8話 ラナルク族

 荒野をラナルク族の戦士達が進軍していた。

 総勢192名———奴隷から解放したばかりの兵も加えてようやく中隊クラスの戦力となっていた。

 そのほとんどはやはり歩兵としての運用で、槍か剣を手に提げていた。

 そして集団の先頭を走るのは大岩のような体躯の二足歩行の肉食竜である。

 鋭い牙がびっしり生えそろった恐ろしい口蓋から荒い息を吐きながら、荒野を飛ぶように走っていく。

 ウルヒガ族から返還された20匹の地竜に騎乗出来るのは選ばれた精兵のみだった。

 彼らは3匹でチームとして動く。足の速い竜は積極的に前に出し、数名の竜人族が立ち乗りをして周りを見渡している。

 クルーゴの指示で進軍中は必ず偵察と警戒を行う者が必ず前に出る決まりだった。敵影を発見したら、その足の速さをいかして周囲の兵に素早く伝達することになっている。

 竜人族は蛮勇を貴ぶが、ラナルク族は慎重さこそを貴ぶ。

 戦の前には必ず斥候を出して、周囲をくまなく偵察し、敵の偵察兵は見つけ次第殺すか捕獲し情報源とするのだ。

 道中ゴブリンやスライム等弱い魔物と出くわすことが多々あるが、ほとんどは無視をする。人間の肉が大好物で、よほど腹が減っていない限り、彼らは魔族には手を出さない。

 永遠と続く赤い砂の大地を駆けると、狼型の二つ首の魔物が人間の槍に貫かれ死んでいるのが見えた。ヴォーダイン砦付近に生息するヘルドッグで、だんだん戦場が近づいてきたことがわかる。

 竜に乗った男達の顔には緊張が走った。万一敵兵が砦の外にいた場合、別行動で飛竜を駆るクルーゴに報せを送る段取りだった。


「っ、若様にご報告を———」

「馬鹿が! 敵に我らの位置を知らせるつもりか!」


 騎竜している若い衆の一人が先走って弓に手を伸ばす者がいて、長老ジェルマがその頭をはたいた。

 地竜の鞍に結わえた矢の1本には火薬が仕込まれており、爪で弾き空へ放つと炸裂する仕掛けになっている。凄まじい音と炎で味方の注意を引き、敵の位置を知らせるのだ。

 

「クルーゴ様は近くを飛んでおられる。あのお方は目がいい。槍を振るうだけで気づいてくださるじゃろう」

「すみません! 俺、こんだけ長距離走らせるのは初めてで……」

「無理もないわ。6時間以上竜の上じゃ。疲れるのも仕方ない」


 ラナルク族の竜騎士は戦の経験がほとんどない。

 地竜を返してもらって間もないので、騎乗しての戦はこれが初めての若者が大勢いた。操竜に神経を擦り減らされていたのだろう。顔を真っ青にして、肩で息をしていた。

 これではまだ歩兵の方がマシというものである。

 彼らは疲れたら、2時間交代で後方を追走している三本角の巨大な草食竜の荷台で寝ることが許されているのだから。

 選ばれた戦士として誇りのある竜騎士は、自分から竜を降りたいなど死んでも言えない。意地を張って限界まで走り続けてしまうのだ。


「よしっ、先頭3騎交代だ! 休んでろ!」


 シグは先頭を交代し、立ち乗りで竜に乗り周囲を警戒している若い戦士に声をかけた。


「っ助かります!」

「手槍信号で後ろの奴らにも報せを送れ」

「わかりました」


 前を走る地竜が疲れを見せ始めたら、後ろを走る竜と場所を入れ替える。その際、先頭は槍を左右に大きく1回振った後に、2回振った。

 手旗信号ならぬ手槍信号だが、これもクルーゴの指示だった。ラナルク族の槍の穂先には赤い布が巻かれており、遠くからでもよく見える。

 槍を左右に大きく1回で伝令開始の合図・2回振ったらポジションチェンジを求む・右に長く振り下ろしたら右折・大きく早く何回も振り回したら敵等の異常あり、等細かく分けると50を超える信号が発明されていた。

 クルーゴの(正しくは彼の母の)知識は最初気味悪がられていたが、使ってみるとなんとも便利なものが多かった。

 少年の母———カオルがただの頭の良い女というだけなら良かった。

 ただ、異世界から生まれ変わったやら、自分は主人公だ、異世界の知識を取り入れろ、などという放言から、特に戦士達からは忌み嫌われた。

 戦いは男の領分であるにもかかわらず、族長の妻というだけで口を挟んできたからだ。また、口を開けば「野蛮人」「脳筋」「不潔な蛮族」「ケダモノ」と貶してきた。クルーゴにも「あんな大人には絶対になっちゃ駄目よ」と何度も言って聞かせるのを耳にした。

 最初は我慢していたが、あまりの言われように気づけば「気狂い女」と蔑んでいた。

 クルーゴの存在はラナルク族の者達からすると複雑そのものであった。

 前の族長が死んだ時、少年を次の頭に据えるかどうか、謀反を企む者までいたほどだ。族長の母ということで、さらに図に乗るのではないかと心配だったからだ。

 多くの者が今でも彼を族長と呼ばず、若様と呼ぶのは年齢のせいだけではない。

 少年の力と知識、そして竜を操る術は、全ての者が認めている。竜王になるならば、いや次の魔王はクルーゴでよいとすら思えるほどだ。

 だが、どうにも母親が気に入らない。


「おいそこの馬鹿野郎ども! 止まっていいとは言ってないぞ! ほれ走れ走れ!」

 

 シグは鬱憤を晴らすかのように、後方で隠れて休憩を取り始めた、まだ年若い歩兵に檄を飛ばした。

 地竜を持っていない、いや乗りこなすことが出来ないひよっこ共だ。竜は自分で勝ち取らねば手に入らない掟となっている。その手段は竜持ちから決闘で奪ったり、野生のものを捕まえたり、気長に卵から育ててみたりと色々だ。

 シグは騎乗している愛竜の凸凹した鱗を優しく撫でてやった。

 竜は愛らしく喉を鳴らして、機嫌よくスピードを上げる。

 シグは茶色と黒の鱗が入り混じった自身と同じく中年の地竜に乗っていた。その横をラナルク族の中でも狩りの上手い戦士達が並走している。皆の顔には昨日の宴のような余裕は少なく、口数少なく前だけを向いていた。


「のお、シグよ。おぬしはクルーゴ様に———いや、族長に不満があるのか?」


 その時、長老ジェルマが、シグの竜に己の竜を密着させてきた。


「爺さん」

「だから、その呼び方はよせ。衰えても槍の腕前はおぬしより上ぞ。せめて長老と呼べ」


 ジェルマは亡き魔王の下でも活躍した歴戦の猛者だった。

 年老いた枯れ枝のような体躯の老人だが、竜に騎乗し槍を構える姿勢は胴に入っている。クルーゴの剣の師はシグだが、槍や弓、狩り等といった様々な手段は老人が手ほどきをしていた。暇な時は若い衆に文字や戦術を語っている。いわばラナルク族全員の先生であり軍師でもあった。


「クルーゴ様は精一杯やっておられる。戦士長であるおぬしが皆の手本となり、族長として敬う姿勢を見せることが重要じゃと思うのだが」

「その話は何回もしてるだろう。俺のガラじゃねぇしなぁ」

「まったく。おぬしというやつは……」

「わかってるよ、爺さん。普段俺はこんな調子だが、肝心なところはきちんと従ってる。そこんとこ弁えてんだよ」


 シグはいつもの説教を耳をほじって聞き流す。

 戦士長と長老の言い合いは割合普段通りだ。二人のやり取りを若い衆が苦笑いしながら聞いている。

 皆、シグと一緒で、幼い頃よりクルーゴと確執を少なからず抱えていた。幼い頃より一緒に育ち、その力と才を間近で見てきたのだ。ラナルク族一同の中には一種の畏怖と自責の思いがある。

 クルーゴに友と呼べる者がいないのは、母のせいだけではなかった。

 少年の力が恐ろしい———あの異常性を受け止めるだけの覚悟を持った者しか近づけなかったのだ。

 

「頭領はいずれきっと大物になる。幼い頃蔑ろにしてきた我らの罪滅ぼしとして、この戦必ずお役に立ってみせるのだ」

「固い固い。あいつはそんなこと恨みに思っちゃいねぇさ、きっと」

「しかしなぁ……、族長はどこか我らと距離があるような気がしてならんのだ。やはり心の中では憤りが……」

「そりゃ少しはあるだろうがな。完全に許し合える仲になるなんて不可能だ。でもよ、あいつは族長である自分に誇りも持っている。爺さんの言う通り、あいつは大物になるさ。俺らは見守っていくしかないんじゃねぇか」


 シグが右目の眼帯を触りながら、空を仰ぐ。

 遠目に飛竜が黒雲の下を飛んでいるのが見えた。

 珍しく良いことを言ってしまった、とシグがいつもの調子でふざけて見せる。


「おっと、既にもう大物だったな。なんせイチモツは俺よりでけーんだぜ」

「こら! わしがいつ下の話をしたか!」


 皆が笑う。シグはあえて茶を濁していた。

 一時、少年に対して謀反を企んだ者達も今この場にいるのだ。老人は忠臣気取りでご満悦だろうが、繊細な空気を読めるシグにとって、この空気はいたたまれない。

 あの時、謀反を止めたのはシグだったが、彼らの気持ちも分からなくもない。

 謀反は正確にはクルーゴに対してではなく、母であるカオルに対してのものだったが、前族長が流行病で死んだ後、村が一時二分しかけた。

 少なからずカオルには支持者がおり、先進的な知識と自信に満ちた態度にカリスマを見ていた一部の者がいた。カオルは村の中心の戦士層ではなく、どちらかというと村のお荷物的存在であった未亡人や身体的弱者、老人子供を相手に活動していた。

 西方の魔人族と密かに交易を行い、稲や胡椒を栽培し、火薬、蒸留酒も作り出した。村は竜の放牧で成り立っており、移動を繰り返す傍らでカオルは南方の森の付近に新たな小さな村を作り、定住する者達を集め始めたのだ。

 次代族長の母として勝手気ままに振る舞い、戦士一同の許可も得ない所業に皆が怒り狂った。深夜総勢22名がカオルとクルーゴが住むテントを取り囲み、剣を構え布を切り裂き中へ侵入しようとしたちょうどその時に、シグが地竜で連中を制止したのだ。

 思えば集落が襲われ、カオルが石化してくれたことが竜神のお導きであったのかもしれない。母親の庇護から離れたクルーゴに戦士達の信頼が戻り、村を失ったことで復讐に燃えるカオルの支持層も彼女の子であるクルーゴを信奉した。

 ラナルク族は今クルーゴの元一つに纏まっているのだ。


「日も沈んできたし、そろそろ野営の準備をするぞ。話の続きはまた今度だ爺さん」

「そう言って何度目じゃ、シグよ」

「いい加減分かれよ、爺さん。俺だってラナルク族だ。一族のためにあいつを盛り立てていきたい気持ちはちゃんとある。でもよ、俺くらいだぜ。あいつにこんな口を利ける奴は。周囲に馴染めない陰キャのガキにゃ、きっと俺みたいな奴が近くにいたほうがいいんだよ。難しいことは分かんねぇけどな」


 短い白髪混じりの黒髪をグシャグシャと掻きながら、シグはガラでもないことを言った恥ずかしさをかき消す。昔負った目の傷を眼帯で隠し、老いを感じる我が身を歯がゆく思いつつも、自分はクルーゴの剣の師であるという自負もあり、一族で唯一周りが言いづらいことを空気を読まずに進言出来ている自覚がある。

 女を犯すことしか頭にない獣と認識されているが、考えるところは考えているのだ。

 夕日が地平線に沈む頃合いだった。茜色に染まる空にクルーゴとウラノスが乗る飛竜がこちらを呼ぶように旋回しているのが見えた。


「爺さん、多分こんなゆっくり会話出来るのは今夜が最後だろうぜ」

「うむ。ここはもう砦に近い。明日は戦場じゃ」


 きっと今夜は軍議となる。

 竜人族の慣習では明日の戦いの前に少量の酒を呑むこととなっているのだ。


「今夜は呑むか」

「いいじゃろう。お互いいつ死ぬかもしれん身じゃからな」

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