脱走姫には目覚めのキスを
三木 べじ子
第1話
今日も王国は、穏やかに、平和に、日々の生活を送る、はずであった。
王城、の一角、の窓。
なんの変哲もない普通の窓が、割れた。
そこから人影が飛び出し、部屋の中では悲鳴が上がる。
「キャー!姫様―!!」
カンカンカンッ。
打ち鳴らされる鐘を聞きながら、国民は「またか」と笑った。
あの姫がこの王国に嫁いできてから、今日で二週間。
毎日毎日欠かされることなく行われることがあった。
喉に自信のある騎士が叫ぶ。
「姫、脱走!姫、脱走!東門へ進行中!王国騎士団は、至急捕縛せよ!」
すでに恒例行事となっている、他国から嫁いできた姫の脱走。
東通りの国民は、いそいそと中央の道を開けながら、姫の姿を今か今かと待ち望む。
やがて上がるのは歓声。
姫の到着を知らせる声をたどった先。
物凄い勢いで空から降り立ったのは、動きやすい服を身にまとった美しい女性。
流れる金髪と、強い意志を持つ金色の瞳。
一般男性の平均身長より背は高く。
肉付きの良い体と堂々とした態度。
男も女も目を奪われる美貌を持つ女性。
王国から、国を三つまたいだ先の国より嫁いできた、マチルダ・スカリター姫。
この国の、国王陛下の、婚約者である。
ふぅ、と一息つくマチルダだったが、国民からの歓声にびくぅっと肩を揺らす。
「え、ちょ、今日もなんでこんなに人がいるんだ!?」
マチルダは脱走している身。
それなのになぜ歓声をあげられているのか。
「マチルダさまぁ!!」
「かっこいいぃ!!」
「がんばってー!」
「何を?!」
国民からの声援に思わず返事をしてしまう。
その間に騎士たちに囲まれていたようだ。
(国民と騎士はグルだったのか…!やられた…!)
歯を食いしばりながら、この二週間の脱走の中で十回は行われている騎士たちからの包囲に神経をとがらせる。
マチルダを取り囲む騎士たちの中から、一人、進み出た。
この国の騎士団長である。
「マチルダ様ー。どうか王城にお戻りになられ」
「嫌だ!帰る!」
「話を遮らないでください!というか、貴方一人でどうやって国に帰るって言うん」
「それはもう全力でだ!」
「だから遮らないでくだ」
「全員かかれぇ!!」
「「「おう!」」」
副騎士団長の合図により、マチルダに向けて剣を向ける騎士たちと、その後ろで網を構える騎士たちに分かれる。
ことごとく言葉を遮られた騎士団長は「あれー、私、騎士団長だよね…?」と放心状態だ。
剣を向けられたマチルダは、おびえた表情を見せている子供を見つけて、騎士たちに怒りを向ける。
「小さい子が怖がっているだろうが!!考えろ!!」
瞬間、折れていく騎士たちの剣。
何が起こったのか理解できない国民たちは、ニヤリと笑うマチルダに歓声を上げた。
「何をしている!動きを止めるな!」
副騎士団長の声に意識を取り戻す騎士たちだったが、一足遅かったようだ。
「この網、借りるよ。」
「え?」
気づいたときには五人一組で網に包まれているではないか。
もがく騎士たちを尻目に、マチルダは国民の歓声に機嫌よく手を振る。
今日こそ脱走できるかもしれない。
そんな希望を抱き、外へ出られる門の方へ、足を向けるマチルダ。
しかしその方向から現れた者がいた。
ここ最近、王国周辺で名の上がっている賊共である。
マチルダと騎士たちの攻防に見入っていた国民たちは、悲鳴をあげて慌てて逃げようとする。
母親と逃げていた子供が、地面に躓いてしまった。
「レイナ!!」
賊は無情にも、涙を流す子供に剣を向けた。
そこらを飛ぶ虫をただ邪魔だと踏みつぶすように、何のためらいもなくその剣を振り下ろす。
だが賊が期待したような悲鳴も、視界に広がるはずだった赤も、そこにはない。
「大丈夫だ。安心しろ、レイナ。」
「マ、チルダさま……。」
少し離れた場所にいたのは、子供を抱えたマチルダだ。
感謝の涙を流す母親に子供を渡し、賊共に向き直る。
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる賊共は、マチルダの全身を嘗め回すように見て、更に笑みを深めた。
「これはこれは、綺麗な女が出迎えてくれるとは!今日はツいてるな!」
「一体どんなオモテナシをしてくれるんだ?ん?綺麗な嬢ちゃんよ。」
「お前たちは、どうしてこの国に来た?」
ギャハハハハと仲間内で笑い合う。
「おれら貧しいからさぁ、お恵みをいただかないと生きていけないわけよ。王国はさぁ、裕福だろ?たくさん豪華なものを持ってるんだろ?だったらちょっとしか持ってないおれらが、ちょーっと貰って行ってもいいんじゃないかなぁと思ったわけよ。金も、物も、人も。嬢ちゃんとか最高だぜ?すっげぇ綺麗な人間は、いろんな奴に高く売れるのよ~。」
怒るか、脅えるか。
三十人くらいのガタイの良い男たちが集まっている賊共は、今まで誰にも捕まったことがない余裕から、自分たちは強者だと、奪う側だと考えていた。
だから目の前のマチルダが、どんな反応で自分たちを楽しませてくれるのか。
この国からはナニがもらえるのか。
今回も無事に逃げられるのか。
興奮冷めきれぬ思いで、とりあえず目の前の女の様子を見てみる。
しかし彼女は、マチルダは、笑っていた。
「そうか。私は綺麗だとかあまり言われないから実感がいまいち湧かないが、この見た目も売買の対象になるんだな。知らなかった。」
どうして笑うのか。
それこそ、目の前にいる数十の男たちを前にして、余裕でいられるのはなぜなのか。
まるで取るに足らない存在だと言われた気分になる。
しかし賊の長が気になったことがある。
マチルダは今、「見た目も」と言った。
(見た目以外の価値って、なんだ?)
意識を反らした内に、マチルダに馬鹿にされたと思った賊の数名が彼女に食って掛かる。
彼女の胸倉をつかみ上げ、見ていた国民が悲鳴をあげる。
「舐めてんのか?」
「舐めてないぞ。」
「じゃぁビビれよ!」
「それは無理な相談だ。自分よりも弱い存在を前に、ビビることはできない。」
「はぁ?!」
「私はお前たちを舐める、つまり見下すことはない。それらの行為は自分よりも劣るものに対して優越感を得るためのものだ。しかし、初めから遥かに弱いと分かっている存在を前に、守りたいと思うことはあれど、上に立って喜びを感じることはない。だろ?」
怒りが頂点に達する賊たち。
振りかぶった拳が、マチルダに向けられる。
しかし彼らとは別の所で、賊が悲鳴をあげた国民に危害を加えようとしているのが見えた。
「嫌ぁ!!」
「うるせぇ!!」
よそ見をしているマチルダに渾身の一撃を食らわせる賊。
「両足、増強。」
「へ?」
見えたのは金色だけだった。
次に目の前にあったのは、地面。
痛みは数秒後からやってくる。
地面に寝ころんでいた数名の賊は襲ってきた痛みに体を縮こまらせる。
賊の長は、消えたマチルダを探し、別の所で国民を助け出す彼女の姿を見つける。
腕に国民を抱えるマチルダは、その全身が金色に光っていた。
人間が発光することなんてあり得ない。
人間が音速レベルで動くこともあり得ない。
しかし賊は思い出す。
この世界に、絵本の中のおとぎ話のような、モノや人が存在することを。
「あ、あんた…そう、だ、知ってる、知ってるぞ…!金の髪と目を持って、化け物のような力を持つ女ぁ!世界三強の一人、…増強の能力者…!“破壊の怪物姫”、マチルダ!!!!」
能力者。
この世界に存在する、正体不明の存在。
それこそおとぎ話のような能力を持つ彼らは、いつこの世にあらわれ、なぜその力を手にしたのかは全くの不明。
しかし、普通の人間には耐えきれない強大な力を持っている、人、らしき存在。
その能力を、時には善に、時には悪に使いながら、彼らは人として、今日まで暮らしてきた。
現在確認されている能力者は、十人。
特殊能力は個人によって様々であり、物体を浮かせられる者もいれば、人を意のままに操れる者もいる。
マチルダも、特殊能力者であった。
能力は増強。
五感から筋肉、声帯など、とにかく自分の体に関することであれば、全ての能力を増強することが可能である。
しかも、その増強には、限りがない。
マチルダが望む限り増強することが可能であり、彼女の拳一つで、山を吹き飛ばすことだってできる。
理を外れた存在、それが能力者。
過去、マチルダの故郷を攻め入ろうとした国を、彼女一人で壊滅状態にまで追いやったことがある。今から五年前、齢十二の時だ。
幼い少女が国家殲滅を成し遂げたことは瞬く間に世界中に広まり、やがて“破壊の怪物姫”と呼ばれ、世界三強の一人として恐れられてきた。
そんな化け物がなぜこの国にいるのか。
賊の長は震えが止まらない。
既に自分以外の仲間は地面に寝転がっている。
後は自分だけ。
救出した国民を地に降ろし、マチルダは賊の長に近づく。
「やめ、やめてくれ!できごころだったんだ!生きていくためには必要なことだったんだ!たすけてくれ!だれか!」
後退し、やがて尻もちを付く賊の長。
彼の願いは空しく、マチルダは大きく息を吸い込む。
ドクンドクンドクンドクン
流れる血液の音を耳で聞きながら、マチルダの口が開いた瞬間に、賊の長は倒れた。
目の前でぴくぴくと痙攣する賊の長を眺めながら、息を吐き出すマチルダ。
「全く。ビビりすぎ。」
増強してない声で「わっ」と言っただけだというのに。
まぁ賊共は鎮圧できた。
いつも通りマチルダは声帯強化を自身に施し、遠くにいる騎士たちに届くよう声を出す。
「賊の鎮圧に完了!騎士団は急いで回収に来い!」
周囲にいる国民に被害が出ないように細心の注意を払っている。
少し家が揺れる程度に収まった。
このまま、先程マチルダが自分で縛り上げた騎士団が到着すれば解決だ。
そして自分はこのまま城の外に逃げる。
騎士たちも賊共を放置していけないだろうし、国民も賊共が現れたことで逃げており、遅れた少数以外はいない。
絶好の脱走。
にやりと笑みを浮かべ、増強したままに城外へ足を向ける。
目の前に移るのは、外への一本道。
ではなく、立派な胸の筋肉。
「ん?」
呆気に取られている内に目の前の筋肉から持ち上げられる。
正体は、この国の王。
フィンリー・メルデガルフ。黒髪に緑の目を持ち、知力、武力を兼ね備え、歴代国王の中で最も優秀だと称えられる、その人である。
整い過ぎた顔でニコニコと笑うフィンリー。
「な、なんで、ここにいるんだ、国王。」
青い顔で訪ねるマチルダ。
返事は返されなかった。
その代わりに、マチルダの唇に押し付けられたのは国王フィンリーの唇。
驚きに目を見開いたマチルダは、抵抗することさえ叶わずに、意識を失った。
意識が消える直前、マチルダを抱えたフィンリーが駆け付けた騎士たちに指示を出しているのが見えた。
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