愛のほかに渡せるものは

ツユクサ

愛のほかに渡せるものは

「私達って、子どもみたいよね」

「……は?」


 思わず上げた声は、随分と間抜けだった。


 侮辱とするには、あまりにも彼女の声は柔らかくて、どう答えるべきか分からなかった。私の心中を察したのか、彼女は「気を悪くしないでね」と人好きする笑みを浮かべた。


「ねえ。親が子どもを愛するとは限らないけど、子どもは絶対親を愛するの。なんでだと思う?」


 なんとも耳の痛い問いだった。母に派遣の安い給料のほとんどを仕送りし、自分で自由に使えるお金欲しさにキャバクラ副業を始めた私に、言うことだろうか。


 彼女から一緒に帰ろうと誘われたとき、断れば良かったと後悔した。そもそも一緒に帰ろうってなんだ。それこそ子どもじゃあるまいし。

 アフターもない女同士で、何をしたって惨めじゃないの。そんな気持ちばかり湧き上がり、その気持ちのままに


「知らないわよ」


 と吐き捨てた。


「答えはね、死んでしまうから」


 柔らかな声から放たれた言葉の強さに、私は無意識に息を呑んだ。彼女は気にせず、話し続ける。


「子どもは、親がいないと生きていけない。何も出来ない。だから、愛を振りまくの。笑って、縋って、媚びて、そうして守ってもらう。本能で知ってるの。愛以外に、差し出せるものなんてないと」


 私達みたいでしょ?

 彼女は振り向いた。明るくなり始めた淡い空に、逃げ遅れた月が浮かんでいた。

 えりかちゃん。もうひとつの私の名前を呼んだ。


「愛のほかに、渡せるものはある?」



◇ ◇ ◇ ◇



 あれから、彼女はすぐ店を移った。私も半年後には辞めた。

 辞めたのは、別に副業がバレたからとか、充分稼いだからとかではない。母が急逝し、仕送りする必要が無くなったからだ。

 思ったより、寂しさはなかった。肩の荷が降りた安堵感が勝った。自分の予想以上の薄情さに嫌気が差した。けど、それだけだ。


 彼女の言葉を借りるなら、私は上手く愛を渡せない子どもだった。愛を渡せないから、愛されない。だから、愛の代わりに、お金を渡していた。愛されたいが為に。


 女手一つで育ててくれた母には、感謝している。愛している。その気持ちを、愛の形に出来なかった。お金を渡して、結局得たのは白い骨だけ。虚しいものだ。


 いや。そもそも母は、愛よりお金を受け取りたい人だった。私が上手く愛を渡せたとして、母はそれを受け取ってくれただろうか。

 もし私が上手く愛を渡せたら、母が愛を求めたら、私達の関係はもっとより良いものになったのだろうか。


 3年経った今となっては、分からない。考えても無意味なことだ。


楽ではないなりに暮らしていたある日、ニュースを見た。

 キャバ嬢が客の男に刺されたらしい。男は、女に随分と入れ込んでいて、多額のお金を貢いでいた。

 どうにも、その女は、裏引きをしていたようだ。結婚詐欺まがいのやり方で、多くの客から金を出させた。刺した男の他にも被害者は多い。女子アナは、無表情に原稿を読み上げた。

 テレビに映った女の顔は、あの日の彼女によく似ていた。


 出勤前のぼんやりした頭で、一緒に帰った日のことを思い出す。

 朝日を浴びる彼女の背中。柔らかい声。


 彼女は、愛のほかに渡せるものはなかったのね。


 その晩。私は久しぶりに遺影に水を供えて、手を合わせた。

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