ともに~アルカーナ王国物語 番外編~
🐉東雲 晴加🏔️
ともに
いい加減に正式に婚姻関係を結びなさい、と国王直々に言われた頃には二人が婚約してからすでに三年の時が過ぎていた。
二人共、結婚する気がなかったわけではない。
ただ、一般の貴族と違って二人は婚約時すでに同居していたし、イルは成人しているとは言え結婚はまだ早いとガヴィは考えていた。
正式な婚姻関係を結んではいなかったが、事実上結婚生活が始まっていると言っても過言ではなかった上に、なんならガヴィは爵位を継がせるような一族親類がいるわけでもないから婚姻を誰に急かされることもない。
イルも二人の関係性に名前をつける事に対して全くの無頓着であったので、なんの変化もないままただ時が過ぎてしまった。
貴族同士の幼少期からの政略結婚ならともかく、お互いを気に入って結んだ婚約関係にも関わらず何年も婚姻を結ばない事に、まずはイルの後見についた銀の髪の公爵がしびれを切らし、ついには国王直々にせっつかれてこの度正式な手続きを踏むことになった。
……が、これまた無頓着な辺境の地の侯爵(夫妻)は手続きさえ踏んでいればいいだろうと言う考えの持ち主であり結婚式をする気が毛頭無く、「君は伴侶を世間に紹介する価値もない等と失礼極まりない事を考えているのか」と再び銀の髪の公爵に詰め寄られて、ノールフォールの避暑地にて小さいながらも婚姻の儀を執り行う事になった。
銀の髪の公爵は王都での盛大な挙式とお披露目を提案したが、ガヴィは最後まで首を縦に振らなかったので、最後はゼファーが折れて後日アヴェローグ公爵邸にて披露宴を執り行うことでなんとか決着がついた。
ノールフォールでの婚姻の儀は親しい者だけでの小さな物の予定であったが、ガヴィに任せておくと本当に書類にサインするだけで終わってしまうのではと気を回したゼファーが式の世話役を引き受けようとした。
が、意外にもガヴィは「やろうと思っていることがある」と自らイルに提案を述べた。
「……
「おう」
もうかなり前の記憶であやふやな部分も多いが……そう前置きをしてガヴィが言った。
「イリヤと一緒に紅の里に行ったときに見たことがある。王都の方の婚儀とは違って……弓会の時の『花の乙女』みたいな格好をしたやつ」
「うん……」
紅の民の結婚式は王都とは大分趣が違い、婚礼用の民族衣装を身にまとい、花嫁はその名のごとく花をふんだんにあしらった花冠を頭につけ、花婿は花飾りを首から下げる。
祝い事の時に敷かれる紅い織物の上に親族や参列者とともに座り、精霊役(村長であることが多い)に祝福の祝詞を挙げてもらうのだ。
「……記憶があやふやなところもあるから、完全再現とはいかねぇと思うが。俺とお前の覚えてるところつなぎ合わせてやったら、紅の民の供養にもなるんじゃねぇかと思って」
普通の婚礼より大分質素だし、王都式がいいっていうんならそっちにするけれど。
ガヴィがそう言った時には、もうイルの目からは涙が溢れていてまともな返事はできなかったのだけれど。出会った頃より大分柔らかくなったイルに触れる大きな手が、それでも最初から変わらぬ優しさで頭を混ぜ返した。
「俺はもうこの地に骨を埋める気だからよ。紅の里は無くなっちまったけど、残していけるもんは残せたらいいと思ってるしな」
イルのためにノールフォール領の領主になったガヴィだったが、領主になった理由はそれだけではないのだとイルは思った。
そこから約半年をかけ、二人の記憶を手繰り寄せ、紅の民と交流のあった近隣の住民に話を聞いたり、王都の文献を調べたり。婚礼の衣装は紅の民を全く知らないゼファーお抱えの仕立て屋が、伝統的な衣装に大変興味を持って二人の記憶を頼りに見事に仕立て上げてくれた。
イルとガヴィの記憶には時代が違うことによる相違もあり、本当にこれが紅の民の伝統的な婚礼衣装であるかは些か怪しかったが、それはそれで良いと思えた。
伝統は、全く変わらないということではないから。
ここからの未来は、また二人で作ってゆけばよいのだ。
婚礼の儀は、だいぶ揉めたが精霊役を本物の精霊である黄昏が務め、ゼファーやドム、隣の領のアゼリア男爵やマーガの手も借りて非公式で国王一家も参列し、厳かで大変質素な式ではあったがその日は誰もが幸せな笑顔で溢れていた。
婚礼後の宴席を終え、主役二人が侯爵邸に戻った時には夜はすっかり更けていて、もう幾分かで日付をまたぐ……という頃であった。
朝、同じ屋敷から一緒に出かけ、同じところに帰ってくる。
昨日も今日も、普段と変わらぬ日々。
けれど、多くの人に祝われ、二人の関係に名前のついた今日。やはり昨日までとは違う何かが始まっていた。
イルの後に浴室から戻ってきたガヴィが、ランプの明かりを絞って「寝るか」とイルを寝台の方に誘う。
宴席で飲んだアルコールも相まって、なんだかふわふわとしている。
ともすれば、そのまま眠ってしまいそうな自分の頬をぺしっとひと叩きし、ガヴィに言っておかねばならぬことがあるとイルは用意していたものを握りしめた。
「ガヴィ!」
イルの手には、紅い兄の形見の短剣が握られており、ガヴィは少しぎょっとしたが、寝台に腰掛けるとイルの言葉を待った。
「あのね、紅の民は生まれたときから髪を伸ばしてる人が多いんだ。私も髪の一部をずっと編んでるんだけど……」
唐突に思ってもいない事を語られてガヴィは目を瞬かせた。
そう言われてみれば、イルはいつも髪の一部を編んでいる。それはただのお洒落的なものかと思っていたが……
「イリヤさんから聞いたことない? 紅の民はね、結婚する時にお互いの髪を自分で作った守り袋に入れて相手に渡すんだよ」
いつも、貴方とともにいられますように。
いつも貴方を守ってくれますように。
イルの手には短剣の他にももう一つ、伝統織で編んだ小さな守り袋が握られていた。
本当は、自分の
イルは兄の短剣を抜くと、編まれていた自分の髪に刃先を滑らしてその房を落とした。
ずっと、トレードマークのようであったイルの編まれた髪が無くなったことに少し寂しさも感じたが、目の前で守り袋にそれがしまわれて、「貴方と共にいられますように」と、はいと渡された袋を握りしめると、なんとも言えない心地になった。
貰った袋を首から下げ、しかと握りしめる。
「イル」
ガヴィは淡いランプの光しかない暗い部屋で金に光るイルの瞳を見つめながら、静かな声で言った。
「俺は……過去の自分を全部あの日に置いてきちまって、ここでの俺は何にもなかった。
……だから、俺からお前に今、やれる物はなにもない」
暗闇に揺れる赤い髪と深い菫色が熱く、真剣にイルを見る。
「……人間、いつ死ぬかはわかんねえし、明日死ぬかも、じじいまで生きるかも解らない。
けど、これから俺が生きてる限り、俺の心はお前にやる。俺が死んだ時は、俺の身体の骨の一欠片さえもお前とこの土地にやる。だから」
だから、それまで俺と共に生きてくれ。
そう言って抱きしめられた身体から伝わる熱と鼓動が愛しくて。
イルは、この日を生涯忘れないだろうと思った。
2025.1.21 了
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