還章⑥ アリアスタ村Ⅲ

 馬の嘶きと蹄音が、かすかに耳を通る。

 薄く、目蓋を開く。

 いつの間にか、仰向けになっていたようだ。

 部屋に差し込む白い光が、顔を照らす。

 日の匂い。


 朝が来たのか。なら、今の物音はリーネが出発した音だ。

 ――無事に辿り着いてほしい。オレにはそう願うことしか出来ない。

 上半身を起こそうとする。

 覚えのない重みがあった。起き上がれん。

 鎧は脱がされているようだが……。

 顎を引き、視線を下に向けると、リリス様がオレの胸にしがみつくようにして眠っていた。

 彼女だけじゃない。さらに視線を下げると、ゴンがオレの腿を枕代わりにしてやがった。どちらも熟睡だ。


「…………」


 悪い気分はしない。

 胸に伝わる彼女の体温が、空になった気力を取り戻してくれる。

 起こすのは気が引ける。オレは静かに、溜息をついた。

 そこで気が付く。オレの顔の近くには、誰かが居た。

 顔を横に向けると、メルルが膝を抱えながら、オレたちを見つめているのに気が付いた。

「……おはよ」

「……おはよう」


 オレは、顔の向きを戻した。

 なんとなく、言葉を紡げなかった。

 リリス様とゴンの寝息だけが聞こえる。


 無理矢理、話題を捻り出した。


「リーネさんは、先ほど出発したぞ」

「うん。少し前に挨拶しに行ったよ。魔除けの呪いを掛けておいた。……ウェルバインドへの書簡を書いてくれて、ありがとう」

「……気にするな」


 また、静かになった。


「あのさ……」


 メルルが口を開く。


「私自身の話を聞いてほしくて――起きるのを待ってた」

「……二人を起こすか?」


 彼女は少し考える素振りをして、首を振った。


「いや、二人に聞かせるには、辛い話だろうから」


 オレは良いのか。


「オレは良いのか」


 しまった。口に出てしまう。


「バルなら大丈夫だよ。君は、乗り越えた人だ」


 メルルは、寂しそうにオレを見た。


「…………そんなことは、無いがな。あいつは、知っているんだろ? 話して良いのか」

 きっと、イサムには話をしているのだ。

 彼らには、オレたちには無い絆があるのだと感じている。

 音が鳴るほど、奥歯を噛みしめる。

 怒りは通り越していた。

 これはきっと、悔恨だ。


 メルルは静かに頷いた。


「そうか。お前が良いのなら……聞こう」


 彼女は、ぽつりぽつりと語り始める。

 メルル・アリアスタという、孤児の話を。


□ □ □

 赤ん坊が、アリアスタ村の門口に捨てられていた。

 その赤ん坊は後にメルルと名付けられた。おくるみに刺繍されていた言葉から取られたのだという。


「それを教えてくれたのは、孤児院で教鞭を振るっていたザイラスという男でね……」

「待て。ザイラスとは、審問官ザイラスか?」

「知ってるの? そう、審問官のザイラス。神について語る時は煩いけど、彼だけが孤児に優しかったんだ」


 

 それに追求はしない。きっと、語られるだろうから。


「……ザイラスは、オレが殺したようなモノだ。奴が炎の児に潰されるのを、止められなかった」


 だが、謝りはしない。 

 彼はオレの護りたいモノに、危害を加えたからだ。


「そっか。死んじゃったのか」


 メルルは少し、口を噤んだ。

 その表情が、オレの記憶を呼び起こす。

 耳にこびりついていた、奴の哄笑が蘇る。

 ザイラスにも、普通の人間のように、誰かを想う心があったのだろうか。


「気にしないで。殺したのは、炎の児だ――というか、炎の児と戦ったのか?」

「戦ったが、去って行った――あのまま戦っていたら、全滅していただろう。……見逃されたのか、それとも……」


 思えば、ザイラスを燃やし潰してから、炎の児は去った。

 奴が何をしたのかは知らんが、助けられたと言っても良いのかもしれない。

 今となっては、その真意は分からないが。


 どう考えても、あの時のザイラスは狂っているようにしか見えなかった。

 オレは、リリス様の頭をそっと撫でる。

 愛する人が、死ななくて良かった。


「ごめんね……側に居られなくて」

「いい……もう、終わった事だ。続きを話してくれ」

「うん――」


 メルルのような孤児は、教会の孤児院で暮らすことになっていた。

 審問官たちが学問と神学、魔術を教えた。

 何故かこの村には、孤児が流れ着く。


 そして、孤児たちはみな、魔導の才能がある女児だった。

 孤児院を卒業すると、アリアスタ村の各施設に送られる。

 メルルの後にも、次々と女児が増えていった。

 女児たちは、メルルを『姉さん』と呼び、慕っていたのだという。


 メルルが九歳になった頃、この村の異常性を知った。

 彼女の上の世代――十歳の少女たちだ。

 その少女たちが毎晩、教会に行くのだという。


 好奇心旺盛なメルルは、彼女らの後ろをつけ、何をしているのかを確かめたのだ。


 窓から覗いた時に見えたのは、聖職者や村の重鎮たちが大勢集まり、一人の少女に覆い被さっている瞬間だった。

 彼らはひとしきり腰を動かしたあと、次の人間に交代する。それを何度も何度も繰り返した。

 当時のメルルは、それが何をしているのか、分からなかった。

 だからザイラスに、あれは何なのかと聞いたのだ。


『……アレは、儀式だ。魔導の才能がある少女たちに、魔力強化を施しているのだ』

『審問官は参加しないのですか? 偉い人たちはみんな、行ってますよ』


 彼はかぶりを振る。


『しない。我にとって、アレは吐き気を催すモノだ。……もう、夜中に教会へ行くな。その時間を、神学の復習に使いなさい』


 メルルは、ザイラスの言葉を守った。



 胃に何も入れていないのに、肚の中から悪心がこみ上げてくる。

 思わず、口を押さえ、頭を上げた。


「メルルッ……! お前、それは――!」

「想像させちゃってごめんね。そう、奴ら教会は――魔力強化という名目で、年端もいかない少女たちを、複数人で囲って強姦していたんだ」


 吐きそうだ。

 喉が灼かれて、片目を細める。

 リリス様の頭に触れて、気持ちを落ち着けようとする。

 だが、吐き気は治まらない。


「『ほどかれよ、悪病を』」


 ――ふいに、楽になる。

 メルルがオレに、解毒魔術を唱えていた。


「……ありがとう」

「……こちらこそ。奴らは、少女に自らの子種を流し込むことで、魔力を増大させられるのだと信じていた。それを信仰だと信じていたんだ。歪な村だよね。正しい意味で神を信仰していたのは、ザイラスだけだったよ」


 歪だなんて、そんな言葉では表せない。



 彼女は言葉を紡ぐ。

 一年が過ぎ、メルルの順番がやってきた。

 助祭クレアスが、メルルの手を引いて教会に連れて行った。

 その時、孤児院から見送ったザイラスの顰め面が、印象的だったらしい。

 奴は、教会の中では下の立場だったのだろう。


 少女だったメルルは、テーブルに押し倒され、衣服を脱がされたのだという。

 当然嫌がって、抵抗した。だけど、大人たちには力で勝てなかった。


 定期的に、メルルは教会に呼ばれることになる。

 もう、抵抗する気力すら失せたのだ。

 自分は人形なのだと、そう思い込んで耐えていた。

 孤児院では、『姉さん』として頼られている。

 それを心の支えとして、生きていた。


 十一歳になる。

 メルルの上の世代が孤児院を出た。教会の奉仕から逃れられた。

 しかしそれは同時に、彼女の『妹たち』が、奉仕に参加するということである。


 メルルは、それだけは嫌だった。彼女たちを護りたかった。

 だから、慰み者として、自ら立候補したのだ。


『毎日、私が行きます。だから、妹たちには手を出さないで』

 と。



 オレはいつの間にか、涙を流していた。

 オレが十一の頃。何をしていた。

 自己満足のために、騎士を志して。家を飛び出して。

 いったい、何をしていたんだ。

 ウェルバインドの近くに、自らを犠牲にしている少女がいたと言うのに。


「バルが泣かなくてもいいだろ……」

「……すまない。オレが、気付いていれば……」


 オレの言葉に、メルルは虚を衝かれたようだった。

 そして、目尻を拭って、笑った。


「ひひ」

「……何を笑っている」

「いや……イサムと、同じようなことを言うんだなって」

「そうか……」

「気持ちだけは受け取っておくよ。それに、あの頃のバルが気付いたところで、どうにも出来なかったさ。だろ?」


 それはそうだが……。


「だけど、すまん。自己満足に過ぎないが、謝らせてくれ」

「……うん、分かった。許す」

「…………」


 オレは、右の掌で、涙を拭った。

 まだ、涙は止まらない。

 鼻を強く啜った。

 ふと、オレの衣服……胸と腿が湿っているのに気が付いた。



 幼少期からそんな生活を強いられ、生気を失うのにそう時間はかからなかった。

 犯される度に、回復魔術を掛けられた。だから、身体は壊れない。

 でも、精神が壊れていった。


 メルルは、神を信じられなくなったのだ。

 神が居るなら、みんなを救ってくれるはずだ。でも、神は見ているだけ。

 私をこの地獄から救い出してくれなかった、と。


「……この村の神は、角を持っていた。イサムが会った神とは、違う神だ。きっと、邪神だろうな」

「だね。でもね、何年か経ったあと、私にはある出会いがあった」


 彼女は発達が早く、十四歳頃には身体が成長しきっていた。

 いつも通り、夜になったら教会に連れて行かれて、犯されて、夜中に教会を出た。

 その時、彼女の頭に重いモノが落ちてきたのだという。


「とんでもなく痛くて、涙が出た。でも、久しぶりに痛みを思い出した。それで、なんなんだよって、落ちてきたモノを見たら――この本だった」


 メルルが見せてくれたのは、彼女がいつも使っている魔導書だ。


「いつも、持っているやつ」

「その通り! なんで本が空から――そう思った私は、本を拾って、読んでみたんだ。そしたら……」


『神は居る! 俺が本物の神だ! でも、この村の神とは別人さ。詳しくは、ボレアス王国まで』

 と、書かれていたのだという。初めての、神託だ。


 村の中しか知らない彼女は、外の世界があるなんて、知らなかった。

 ザイラスが教えてくれた学問は、情報が操作されていた。


 毎晩、教会から戻った後、横になりながら本を開く。

 本にはいつの間にか、ページが増えていた。

『この世界には、デカい国がある。そこに行くためには、ここを通って、こう行って――』

 旅路の詳しい道のりが記されていた。ご丁寧に、地図付きだ。


 メルルは、本に夢中になった。

 知らない事を教えてくれる。知らなかった事を学ばせてくれる。

 まるで、神様と会話しているみたいだったと。


「私はそれから、本の神を信じた。同時に、救われるって信じた。しばらくして、本の記述を頼りに、妹たちと一緒に村を出たんだ」

「そうか……」

「村を出てすぐに、神託が降りた。本に直接、指示が書き込まれていたんだ。あまりに一方的な言い回しで、最初は困ったけどね」


 指示に沿って歩いた道には魔物は居なかったし、何故か安全な食べ物まで置いてあった。

 本には魔術の使い方や、行く先々で必要な知識まで書いてある。覚えたページは消え、また新しいページが増えた。


 村や町を通り、神託に沿って人を助けた。

 妹たちは一人ずつ、優しい人たちに引き取られて去っていった。

 そしてメルルは、いつの間にか預言者と呼ばれるようになった。

 何年もかけて転々とする。もう彼女は、立派な女性に成長していた。


 かつて、教会の連中に負わされた心的外傷が癒えることはない。

 だが、今の彼女のような、さっぱりとした性格になっていった。

 神を名乗る本の語り口を、真似たのだ。


 そうして、ボレアス王国に辿り着く。王国には、ある神が信奉されていた。

 慈愛に満ちた抱擁を誘うような、人型の彫像。それが至るところにある。

 王国に到着して以来、本が更新されることはなかった。

 でも、きっとこの本をくれた神なのだと思った。以降、メルルは信心深くなったらしい。


 しばらくは裏の世界で情報を収集していた。そこで、イサムとオレ、リリス様と出会ったのだ。


「アリアスタ村に行きたいと言ったのは、私なんだ。イサムは止めようとしてくれたけど、私が、のトラウマを乗り越えたかった。ゴンとバルが、自分の過去を超えて、成長していったのを見て――私もそうなりたいって思いが強くなった。だから……夜の教会に集った奴らを全員、殺そうとした」


 ――殺意を込めた言葉。


「それを伝えたくなくて、みんなに睡眠魔術をかけた。……ごめん」


 言えば良かっただろう、そんなことは口に出せなかった。

 自分の過去を晒すことになる。それは、とても勇気のいることだ。


「オレはいい。だが、後で二人には謝っておけ。……なら、教会の惨状は、お前が?」


 かぶりを振るメルル。

 バルムンク・ウェルバインドよ。お前は分かっているのだろう。

 あれは、聖剣の炎だった。


「殺す気だった。でも、実際に司祭や助祭たちに対面してみると、身が竦んで動けなかった。罵声も喉を通らなくて、それで……助祭に襲われて、また、犯されかけた。そんな時、イサムが助けに来てくれた。彼には、睡眠魔術の効きが悪かったんだ。いや、無意識にそうしたのかも」

「…………」

「……イサムには、随分前に私の過去を伝えていたんだ。だから、私の代わりに、全員を殺した。殺してくれたんだ。――悪いのは私だ。バル、君がイサムと仲違いする必要はない。憎むなら、私を憎んでほしい」


 ――――。


「……メルル。それは違う。また、別の話だ、それは」

「じゃあ、なんだよ……彼は――」


 嗚咽と、大きく鼻を啜った音が聞こえて、オレたちの会話は止まる。

 その出所は、オレの胸と腿だった。リリス様とゴンだった。


「……起きていらしたのですか」


 リリス様は、鼻水と涙をオレの胸に垂らしながら、ぐちゃぐちゃとなった顔を上げた。

「メルルざぁん……! 盗み聞ぎじて、ごべんなざぁい……!」


 彼女は、その表情と声のまま、オレの胸に手を付きながら、メルルに謝罪した。

 メルルも呆気にとられている。

 続いて起き上がったのはゴンだ。

 彼の表情も、彼女と大差ない。


「オイラも……ずびまぜん……」


 立て続けに起きた出来事に、メルルは思わず笑った。


「……なんだよもう! 気を遣ったのに! みんなが知ることになっちゃったら、眠らせた意味が無いじゃないか! 全部、全部……無駄になっちゃったよ。……ごめんね、黙ってて」


 オレは姫様を抱き留めながら、上半身をあげる。

 二人は、首を振った。


「もっと、もっと早く話せていれば……私たちこそ……」

「いいんだ。これで良かったんだよ、姫様。――ああ、でも。こうして話をしてみたら、すっきりしちゃった」


 メルルは天を仰いで、息を長く吐いた。


「たぶん私は、この過去を乗り越えたり、トラウマを治したりする事はできない。でも、前に進むことは……できる気がする。過去は変えられなくて、そうするしか無いんだから。竜魔王を倒してからも、まだまだ先は長いんだしね」


 彼女が、決意とも取れるその言葉を口に出すと、魔導書が光り輝いた。

 いや、魔導書だけではない。背表紙に付けられた、『結束の紐飾り』もが強い光を出している。


「これは――」


 メルルは急いで魔導書を開く。

 彼女は文章を、声に出しながら読んだ。途中からその声は、泣き声へと変わっていった。


「『久しぶり。仲間たちの前だから、これしか言えないけど……おめでとう』――なんだよ、それだけ?」


 微かに笑みを浮かべたメルルの頬に、一筋の涙が伝う。

 少しばかり笑い声をあげると、彼女の瞳から、次々と涙が溢れた。


「ありがとう……ございますっ……私は、確かに……! 救われましたっ!」


 彼女は魔導書を強く抱きしめ、嗚咽を堪えず、泣き続けた。

 オレたちは、その姿を見守った。



□ □ □


 リリス様とゴンが、メルルと話をしながら食事をしている。

 オレは干し肉を囓りながら、その光景を眺めていた。


 頭の中は、考えることで一杯だった。

 ――メルルが本来やりたかったことを、代わりにイサムが行動に移した。それは理解している。

 仮に、メルルがリリス様で、イサムがオレだったとしても、そう行動しただろう。


 不可解だったのは、イサムが突然、人が変わってしまったようになったことだ。

 今までのあいつなら、『俺たちは仲間だ』と、言ってくれたはずだ。

 何も相談せずに行動するなど――再び、断続的な閃光のように、記憶が脳裏を駆け巡る。だがそれは、朝靄のように消えていった。


 しばらくして、階段を上る音がする。

 イサムが姿を表した。

 彼は前を向いてはいるが、決して目を合わせようとしなかった。

 ここは、オレから声をかける。


「……おはよう」


 だがオレに、返答することは無かった。

 イサムは淡々とした声色で話す。まるで、業務的にだ。


「教会の地下で、魔王城内部までの転送門を発見した。魔王領を横断する必要は無い。そして、出発するのはオレとメルルだけだ。三人とは、ここまでになる」


 ――は?


 何を、言っているんだ?

 オレだけじゃない、リリス様とゴン、メルルまでもが目を見開いた。

 声を荒げないよう、冷静を装って、言う。


「……どういうつもりだ」


 メルルが立ち上がり、彼の元へと向かう。


「イサム……それは……」


 彼は、何かをメルルに耳打ちした。

 それを聞いてからか、彼女は俯き、部屋を出た。


「――聖剣と魔器がない奴は、足手まといだ。この先の戦いには付いて来れないだろう」

 身体が動いた。


 オレの意思は反映されていなかった。意思が追いついたのは、こいつの胸ぐらを掴んだ直後だ。


「貴様……ふざけているのか?」


 奴は、ようやく、オレと目を合わせた。冷たい瞳だ。


「ふざけていると思うのか?」


 奥歯を噛みしめて、睨み付けた。


「……オレたちは、竜魔王を倒すためにここまでやってきた。ここまで戦ってきた。お前と一緒に!」


 掴む手に力を込める。


「王命だから、だろ? 出立の日に、お前がそう言ったんだ」


 後悔した。

 手が、出てしまったからだ。

 耐えきれなかった。

 イサムの身体が、中空を飛ぶ。

 オレは右腕を振るい、奴の横面を殴りつけていた。


「バルムンク!」「バルムンクさん!」


 リリス様とゴンがオレを押さえた。


「クソッ……! オレたちが……どんな気持ちで……!」


 もう、涙が出そうだった。いや、いつの間にか、目尻には涙が溜まっていた。

 イサムは、ゆっくりと立ち上がる。


「――満足か?」


 そう言いながら。


「お前……! お前が、始めたんだ! イサムッ!!」


 オレには、喚くことしか出来ない。

 奴は唇を切ったのか、流れる血を拭う。


「無理して名前で呼ばなくてもいい。――『勇者』って呼べよ」


 こいつは、『結束の紐飾り』を取り出して――地面に投げ捨てた。


『似合ってるじゃん。俺たち仲間の、結束の証だ』


 もう、限界だった。

 心の決壊する音が聞こえる。耐えきれない。

 喉から迫り上がる言葉が、憤怒を願っていた。


「――――!!」


 声にもならない、声をあげた。

 体勢は崩れて、ゴンに押し倒される形になる。

 良かった。このままだと、『勇者』に何をするか、分からなかったから。



 ――喉が、枯れた。

 声を上げ続けた代償だ。それとも、放った言葉の重みに、押し潰された所為か。

 ひとしきりオレを見つめていた勇者が、短く息を吐いて言った。


「……付いて来たいのなら、来ればいい。ただし、護りたい者を喪うかもしれない、その覚悟があるのならな」


 吐き捨てるように言葉を残して、勇者は階段を下りる。

 メルルの脚がそれを追う。


「イサムには、イサムの考えがある。それを理解してくれ……とは、言えないな……ごめん」


 小さく放った言葉と共に、彼女の姿も消えた。


 頬を伝うモノが、止まらない。

 悔しくて、怒りが湧き出るだけ湧き出て、そんな自分が嫌になって。

 それでも、抱きしめてくれている二人の体温だけが、確かに感じられた。


「バルムンク……」


 目を伏せて、オレの肩を抱くリリス様。彼女の吐息が聞こえる。


「……バルムンクさん。無理して、行かなくてもいいんです。――あんな言い方をするなんて、オイラには信じられません。そうだ! 今から、『戦士の里』に行きませんか? パァっと騒ぎましょうよ! バルムンクさんのおうちでも良いですね……迷う……」


 ゴンが声を明るく、提案してくれた。

 それは、オレを気遣ってくれた、現実逃避だ。


 二人のお陰で、多少、心が落ち着いてくる。

 しばらくして、涙が止まった。

 横隔膜の痙攣も収まる。

 深く息を吸って、長く吐く。

 オレは、目尻を拭う。


「……ありがとう、二人とも。落ち着いたよ。情けないところを見せてしまった」


 二人の腕を軽く叩く。もう、離れても構わないと。

 怖ず怖ずと、ゴンが離れた。

 リリス様は離れない。

 ……なんとなく、確信している。彼女は、魔王城に行くのだろう。


「――行くのですか?」

「……ええ、行きます。父に、会いに行かなくちゃ」


 ゴンが、脚を強く踏み鳴らした。


「なんでですか!? そんな奴に会いに行くって! ……きっと、イサムさんたちがすぐに倒してくれます。危険なところに行く必要なんて、ない!」


 なんだか、ゴンは昔のオレみたいなことを言った。

 気持ちは大いに分かるがな。

 だが、リリス様のお気持ちは違うだろう。


「ゴン。私は、竜魔王に会わなければならないんですよ」


 彼は何かを言おうと口を開き、閉じる。何度かそれを繰り返したあと、声に出した。


「なければ……って、なんでですか。オイラ、馬鹿だから! 分かんないですよっ!」


 彼女は、オレの肩から腕を解いて、決意を込めた瞳で言った。

 ――星を見た。


「……あなたと同じですよ。親に会って、話さないといけない。そこで初めて、私の人生が始まるのです。まぁ、本当に死んでしまうかもしれませんけどね!」


 彼女は少女のように笑った。

 その言葉に、ゴンはショックを受けたようだった。


「だって……」

「ありがとう、ゴン。足手まといだと言われても、私は行きます。それに、バルムンクもですよ。ね? 大好きな私を、護ってくれるんでしょ?」


 いつの間にかオレの心は、一つの結論に達していた。

 先ほどまで、幼児のように泣き喚いていたのに、なんて都合の良い心なんだ。


「ええ……『喪う覚悟』など、持たない。『あなたを護る覚悟』しか、オレには無い。やることは、一つだけです。――ですが、間違っていますよ。大好きではなく、愛している、です」


 むぅ、と。

 彼女は顔を赤らめて、呻いた。


 オレは立ち上がり、鎧を纏って槍を手に取った。

 リリス様もだ。

 もう、大きい荷物は要らない。


「……分かりましたよ。じゃあ、オイラも行きます」


 背中に、その呟きがぶつかった。

 振り向いて、彼の顔を見る。

 眉をしかめて、口を曲げていた。


「ゴン……」

「違いますからね。竜魔王を倒すとか、イサムさんの手伝いをするとかじゃないです。リリス様を護る、バルムンクさんを護ってあげます。――王命には逆らうことになるので、処罰は後ほど受けますよ」


 そう、ふてくされるように言いやがった。


「ふふ……」


 リリス様は、口を押さえて笑っている。

 オレも、笑みがこぼれた。

 ゴンがそう反抗的になるのは、珍しいからだ。


「聞かなかったことにしてやる。……行こう」


 オレたちは、大きく脚を踏み出した。


 当初の目的とは違う。

 『勇者』の考えも分からない。

 だけど、彼女を護るということだけは、成し遂げてみせる。


 自らの胸につけた、『結束の紐飾り』を落としたのに、オレは気がつかなかった。

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