第16話 松村との買い物

人物

唐立 エマ 47 :元ホテルマン、現在ホテルの施設部門で働く

Frau Schubert 65:Dr. Schubertの奥さま

松村 弘 51:エマのパートナー。自営業

※エマとFrau Schubertの会話言語はドイツ語ですが、便宜上すべて日本語で書かれています。







翌日午前11時。エントランスで待機するエマのところに、Frau Schubert一人がエントランスにやってきた。



Frau Schubert「おはよう、エマ。 Walterはもう出かけたのよ」 


エマ「お早い出発だったのですね。

昨日の焼き物ができ上がるのが16時頃だそうです。 その間、どこへ行きましょうか」


Frau Schubert 「おすすめはある?」



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天城。

田舎らしい土産物屋を横目に通り過ぎて、川沿いの遊歩道をのんびり歩く二人。

日光が葉陰からのぞいてキラキラしている。

やがて前方に、七滝が見えてくる。

滝から流れてくる霧に包まれる二人。



Frau Schubert 「なんて気持ちがいいんでしょう」


エマ「はい。マイナスイオンをたくさん浴びることができます」


Frau Schubert 「この、ひんやりした湿気!肌がしっとりするわね」


エマ「はい」


Frau Schubert 「ずっとここにいたいわ!」


エマ「気持ちはよくわかります。でも、午後になると寒くなるかもしれません」



まだまだ続く遊歩道を歩き続ける二人。



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ひなびた食堂で注文を待つ二人。

Frau Schubert のところにとろろそばの御膳が置かれる。そのあとエマのところにはとろろ芋の小鉢がついたワサビ丼の御膳が置かれる。

ご飯にのったワサビと鰹節の量にびっくりした顔のFrau Schubert。

彼女は木のさじでエマのワサビを少しすくって自身のそば椀に入れる。



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大きな建物の前にやってくる二人。

ひなびた旅館のような建物。奥は暗い。



Frau Schubert 「この建物はなに?」


エマ「温泉施設です」


Frau Schubert 「ホテルなの?」


エマ「いいえ、宿泊はできないようですが、温泉に入れます。 行ってみますか?」



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受付に立つ二人。エマは店員と話をしている。

お金を払い、店員からタオルを受け取り、指さされた奥の間へ歩を進める二人。



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竹林を背景に、石の風呂に浸かる二人。



Frau Schubert 「こんなお風呂は初めてよ。

私たち夫婦ではとてもこんな場所へ来ることはできないけれど、あなたと一緒に来られてよかったわ、エマ」


エマ「ありがとうございます。そう言っていただけてうれしいです。

ここは貸切風呂ですから、私たち以外には誰も入ってきません」


Frau Schubert 「それはうれしいわ」


エマ「日本人もこうして、女性同士でおしゃべりしながら入浴するのが好きなんです」


Frau Schubert 「昔のローマと同じかしら」


エマ「どうでしょう、そうかもしれません。

この泉質はとても肌に良いんですよ。 美容に素晴らしい効果があります」


Frau Schubert 「まあ! じゃあ、あなたのホテルの温泉とどちらが良いの?」


エマ「ここの方が、はるかに良いと思います」


Frau Schubert 「ああ、そうなのね」



風呂の中で体育座りをするエマ。



エマ「奥様、私はあなたに言わなくてはいけないことがあって」


Frau Schubert 「どうしたの?」


エマ「はい・・・じつは、私はもう、ホテルフーガのスタッフではないんです。

同じ会社ですが、全く違うホテルにいて、今と全く違う仕事をしています」


Frau Schubert 「そうなの・・・どんなホテルでどんなことをしているの?」


エマ「家族向けのホテルで、施設管理のスタッフとして働いています。

今回は、お二人が日本へいらっしゃると聞いたので、そのお手伝いとしてフーガへ来たんです」


Frau Schubert 「まあ・・・あなたは、今、幸せなの?」


エマ「もちろん、幸せです。 大変ありがたいことです。

仕事があり、住まいがあり、服も食べるものもあります。

また、両親も元気です。 日々、感謝ばかりですよ」



Frau Schubert 「そういえば、一昨日あなたは、パートナーと別れると言っていたけど、なにが原因だったのかしら?」


エマ「私はその人の素性を信じ切ってしまい、お付き合いすると決める前に、彼のことを細かく確認することがありませんでした。それが原因です」


Frau Schubert 「もともと、問題のある人だったのね」


エマ「そうなんです。 愉しいこともありましたが、自分が幸せになることを、少しだけ他人に期待していました」


手で温泉をすくい、それを眺める。


エマ「自分を幸せにできるのは、自分以外のだれでもありません。

それを、今回で学びました」



竹林が風にざわめいている。



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今年の春。

仕事帰り、車に乗りエンジンを入れる前にスマホをチェックするエマ。

そこにはLIME通知が来ており、開くとそれはパートナーの松村からのものだった。



松村『ドラッグストアまで迎えにきて』



駐車場から車がゆっくりとでてゆく。



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ドラッグストアの広い駐車場は夜になると車もまばらで、どこに駐車しても自分の車の位置がよくわかる。

エマは車を駐車場の中央に停め、スマホを片手に表を見渡したが、松村の姿はどこにも見えない。

そのため車を降りてドラッグストアへ入ってゆく。



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手ぶらでドラッグストアを物色していると、入口に松村が姿を現した。

スウェットパンツにトレーナーという、まるで部屋着のような格好。

エマが松村のもとに駆け寄ると、彼は無言で黒い長財布を渡してきた。



エマ「え、なに?」


松村「買い物、したら?」


エマ「あ、ありがとう」



カートにかごをのせてそれを押しながら松村の後ろを歩くエマ。

松村は自分が食べたいもの、飲みたいものを、どんどんかごに入れてゆく。



松村「エマもなにか、ほしいものを買ってもいいんだよ?」


エマ「うん・・・ありがとう」



私は棚から、150円の白ごまの袋を一つとる。自分の買い物はそれだけ。



エマ「おいなりさん作るのに、混ぜるごまがなくなったから、買わせてもらうね」


松村「うん」



レジに並ぶエマ。 すぐに自分の番がきて会計をしてもらう。

エマが松村の財布をあけると、万札がぎっしりと入っていた。

そのなかからお札を1枚とりだしてトレーの上におき、レシートとお釣りを受け取る。



店員「ありがとうございました」


エマ「ありがとうございます」



レジわきの台の上にかごをおき、買ったものを袋に詰める。二つの袋はすぐに大きく膨らんでいっぱいになる。松村を探すと、彼はもう出口に向かって歩いていた。



エマ「ねえ、重たいから、荷物手伝ってよ!」


松村「・・・」



仕方なく自分のバッグの他に重いビニール袋を両手に下げて、外に出るエマ。

松村はもうエマの車のそばにたっている。



エマ「どうして荷物、手伝ってくれないの?」


松村「俺はそういうもの持つのが、大嫌いなんだよ」



松村の目がだらしなく座っている。 彼は酒に酔っていた。

後部座席に荷物を積みながら、エマは財布を彼に返す。

松村は財布を開けて、いちいち札の枚数をチェックしている。



エマ「買ってくれてありがとう」


松村「うん」



車は暗い竹藪に囲まれた、真っ暗な自宅に到着する。

松村は買い物袋をひとつだけ持って、荷物を家の玄関に運び込んだ。

冷蔵庫から日本酒のカップを取り出し、座椅子にどっかりと腰を下ろして晩酌を始めている。

エマはひとりで袋を開けて、冷蔵庫の中に食料品を詰め込んでいる。



エマ「あのさ、なんでなにも手伝ってくれないの? 

私さっき、買ってくれてありがとうとは言ったけど、この荷物、ごま以外ぜんぶあなたの買い物だよね? 私、あなたのお手伝いさんか何かなの?」


松村「うるせえよ。 俺がお前を飼ってるのになにそんなこと言ってんだ」


エマ「え?! 私、あなたに飼われてるの?! 何それ!」


松村「・・・」


エマ「ねえ、今の言葉なに? 飼ってるって、ここの家賃をあなたが払っているから、そういう風に思ってるの?

でも私、水道光熱費とか、家賃以外は全部、私が負担しているよね?」


松村「うん」


エマ「それに家賃にしたって、私が一人で住んでいたアパートよりも、安価な部屋を探して、それでここに決めたんだよね?」



エマは押入れを開けて、不動産会社の封筒を取り出す。中からでてきたアパートの契約書には、月額48,000円と書かれている。



エマ「48,000円だって・・・安い部屋だよね。 この金額で、私のことを ”飼ってる” と言うってことは、私って、48,000円であなたに飼われている人間なの?」


松村「・・・」


エマ「それって、ひどくない? 最低じゃない?」



エマは自分のパソコンがある部屋に駆け込み、ふすまを閉めた。

ふすまを隔てて、松村の声が聞こえる。



松村「すみません、タクシーを一台お願いします。 住所は・・・」



パソコンの電源をいれ、ウェブニュースをチェックするエマ。

しばらくそうしていると、家の外で車の止まる音とライトが光る。

松村が靴をはく音。そして扉が開いて閉まる音がした。でていったのだ。

エマはすぐにふすまを開けて飛び出し、玄関の鍵を閉めた。タクシーの発車する音。



エマ「冬は寒くて、この春はもう湿気でじめじめして、カビが生え始めて、こんな家」



パソコンの部屋の書棚から、ワインラベルのコレクションブックを取り出した。

表紙を開けると、一枚目にファイリングされているワインラベルが目に飛び込んできた。

金の羊の絵。ラベル名:Chateau Mouton Rothschild 2000 

絨毯の上にぺたんと座り込み、これをみて涙があふれてきた。



エマ「私、やっぱり、こんなにすごい価値なんてない、クズみたいな人間みたいです。

あなたは、私を高く評価してくれたのに、奴隷みたいな人間だったみたいです。

ごめんなさい・・・パク様」



涙があとからあとからあふれて、嗚咽が家じゅうに響いていた。



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