28話 怒れる勇者
雷鳴が轟く嵐の中、人の叫び声と獣の咆哮が響き渡る。
三本角の巨大な草食竜に引かれた荷車の中、手錠をされた王女と侍女は酷い揺れに苦しみながら西へと進んでいた。
周囲は魔物の気配で満ちている。
ラナルク族が夜を徹して走り回り、奴らの巣穴に火矢を撃ち込んだのだ。
遠くから炎を纏った狼の群れがこちらに近づくの見える。ゴブリン達がオークの軍勢と鉢合わせし乱闘が起こっていた。眠りを邪魔された野生の地竜が地中から這って出て、他のモンスターを食い散らかしていく。青紫色の皮膚を持つ退化した巨人であるギガントが、あらゆるモンスターを踏みつけ怒りの咆哮を上げていた。
遠くで手懐けたユニコーンが野生の地竜に組み付かれ、大地の上で砂まみれになりながら戦っているのが見えた。
魔王が生きていた頃の再現———まさに魔の大陸を体現したような状態だった。
「化け物だらけ、ね。まるで悪夢だわ」
「ええ。でも、姫様———あの空、陛下御自ら戦闘を……」
サラが指さす先には、異常に多発した雷が、青と紫色の幾本ものジグザグした線を描き、大地に降り注いでいた。空には爆発でも起こったのか、一部雲が消し飛ばされていた。
「そうね。間違いないわ。雷鳥の翼が煌めいたのが見えた。お父様が本気を出したんだわ。クルーゴはそれほどの相手だったということね」
「ですが、それでは交渉は……。私達が無事解放されるには一旦停戦する必要があるはず」
ティニアは覚悟していた最悪の結末を受け入れた。
目を閉じ、体の力を抜いた。
「薄々分かってはいたわ。お父様は止まらない。魔族と交渉するなんてありえない。お父様にとって私達はそれほど価値がないのよ」
「ですがっ、姫様はご自分の愛娘でしょう! 私も大臣の娘で! 教皇の孫です! こんなことお爺様が許すはずがない!」
サラが絶望に空を仰ぎ、美しい黒髪を両手でクシャっと掴んだ。
荷車が石でも轢いたのか、ガタっと音を立て体が弾んだ。
はっと顔を上げると、護送している周囲の竜人族の目がこちらを凝視しているのを感じてしまった。
ラナルク族の戦士———彼らにとってティニア達は故郷を焼いた怨敵である。
頭領であるクルーゴが朝までに帰らなければ、彼女達の身の安全は保障されない。
体から血の気が引いていく。
そう言えば、もう既に夜は明けていてもおかしくない頃合いだった。
東から浮かび上がる朝日の光を打ち消すように、黒雲が天を覆い隠す。ポツリと水滴がティニアの頬を伝った。その後、魔大陸には珍しい雨が降り始めた。
ふと、違和感を感じて、ティニアは揺れる荷車の中、立ち上がって空を見上げた。
「赤黒い雲、お父様が……本気で怒っているみたい」
「姫様……こんな陛下は初めて見ます」
二人で見上げる空に紫電が迸り、痛みと怒りで悶えるような唸り声が響き渡った。
黒雲の中、脈打つように赤い線が蚯蚓のように何筋も走っている。
「クルーゴ……まさかお父様に傷を!」
「ありえません! 雷の化身ですよ! 雷に攻撃なんて出来ません!」
「あの雷鳥はお父様の分身でもあるのよ。お父様以上の魔力で貫けばダメージも通るはず」
「それこそありえません!」
勇者の長男であり、魔王と戦ったパーティーの一人でもあるアインは、年老いているとはいえ、人間の最強と言ってもおかしくない。
その防御を破るほどの攻撃はもはや魔王クラスと言っても過言ではなかった。
「おい! 後方にソラリスの旗が見えるぞ!」
最後尾で殿を務めるラナルク族の若者が焦った様子で叫んだ。
ティニアとサラがはっと後ろを振り向くと、ほんの少しだがソラリス軍の騎兵の姿が見えた。青と白の二色が薄暗いどこか紫がかった雷雲の下翻る。シンプルだが、遠くからでもよく見える魔族討伐の象徴ともいえる軍旗だ。
「人間ども! 魔大陸の魔物のレベルを思い知れ!」
「化け物に殺されちまえ!」
人間の肉の匂いに惹かれたモンスターの群れの多くが、ソラリス軍に襲いかかり始めた。
竜人族がモンスターの群れに矢を放ちながら、器用に竜を走らせていく。
ソラリス軍の先遣部隊が、異様な怪物達の殺し合いを前に一瞬馬を止めるが、すぐに突貫をしかけてきた。
しかし、牙の生えた二足歩行の豚であるオークの群れに行く手を遮られてしまう。魔大陸のオークは独自の言語で会話が出来るほど知能が高く、鎧兜を身に纏い同胞の骨や皮で出来た巨大な盾を装備している。
本能で人間の肉を好む豚達は、涎を撒き散らしながら、狂ったように騎士に攻撃をしかけていく。
これではソラリス王国の追撃もままならない。それどころか、先遣部隊は包囲され逆に殲滅させられそうになってしまう。遠くで助けを求める悲鳴が轟いた。
「へっ、それに見たことか!」
「ざまぁみろ!」
しかし、地獄の窯をひっくり返した原因であるラナルク族もこうなっては無事では済まない。皆が地竜に乗れているわけではない。足の遅い歩兵も大勢いるため、彼らの多くがモンスターの群れと戦闘になっていた。
ナイフを持ったゴブリンと中年の戦士が切り結び、若い戦士が後ろからオークに槍で貫かれ命を落としていた。
そして、ティニアの後ろでも、必死に竜を駆り逃げているが、何人かが巣穴から伸びてきた大蛇の口蓋に飲み込まれていた。
「ああ!」とティニアの口から声が漏れた。
魔大陸では人の命はたやすく奪われてしまう。
地獄もかくやといった光景に、思わず吐き気がこみあげてきて、荷車の中顔を伏せ口を押えた。
その時———聞き覚えのある雷鳴が響き渡った。
「モンスターの群れに雷がえれーたくさん落ちてやがる! なんだありゃ!」
ティニアとサラの見張りで並走している若い竜騎士達が慌てふためいている。
暗雲が奇妙な形をとり、まるで一つの目が天に浮かんでいるようだった。その瞳の中央から紫電が迸り、人間の兵の進行を邪魔するモンスターの群れを鞭のように打っていく。
『逃がさん! 絶対に逃がさんぞ、虫けらども!』
曇天から雷鳴とともに大地を震わせる声がした。
ティニアには一声聞いただけでそれが誰のものか理解できた。
「お父様……」
雷雲で出来た巨大な瞳が走るこちらを凝視している。普段ほとんど一緒にいないが、これほどの怒りが籠った父の声は初めて聞くものだった。
「おいおい、若様! 交渉に行くって言ってたくせに何やらかしたんだよ! 勇者様がえらくぶちキレていらっしゃるじゃねぇか!」
地竜で荷車と並走し、殿軍全体の指揮をとっていたシグが嘆く。
眼帯がずり下がるほど驚き、空を仰いで叫んだ。
「ああ、ちくしょう! やるしかねぇか!」
シグの剣が鞘から抜かれたと思ったら、大地の割れ目から突然現れた大蛇ヘルバイパーを一瞬で一刀両断して見せた。
こちらが辟易するほどお喋りな、しかも下の話が多い下品な野蛮人。しかしクルーゴの剣の師というだけあって、凄まじいほどの剣の冴えだった。
さらに、空から攻撃してくる野生のワイバーンの首を一瞬で切り落として見せた。
黒鋼の剣とはいえ、凄まじい切れ味だ。
剣の腕だけならアインすら超えるかもしれない。
『どこだ、蜥蜴の小僧! 早く出てこい! さもなくば、お前の仲間を今ここで皆殺しにしてやる! それともいずこかでもう死んでおるのか!?』
雷が大地を焼き払い、衝撃波がこちらまで襲い掛かってきた。
何人かが落竜し酷い傷を負う。そんな落伍者に待っているのは追いすがる魔物の牙だった。
「逃げろ! 皆早く逃げろ!」
シグが沈痛な顔をし、皆に叫んだ。
ティニアの目の前で、助けを求め手を伸ばす男が雷で一瞬で炭になった。
あまりのことに声を失ってしまった。
「おい、ありゃアインなのか? どうなってんだこの雷はっ!」
シグがティニアとサラに問いかけた。
「勇者の固有魔法の一つである天候を操る力。極位が雷鳥で、あの瞳は高位のもの。広範囲に渡って敵を捕捉して絶対に逃がさない。そして視界に入る全てに雷の鞭を振り下ろす対軍魔法。お父様の魔力が切れるまでこの地獄は続くわ」
「早く姫様を安全なところへっ! いえ、今すぐ私達を解放しなさい!」
「安全な場所なんかねぇよ! ここで荷車から捨ててやろうか? 魔封じ状態のお前らなんか一瞬でモンスターの餌だ!」
己の娘も巻き込みかねない広範囲魔法を容赦なく打ち放つ父親に、諦めにも似た絶望感が押し寄せる。黒雲で出来た瞳がティニアとサラを捕らえる。
『……我が娘ながら情けないかぎりだ。大地の極位を修めておきながらその様か。首輪まで着けられてなぜまだ生きておる。なぜ自害しない。自害すると地獄へ落ちる? 落ちればよいのだ。魔族の虜囚になるより恥ずべきことなどこの世にはなかろう。はよう死ね。自ら死ねぬと言うのなら俺が今すぐ殺してやろう!』
いつもの余裕がない。
病気になってからいささか短気になったとは感じていたが、今この時アインの振る舞いはソラリス王たる威厳をかなぐり捨てるかのようだった。
空の瞳に小さなたくさんの穴が目立つ。
黒雲が穴から大量に棚引いており、それはまるで目から垂れる血液のようにも見えた。
「お父様……、傷? いえ、病のせいなの? 魔法が完全に保てていない。まだ治りきっていないのに……」
ティニアにはここまでのダメージを負った父親を想像すら出来なかった。
激しい怒りが天から降り注ぎ、荷車のすぐ真横に焦げた穴を作った。
王女は黒天を仰いで叫んだ。
「お父様! 私は死んでも構いません! でも、サラはっ、サラには何の罪もありません! 彼女は教皇の孫で、お父様の親友でもあるボエモン大臣の娘ですよ!」
「姫様、御身をまず第一に考えてください! 陛下! 確かに姫は未だ魔族を殺せません! ですが、過去の功績をお忘れですか! 姫は魔力だけなら陛下に匹敵するほど! 呪いさえ解ければ、また我が国の象徴に相応しいご活躍をなさるでしょう!」
ソラリス王国の象徴は太陽である。勇者はまさに人類にとっての希望、太陽と同じ存在なのだ。呪いで翳った日輪を王は絶対に許さない。例え年老いてから生まれた可愛い我が子だとしても、勇者の血筋を穢す存在をアインは認められない。
互いに庇い合う娘達の姿を黒雲は煩わしそうに顰めて見せた。
『もうどうでもよいわ! 3年だ! 3年も待った! 呪いを解くため教皇の血筋の娘も侍女としてつけてやった! 俺の慈悲がまだ足りぬと言うか! ティニアが人間相手に攻撃魔法を放ったとも聞いている。異端者は疑わしきも罰するのがソラリスだ。お前達はここで死ね!』
実の父であるからこそ、その冷徹さと絶対に譲らない信念を知っている。
ティニアは自分の生をとうに諦めていた。
三年前から呪いを患い、欠陥品となった。
尊き血と才を与えられながら、全く使いこなせない役立たずの自分など何の価値もない。
しかし、サラは別だ。
サラだけは守らなくては……。
「お父様! どうかサラにご慈悲を!」
『———ならぬ! ともに死ね!』
侍女が己を庇うように押し倒した。
雷光が彼女の胸を貫き、荷車が破裂した。
ティニアの体が熱と閃光で吹き飛ばされた。
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