伝えたい言の葉は、約束の音色と共に

響 蒼華

カフェ「自鳴琴」

 北海道の南部に位置する、函館市。

 いち早く国が開かれ、各国の領事館や教会が建てられ。外国の文化が息づいてきたこの街は、異国情緒の言葉と共に語られる。

 坂の多いことでも知られている函館は、観光地としても知られていた。

 そして観光名所として知られる場所の多くが、西部地区と呼ばれる地域に集中している。

 西部地区の一部。駅から南東方面の、函館湾に面した海沿いのエリアに、その店はある。

 一階が和風で、二階が洋風。上下和洋折衷の建築物は、函館ならではのものと言われている。

 前述の通り坂の多い街において、二階が鮮やかなペンキで塗られた洋風建築であるなら、港から入ってきた船にはまるで洋館が立ち並んでいるように見えただろう。

 独特な和洋折衷な建物は、外から来る者達に対して、近代化都市であることを印象付けたいという心意気の表れとも言われている。

 現在残っているものの多くは、横浜や長崎のように外国人によって建てられたものではなく。大火の後にそれらの地にて学んだ人間が知識を持ち帰り、日本の技術を駆使して建てたらしい。

 洒落た文字で『自鳴琴じめいきん』と書かれた看板のかけられたカフェも、そんな和洋折衷の古民家の一つだった。

 時の重みを感じさせる木の柱や床に、歴史を遡った風情のあるシンプルではあるがモダンな内装の空間には、ノスタルジックな音楽が流れている。

 珈琲の香りが漂う店内に、現在客の姿はない。先程観光客が店を後にしてから、新たな来店はなく、店の中には店主だけである。

 外から迫る寒さを押し返すべく赤々と燃えるストーブの焔を見つめた後、立派な一枚板のカウンターの前に立つ店主は、静かに硝子窓の外を見つめた。

 函館は、現在冬のただ中にある。

 黒を基調とした一階と空色のペンキの二階の対比が鮮やかな店も、置かれている立看板も、揃って雪化粧。

 まだ日のある時間だというのに灰色の空からは、次々と白い雪が落ちてきて。白く染まった街並みに、音もなく静かに降り積もり。道を行く人々の吐息もまた白い。

 窓にもうっすらと雪が張り付いていて、少し目を凝らせば六角形の結晶が見えもする。

 雪がちらつく中、身体を縮めるようにして外を歩む人々を見て、これは室温を少し調整するか、店主は思案する。

 顔をあげた拍子に、硝子窓に店主の顔が映りこんだ。

 食品を扱う為にしっかりと結んでまとめてある髪に、穏やかな色味の服装。

 考え込むように眉を軽く寄せている顔は、自分ではそこまで不細工とも思わないし。かといって、際立って美人とも思わない。

 ぱっちりとした目の感じは、母に似たのだと思う。人の反応からして、多分年齢より若く見えるようだ。店主だと名乗ると驚かれる時がある。

 窓外の雪の勢いは、徐々に強まっているようだ。このままなら、吹雪くかもしれない。

 だが、それでもまだ函館は寒さも積雪も優しいほうであると住人の一人として思う。

 確かに、試される大地というキャッチフレーズがある北海道は、大層厳しい土地である。

 津軽海峡を超えるにはパスポートが必要だ、などとからかわれることもある。

 通販で送料無料の賞品が、ページの片隅に「※北海道・沖縄は除く」と書いてあって、仕方ないとはいえお高い送料に哀しいこともある。

 けれど、店主は函館という街が好きだった。

 確かに都会のようには行かない点はあるけれど、暮らしていくのに十分なものが揃っている。生きていくのに、特に不満を感じたことはない。

 店主は、物心つくかつかぬかの頃にこの街に来て、この街でずっと生きて来た。

 何処か過ぎし時の風情を残した街を。そして、居場所であるこの店を店主は愛している。ここ以外の、どこにも生きたくないと思う程に――。


「はあ、寒かった!」

「この分なら、まだまだ雪が酷くなりそうだな」


 入口の扉についているベルが景気よく鳴ったのと同時に、ドアが勢いよく開いた。

 響いた女性の声と少し皺がれた男性の声に、物思いに耽りかけていた詩織の意識が、一気に戻って来る。

 敷かれたマットの上で雪を払いながら言う二人に、詩織と呼ばれた店主は慌てて駆け寄りタオルを差し出した。


狭山さやまさん! 可賀かがさん! いらっしゃいませ!」


 礼を言いながらタオルを受け取った狭山と呼ばれた女性は、少しきつめの印象を与える美人といった顔立ちである、だが、詩織に向ける顔にあるのは、気さくな微笑である。

 可賀という名の男性は、黙ったままであれば気難しそうに見えるだろう老人だが。礼を言いながらタオルを返す顔に浮かんでいるのは好々爺然とした笑みである。

 二人はそれぞれに着ていたコートをドア近くのハンガーにかけると、慣れた様子でカウンターへと歩き始めながら。


詩織しおりちゃん! 珈琲と今日のケーキ頂戴!」

「儂も珈琲を頼む! それに、ホットケーキも」


 室内の温かさに漸く息を吐いたといった風な二人は、メニューを見ることなく注文を口にする。

 いつもの、と言った風な二人に頷いて応じながら、詩織はカウンターの中へと戻り、手際よく二人の注文の用意に着手した。

 少し高めの椅子に腰を下した狭山は、隣に腰を下した可賀に向かって肩を竦めて見せる。


「ちょっと可賀さん、また甘い物で大丈夫なの? 糖尿の心配はない?」

「お前さんこそ。また甘い物で、目方が増えたと騒ぐなよ」


 会話の表面だけ捉えれば、中々に好戦的とも言える内容ではある。

 だが、それを言い合う二人の顔にあるのは、笑いを堪えている表情。お互い、やり取りを楽しんでいるのが見て取れる。それもまた二人の『いつもの』なのだと笑みを見せながら、詩織は休むことなく手を動かす。

 ポットにて湯を沸かしている間に、豆を挽いて。ネルと呼ばれる布の袋を濡らして絞り、セットして。そこへ挽いたばかりの粉を入れて、粉に乗せるようにして湯を丁寧に注いで。

 詩織が淀みも迷いもなく手順を辿っていくと、次第に店内に香ばしい珈琲の香りが漂い始め、狭山と可賀は目を細める。

 やがて、二人の目の前にはそれぞれが注文した品が並ぶ。

 狭山の前には、深緑の陶器のカップに入った珈琲と、本日のケーキであるベイクドチーズケーキが。

 少し遅れて可賀の前には、紺色のカップに注がれた珈琲と。ふんわりとした質感で丸いホットケーキに、バターとメープルシロップを添えたものが。

 どうぞ、という言葉を添えられて出された注文の品に、二人は揃って満面の笑みを浮かべる。

 相好を崩して取り掛かりながら、狭山は思わずといった風に嬉しそうな声をあげた。


「相変わらず美味しそう!」


 お世辞ではなく、心から言ってくれているのが伝わってきて、詩織は思わずはにかんだ。


「やっぱり、いわゆる『映え』とは、ちょっと遠いかなとは思うんですけど……」

「逆に、そこがいい、とか。懐かしい感じでほっとする、って声を見かけるわよ」


 照れくさそうにしながらも、少しだけ苦笑しつつ言う詩織へ、狭山は即座に言葉を返す。

 昨今の飲食店において、SNSなどで拡散され話題になることは集客に繋がる。

 だからこそ、多くの店が写真映え、動画映えするようなメニューを用意し。客たちはそれらに歓声をあげてカメラを向ける。

 しかし、狭山の前にあるケーキにしても、可賀の前にあるホットケーキにしても素朴なもの。率直に言い換えてしまえば、地味である。

 これは、先代店主であった母から受け継いだ、変わることない『自鳴琴』の味だという自信はある。

 しかし、数多のカフェが存在する激戦地たる観光地においてそれでいいのかと、たまに思うこともある。

 それに対して、常連客二人の意見はとてもはっきりとしたものだった。


「その、映え、とかいうのは良くわからんな。見た目も大事とは思うが、食い物というのはまず味が大事だろうが」

「まあ、概ね同感ね。安心できる定番な美味しさが、この店の持ち味だと思うもの」


 二人が頷き合いながらそう告げた瞬間、再びベルがなって、扉が開く音がした。

 そちらを見れば男性が一人、入口で雪を払いながら店内に足を踏み入れたところだった。

 慌ててまた駆け寄り、タオルを差し出す詩織に。男性は礼を言いながら受け取る。

 非常に整った容姿が目を引くスーツ姿の男性は、やがて先客達の元に歩み寄り、並んだ席へと腰を下ろした。


「あら、時見ときみさん」

「お前さんも来たのか」

「時間が出来たもので、仕事合間の小休止に」


 新たな客の訪れにも二人は特に驚くこともなく。慣れた様子でそれぞれに言葉をかけ、時見と呼ばれた男性も軽く頭を下げて応える。

 時見は、狭山と同じように珈琲と本日のケーキの組み合わせで注文をすると、先客二人へ軽く首を傾げて問いかける。


「それで、何の話をしていたんですか?」

「この自鳴琴に、映えは必要あるかというお題」


 問われて、狭山が少し重々しい感じの声音を作りながら答えた。

 そして、狭山と可賀がそれぞれの思うところを再び口にしたなら、時見はふむ、と一つ呟いてから頷いた。


「それには、私も同意するかな」


 外を歩けば女性が振り返る魅力的な男性が微笑みながら告げた言葉に、詩織は恐縮した風に時見を見つめてしまう。

 恥じらっている感じではなく、本当にいいのだろうか、と僅かに困惑した様子の詩織に、時見は穏やかに笑いながら重ねて言った。


「この店は、何時までもこのままであって欲しい。そう思わせる場所だからね」


 この『自鳴琴』というカフェは、元々は詩織の母が開いたカフェである。

 明治時代のものだという和洋折衷の古民家を改装した店舗に、メニューは古き良き時代の喫茶店を思わせるものが並んでいる。

 近所の古なじみが主な客であるが、場所柄観光客も多く訪れる。

 母直伝のクラシカルで優しい味の定番メニューは、幸いなことに常連以外の客にも幸い好評である。

 SNSでも、不思議な懐かしい気持ちになれるカフェ、と紹介されているとか。

 何時だったか、訪れたことがある気がする。

 何処でだったか、見たことがある気がする。

 古い歴史と新しい歴史が共存する街に、ごく自然に溶け込んでいて。一歩店内に足を踏み入れて、空気を感じた瞬間。気が付けば、安堵したように一つ息を吐いている。

 懐かしさに頬が自然と緩み、いつの間にか笑顔になっている。

 自鳴琴はそんな店だと、訪れる人々は口を揃えて言ってくれる。

 詩織は、それをとても有難く思い。とても、嬉しいと思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る