31話 クルーゴの真の姿


 ああ、これは死ぬ。

 そういった感覚は初めて味わうものだった。

 少年は肌にまとわりつく赤黒い液体を引きはがし上半身を動かそうとする。腕で必死に地面を押すが、切り裂かれた胴は全く動いてくれなかった。

 うつ伏せになったまま顔だけを持ち上げ、こちらに近づくアインを睨みつける。

 何か不思議な力が働いているのか、老王の左半身はズタズタになっていながらも、流れる血は固まり傷口が塞がりつつあった。

 対してクルーゴには魔力はもう残っておらず、竜もまた死に体。

 竜のいない竜騎士など張子の虎も同じ———過去の戦争において馬鹿にされてきた竜人族の評価そのものが今の彼の姿だった。


「そう言えば……ボアだったか、竜王なぞ厚顔不遜な名を騙っていた雑魚を討ち取った際、逆鱗を他者に弄られることが竜人族最大の恥だなんだと騒いでおったな。どれ、この俺をここまでてこずらせたのだ。その罪、万死に値する。ただ殺すだけでは飽き足らん。———お前の逆鱗も剥いでやろう」

「っ糞野郎が……」


 クルーゴが抗おうにも、苦悶の表情を浮かべるのが精一杯で、伸びてくるアインの手を振り払うのは不可能だった。

 老人とは思えない頑強な握力で、雷で撃たれ斬られた胴鎧は簡単に破壊された。少年の象牙色の肌が背中から剥きだしとなった。

 竜人と魔人の血が混じった少し小麦色した皮膚に、白銀の鱗が背骨に沿って走っているのがアインの目に映った。


「おおっ、……なんと見事な」


 幾万の魔族の屍を見てきたアインにとっても、少年の逆鱗は初めて見る代物だったようだ。ダイヤモンドの結晶のような透明な輝きを放ちつつも、乳白色の剣のような荒々しさもある。少しの間まるで美術品を見るかのような魅了されたような顔となった。


「気色悪いんだよ。いつまで見てんだ、変態野郎」

「———おお、すまんすまん。ルドルフではないが、魔族の体の一部を集めるコレクターの気持ちが今わかった。お前の逆鱗は剥いだ後、城の宝物として飾ってやろう。どうだ小僧、嬉しかろう?」

「なんべんも言わすな。気色悪いんだよ、ヒヒ爺」

「くっはっはっはっはっは! 壮絶な死を前にしてのその胆力、見事である。ボアなどよりお前の方が竜王の称号に相応しいわ。最初からお前が竜人族を率いておれば、ソラリス軍も危うかったかもしれんな。幸いだったのはお前がまだ未熟だったことだ。やはり神に愛されておるのは人間だということだな」


 アインの鷲の鉤爪のように開かれた岩のような右手が、ゆっくりとクルーゴの頸椎の後ろにあたる逆鱗の逆立った部分を掴む。

 ———ゾワ。

 竜人族の血と誇りが穢されたことで、本能から来る嫌悪感と吐き気が襲い掛かってきた。

 自分が自分でなくなってしまうような、天地が逆さまになってしまうような浮遊感が、じわじわと少年を包み込んでいく。

 クルーゴは歯を食いしばって耐えた。


 ———命乞いなど死んでもしない! みっともない生き様より、幼い頃より母に望まれてきた魔王のような死に様を選ぶ!


 年若いクルーゴが一族の長としてやっていけたのは、母が魔王足り得る器を示せと望んだからだ。

 それは事実呪いであり、母が自分勝手な妄想を子供に押しつけた結果であった。

 しかし、母の願いを呪いと受け取るか、生き残るための祝福と取るかは、クルーゴ次第だろう。


 ———俺は魔王に、魔族を統べ、人間を駆逐し、この残酷な世界に反逆する魔王になりたい!


 そうしないと生き延びられない世界だから。

 滅びに瀕した哀れな生き物として生まれてしまったから。


 ———だから、こいつを殺したい! 勇者が魔王を殺した。なら魔王が勇者を殺す。そんな伝説を今ここで残せたらどれほど痛快だろうか!


「ぬぅっ、案外固いな! 中々……剥がれん!」


 老人がさらに力を入れた。

 鱗が骨と肉から剥がれる。

 少年の瞳がグルっと上に転がり、青白い血管が迸った白目となる。


「ぎぃいいいいいいいいいいいい!!」


 痛みで絶叫が零れそうになるが、血が出るほど歯を食いしばり無様な悲鳴となるのを防いだ。ブチブチと逆鱗と肉を繋ぐ繊維の一本一本が千切られる音がする。

 想像を絶する激痛だった。

 

 ———やめてくれ、助けて!

 

 頭に浮かんでは消える屈服の言葉は、歯茎から血が噴き出るほど食いしばって耐える。

 竜人族の逆鱗は背中に本来1~3枚程度。頸椎から胸椎の間に現れることがほとんどだった。

 しかし、クルーゴのそれはまるで背びれのように仙骨の上、腰椎の部分にまでびっしり生えている。アインが引きちぎっているのはまだ胸椎の部分を脱しておらず、気が狂いそうな痛みはこれからも続く。


 ———早く終わらせてくれ! いっそ殺してくれ!


 そんな惰弱な意思も魔王に相応しくない。

 呪いか自分の意思か不明だが、強い衝動のような何かが漏れ出る弱音を封じ込めてくれた。


「いよいよだ、小僧! 終わりが見えたぞ! ボアはでかい蜥蜴になったが、お前はどんな姿になるのか楽しみだわ! さぁさぁさぁ! お前の真の姿をここに現せ!」


 逆鱗を剥がされた竜人族はその真の姿を顕現させる。

 古よりの伝説ではそう語られている。


 ———俺はどんな姿になっているのだろう。


 ブチ———。

 嫌な音が聞こえた。

 逆鱗が全て剥がれた。

 

 その瞬間、クルーゴの意識が消失した。


「———は?」


 最期にアインの茫然とした声が聞こえた気がした。


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