第3話 またね!

 以降、シロクの日課に遊びの時間、そして馬車を引く訓練の時間が組み込まれた。

 もっとも、シロクは馬車を引くことに対しては抵抗を示さなかったので、主な訓練内容はハーネスへの慣れだ。


 やはりどんな物事にも慣れはあるもの。

 最初は数分でハーネスを嫌がっていたシロクも、一ヶ月が経った今では、半日以上の着用にも耐えられるようになった。

 これなら十分、輓獣ばんじゅうとして働ける。


 それに毎日遊んであげた影響か、ルミアだけでなく他の職員にも完全に懐き、彼らの言うことも聞いてくれるようになった。



 条件は整った。


 ルミアは大きく深呼吸すると、シロクのもとへ。

 晩御飯を食べ終え、リラックスモードのシロクにいざ切り出す。


「ねっ、シロク、今ちょっといい?」


 シロクは顔を上げると、不思議そうに首を傾げた。

 これまで、この時間にルミアが顔を出したことがなかったからだろう。


「あのね、シロクに大事なお願いがあるの」

「ブル?」

「えっとね、私のお友達にフェンゼっていう人がいてね。これから先、その人のところで暮らして、たまにお手伝いをしてあげてほしいの。あ、もちろんお礼はしてくれるよ」


 フェンゼとは、この街の領主の名だ。

 森にいたルミアをスカウトし、この魔物調教所を建てた人物であり、そして今回の依頼人であった。


「ブルルン?」

「うん、お手伝い。時々私たちを馬車に乗せて走ってくれてるでしょ? それをその人にもしてあげてほしいの。あとね、その途中でもしも魔物に会ったらやっつけて、フェンゼさんを守ってあげてほしいんだ。わかるかな?」


 シロクは大きく頷いた。


「よかった! それでね、そのお礼なんだけど、フェンゼさんのところにはいーっぱい人がいるの。その人たちが毎日遊んでくれるって言ってるんだけど……お手伝い、してあげてくれる?」


 魔物は賢く、普通の動物ほど単純ではない。

 だから、お願いを聞いてもらうには、それに見合うだけの見返りを与えなければならない。

 ただ餌と住処を与えるだけでは足りないのだ。


 それゆえ、ルミアは要求と一緒に、その魔物が満足するようなご褒美を必ず一緒に提示している。


 そしてシロクの場合は、遊び相手の提供が最適だと考え、先日領主にそれが可能か尋ねていた。

 結果はルミアが言った通りである。


 しかし、実際にそれでシロクが受け入れてくれるかはわからず、ルミアは不安を抱いていた。


 もしも嫌だと言われたら、非情な決断を下さなければならない。

 ここに連れて来られた魔物は、人の役に立ってもらうために飼育・調教をしており、それには膨大なコストがかかっている。

 その目的が果たせないのなら、飼い続ける理由がない。


 かといって森に帰すわけにもいかない。

 いくらルミアたちに懐き、危険性がなかったとしても、やがて生まれる子供はそうではないからだ。


「ブルルン!」


 肝心の答えは『いいよー!』ときわめて軽いものだった。


「ほんと!?」

「ブル!」


『うん』の返事にルミアはほっと息を吐く。


「よかったぁ! ありがと、シロク!」


 そうして満面の笑みでシロクの頭を撫でるのだった。




 それから三日が経ち。

 用意を済ませたことで、シロクと最後のおしゃべりを楽しんでいた時、職員が駆け寄ってきた。


「所長、フェンゼ様がいらっしゃいました」

「わかりました! じゃ、いこっか」


 ルミアはシロクの背中をぽんぽんと叩くと、手綱を引く。


 魔物用の巨大門を出ると、先のほうに男が数人立っているのが見えた。

 その中の一人、赤い髪を後ろに撫でつけた壮年の男が、こちらに向かって手を上げる。

 彼こそがフェンゼ、この地方の領主だ。


 ルミアはぺこりと頭を下げると、シロクにここで待つよう指示し、手綱を職員に任せる。


 そしてユキと一緒に彼らのもとへ。

 両脇に立つ兵士たちが怯えた顔を見せる中、フェンゼと執事だけは平然としていた。


「フェンゼさん、おはようございます!」

「わんっ!」

「おはよう、二人とも。今日もご苦労様」


 そう言うと、フェンゼは執事に向かって頷いた。

 前に出てきた執事が、木で作られたバスケットを差し出してくる。


 甘い匂い。

 中身はきっとお菓子だろう。


「差し入れだ。後で皆と食べるといい」

「わぁ! いつもありがとうございます!」


 フェンゼは施設に来る度、差し入れとしてお菓子を持ってきてくれる。


 ルミアも女の子。

 甘いものは大好きで、これには毎度大喜び。

 そんなルミアにフェンゼも頬を緩めると、彼女の後ろに目を向けた。


「あそこにいるのがシロクか?」

「はいっ! 見ての通り、もうすっかり懐いて」


 ルミアの目に映るのは、職員に顔をなすりつけて甘えているシロク。

 その見た目は頭の角と体格を除けば、普通の馬と変わらない。

 これで彼が危険な存在ではないことは証明できただろう。


「こっちに呼んでも大丈夫ですか?」

「ああ、頼む」


 許可を得られたので、ルミアは大声でシロクを呼ぶ。

 すぐにトットットッと駆けてきて、ルミアの隣でピタリと止まった。


「この人がこれからシロクがお世話になるフェンゼさんだよ! ご挨拶は?」

「ブルルンッ!」

「よろしくって言ってます!」


 フェンゼはフッと笑うと、怯えもせずにシロクの頭を撫でた。


「フェンゼだ。こちらこそよろしく頼むぞ、シロク」

「ブルッ!」


 元気に答えるシロクに、ルミアはふふっと微笑んだ。




 それからルミアは次に調教する魔物の種類と活用目的を聞き。


「――では、今日はこれで」

「はい、さようなら! ……じゃあ、シロク。お手伝い、頑張ってね」

「ブルル!」


 シロクは『わかった』と答えると、フェンゼたちと共に背を向けて歩き出した。

 少しずつ遠くなっていくその背中を見ていると、込み上げてくるものがあった。


「……ぐすっ」


 シロクが行くのは領主宅。

 城壁を挟むとは言え、同じ街なので、別にいつでも会いにいける。


 それでも寂しいものは寂しい。

 毎日一緒にいたのが、そうでなくなるのだから。


 でも泣いてなんていられない。

 シロクに頑張ってと言った以上、自分はもっと頑張らなくちゃ。


 ルミアは袖で涙を拭うと、口に両手を添えた。


「シロクーっ! またねーっ!」


 次に会う時を楽しみに別れの挨拶を大声で。


「ヒヒーン!」


 その返事を聞いて、ルミアは笑みを浮かべた。


「じゃ、残りのお仕事頑張るぞ!」


 ルミアは「よしっ!」と入れると、ユキと一緒に施設に戻るのであった。

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【短編】魔物調教所の小さな所長さん ~魔物を手懐けて訓練するのが私のお仕事です!~ 白水廉 @bonti-

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