第8話 遅すぎるレスポンス
人物
唐立 エマ 47 :元ホテルマン、現在ホテルの施設部門で働く
丸川 りか子 50:エマの元同僚で友人、カフェのオーナー
冬坂 61:創作陶芸家、りか子の友人
松村 弘 51:エマのパートナー。自営業
浜辺でSchubert夫妻と別れたあと、エマの車はりか子のカフェの駐車場に入ろうとしていた。
時計を見ると16時。カフェの閉店まであと一時間というところ。
カフェの入口にある駐車場には、エマの車以外一台もない。
エマ「よかった、空いているみたいだ」
駐車場左手にある白い玄関扉を開けて、中に入る。
店には幸い1組のゲストだけであった。キッチンからすぐにりか子が姿を現した。
りか子「エマさん、こんにちは! ちょうど気になっていたところだったの」
エマ「こんにちは! すみません、またしても遅い時間にお邪魔して」
りか子「いいの! この時間帯は空いているから、お話がしやすいの」
天城からの湧き水、と張り紙されたガラスボトルにたっぷりと入った水をグラスに入れ、レモンをしぼって提供してくれる。
りか子「先日の件から、彼氏さんについて、進展はあった?」
エマ「いや、なにもです。 私のメッセージに既読はついているのですけど。
思うに、きっと返答に困っているのかも」
りか子「うんうん。 男の人って、自分に落ち度があるとき、極端に気が弱くなる場合があるからね。 プライドが高い人ほどそう」
エマ「ああ、なんか分かります。 返事がないのは残念ですが、彼の返答如何にかかわらず、来月には一人暮らしに戻りたいと思っています」
りか子「それがいいかもしれませんね」
エマ「内縁の妻は、おそらく探偵を雇って、私の家に彼が帰ってくるかどうかを見張らせているっぽいんです。 そうでなくても、家そのものと私の生活が、他人に見張られていることがすごく怖いので、早く行動に移します」
りか子「素晴らしい決断です!」
エマ「ありがとうございます」
レモン水をきゅーっと一口で飲み干してしまうエマ。
エマ「なので、あの家にひとりぼっちでいると、とても暗い気持ちになりがちなのですが、幸い新しい出来事がありまして、それのおかげで気が紛れています」
りか子「え、なにかいいことがあったんですか?」
エマ「う~ん、いいことかは分かりませんけど、一時的にまた古巣を手伝うことになりまして」
りか子「ええ、すごーい! 海外ゲストのコンシェルジュですか?
エマ「そうです、そうです! 誰かから聞きました?」
りか子「ううん、聞いていないんです。 でもエマさん、客室清掃の仕事になってからずっとずっと、外国語を使えなくてさみしいって、言ってましたよね」
エマ「はい・・・言葉のアウトプットがないのはさみしい。 なので、たった1ゲスト分でも復帰できてうれしいです。
今回は、私の古い友人のようなゲストが、ドイツから来るんです。
実際にはもうこの近くに来ていて、先程一緒にお食事をとってきました」
りか子「素敵です! 英語とドイツ語両方でおもてなしができるのは、エマさんの特技ですもんね!」
エマ「なんか、年齢を重ねた分、色んなことを躊躇せずにできるようになっただけ、という気がします・・・あ、そうだ! 肝心のお話を」
エマは帆布の手提げバッグから手帳を取り出し、Schubert夫妻に見せた葉書をりか子に提示する。
エマ「この作家、冬坂さんにあてて、急なんですが2日後か3日後に工房見学のアポイントメントをとりたいと思っています。
冬坂さんとは、以前このお店でお会いしていますので、直接お話しできるかな、と思っていますが、りか子さんに仲介していただく方がよろしいでしょうか?」
りか子「いいえ、大丈夫! 私を介さなくても問題ありませんよ!」
エマ「ほんとですか、ありがとうございます」
りか子「そういえば冬坂さん、先月コロナにかかったって言ってました。もうひと月経っているから、治ってはいると思いますけど」
エマ「それは、お辛いでしょうね。 大丈夫かな、アポを受けてもらえなかったら代替案も考えてはいますが。
なにせ、フーガのヘルプ要請が来たのが本当に直前で、もっと早くに知っていれば色んな準備ができたんですけどね」
りか子「冬坂さんの体調さえ大丈夫なら、問題ないかも。
工房一本で生活している人だから」
エマ「ですよね! 私もそうかもと思ったんです。 ありがとうございます」
葉書を丁寧に手帳に挟み込んでしまう。
エマ「じゃあ、さっそくこの後連絡してみますね!
あと、メニュー・・・アフォガートをお願いできますか?」
りか子「はい、かしこまりました~!」
いそいそと厨房の中へはいってゆくりか子。 エプロンのリボンとベレー帽のふくらみが、歩くたびにとても楽しそうに弾んでいる。
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自宅。時計は18時をとっくに過ぎており、エマはPCを立ち上げながら、電話をかける。
冬坂「はい、冬坂ですが」
少ししわがれた男性の声。
エマ「こんばんは、私、唐立と申します」
冬坂「ああ、エマさんですか。 先日はどうも」
エマ「覚えていてくださって、ありがとうございます。 今、お時間少々よろしいですか?」
冬坂「はい、いいですよ」
エマ「あの、りか子さんから聞いたのですが、ご体調はいかがですか?」
冬坂「ああ、コロナね! もう平気ですよー。 まだちょっと喉だけ、ガラガラ声ですがね。 いやあ、心配してくれてありがとうございます」
エマ「治ってきてよかったです! じつは、ひとつご相談がありまして」
冬坂「はい?」
エマ「明後日かその翌日、昼に工房を見学させていただきたいのですが」
冬坂「うちに来たいの?」
エマ「はい・・・私と、あともう一人いまして、二人で工房を訪ねたいんです。
冬坂さんの作品をいたく気に入られている方で、好みの器があれば購入も」
冬坂「私は、どっちも構いませんよ。 今は大きな個展がちょうど終わったところで、来月のギャラリー展示に向けて準備しているだけですから」
エマ「ありがとうございます! 焼いているところとか、見せていただいても?」
冬坂「いいですよ。 小さなものなら、焼き物体験もできます。 二人なら問題ないです」
エマ「え、それはとてもうれしい。 いくらで受けていただけますか?」
冬坂「うーん、うちは一般公開していないから、他の体験工房さんがたの相場が分からないなあ」
エマ「この近隣は、ほとんどがろくろ回しと素焼きなんですよね。 でも他の地域ではっと」
スマートフォンを肩と頬にはさみながらPCのキーボードを叩く。
エマ「例えば、伊豆ではありませんが、九谷焼の〇〇工房さんあたりですと、ろくろ、釉薬掛け、その他色々ついて、一人7000円~くらいのところがありますが」
冬坂「ああ、そう・・・」
エマ「冬坂さんの窯は、普段そういうことを受けていない窯なので、例えば、見学でひとり3000円、焼き物作るなら、お茶碗大でプラス5000円~、というのはどうですか?」
冬坂「それでいいですよ」
エマ「わ、ありがとうございます!」
冬坂「もし何か作りたいなら、土を用意しておかないといけないので、明日の昼中に教えてもらえますか?」
エマ「分かりました。明日の何時までに言えば?」
冬坂「うーん、16時かなあ。 日の沈まないうちに準備したいので。 明後日は何時に来ますか」
エマ「では、14時はいかがでしょう」
冬坂「いいですよ」
エマ「承知しました! 冬坂さん、突然のお話を快く受けてくださって、本当にありがとうございます」
冬坂「いえいえ。 こちらとしても、展示会の合間に少しでも売り上げがたつのはありがたいことですよ」
エマ「とてもうれしいです。 では明後日の14時、私含めて2名でお伺いします。
どうぞよろしくお願いいたします」
冬坂「はーい。 待ってますね」
通話を切り、ガッツポーズをするエマ。
その時、玄関でけたたましいチャイムの音。
笑顔がすっかり消え、不安な表情になる。
玄関に立ち、大きな声で返事をする。
エマ「はい! どなたですか?」
松村「エマ」
エマ「何人ですか?」
松村「俺ひとりだよ」
無表情のままで扉をあけると、Tシャツ姿の松村がはいってきた。
小太りでメガネ。 髪にたくさんの白髪が交じり、いくぶんか疲れている様子。
エマ「なに」
松村「本当にごめん、本当にごめん」
エマ「意味がわかんないんだけど」
絨毯の上に座りこむ松村。
松村「あの綾子というのは、ずっと別れようとしていたんだけど、向こうがしつこくてずるずる縁が続いていて」
エマ「あ、そう。 でも、なんで人の連絡を無視し続けて、急に戻ってきたりするわけ?」
松村「仕事で飛び回っていて」
エマ「半分嘘なのは、全部わかってるんだよ。 本当に行動が不透明だよね。
仕事とかいって、他の色んな人の家に転がり込んでいるわけでしょ」
松村「綾子以外の人はいなかったよ。 それももう、縁をやっと切れたんだ」
エマ「だって、彼女はあなたの仕事手伝ってるんでしょ。 軽トラや青い自動車まで買い与えて。 ちっとも下請けに貸す車じゃなかったんだよね、あれ」
松村「もう軽トラは売り払ったよ」
エマ「ふうん」
台所にたち、自分用のインスタントコーヒーを入れるエマ。 松村が横に立ち、冷蔵庫を開ける。
松村「もう俺のジュースとか、なんにもないんだね」
エマ「あたりまえでしょ! いつ帰ってくるか分からない人間の分なんて、置いておけない」
しょげた表情でその場で折りたたみ脚立を広げて座り、煙草を吸おうとする松村。それを横目でにらむエマ。
エマ「食材だってそう。 いつもあなたの好きなものを買いおいてたのに、いつ帰るかも全く教えてもらえないから、毎回賞味期限が切れて。 何回、食材やジュースをごみで捨てたか分からない!」
無言でふてくされる松村。
エマ「無駄金ばかり私につかわせて! 予定も一切知らせずに、ふいに帰ってきては、俺の分の食べ物がない? 自分に都合のいいことばかり言わないで!」
松村「本当にごめん。 で、どうする? 別れる?」
エマ「もちろん別れるよ」
松村「この家の名義をエマに変えてもいいし」
エマ「私はここをでていくよ。 こんなところ、居られないよ! 探偵に見張られてるんだから」
松村「探偵?」
エマ「綾子が雇った探偵がいるんだよ」
松村「あいつに探偵を雇うお金なんかないよ?」
エマ「へえ、彼女、お金ないの? そうやって彼女や私のように、収入が少ない女に金持ちぶって近づいて、関係を持つんだね、よく分かった」
松村「全然ちがう。 でてゆくなら、敷金礼金は俺が払うよ」
エマ「結構だよ。 新居の敷金礼金をあなたに払わせて、で、それを口実にまたあなたが私のとこにずるずるやってこられるのは迷惑だ」
松村「そう」
エマ「よかったね。 私はあなたにとって、大きなお金を使わせない、安上がりな女だ、ははは」
PCデスクの前の椅子にこしかける。
マウスを動かすと、隠れていたゲーム画面が立ち上がる。
松村「ゲームしてる」
エマ「私が自分一人きりの時間にゲームをして何が悪い!
これは今の私が唯一、外国語を使って楽しめる空間だ。 私の楽しみの邪魔をするな」
松村「きみは、結婚するにはちょっと違うな、と思ってた」
エマ「お互い、同じこと思っているね。 はっきり言わせてもらうと」
エマはゲーム画面を落として立ち上がる。
エマ「結婚っていうのは、お互いがうまくいくように、お互いのエゴを抑えてすり合わせをしてゆくのが原則だ。 でもあなたはそれができない人間だ。 私を振り回すばかりで、私の気持ちを尊重したり、思いやる気が全くないでしょ。
そんな人間のために、どうして私が、やりたいことを我慢する必要があるの?」
松村「・・・」
エマ「お金と結婚をちらつかせて、自分に都合のいい移動先の宿、手入れがゆきとどいた女付きの宿を得たかっただけ。 ここと綾子さんの家のほかに、一体いくつそんな家をもってる?」
松村「ちがう、全然ちがう!」
エマ「その否定、信じられると思う? あんなひどい隠し事をしたまま私に結婚前提のつきあいを持ちかけてさ! 私の両親の前で挨拶までしてさ!
そんな人間のいうことなんて、信用度ゼロだから! まあ、どうでも良いけど。
これからあなたにとってもっと都合のいい女がみつかるといいね」
エマは隣の寝室から、たたんである布団をPC部屋に運び込んだ。
エマ「今、好きなホテルをウェブで予約してでてゆくのも自由だし、この家に泊まってもいい。 私はこれからこっちの部屋で寝るから。 おやすみ」
PC部屋のふすまを閉じて、オーディオの電源を入れる。ボサノヴァが流れはじめる。
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