第20話 王国最強の誇り(元帥視点)
「ぬうあああ! いってええ!」
久しく感じたことのない激痛が儂の頭に走る。骨、イッたかの? 老い先短い儂の寿命がさらに縮んだ気がする。チカチカと目の前に光が走り、しばらく悶えていると儂の耳に誰かの声が聞こえてくる。
「おいクソ上司! お前いつもいつも私に怒ってばかりいやがって! 騎士団みんなに怖がられているの知らないの!? いっつもそんな怖い顔ばっかりしてるから娘さんが近寄ってこないのよ!」
この声……メリルか? いや、メリルしかありえん。最近の儂の悩みまで知っているのはあいつくらいじゃ。あんの小娘……今まで手塩にかけて育ててやった恩を忘れて儂に楯突こうなどと……
「メリルぅ! 貴様許さんぞぉ!」
奥からひぃっと言う小さな悲鳴が聞こえてきたが、もう許せん。ひっ捕えて王国に連れ帰り、再教育をせねば。おおかた魔人に洗脳でもされておるのじゃろうが、どちらにせよそんな未熟者を許すほど儂は甘くない。
「どこじゃああ!」
目の前に発生した迷路に飛び込む。本当なら壁をぶち抜いて進みたいところじゃが、憎たらしいことにダンジョンの壁は儂でも壊せん。
「時間稼ぎのつもりか? 小賢しい
いかなる迷路でも儂の俊足を持ってすれば踏破は容易い。すぐにでも追いつき、鉄槌を加えてやろう。
「ここかああ!」
「きゃあああ!」
迷路を抜けた先の部屋にメリルはいた。儂の顔をみて怯え切っているようだ。こやつはいつも無表情で、感情を見せることなど滅多になかった。それなのにこんな情けない姿に変えられてしまって……。魔人の悪辣さに怒りが湧いてくる。
「メリルよ。今ならまだ間に合う。こちらに来い。今、儂があやつを倒してお前の洗脳を――」
解いてやる。そう言おうとした瞬間足元が崩れて視界が一気に下がっていく。お、落とし穴じゃと?
「ぬわあああ!」
予想外のことに情けない声をあげてしまった。この儂が落とし穴などという単純な罠にハマるなど……。しかも、底は沼になっており落下の勢いで頭の先まで沼に埋まる。魔人め……実に効果的な罠を考えるやつよ。剣山などでは儂の体を通さんことをわかっておったな。
「ぶはっ、くそう。だがこの程度で儂を止められると思うたか!」
全力でその場から飛び跳ねる。魔力を使えば例え水の上でも走ることは容易。ましてや泥の上を足場にして飛び跳ねることなど造作もないことよ。儂は見事に落とし穴から脱出し、床に着地す――
「ぬわあああ!」
着地した先、そこにも落とし穴があり見事にハマる。沼の底まで再び沈められた儂は、急いで水面へと這い上がる。
「ぶはっ。げぇほげえほ! ぺっぺっ!」
「「あっはっはっはっはっは!」」
上から笑い声が聞こえ、その声に儂の怒りが刺激される。あ、や、つ、らぁ。
「ちぇい!」
再び飛び出した儂はまた落とし穴がないか慎重に着地する。2つだけということもあるまい。流石に3回も落とし穴にハマるのはごめんじゃ。泥だらけの身体を引き摺り、床を確認しながら恐る恐る部屋の出口まで辿り着く。するとそこには一枚の貼り紙があった。
『落とし穴は2つだけだよ。無駄な確認ご苦労さん』
「くっ。お、落ち着け。落ち着くのじゃ儂よ。ここで怒りに任せて動いてもしょうがあるまいて。一旦冷静になるのじゃ」
通路の先を確認する。するとそこには目に見えないほどの細い糸が幾重にも儂の首のあたりに張ってある。ほほう。おそらく怒りに任せて突撃してきた儂の首を刎ねようと罠を仕掛けたのだな。もしくはあの糸を切ったら発動する罠の可能性もある。
「ふっ、みえすいたことを」
糸を切らないよう屈んでくぐる。別に引っかかったからと言ってどうということはないが、これ以上儂を謀れるなど思うなよ。
「あぎゃが」
一歩を踏み出した瞬間、儂の右足はツルツルした床に取られて滑る。ごきりと嫌な音が股関節から聞こえる。ほとんど180度開脚した儂の足。そのあまりの痛みに悶絶する。
「こ、氷の床じゃと……おのれ、メリルかぁ!」
怒りが痛みを上回り、全身から炎を吹き出す。その熱は床の氷を瞬時に蒸発させ、張り巡らせてある糸を燃やし尽くす。
「さて、あやつらはどこに……」
「きゃああああ! 誰か助けてーなのだ!」
突然儂の耳に若い娘の悲鳴が飛び込んでくる。罠か? しかし……ここはダンジョン。他の冒険者と出くわすことは不思議ではない。万が一冒険者の危機を見捨てたとあっては、儂は2度と騎士を名乗れん。使命感に追われて悲鳴のした方へ向かう。
「殺されるのだー! 助けてー!」
「させぬ!」
この娘は、さっきダンジョンの主が引き連れていた中にはいなかった。間違いなく冒険者であろう。儂は娘のいる部屋の中に迷いなく入り、金棒を振り上げようとして――
「ぶっ」
バシャアと音を立てて、何かが儂の頭の上に落ちてくる。これは……水? 水の入ったバケツが儂の頭に落ちたのだ。足元を見ると、切れた糸が床に落ちている。儂はこれに引っ掛かったのか。
「あっはっはっは! 引っ掛かったのだ。ハジメ、見たか!?」
桃髪の冒険者は笑いながら逃げていく。いや、あれも魔人の仲間なのだ。ハジメといったか。ダンジョンの主の名は。
「ふ、ふっほっほ」
実に巧みな罠づかいじゃ。儂の意識の外をついて見事に引っかけてくる。敵ながら天晴れ。よほど人心掌握に長けていなければここまでの所業はできまいよ。……ここまで儂をコケにしてくれたのは68年の人生で貴様が初めてじゃよ。儂の頭の中の血管がブチブチと、何本も切れる音がする。
「ハジメ……貴様は絶対にぶち転がしたる」
烈火の如き怒りを燃やし、桃髪の魔人が逃げた先を追う。その先には奴が、ハジメとかいう愚か者がいるはずじゃ。儂を舐めてくれたこと後悔させてやろう。
「どこへ逃げようと、地の果てまでも追いかけてやるぞ、ハジメぇ!」
通路の先には鍵のついた扉がある。奴らはここに逃げ込んだのか。
「なんじゃこの鍵は! こんなもの役に立つと思うたかぁ!」
金棒の一撃で扉ごと鍵を破壊し、中に押し入る。だがそこにはすでに誰もいなかった。
「ぬうう!? どこに行った!!」
すぐに引き返そうと踵を返すが、そこにはなぜか先ほど儂が壊した扉があった。信じられん。この一瞬で復元したのか?
「関係ないわ!」
再び金棒を叩きつける。だが、儂の手に返ってきたのは先ほどとは違う硬い感触。儂の渾身の一撃が木の扉一枚に弾かれる。な、何が起きている?
「なぜ開かん!」
ガンガンと金棒で何度も叩くが、扉はびくともせん。これではダンジョンの壁と同じじゃないか。少し冷静になった儂は目の前の扉の上に何か立て札のようなものがかかっているのを見つけた。そこには何か書かれているようじゃ。
「“セッ○スしないと出られない部屋”じゃと?」
なんじゃそれは。馬鹿か? 思わず読み上げてしまった儂が恥ずかしいわい。
「ゲギャギャ?」
「誰じゃ!?」
振り返ると、そこにいたのは1匹のインプ。醜悪な顔を歪ませてこちらを見つめてくる。
「何かと思えばFランクの魔物か。相手にするまでもない」
ぷいと視線を逸らし、部屋の中を探る。他の出口は……見当たらない。それならと入ってきた扉を押したり引いたりするが、びくともしない。
「おかしい。攻略不可能なダンジョンなど、この世に存在していいわけがない」
そう、おかしいのじゃ。ダンジョンは必ず攻略方法がある。それがこの世の理。つまりこの部屋から出る方法もあるはずなのじゃ。それなのに、それらしきものは見当たらない。何度も何度も扉を殴りつけるが、返ってくるのは硬い感触のみ。この扉は……開かぬ。出る方法も皆目見当もつかぬ。
「いや、一つだけある……」
儂がそのことに気がついた時、恐ろしい悪寒のようなものが全身を駆け巡る。今までの怒りも全て掻き消えるほどの恐ろしい恐怖。
「ま、まさか……」
凄まじい絶望感が儂を支配する。そんなこと、信じられない。信じたくない。
「ゲギャ?」
この部屋にいるのは儂ともう1匹、インプのみ。儂がそやつを見つめていると、インプは照れたような笑みを浮かべる。違う。そんな目で儂を見るんじゃあない。しかし、ここが“セッ○スしないと出られない部屋”ということは……
「ゲギャギャ、ギャア?」
「そ、そんなこと、できるわけがあるかあああ!」
それは、儂の68年の人生で初めての“敗北”が決まった瞬間であった。
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