終焉
東堂杏子
終焉
当然、あだなは【豚バラ】だった。
あなたの名前は、須原(スバラ)という。昨日、中学一年生になった。
季節は沈黙の春、四月だというのに小雪がちらついていた。ありえない異常気象だった。あなたが生まれてからこのところ、季節は冬と夏しかない。
紺色の学生服に合うコートは高価だった。
学校に着ていくコートが必要だ。お隣のチャーちゃんは大家族で代々これをお下がりで都合している。だからチャー家の兄弟たちはくたびれた外套を見ればわかるのだと先生たちは言う。ハリー・ポッターの親友ロン・ウィーズリーの家みたいだ。
だがあなたは一人っ子だった。無惨にも、不都合にも。
両親はフリマアプリを駆使して制服に合うコートを探してくれた。ところがそれは全国誰もが考えていることで、争奪は熾烈を極め、気の弱い両親はことごとく敗北した。仕方なく、入学式前日の家族会議で協議した結果、これまで着ていた量産型ダウンジャケットを着ればよかろうということでまとまった。コートについては学校の規定がない。華美ではないものという注文があるだけだ。
とにかくそういうことになった。
新しい制服に着慣れた薄いダウンを着て、手袋をして、あなたは中学校に向かった。
雪を浴びて白い息を小刻みに吐いた。
ママと歩く通学路の途中でチャーちゃんと合流した。あなたのママもチャーちゃんのママもエレガントな黒スーツを着て談笑しあう。おはようございますぅの代わりに、今日も寒いねえ、と言う。
「豚バラ。おまえのコート、クッソえぐい」
下手くそな三つ編みを揺らせてチャーちゃんが笑う。
あなたはイラッとした。
「チャーのコートも肘に穴が開いてるしえぐい」
言い返した。チャーちゃんは不敵に白い息を漏らして笑い、
「あえて。だよ」
と言った。意味がわからないとあなたは思った。
青空に雪が舞っていた。
あなたはこれから始まる中学生活を妄想した。
まず、恋をする。できればチャーちゃんと。きっとチャーちゃんもそのつもりで初恋の準備はできている。それから小説を書く。作家になる。パソコンを買ってもらったら動画編集の勉強をする。小説家兼動画配信者になる。動画配信なんてスマホで出来るじゃないのってチャーちゃんと両親は言う。それはそうだ、そうなんだけどやっぱりスマホじゃなくてパソコンがなくちゃあとあなたは信じているのだ。つい先日テレビ番組で有名youtuberの密着ドキュメントをやっていた。豪華な自宅内の一室を制作スタジオとし、フランス車の運転席みたいな椅子に座り、艶光りするモニタをいくつも並べ、使い込んだキーボードをかちゃかちゃと叩き、ンンン、だいたい一日十時間くらいは作業してますねと笑っていた。それがとてもあなたにはかっこよく、眩しく見えた。パソコンをカチャカチャする仕事をやって億万長者になりたいと心からそう望んだ。だから本当はプログラマでもゲーム制作者でも小説家でもいいのだ、とりあえず、職業は夢実現の目的の手段にすぎない。
夢。
あなたは夢だらけだった。
夢に包まれて夢を吸って吐いて、降る雪のなかできらきらと舞いながら中学校の門をくぐった。素晴らしい入学式だった。
それが昨日のことだった。
翌日の今日、あなたの隣にチャーちゃんはもういない。
そして両親もいない。
びっくりするほどあっけなく世界は滅んだ。
あなたをひとりを、今、残して。
いつまでも降り止まぬ雪が森羅万象の決断だった。さぞかしそれはつらく悲しい神々の決意だったろう、みずからの呼吸を止めるのは。
地上は息絶えたいきもので覆われ、しんしんと雪が積もり、金属の触れあう音が遠く、ほんの数刻で真白な瓦礫になった。砂浜のようでいっそ美しかった。
あなたは風雪に凜と立つ。
真新しい制服にくたびれたダウン、右のポッケに両親の喉仏の骨、左のポッケにチャーちゃんの左薬指の骨、右足の裏には叶わぬ夢、切りそろえた襟足の先には神々が諦めた未来。
風を掴もうとした指先の感覚が消えていた。腕から、顔から、足から肉が削げ落ちている。あなたは歩きながら骨になる。わかる。あなたの両親もそうだった。チャーちゃんもそうだった。あなたはこころから安心した。だってひとりぼっちよりもみんなと同じがいい。
すべてが骨になった。
すべてが滅んだので沈黙の春が終わった。そういう星の終焉だった。
終焉 東堂杏子 @under60
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