第4話 為すべきこと
その男は、物事の見方が特殊だった。目の前に与えられたモノに、まるで興味を持てなかった。男の興味の対象は、その先、上、そして外にあった。
同年代の子供たちが、決まった範囲の遊び場を独占していたとき、幼き日の男は隣町の公園まで一人で遠征し、しばしば親や兄を困らせた。
高校の数学の授業で微分を習ったときには、積分や力学までまとめて予習してから、改めて微分の試験勉強に取り組んだ。
大学のゼミで講読することになった本に関しては、その著者を批判する立場の論文も読んでから、改めて相互の理論と対立の構造を把握した。
内務省に入ってからは、官営事業管理局に配属されたが、そこで全国の電力供給量、ダムの利用可能水量、そして鉄道普及率などを調べてまとめ上げると、男は愕然とした。
(この国は、あまりにも弱すぎる)
そこで、男は対応策を考えた。
公共事業のための土地は簡単に買収できるようにしよう。資金調達のために金利を大幅に下げよう。貨幣供給を柔軟に行えるように金本位制から離脱しよう。
これらのアイデアを体系化し、一本の博士論文にまとめた。単に男の望むような強国を実現するだけでなく、膨張主義に走る隣国に立ち向かうための大義名分も盛り込んだ力作だった。
だが、そんな構想が素直に受け入れられるほど世の中は単純ではない。それどころか、男は地主貴族層から危険視された。社会主義者だ、反体制派だ、などと散々な誹謗中傷も浴びた。
そのような経緯もあり、内務省そのものに愛着も熱意もなかった男は、地方大学の経済学講師への辞令を受け取ったときには、それを発した側の意図とは裏腹に、むしろ気楽なものだった。
(中央官庁などよりも伸び伸びと探求が出来るかもしれんな)
唯一残念だったのは、男のアイデアを実現する経路が失われたことだった。だが、その問題に、今一筋の光が差し込んだ。
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「しかし、私から見ても今のレオニアの状況は絶望的と言うほかありません」
長身の影———ヤルマール・ブラントは、机に向かい合った二人に告げる。
ミュンヒブルク大学を離れ、市内のホテルに移動した一行は、先ほどから最上階の会議室で今後の展望を議論していた。ちなみに、このフロアは皇室と政府の関係者しか使えないという秘密があり、余計な邪魔が入る心配はない。
「私たちだって、今のままじゃダメだと思ってるからこそ、貴方を呼んだの。愚痴をこぼさず、知恵を貸してちょうだい」
ブラントの悲観や冷笑は、さきほどから何度も溢れる。
「そうですよ、ブラント博士。これはレオニアの生き残りをかけた大事業なんです」
不機嫌になりかけるエリザベートを宥めるように、ヨハンは言う。
「そうですな。私も隣国の捕虜などにはなりたくないので、せいぜい足掻く所存です」
「それで、博士はまず何をすべきと?何か新しい政策や法律を作るとなると、まずは貴族たちを動かす必要がありますよ。僕たちの側にも、後ろ盾になってくれそうな皇国議会の議員は何人かいますが…」
「……」
ブラントは腕を組んで天井をしばらく眺める。
「さきほど、殿下は軍事力をご所望でしたな。しかし、兵力は多少揃えられたとしても、問題は武器です。この国の今の経済力では、買うことも作ることも容易ではありません」
「でしょうね…」
「まずは、全ての基礎となる工業力を築き上げる必要があります。さすれば、武器を作る能力か、外国から買うだけの外貨を稼ぐことができましょう」
それは、エリザベートにとって実感のある問題だった。忘れもしない前世で、ヴォルク軍の最新装備を見た。あのレベルの武器を揃えられたヴォルク軍は、圧倒的に強かった。
「でも、今のレオニアには、最新の武器を造れる会社などないわ」
エリザベートの疑問に、ブラントはすぐさま答える。
「ないなら、他所から持ってくればいいのです。ただし、そのための条件作りは、我々自身の手で行う必要があります」
「詳しく聞かせて」
「工業を誘致する際には、そのためのインフラ、例えば鉄道、道路、電力が必要です。近年はレオニアでも自動車が普及したため、道路は少しマシになりましたが、問題は電力です」
「なるほど。それなら…例えば新しく大きな発電所を建てる必要があると?」
「それが理想ですが、問題は二つあります。まず、全く新しい大型発電所を建てる予算など到底獲得できません。ましてや、ただでさえ地主と小作人の対立が激化する昨今は、庶民の増税なども難しいでしょう」
「ええ、その通りね」
ブラントは大局的に物事を語るようで、実は細かいところまで国民生活をよく見ているのではないか。エリザベートはそう思い始めていた。
かつてジーナが見た村人たちも、地主との小作料のトラブルが絶えなかった。不作の年などは、夜逃げや暴行沙汰も珍しくなかったほどだ。
「かと言って、地主たちに負担を求めても拒否される可能性しかありません。特に、広大な土地を抱える貴族たちが、議会で反対するでしょう」
「それじゃあ、どこからお金を持ってくるの?」
「予算と財源に関しては、これから詳しい計画を立案しないと何とも言えません。腹案はいくつかありますが、それは今後の議題としましょう」
「分かったわ。とりあえず、当面の課題は電力の確保ということ?」
「そうなります。発電量を大幅に増やす必要があります。それも、ただ単に増やすのではなく安い電力を充分に供給できるようにするのです」
エリザベートとブラントの話が一通り結論に達すると、ヨハンが口を開いた。
「ブラント博士の提案は分かりました。しかし、それをどうやって実現しますか?」
「そうですな…まずは、私を何らかの形で中央に復帰させる必要があるのでは?」
ブラントは他人事のように言うが、左遷された人間を容易に戻せるはずもない。
「内務省への復帰は難しいでしょう…それなら、皇太子宮殿の顧問などいかがでしょうか?」
「それで構いません。とりあえず、殿下と普段から意思疎通が取れる立場なら、お支えすることは容易いでしょう」
「分かりました。顧問の1人や2人なら、私の権限で登用できるでしょう。詳しい話は、また今後続けましょう」
ブラントの提案を承諾すると、ヨハンはエリザベートの方を向いた。
「今日はもう遅いから、続きは明日話そう」
「そうね」
エリザベートは、改めてブラントに向かい合う。
「博士、今後ともお力添えをよろしくお願いします。貴方の頭脳には、とても驚かされたわ」
「それは何よりです。では、私はこれで失礼いたします」
長身の影は、少年少女よりも先に部屋を後にした。
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翌朝。
エリザベートとヨハンは、昨晩と同じ部屋でブラントと会談した後、すぐにメーネへ戻った。
昨晩の結論から特に進展はなかったものの、ブラントが持参した資料は興味深いものだった。帰りの汽車の客室で、二人は貰った資料を広げて眺めていた。
「ここ数年のレオニアから輸出・輸入された商品の統計なんて、よく調べたわね」
エリザベートは素直に感心する。
「なんでも、内務省から左遷された後に、各地の港や税関の統計を集めて作ったらしいよ。内務省にも同じような資料はあるけど、公開はされてないから、自力で作ったんだろうね」
資料自体は膨大な量だが、内容は至ってシンプルだ。毎年レオニアから輸出される商品と、レオニアに輸入される商品の数量や内訳。すなわち、レオニア経済の外郭とも言えるものが描写されている。
「改めて見ると、この国ってかなり偏った貿易をしてるのね」
「そうだね…」
二人はため息をつくが、それも無理はない。
輸出品の大半は、小麦や甜菜などの農作物、農作物を加工して出来る砂糖や繊維、あとは多少の石炭と鉄鉱石ぐらいだ。一方で、輸入品は自動車から化学肥料まで幅広い工業製品だ。農業中心の産業構造から抜け出さないと、いつまでも工業製品を買うたびに外貨が流出してしまう。ブラントの指摘にも頷ける。
「ところで、ブラント博士はいつからメーネに来れるのかしら?」
「まだ決まってないけど、来月には宮殿に赴任できるように手配するよ。ミュンヒブルク大学には、もう異動が伝えられてると思う」
「一日でも早く彼を呼ばないとね」
何しろレオニアには時間がない。もし、あの悲惨な歴史が再び繰り返されるなら、1941年———今から8年後には戦争が始まってしまう。それまでに国を強くして、戦時体制を整えることができるかは、肝心のエリザベートでさえ疑問だった。
「その心配はご無用です」
その時、ちょうど客室のドアが開き、声が聞こえる。
「は、博士!?」
ヨハンが驚きの声を上げ、エリザベートも唖然とする。
「驚きましたかな?向こうの大学では講師と言っても、もとより授業などほとんど受け持っていませんでしたし、もう今学期は終わっているので、せっかくなら今すぐメーネに行こうと思い立ちました」
「そう…それなら、もうこのまま向こうに着いたら、色々な話し合いも始めましょう」
「御意。まずは私からも、皇太子殿下と皇女殿下に提案したいことがございます」
「何ですか?僕に出来ることなら遠慮せず仰ってください」
「皇太子宮殿の顧問として、まずは御二方に経済学の基礎から応用までをみっちりと伝授したく存じます」
教職から退いたばかりなのに、男は教師のようなことを言う。だが、それも当然の流れだろう。ヤルマール・ブラントは、この先ずっとエリザベートとヨハンの師匠とも言うべき立場に就くのだから。
「望むところですわ」
エリザベートも、闘志と学習意欲を燃やす。戦いはまだ始まったばかりだ。
転生皇女の総力戦経済史 ラール @raar_444
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