な行動力には、誰も逆らえない……というより、彼女を前にすれば自ら忠誠を誓いたくなるようなカリスマ性の持ち主。事実上の榎本グループの支配者であり、実業界の女神と呼ばれている。

 そんな母のことを愛してやまない昴流の父は、現在、副社長の座に収まり、母のサポートをしている。母と共に、あるいは母の命に従い世界中を転々としているため、昴流は父ともあまり会わない人生を送っている。母のことを心から尊敬している昴流の父は、『全部、お母さんに任せておけば大丈夫! てか、あの人、たぶん不老不死だから。これからもずっと榎本グループの頂点にいるよ!』なんて冗談めいたことも言っていた。

「……」

 そんな破天荒な母ではあるが、昴流は彼女のことをとても尊敬し、好感を持っていた。

 仕事ばかりであまり家に帰らず、彼女の腕よりも使用人の腕に抱かれ、彼女の手料理よりも榎本家お抱えシェフの味で育った昴流。それでも、時折、触れ合う母と父との楽しい思い出は、とても大切な光として胸の中で輝き続けている。毎年、誕生日などの記念日には会いに来てくれたり、電話をくれたりする。それだけでも、とても嬉しいものだった。

「昴流ちゃんも、もう、十六歳なんだね~。いや~、健やかに育ってくれて本当に嬉しいよ! 愛してる、ちゅ❤」

「おー」

 昴は夏生まれ。今年の春に高校生になり、高校生として初めての夏を迎える。幼い頃から英才教育を施され、爽やかな雰囲気と清潔感のある容姿を持つ昴流は、中々の好青年だ。人当たりもよく、思いやりのある少年なので、友人も多く、毎年バレンタインにはいくつもチョコをもらっているほどの人気ぶりだ。

「もうひとつおまけに、ちゅ、ちゅ、ちゅ~❤」

 何年経っても母のテンションは相変わらずだが、あまり長い期間会わないとそれすら心地いい。高校生の息子を持つ母だが、女子高生のような感じだ。

『でねでね、今年は昴流ちゃんが高校生になって初めての誕生日&夏休みだから、今までにない特別なプレゼントをしようと思うの! 楽しみにしててね!』

「おう。でも、あんまり派手じゃなくていいからな」

 仕事で多忙な母は、それでも毎年、必ず誕生日プレゼントをくれる。

 小学生の頃に、「漫画が欲しい」と言ったら、自宅に漫画図書館を寄贈され、「ゲームが欲しい」と言ったら、自宅にゲームセンターが造られた。

 最初は喜んでいた昴流だったが、「こんなにあっても遊びきれない」と悟り、最終的には「物事には適量がある」と学んだ。余った漫画やゲームは友達に配った。

 中学生になってからは、誕生日には必ず海外旅行へ行くことになり、都合が合えば母と父と会うようになったが、渡されるプレゼントがまたハイレベルだった。

 ベルギーの空中レストランで食事をしたり(美しい景色を眺めながら楽しく食事をしていたのに、その後、空中からバンジーするハメになった)。

 ドバイで企業してマネーゲームの体験をしたり(ちょっと会社の経営に興味を見せただけだったのに……中学生で現実の会社を動かすことに手が震えた)、

 ニューヨークのカジノで使いきれないお金を渡されたり(勝っても負けても楽しくなかった。周りの視線が痛かった)、

 お金で動かない神アーティストを呼んで個人コンサートをしてもらったり(凄すぎて恐縮した。演奏後、涙が溢れた)、

 某有名テーマパークを貸し切りにしたり(全力で止めた)した。

 まさに、過ぎたるは及ばざるがごとし。どれも忘れらない思い出だ。

『だいじょび、だいじょび♪ 昴流ちゃんの気持ちはお母さん全部まるっとわかってるから! 以心伝心、一心同体、「もはや、わたしが昴流ちゃんだ!」 だから!』

 一応、牽制の言葉を放ったものの、太陽に堕ちた一滴の水みたいに一瞬で蒸発させられた。母の『わかってる』は、常人の『えーっ!』だ。常に神の想像すら超える。

『ふっふっふ、実はね。来年に正式オープンを予定しているリゾート施設があってね。あ、南の島にある奴なんだけど、すっごい、すっごい、奴でね! もう島の自然とか、宿泊施設とか、行楽施設とか、全部全部、お金を湯水のように使って、集めた優秀なスタッフが頭から煙が出るくらいに知恵をしぼったごりごり贅沢な仕様でね! 本来は、富裕階層の人達に会員制の権利を売って利用してもらうつもりの超豪華リゾートアイランドなんだけど……』

 母の話を聞きながら昴流は考える。そう言えば、インド洋の島を買い取り、そこに超豪華リゾート施設を建設しているという話は聞いていた。

 榎本グループは、銀行、鉄道、造船、医療、芸能、スポーツ、政治などありとあらゆる分野に手を出している一族だから、今回は観光分野の経営なのだろう。

『……でね、プレオープンは来年の一月ってことになっててね。だからその前に、この夏休みは昴流ちゃんにその夢のリゾートアイランドで楽しい思い出を沢山作ってもらおうって思って! もちろん、昴流ちゃんの貸し切りで!』

「――マジか」

 世界でも屈指の大富豪、アメリカ経済誌フォーブスの長者番付に名を連ねる母が指揮する榎本グループが総力を挙げて作り上げた夢のリゾートアイランド。そこがどんな場所なのか全く知らないが、そんな夢みたいな島で夏休みを思い切り遊べるなら、最高のプレゼントと言えた。

「……それは、最高だわ、母さん。……でも、マジでいいのか?」

『昴流ちゃんのためなら全然おーけーだよ! ほんのひと夏、ちょこっと使うだけなら全然問題ないよ! 昴流ちゃんは遠慮しないで思い切り遊んでいいんだよ!』

「……母さん」

 じ~ん、と。母からの愛情を感じた昴流は感激する。いつも人の想像をマッハ五でぶち抜く母だが、その温かな愛情だけはいつも確かなのだ。

「ありがとう、母さん! 最高の誕プレだ! 遠慮なく使わせてもらうぜ!」

『いえ~♪ 昴流ちゃん喜んでくれてお母さん嬉しい!』

 息子も喜んで、母も大喜び。最高の瞬間だった。

「じゃあ、光彦とか茜達……友達も招待してもいいか?」

『もちろんだよ! ……あ、それでね、昴流ちゃん。実は、昴流ちゃんにもう一個プレゼントがあるんだよ♪』

「え、まだあるのか? もう十分だけど?」

 高一の夏を夢のリゾートで過ごせるだけでもお腹いっぱいなのに、まだ何かあるという。

『うんうん、実はお母さんね。昴流ちゃんが何を欲しがってるか一生懸命考えたんだよ』

 ……あれ? なんだろう? その瞬間、昴流は虫の知らせを感じた。

『そこでね、ピーンと閃いたんだよ。そう、昴流ちゃんは男の子。健全な男子高校生、とくれば――一番欲しいものは、可愛い可愛い恋人!』

「……もしかして、お見合いか?」

『そうとも言う! ほら、お見合いの話はすでに何度もしてあったし。そのために、昴流ちゃんに心理テストやら性格診断をやってもらったことあったでしょ? あのデータを元に昴流ちゃんの婚約者候補の子達を調べてね。その中から昴流ちゃんと相性率100%の女の子達を弾き出して話をしたんだよ』

 前々から言われていたことだが、ついにその時が来たのか。思い起こすのは、「将来の相手を見つけるため」という名目でやらされた数々のテストだ。心理テストや、性格診断、自己分析プログラム等々……様々な側面から昴流という一人の人間を調べ上げるための調査を定期的に受けていた。

 電話帳ほどもある分厚い記入用紙に、自分の好きなものや嫌いなもの、こういう状況なら自分はどうするか、Aを前にした時、どう思うか……自分でも気づかなかった一面に気付くようなテストを延々受け続けた。さらには、あらゆる場面における心拍数、脳波などの状態なども調べられ、自分という一人の人間を徹底的に完全網羅された。

 それを、適切なデータを入力すれば未来すら予言できると噂の榎本家秘蔵のスーパーコンピューターに入力し、この地球上で昴流と最も相性のいい異性を見つけ出す……という大仰な計画。

 元々は、人間同士の相性率を測定し、会社や学校などの組織において、相性のいい人間同士を関わらせることで社会がよりよくなる……というこれまた大げさな研究が発端だと言う。規格外の母はその研究を用いて息子のために最高のお嫁さんを用意してくれるつもりでいるらしい。

 それは嬉しいことではあるが、まだ高校生である昴流にとってやはりお見合いという言葉はハードルが高い。なので、少しだけ牽制してみる。

「俺まだ高一だし、お見合いとかまだ早い気がするな……」

 できれば、また今度……そんなメッセージをさりげなく伝えてみるが、結果は見えていた。

『照れるな、照れるな(#^^#) お母さんには全て丸わかりだぞ☆』

 わかってると言いながら明後日の方向どころか千年後の未来にまで瞬間移動する人だ、母は。

『それじゃあ、昴流ちゃん、もう迎えは用意したから! 今日から昴流ちゃんの素敵な楽園生活が始まるよ! イエイ♪』

「――迎え? まさか、いつもの奴か!」

 その時、ドドドドドド! と激しい足音が聞こえた。

 電話の受話器を持ったまま首をぐるっと回して視線を向ければ、赤絨毯の敷かれた長い廊下の向こうから、この屋敷に仕えるメイドや執事達が昴流目掛けて突進してきていた。

「昴流様!」「お迎えに上がりました!」「さあ、参りましょう!」「華蓮様のご命令です!」「うおおおお!」「死んでも逃がすなああああああああ!」「奥義! 空・裂・斬んんんん!」

「やっぱり、今年もやるのか!」

 その光景は、すでに見慣れたもの。昴流の誕生日恒例行事。昴流と使用人の鬼ごっこ。

 逃げる昴流を使用人達が捕まえ、誕生日会場まで連れて行く……いわば、主人と使用人のコミュニケーションイベントだった。昴流の誕生日のたびに行われている困った行事だ。

『それじゃあ、昴ちゃん。お母さんは忙しいので、これにて♪ See You Next Chance☆』

 無駄にいい発音で別れの挨拶をして母は電話を切ってしまう。

「おい、母さん! おっ……切れた! てか、逃げねえと!」

 切られた受話器に叫んでも意味はない。状況を把握した昴流は受話器を放り投げ、全力で逃げ出した。メイドと執事達は必至の形相で昴流を追いかける。

「逃げたぞ!」「あっちだ!」「昴流様を島へ連れて行け!」「絶対に逃がすなあ!」

 別に、逃げる必要はない。ないのだが、こんな風に追いかけられたら逃げ出したくなるのが人の性。それに、母が仕掛けたひとつのイベントであることも理解しているので、盛り下げないためにも逃げなくてはいけない。

「昴流様! お覚悟!」

「うおっ! 佐山さんっ」

 一人、先んじてミサイルのように飛びかかってきたメイドの飛び蹴りを昴流は両手をクロスさせて受ける。衝撃を減じるためにあえて自分から後方へ飛び、倒れることなく体勢を立て直す。そのメイドの名は、佐山和子。この榎本家に仕えるメイドお姉さんだ。

「せいっ、はあっ」

「相変わらず、つええ!」

 撃ちだされた佐山の拳を昴流は反射で見切るが、スカートを翻すような身体の回転力を利用しての鋭い蹴りがすぐさま襲い来る。昴流は流れるような佐山の連撃を予測しながら、その一つ一つを丁寧にさばき、防ぎきる。

「お見事です、ますます成長さなっていますね、昴流様!」

「できれば、他の場面で聞きたかったです。その台詞!」

「ぬおおっ!」

「っ、て今度は海川さんか!」

 武闘派メイドと激熱バトルを繰り広げる昴流の真横から白い手袋に包まれた手が襲い掛かってくる。空気の流れと殺気でその攻撃を知覚した昴流はすんでのところで躱す。

「てか、海川さん、何やってんだ! あんた、最近腰やっただろ!」

「不肖、この海川。この一世一代の晴れ舞台で散ることができるなら本望」

「身体を大切にしろ!」

 海川正蔵。榎本家に長年勤めるベテラン執事だ。白髪に白髭を蓄えたダンディな執事で、いつもは執事の鏡と言えるくらいにびしっとした人だが……今は、はしゃぐ中高生のようだ。というか、この屋敷の使用人達はノリが良すぎる。絶対、母さんの影響だ。

「逃げるしかねえ!」

 まともにやり合って腰をまたやらかしたらシャレにならん。昴流はばっと身を翻し、全力で廊下を走り始めた。シンメトリーで構成された階段の片方をかけあがり二階へ向かった。

 ちらりと見れば、逃がすまいと佐山と海川を筆頭に執事やらメイドやらが機敏なゾンビのような迫力で追いかけてくる。これは、このまま屋敷にいたら、やばい。

「しゃあねえっ! 窓から!」

 危険を悟った昴流は屋敷からの脱出を試みる。昴流とて、榎本グループの御曹司。幼い頃より英才教育を施され、その運動能力はオリンピックの選手級。屋敷の二階から飛び降りるくらいどうということはない。アーチ造りの窓を開け放ち、窓枠に足をかける。

 バババババババババババババババババババ!

「――なっ」

 が、穏やかな陽光満ちる空を、無粋な漆黒の巨体が遮った。それは、ヘリコプター。アメリカ陸軍のAH-64 アパッチ・ロングボウ――対戦車ミサイルなどの兵器を搭載したマジもんの戦闘ヘリだ。

「今年も来たのか!」

 毎年見覚えのあるその機体に、昴流は思わず叫んだ。息子との鬼ごっこに軍隊まで投入する母。遊びにも気を抜かないその姿勢には脱帽するしかない。

「Discover Mr.Subaru」(昴流様を発見)

「Roger that. From this, we will start capturing」(了解。これより捕獲に入る)

 そうして、戦闘ヘリの隣に並ぶ輸送ヘリから姿を見せたのは、迷彩柄の戦闘服に身を包んだ軍人達だ。その手には、アサルトライフルが握られており、昴流のいる窓の外壁に撃ち放たれたロープを滑車で滑り降りてこようとしている。完全にプロの動きだった。

「昴流ううううううううううううう!」

 そして、いの一番に元気よくポニテを靡かせながらロープを滑走してきた軍服姿の少女が、窓をから屋敷の廊下へ転がり込むなり昴流に分厚いブーツで空気を切り裂くような蹴りを入れてきた。その動きは明らかに訓練された兵士。昴流に冷や汗が出る。

「誕生日、おめでとおおおおおおおおお!」

「祝いながら攻撃を仕掛けられても困るんだが!」

 カレン・エイリアス・千歳。少女ながら軍に所属するプロの軍人だ。日本人とアメリカ人のハーフで、金髪碧眼に煌めくような笑顔を輝かせる軍人少女。誕生日恒例の鬼ごっこに駆り出された時から、昴流のことを気に入っているようだった。

「カレン! いちいち、母さんの遊びに付き合う必要ねえぞ!」

「大丈夫! わたしたちも楽しくてやってるから!」

「それならいいが……いや、よくねえ!」

 激しい打撃戦を繰り広げながら語り合う二人。少しでも気を抜けば意識を持っていかれるような攻撃を紙一重でさばきながら、昴流は泣きそうになる。

 なんで毎年、誕生日のたびに使用人や本物の軍人と格闘しなければならないのだろう……。

「それに、いい訓練になるしね! 昴流また強くなってる!」

「そりゃ、お互い様だ!」

 カレンは小柄だが、一撃一撃が鋭くて重い。一瞬たりとも気を抜くわけにはいかない。

「はああっ」

 カレンが放った拳を昴流が右腕で受け流し、すかさず昴流が左の拳で放った一撃をカレンが笑顔で身をかがめて躱し、足払いをかけてくる。それはフェイント。ジャンプしてよければすぐさまカレンの次なる攻撃に見舞われる。それを察知した昴流は後方へ飛び退り、距離を置く作戦に出る。

「ふふ、甘いよ!」

 だが、それを読んでいたカレンは絶妙なバランス感覚で体勢を立て直し廊下の床を強く蹴りあげた。やはり、足払いはフェイント。だが、昴流の予想とは異なり、後方へ避けた昴流に正面から挑んでくる作戦。カレンは右拳に全体重をかけて放ってきた。

「っ」

 全力で前方へ力を乗せるカレンと咄嗟に後方へ飛んだ昴流。力の流れを考えれば自分が不利なのは明らか。今から避けてもすぐさま次の手でつぶされ、かといって迎え撃っても不利は変わらない。一瞬の判断を迫られた昴流は――。

「――えっ」

 カレンが間の抜けた声をあげる。昴流は避けることも迎えうつこともせず、逆にカレンの勢いを利用する作戦に出た。身体を捻りカレンの懐に入り込む。次いで、カレンの右腕を両手で捉え、腰にカレンの身体をのせる。

 ――背負い投げ。異国の軍人少女に昴流は日本古来の戦闘方法は対抗した。これなら、勢いのハンデを利用することができる。あとはこのままカレンを投げ廊下の床にたたきつければ昴の勝利――なのだが、それはあまりにも可愛そうなので昴流はそこで動きを止めた。カレンはあわや一本背負いをされる寸前の姿勢で止まり、昴流の腰に乗っかりわずかに足を床から浮かせている。密着するその姿勢に、カレンの顔がか~っと赤くなった。

「カレン、俺の勝ちだ」

 もう、勝負はついた。そのことはカレンも納得してくれるだろう。だから、昴流はそのままカレンの右腕を離し、身体も離そうと――「ぐえっ」したのだが、カレンが昴流の首に両腕を巻きつけ後ろから抱きしめてきたので変な声が漏れる。

「ふざけんなよ、昴流ー! 真面目にやれよー! ちゃんと最後までやれよー!」

「いや、女の子を一本背負いするわけにはいかないだろ。しかも、ここ畳じゃなくて廊下だし」

 榎本家の屋敷の長大な廊下。そこにはふわふわで上質の絨毯が敷かれているが、その下は大理石だ。さすがに痛すぎるだろう。

「平気だよー! 私、訓練でもっとひどい目にあってんだからー! 受け身くらいとるわー!」

 しかし、不満をぶちかましながらカレンは昴流の首をキメ続ける。相変わらずその顔は真っ赤だ。

「つか、カレン。そろそろ、放してくれ」

 律義なメイドと使用人達はすぐそばで昴とカレンのバトルを見守っていた。次は、わたしの番、いや、俺の、という戦意を見たぎらせ、スタンバイオーケーという感じだ。

「――くそう」

 しぶしぶといった様子で加恋は昴流の首から腕を放す。

「来年は絶対勝つからね! その時は今みたいな手加減はなしだから!」

「おう、わかったよ」

「あ、あと」

 ごそごそとカレンはポケットに手を突っ込んだ。

「はい、これ。誕生日おめでとう、昴流」

「――お、おう。ありがとな」

 中身を空けると、それは銀色のブレスレットだった。日本製ではなく、外国製のデザインらしい。かなり、カッコいい。

「うお、いいな」

「でしょ」

「ありがとな」

「うん」

 毎年、戦闘の後に何気にプレゼントをくれるのだ。昴流とカレンは微笑みあった。

 微笑ましい光景がひと段落すると、すぐに待機していた海川達から声がかけられた。

「昴流様。そろそろよろしいですかな?」

「あ、はい」

「ではっ!」「昴流様、次は私と勝負を!」「捕まえろおおおお!」

「さすがに全員の相手はできねえぞっ」

 カレンとの勝負が決まる否や、ギャラリーだったメイドや執事が目の色を変えて襲い掛かってくる。みんな、笑顔過ぎる。精神年齢が中学生まで若返ってそうだ。

「昴流様、こっちです!」

「――明日香!」

 屋敷の二階の廊下。等間隔に絵画やら骨董やらが両脇にならぶ廊下の赤絨毯を踏みしめ、逃げ惑う昴流の視線の先、いくつもある扉のひとつがわずかに開き、その中から小柄なメイドが顔を覗かせていた。

 渡会明日香。榎本家に長年使える生粋の使用人一族の娘で、幼い頃より兄妹のように育った女の子。白と黒のスタンダードメイド服に灰色の髪が映える美しい子だ。彼女は小さなを手を必死に振り、昴を助けようとする。

「こっちです!」

「助かる!」

 武闘派メイドと執事、そして、本物の軍人がアサルトライフを手に迫ってくる非日常。この地獄の中で信じられるのは、幼い頃から共に過ごした明日香だけだ。バタン! ガチャ!

「ぜーはーぜーはー!」

 間一髪。昴流は明日香の導く部屋の中へ転がりこみ、荒い息を上げた。明日香はすぐさま扉の鍵を閉め、昴流の手を引いた。

「昴流様。こちらへ。申し訳ありませんが、休んでいる暇はありません」

 明日香は部屋に飾られた大きな絵画の前へ。メイド服のポケットから取り出したスマホをぴぽぱと操作すると、巨大な絵画に光の線が幾重にも走り、パズルのようにピースが別れ、やがて、大きな穴を開けた。

「この部屋に入ったぞ!」

「許可は下りている! 吹き飛ばせ!」

 扉の向こうから聞こえてくる怒号の数々。ためらいなく扉を吹き飛ばそうとする気迫が響いてくる。もはや、一刻の猶予もない。

「さ、昴流様」

「おう! こうなりゃ、やけだ!」

 明日香の小さな手を握ったまま、共に真っ暗な穴の中へ。昴流と明日香がその穴に飲みこまれると、再び、巨大な絵画がパズルのように動き、元の絵画へと戻った。

 ドガン! 扉が爆破され、軍人とメイド達がなだれ込んでくる。しかし。

「! い、いないぞ!」

「馬鹿な! 確かに、この部屋に入ったはず!」

「探せ!」

 標的である昴流の姿を見失った軍人達は慌てふためく。その声を絵画越しに聞きながら、昴流と明日香は絵画の穴から続く隠し通路をひた走り、距離を稼いだ。

「はあ、はあ。なあ、明日香。こんな隠し通路、あったか?」

「有事の際、主様をお守りできるよう、この屋敷には様々な仕掛けが施されていますが、華蓮様のご提案で日々改良を重ねているんです」

「……母さんはこの屋敷をどうするつもりなんだ」

「この通路を辿れば、屋敷の外へ出れます」

「おう。とにかく、助かったぜ」

 一時はどうなることかと思ったが、明日香のおかげでなんとかなった。さすがは、頼りになる幼馴染メイド。毎年、誕生日恒例の鬼ごっこで助けてくれるのは明日香だけだ。

「――っ、昴様! 止まってください!」

「っ? な、なんだ!」

 明日香が悲鳴のような声をあげながら止まったので、昴流もびっくりして立ち止まる。

 あやうく、ぶつかりそうになった。

「――あ、え、その、はぅ」

「……明日香?」

 可愛らしく「はぅ」と鳴いた明日香だが、それは彼女がこれ以上ないくらいに緊張しているか怖がっている時であることを昴は知っている。――まさか、この隠し通路を知る者が他にも? すでに、追手がっ? ……と、思ったが、薄暗いこの隠し通路には昴流と明日香の二人だけ。追手の足音も気配もない。つまり、危機はまだ迫っていない。なのに、なんで明日香はこんなに慌てて――。

「す、昴様っ」

「お、おう、なんだ?」

 くるっとこちらを振り向いた明日香はやはり緊張している。薄暗い通路の灯りに照らされる彼女の灰色の髪が淡く輝いていた。小さな体は小動物のようにどことなく震えている。

「し、失礼いたしますっ」

 そうして、意を決した様子で、明日香はがばっと昴流に抱き着いた。

「~~っ」

 途端、明日香の柔らかさといい香りが伝わってくる。明日香のふくよかな胸の感触も感じられて昴流は顔を赤くした。というか、突然のことで避けられなかった。

 明日香は顔を真っ赤にして身体を震わせている。やったはいいものの恐れ多くて恥ずかしくて力が籠められないといった様子だ。

「な、なあ、明日香。何をやっているんだ?」

「っ」

 明日香の意味不明な行動に対する昴流の質問を聞いた明日香は身体をびくっとさせ、さらに顔を赤らめてから……すぅ、と息を吸い、叫んだ。

「昴流様、確保しました!」

 ガコン! 唐突に響く金属音。そこかしこの壁に光の線が走り、壁が動き、真っ暗な通路に光が満ちる。そうして、ドタドタ! と足音が重なった。

「Mr.Subaru, secure」(昴流様、確保)

「Mission complete. From now on, I will take you to Enomoto Resort Island」(任務完了。これより、ENOMOTO RESORT ISLANDへお連れする)

 あっと言う間に、狭い通路に軍人やらメイドやらが溢れ、昴流と明日香を取り囲んだ。

「申し訳ありません、昴流様! 申し合わけありません!」

 昴流に抱き着いたまま謝罪を繰り返す明日香。どうやら、今回は明日香も母さんの手の者だったらしい。信頼していた幼馴染だけに、その嘘を見抜けなかった。

「……まさか、明日香に裏切られるとは思わなかったぜ」

 毎年、明日香は昴流の逃走を手助けしてくれていた。それがどうしたわけか、今回は敵に回っていた。正直、信じられない。

 それに、この明日香ホールドは完璧な捕縛術だ。こんな風に抱きしめられているのを無理に解こうとしたら、明日香に怪我をさせてしまうかもしれない。これは、逃げられない。

「……昴流様、申し訳ありません。で、ですが、今回は、昴流様の大事な将来の相手を決めるお見合いです。で、ですから」

 じわ、と涙ぐみながら弁明する明日香。そこには主を裏切ってしまったことへの罪悪感がありありと浮かんでおり、どんな罰でも受けますといった様子が感じられた。

「いや、気にすんな」

 こんな主想いのメイドを罰っせられるはずがない。昴流は明日香に優しい言葉をかけた。裏切られたことはショック……というか、驚きだが、明日香がいつも自分のために頑張ってくれていることは知っている。今回のことも、昴流のことを想っての行動なのだから。

「……昴流様」

 ぽろ、と。叱りもせず自分を気遣ってくれる昴流の優しさに明日香は涙を零した。基本的に明日香は真面目で忠義心の強い子だ。

 そんな幼馴染メイド見つめながら、昴流は力なく言った。

「……てか、俺の誕生日は毎年こうなのか?」

 たまには、普通の誕生日を迎えてみたい。……そう願う昴流だった。

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リゾート☆パラダイス♪トロピカル 千歌と曜 @chikayou

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