柳さんによると12
柳さんが語った内容と、コロナ禍直前に報じられた、極楽寺の境内に現れた二つの死体。
そして、犯人である連続強姦殺人事件を犯した平岩満被告の「現場に戻ってきたときにはすでに死体は消えていた」という証言によってこの地に死体が消えるという怪談が生まれた。
柳さんは極楽寺の境内に死体を遺棄したあとも、〇州極楽ホテルで住み続けたという。
柳さんは〇州極楽ホテルで死体が発見されることによって、自分がこの地から追い出されることを恐れていた。
そのために死体を別の場所に遺棄したのだから、そのまま住み続けるのは理にかなっている。
理にかなっているが、それでもその神経を私は理解できない。
その後、分かったことだが、女は二日に一度しか廃墟を訪れず、それ以外の間何をしているのかさっぱり分からないという。
頼まれたわけではないが、柳さんは女が来ない日は代わりにネコにエサを与えるようになった。
柳さんはこんなところに住むしかないネコに共感を覚えたのかもしれない。
女が来る日は、ネコや女を刺激しないよう、柳さんは自分の部屋の窓から、女が来るのを眺めていた。
そんなことが半年ほど続いた頃、ネコは次第に食べ物を受け付けなくななった。
食べたものをすぐに戻してしまい、そこらじゅうを汚物まみれにする。
やがて、食べるのも嫌がり、鼻先までエサを持って行っても、知らんぷりするようになった。
それでも女は欠かさず二日ごとにネコのもとを訪れ、水を変えたり、近くにエサを置いて行ったという。
しかし、ネコがそのエサに手を付けることはもうなかった。
今日、明日か、と心配した柳さんはその晩、ネコのそばについて、ネコの最後を見守っていた。
壮絶な一生を遂げたネコは意外にも静かに息を引き取った。
不思議なことに、ネコが死んだことを知るはずもないのに、女はその日から、廃墟を訪れなくなった。
柳さんはネコが死んだことを告げて、彼女にもうエサをやりにくる必要はないというつもりだった。彼女を納得させるために死体も三日ほどそのままにして、彼女を待っていた。
しかし、いくら待っても彼女は現れない。
ネコが生きている間は一度も欠かしたことがなかった。
死んだのを確認するためにも一度は廃墟に来なければいけないはずだ。
しかし、女はもう二度と姿を現さなかった。
ネコが死んだことを来るまでもなく知っていたみたいだった。
柳さんはあの女はネコに憑りつかれていたと考えるようになった。
やがて、ネコの死体が嫌な臭いを発するようになり、柳さんはネコの死体を処理することにした。
柳さんはその晩、釣りに来ていた尾形さんのもとを訪れ、ネコの葬式を手伝ってくれるよう頼んだ。
柳さんは尾形さんに追い回された日以来、それほど仲良く接することはなかった。たまに見かければ、挨拶をかわし、釣りの具合を聞いた。
ウグイやヤマメは釣れるが、あの晩見た大きな魚影の正体はいまだに分からないようだ。
「手伝ってくれんかね?」
柳さんは緊張した面持ちで言った。
「何をするんです?」
「釘を抜いて、どこかその辺に埋めてやろう」
「分かりました」
尾形さんは快くそれを引き受けた。
二人で、ネコの死体をフローリングの床から引き離した。
釘を引き抜くときはかなり力が要った。
釘はかなり深く刺さっており、床には深い穴が空いた。指を入れれば、人差し指が三分の二ほど入るくらいの穴だった。
ネコの身体から釘を抜くのは忍びなかったが、殺人鬼に打ち付けられた忌々しい釘をそのままにして葬るのは気が引けた。
そこで柳さんは嫌々ながらネコの死体から釘を引き抜いた。
生きてるときはあれほど抜けなかったのだが、死体が腐りかけていたこともあって、釘は抜く前からすでにぐらぐらだった。
庭の隅にネコの死体を埋めてやった。
あとには釘だけが残った。
四角い和釘で、血液で汚れており、ところどころネコの肉片がこびりついていた。
そのとき二人の間でどのようなやり取りが交わされたかは分からない。
二人の間で意見が食い違っており、柳さんは「尾形さんの意見だった」と言い、尾形さんは「柳さんの意見だった」と言っている。
ただ、互いに相手が先に言い出したことだと主張しているが、自分は反対したという話でもないらしい。
恐らく二人は同じ意見を持っていたのだろう。どちらかが言い出すのを待っていたのかもしれないし、実際は暗黙のうちに意見が一致していて、話し合って決めたことでもなかったのかもしれない。
二人は少年にまつわる噂話を思い出していた。
少年が××神社で見つけたという和釘。どのような経緯でか、丑の刻参りに使用され、その後、次々とネコの血を吸った釘だ。
二人は和釘をビニール袋に入れると、「〇州極楽ホテル」を出た。
駐車場を出て、極楽寺の方に向かって歩いた。
極楽寺の境内の裏手から××神社に至る山道を歩いた。
山道といっても砂利で整理され、なだらかな坂道が続く。とはいっても、街灯はなく、二人は懐中電灯を頼りに道を進まなければならなかった。
途中で、手すりのない箇所があり、そこではかなり肝の冷える思いをしなければならなかった。
二十分ほど歩くと、ふいに道が開け、ずらりと続く鳥居が見えた。懐中電灯の光を吸って、鳥居は毒々しい赤色に染まっていた。
二人は顔を見合わせた。
柳さんが目配せをして、尾形さんが頷いた。
山道の脇には川が流れていた。手すりの外側は一段低くなっており、やけに激しい水の音が聞こえる。
尾形さんは苦労して水辺に降りると、ビニール袋から和釘を取り出した。
川の水で血を洗い流した。
××神社の神主に供養をしてもらうつもりだったのだという。
浅草の浅草寺には釘供養の塔というものがある。折れたり、使えなくなった釘を供養する塔だ。
二人が釘供養についての知識があったかどうかは分からない。
曰くのある品だから、そのまま捨ててしまうのに抵抗があっただけで、特別、釘供養という儀式を念頭に置いていたわけではなかったのだろう。
たとえ浅草寺の釘供養の塔に関する知識があったとしても、わざわざ東京まで釘を持って行くことはできなかったはずだ。
二人はその夜に片を付けることを望んだ。
××神社の社務所に供養料とともに釘を置いて、適当な紙に、故あって供養してもらいたい旨を書き置きしてくるつもりだったという。
ただ神聖な神社の境内に血肉のこびりついた和釘を持ち込むことがはばかられた。
だから、神社の手前にある川で、和釘を一度洗うことにしたのだと言う。
尾形さんは和釘をこすり、血肉をこそぎ落とそうとした。
「いたっ!」
柳さんは山道から、尾形さんの短い悲鳴を聞いた。
「どうしたの?」
驚いて懐中電灯を向けると、尾形さんが両手を川に突っ込みデタラメに川底を探っていた。
「すみません、釘で手のひらを思いっきり刺しちゃって……思わず釘を手放してしまいました」
もともと好んで触りたくはないものを、恐る恐る掴んでいたのだ。
それをもう片方の手でこすっていたときに勢い余って先端に触れた。
それほど深い傷を負ったわけではないが、忌避の気持ちも手伝ってとっさに手を離してしまったらしい。
尾形さんは困った顔をしながら、川底をさらった。
釘の感触はない。
水深は十センチくらいだが、流れは速く、どこかに流されたのかもしれない。
「どうしましょう」
尾形さんは柳さんを見た。
「わざと流したんじゃないんだろう?」
「まさか、ここまできてそんなことしませんよ」
「しょうがないよ。あがっておいで」
せっかく釘供養までしてもらおうと思ったところだったが、ギリギリのところで和釘は尾形さんの手から逃れてしまった。
尾形さんは苦労して山道にあがった。
二人はもやもやしたものを抱えていた。
しかし、なくなったものはどうしようもない。あるいは、川の水底に沈んだのはかえってよかったのかもしれない。このまま誰からも忘れ去られて、ひっそりと錆び、朽ちていくだろう。
そう考えるよりしょうがなかった。
「すみません」
「いいよ。どっちにしても片はついたんだ」
柳さんは尾形さんを慰めながら神社に背を向けて歩き出した。
柳さんの言うとおりだった。どっちにしてもこれですべてのことに片がついたのだ。
ネコはいなくなった。
少年が、夜の廃墟でネコを釘打ちにしていたという証拠も、山上美香さんと岩田里佳子さんの死体を隠したと思われる女も、もうすでになくなってしまった。
平岩満は捕まり、死刑が言い渡された。
刑はまだ執行されていないが、刑務所から出てくることはもうないだろう。
こうして〇州極楽ホテルの因縁は、その鎖は断ち切られたはずだった。
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