第5話 仕事場の明るい出来事

人物

唐立 エマ 47:元ホテルマン、現在ホテルの施設部門で働く

川島 リラ 39:エマの会社の上司

川島 カイル 20:リラの息子





自宅。 玄関の時計は朝6時。

真っ暗なPCを前に、星座の描かれた大きなマグカップでブラックコーヒーを飲むエマ。

マグカップの内側は、少し茶色く汚れている。

スマートフォンのLIMEアプリを開き、松村のアイコンをタッチする。

会話をスクロールしてさかのぼってみる。



エマ スタンプ『おはよう』


松村 スタンプ『おはよう』


エマ『お疲れ様』


松村『うん』


エマ『今なにしてるの』


松村『うん』


エマ『おやすみ』


松村 スタンプ『おやすみ』


エマ『おはよう』


エマ『お疲れ様』


松村 スタンプ『お疲れ様』


松村『おやすみ』


エマ『おはよう』


松村 スタンプ『おはよう』


エマ スタンプ『おはよう』


エマ『お疲れ様』


エマ『おはよう』


エマ『お疲れ様』


松村『うん』


松村『おやすみ』



上記のような会話が延々と、2週間以上続いていた。

エマは浮かない表情で、何度も言葉を選んで書き直しながら、一通のメッセージを書き上げた。



エマ『突然のことで困惑して、数日間どう対処していいのか分からなかったんだ。

先週の金曜日夜に、あなたの内縁の妻と名乗る女性が、家に乗り込んできたよ。

林 綾子さん、という人。

本当に本当に驚いたんだけど、ひとまず家に上がってもらって話を聞いたよ。

彼女は話を盛っているかもしれないから、彼女の話の真偽を、あなたに細かく確認するつもりはないよ。

この人そのものについての話は興味ないんだけど、こんな人が私の目の前に現れたという事実を踏まえて、今後私たち、どうすればいいのかな?

そんな話をしたいよ、できるだけ早く。複雑な問題なんだもの。

今、すごく悲しい気持ちなんだ。 次はいつ帰ってくるの?』



送信ボタンを押したあと、両手でスマートフォンを握って、しばらくぼんやりする。


15分ほどそのままの姿勢でかたまっていた頃、LIMEの着信音が鳴った。

はっと目を覚ましてスマートフォンを開くと、それは松村ではなく、取引先である清掃会社とホテル社員とのチャットルームでの投稿だった。

投稿内容は、本日のスタッフの人員配置表。 

見ると、本日派遣されるスタッフは、たったの3人しか書かれていない。



エマ「ちょっと! 今日って連休の初日だよね? 

どうしてこんなに人が来ないの! やばいよ!」



立ち上がって右往左往するエマ。 そのまま台所に向かい、お弁当作りを始める。

ご飯をあたためてからお弁当箱に入れ、あらかじめ作り置いた卵焼きと野菜炒めのタッパーを冷蔵庫から取り出し、ごはんの脇に入れてゆく。

玄関の時計は7時30分を過ぎている。

エマは再びスマートフォンのLIMEを開き、友達リストからリラのアイコンをタッチする。

先程とは打って変わって、迅速かつ言葉選びに迷うことなくメッセージを送信する。



エマ『おはようございます。

今日のクリーングループさんの人数ですが、3人しか来ないみたいです。

どうしましょうか。今から他の会社への交渉はきついですよね』



1分後、すぐにリラから返信が来た。



リラ『おはよう。 今から他社への交渉は無理。

助っ人を連れて行くから問題ないよ。

ありがとね! 今日もがんばろう!』


エマ「まじか! 助っ人って誰だろう。 でもよかった~」



エマはほっとして、空をあおぎながら椅子の背にもたれかかり、マグカップの冷めかけたコーヒーを飲み干す。



*********************************************************



日が高く上り、まだ夏のような日差し。

ホテル別棟の客室階へ向かうエマ。

10時半を過ぎているためゲストの半数はチェックアウトしており、いくつもの客室の扉が開かれている。

清掃作業しているスタッフはすべて高齢の女性たちだったが、何やらうきうきしているような表情で、動きもいくぶん軽快に見える。

いつもと違う雰囲気に首をかしげていると、ふいに客室のひとつから、長身の端正な顔立ちの若者が姿をあらわした。シーツの束を運んでいる。 遠目でみてもはっきりと分かる美麗な風貌で、すれ違うゲストが全員、彼の姿を振り返って見ている。



エマ「何だ、あのきれいなのは・・・掃き溜めに鶴じゃないか」



ぎょっとして見ていると、後ろから声がかかる。



リラ「カイル! そのシーツはそっちじゃなくて隣の部屋だよ?」


カイル「違うよ。 こっちの部屋に人数多いゲストが移動したんでしょ?」


リラ「あ、そうだった。 あたしがさっき変更したばかりだった。 ごめんごめん」



エマ「リラさん、おはようございます」


リラ「おはよう! 朝はありがとね! 声かけてもらって助かったよ」


エマ「あのう、あの方は助っ人?」


リラ「そうだよ、あれ? 初めてだっけ、あたしの子供と会うの」



金のバレッタで髪をとめた、分厚いまつエクのリラが無言で美麗な若者を手招きすると、彼は絨毯の廊下を優雅に歩いてくる。



リラ「あたしの子供だよ~」


エマ「初めまして、エマです」


カイル「こんにちは、カイルです」


エマ「もしかして、モデル、なさってます?」


リラ「ちがうよ~! ただの暇人。 家でごろごろしてるから連れてきただけ」


エマ「うそだ!」


カイル「ほんとです。 ぼく、今日は休みなんで、家でごろごろしてました」


エマ「すご。 リラさんの家には、こんなモデルみたいな人がごろごろしてるんですか」


リラ「いや~、こいつはけっこうだらしないよ、な!」


カイル「はい、ぼくはわりと、服装とかいい加減ですよ、ふふ」


リラ「よし、じゃあ仕事、仕事! 急いで仕上げるよ!」



速足で現場へ入るエマとセイラ。



*******************



客室。天蓋を整えるエマのそばで、カイルがホテルブックのページをチェックしている。



エマ「私さ、ぜったいにどこかで、カイルくんのことをみたことがあるんだよね。

本当にモデル、したことない?」


カイル「あ、じつは昔、数年だけ都内でやってました」


エマ「やっぱ、そうだよね。 で、今はどっか、大学とか専門学校にいってるの?」


カイル「いえ、バイトで造園屋してます」


エマ「は?! 造園屋って、どうしてまたそんなとこに」


カイル「ぼく、そんなに頭よくないし、庭いじりとかが好きなんです」


エマ「そうなんだ。 まあ、こんなにイケメンの庭師がいたら、庭師の概念が覆るかもね」


カイル「あはは。 でもぼく、この容姿で生まれたけど、あんま得したことなかったですよ」


エマ「え?」


カイル「昔から周りがうるさかったし、モデル事務所でも嫌な思いをして辞めてるんです。もう今は、モデルとか芸能界とか、大っ嫌いです」


エマ「そっか、興味本位でごめんね。 嫌なことを思い出させちゃったね」


カイル「全然です。 それより、うちの母さんと一緒に仕事って、大変じゃないですか?」


エマ「そんなことないよ! いつもちょっとだけ、まるで馬車馬をひっぱたくような言葉遣いするけど、中身はすごくあったかい人だよね!」


カイル「はい、母さんはあったかい人なんですけど、誤解されやすいんです」



カイルは笑顔ではたきを窓辺にむけて作業している。 

ちょうどエマに背を向けながら独り言のように話しかけてきた。



カイル「よかった。 エマさんは母さんのこと、ちゃんと分かってくれてて」


エマ「そりゃ、もちろんだよ。 私の上司だしさ」


カイル「ぼく、それが一番うれしいです」



窓からの日差しを受けて振り向き、今日一番の美しい笑顔を見せるカイル。

まるで絵画のような光景に、一瞬動きが止まるエマ。



*******************



腕時計が14時30分をさしている。

昼前とはまるで異なり、整然と整えられた客室廊下。



エマ「終わりました」


リラ「お疲れ! みんなお疲れ!」


エマ「なんとか時間内にやり遂げましたね。 疲れたぁ」


リラ「うん、ありがとう。 カイルもありがとね!

夕ご飯、なに食べたい?」


カイル「ジンギスカ~ン!」


リラ「いいよ~。 エマもうちに夕ご飯食べにおいでよ」


エマ「え! そんな、いいんですか」


リラ「だってあなた、どうせ今日もひとりぼっちでいるんでしょ?」


エマ「ええ、まあ」



リラにがしっと肩をつかまれ、苦笑いを浮かべるエマ。




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