『頻発性哀愁症候群』ー寂しがり屋たちは、今日も手を繋いだまま秒針を回したー

海咲雪

入学式での出会い1



【頻発性哀愁症候群】ーーー度々、「寂しい」という感情に襲われる病。「寂しさ」の度合いは人それぞれだが、酷いと日常生活にまで支障を起こす。十万人に一人ほどの割合で発症する稀な病である。先天性の場合もあれば、後天性の場合もある。明確な治療方法はまだ無い。




 寂しい。




「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」




 寂しい。




 体育館に響く校長先生の声を聞きながら、私はスカートの裾をギュッと握りしめた。




 寂しい。




 「寂しい」が顔を出しても何も持ち込めない入学式では、ただただ耐えるしかない。どうか早く無事に入学式が終わってほしいと願うだけだった。

 来賓の方の紹介が終わる頃には、さらに「寂しい」が悪化していた。


「続いて、在校生の言葉を……」


 在校生代表の生徒が壇上に上がる。在校生代表の言葉にはもう集中できなくて、言葉が途切れ途切れに入ってくる。


「……皆さんが充実した高校生活を……願って……勉学に励み……」


 充実した高校生活……そんなものを送れるのはどんな人だろう。少なくとも私じゃない。入学式を普通に過ごすことすらままならない私は、これからどんな高校生活を送るのだろう。


「続いて、閉会のことばを……」


 早く、早く、終わって。

 退場の時に整列して歩くスピードが遅く感じて、じんわりと汗が滲んだのが分かった。教室に戻ると担任の先生が教壇から大きな声で呼びかける。


「では、15分の休憩の後に明日の流れを説明します」


 休憩が始まり、ぞろぞろと生徒が席を立ち始める。私は急いで人気ひとけのない場所を探して走った。

 両親は入学式に来ているが「寂しい」が出た時の会話を他の生徒に聞かれれば、おかしい人だと思われても不思議じゃない。電話をかける?それとも、バッグからぬいぐるみを取ってきて……何も考えはまとまらないのに、私は足早に誰もいない場所を探していた。

 しかし、新入生なので校舎の造りが分からない。とりあえず、先ほどの体育館に向かう道のりで誰もいない廊下があった。私はその場でうずくまり、自分に声をかける。



「大丈夫。寂しくない。寂しくないから」



 私は自分で自分を抱きしめるようにギュゥっと腕に力を込めた。

 バッグからぬいぐるみも持ってくれば良かっただろうか。そんなことを考えていると、廊下の隣にある教室から声が聞こえた。


「……ぶ……せい……」


 途切れ途切れでよく声が聞き取れないまま振り返ると、教室でうずくまっている男子生徒がいる。とても体調が良いようには見えず、放っておけるような状態ではなさそうだった。私は空き教室の扉をそっと開けた。


「あの……大丈夫ですか……?」


 自分もとても体調が良いとは言えないが、目の前の人の方が辛そうである。その男子生徒は私の声を聞いて顔を上げる。

 初めて見た男子生徒の顔色は真っ青だった。


「っ!大丈夫ですか……!?」


 私が慌てて駆け寄ると、男子生徒は何故か無理やり笑顔を作った。


「全然大丈夫。君も新入生?」


 君もということはこの人も新入生なのだろうか。でも、今はそんなことより……


「あの、本当に大丈夫ですか?先生を呼んできた方が良かったら……」

「大丈夫だから!」


 男子生徒の突然の大きな声に私はビクッと身体を震わせた。私が驚いたことに気づいて男子生徒が申し訳なさそうにこちらを見る。


「ごめん、大声出して。でも、本当に大丈夫。病気でもなんでもないから」


 こんなに体調が悪そうなのに、病気ではないとなぜわかるのだろう……。いくら大丈夫と言われても流石にこの人をこのまま置いていくことなんて出来ない。

 休憩時間が終わるまであと10分。


「あの、私は三組なんですが同じクラスですか?」

「え?そうだけど……」

「じゃあ、休憩時間が終わるギリギリまでここで一緒に休もう」


 私は男子生徒の隣にそっと座った。


「君も体調悪いの?」

「私の場合は何の病気か分かってるし、大丈夫。それにもうおさまってきたから」


 男子生徒は私の言葉を聞いて、少しだけ視線を落とした。


「俺は、病気じゃない……と思う……ちょっとおかしいだけ」

「……?」

「なんか最近……いや、なんでもない」

「言いたくなかったら勿論言わなくて大丈夫だけど……何を言っても大丈夫だし、引かないよ」


 この言葉は私が言われたい言葉だ。有名ではない私の病気は理解されないことも多いから。

 


「なんか最近、寂しくて……いや、子供じゃないのは分かってるんだけど……なんかおかしい」



 ヒュッと自分の喉が鳴ったのが分かった。まさか……


「頻発性哀愁症候群……」

「え?何それ?」


 私は中学2年生の時にこの病気を診断された。

 ああ、この男子生徒はこの病気を知らないんだ。でも、勝手に私が病気を断定するわけにはいかない。


「あ、あの……本当に違和感を感じたら病院に行った方がいいと思う……」


 バクバクと自分の心臓がなっているのが分かる。震えた声で私は何とか男子生徒に伝えた。


「いや、別に身体に異常ないし……本当に大丈夫だから」


 もし、この男子生徒も頻発性哀愁症候群ならば、どれだけの辛さかはあの真っ青な表情を見れば想像がつく。


「でも……!」

「心配してくれてありがと。でも、本当に大丈夫だから。それになんかおさまってきたし」


 それはきっと私と話したからだ。この病気は人それぞれだが、私は誰かと話している時や人と手を繋いでいる時に落ち着きやすい。

 どうしよう。もっとちゃんと病院を進めたほうがいい?

 そんなことを考えていると、男子生徒が立ち上がった。


「もうそろそろ休憩時間が終わるね。教室に戻ろ。俺は、菅谷 柊真すがや しゅうま

「川崎 奈々花です……」

「そっか、これからよろしく。川崎さん」

「あの……!」

「ん?」


 言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉が出てこない。


「どうしたの?早く戻らないと、休憩時間終わるよ?」

「そうだね……早く戻ろっか」


 言葉は出てこないまま、休憩時間は終わってしまう。

 明日の説明が終わり、解散になった後も私は菅谷くんのことで頭がいっぱいだった。放課後、もう一度話そうと思っていた菅谷くんはすでに沢山のクラスメイトに囲まれていた。


「菅谷、このあと遊ばね!?」

「まだ入学式終わったばっかだぞ!?」

「だからいいんじゃん!これから忙しくなるんだし、今から遊んでおこうぜ!」

「じゃあ、折角だし他のやつも誘って、三組で懇親会しよーぜ!」

「え、めっちゃいい!菅谷、天才!」


 菅谷くんは先ほどの体調の悪そうなそぶりは一切見せず、もうクラスの中心人物になっていた。


「じゃあ、これから集まれるやつ挙手ー!」


 菅谷くんの周りに人が集まり始める。クラスの3分の2ほどが参加するようだった。その時、菅谷くんと目が合った。

 菅谷くんが私と目を合うと、何故か近づいてくる。


「川崎さんも来る?」

「わ、私は……」


 参加したいが、絶対に参加するわけにはいかない。だって、私は入学するときに決めたから。


【周りの人に絶対にこれ以上迷惑はかけないと】


 私と関われば、絶対に不幸になる。寂しがり屋の私は、きっと仲良くなった人に依存してしまうかもしれない。それだけは絶対に避けないと。


「ごめん、用事があって……」

「そっか、残念。じゃあ、また今度集まれたらいいな」

「うん、ありがとう」


 今度はきっと訪れない。私はまだこの病気と上手く付き合えていない。クラスの中心に戻っていく菅谷くんの後ろ姿を無意識に目で追ってしまう。

 私は菅谷くん達が出て行った後の教室の扉をしばらくぼーっとと見つめていた。

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