septet 05 La Vie en rose-薔薇色-

palomino4th

septet 05 La Vie en rose

やけに現実的な夢だな、とは思っていた。

彼は眼を開けていていいのかも気になっていたが、眼を閉じること自体ができなかった。

感覚のそれぞれは自分のものでありながら、既に制御のできないものでもあった。

見えているのは天井の照明だけだが、パネル全体から発光しているような、光源が均一になっているかのような形式だ。

彼はもう一度目蓋を閉じてみようとしたができなかった。

顔のどの部分も、手足も指先も思い通りにならなかった。

『……B-1013、届いているな』

遠くで人の声が聞こえた。

動かない視界に薄いブルーの帽子とシャツ、マスクで顔の下を覆った顔が入ってきた。

彼は外科手術の執刀医を思い浮かべたけれども、上にあるのは無影灯ではなさそうだ。

人数が二人くらいなので少なすぎる……。

生者への手術ではなく、そう、検死解剖のほうではないか、と感じた。

しかし、自分にはまだ意識がある、と彼は考えた。

このまま切り刻まれるなんてごめんだ。

意識があるのを伝える術はないものか——彼は考えた。

自分の動かせない肉体を使って。


彼は自分の声で目が覚めた。

口は開き、声も出せたようだ。

彼は仰向けのまま両手を持ち上げ指をそれぞれ動かした。

半身を起こすと見慣れたアパートの部屋の中だった。

カーテン越しに朝の明るみが滲み入ってくる。

暫く座っていたが、コーヒーを淹れるために起き上がった。

個包装の封を切ってドリップコーヒーのパックを開きマグカップの上に被せた。

彼は湯を沸かしながら夢のことを考えた。

一度きりではなく、数回目だ。

同じ状況、多分、遺体として解剖台の上に載っている、嫌な具合にリアリティのある妙な夢。

繰り返し……いや、少しずつ状況は変化してるかもしれない、と彼は思った。

これまでの夢で見たように、開けた目蓋のまま見る照明の下にいるのは同じだったが、今の夢は……

「Bの1013」彼は口にして、手近にあった紙にメモをした。

何か重要な数字のようでもあり、何の意味も無いようにも思える。

湯が沸いた、彼はケトルから熱湯をドリップに注いだ。

耳に届いた話し声と視界に入ってきたどうやら検視医だろうか、覗き込む顔が見えたのも初めてだ。

そう考えると、同じ場面の繰り返しというよりも少しずつ場面の時間が進行してるように思えた。

すると——コーヒーを飲みながら考えた。

「次回、夢の続きはメスで切り裂きが始まるのか」

嫌な気分になった。

これまでにも悪夢を見たことはあるのだけど、シュールで支離滅裂、舌触りが最悪でも忘れ去ることができた。

それが今回のように繰り返しになると妙に引っ掛かりがある。

ブラックコーヒーで頭を冴えさせながら、じっと宙空を見つめた。

迷信を信じる方ではない、オカルトも真に受けはしない、しかし気になることは気になる性格ではあった。

これから何か起こる知らせなのか、未来を予知した夢なのか。

もやもやしたものが彼の頭に渦巻いてきた。

ノートパソコンを開き、ブラウザから試しの検索をしてみた。

「夢」に「自分が死んだ」と組み合わせてみると、幾つもの「夢占い」というサイトが引っかかった。

それぞれに眼を通してみると、大筋で似通っているものばかりでほとんど「不吉に思えるが吉夢」という解説がなされていた。

彼はそれらのタブを閉じた。

死の状況がどうにもシンボリックなものではなく、まるで未来に実際に起ってしまうかのような嫌な感触があった。

顎に手を添えてじっと考えてみた。

「同じ夢を見る」「繰り返し」という検索の仕方に変えてみた。

上がってきたのは心理学系の記事が多くなっていた。

「日中に感じるストレスを夢の中で処理をしている」などの説明を読み、これらにも違和感を感じた。

——解剖台に載せられた自分がこれから切り刻まれる、そんな避けられない未来が待っているとすれば。

思いつきで「夢」「未来」と打ち込んでみると、検索結果は保育など児童関連のNPO法人のサイトが並んだ。

そりゃそうだな、と彼は画面をスクロールしていった。

いくつか流してみる中でふと目に止まったものがあった。


「自分が死んでいる夢を何度も見る」

彼はこれまでの中では一番近いな、と思いながらページを開けた。

暗い紺色で夜を基調にしたデザインのサイトが現れた。


『ロゼ・美鈴の薔薇色の未来 ヴァーチャル・カウンセリング』


反射的に閉じようとしたが彼は思い直しページを読むことにした。


「……同じ夢を何度も見るというケース、中でもまるでもう一つの人生が夢の中で連続しているかのようなケースですが。まるでその夢の方が現実で、目覚めた時の方が夢なのではないかという倒錯した感覚に陥る可能性があります。もちろん、本来はそんなことがあってはならないのですが、精神的な疲労で逃避願望に見舞われ現実の生活とのバランスを崩してしまう人が稀にいます」


そういうケースを聞いたことはないが、今の自分の状況には重なるのかもしれないな、と彼は思った。


「ここでは簡単な擬似テストを通じて、現実認識の補正を行うことができます。このプログラムの第一段階を無料で公開しています。仮登録からトライアルをどうぞ行ってみてください。(トライアルのみ行いたい方もお気軽にどうぞ)」


怪しいものだけど……彼は最初の登録フォームを覗いた。

フォームの名前欄には「必須」というマークが付けられていたが、「仮登録」時点では本名ではないニックネームも可、とされていた。

暫く考えた彼はふとメモをした紙片を取り出した。

「B-1013」

ユーザー名として入れるとその後の設問欄の必須項目に回答を入れた。

性別、年代、住んでいる都道府県。

特定を受けるような個人情報まではないか、というところで彼は入力を完了させ、そこから「スタート」のボタンを打った。

画面に文章が一行だけ現れた。


「場面1 自分自身が「そこにいる」という想像をしながら回答をしてください。」


心理テストか何かか、と思いながらその一行を読んだ。

読み終えるタイミングを図ったかのように二行目が現れた。


「あなたは駅のプラットフォームの真ん中にいる」


なんだって、と彼は眼を見開いた。


「あなたはその場にとどまりたくない、そこから出たい」


次の文章を待っていると既に出ていた一行目の文章から「自分自身が「そこにいる」という想像をしながら回答をしてください。」が赤く発色して強調された。

彼はその画面を見て想像をした。

なるべく臨場感のあるものを——

それは少し離れた隣の市にある鉄道駅だった。

複数の路線が乗り入れて幾つもの島を持つ、利用客の多い駅。

周りに立ち列車を待つ利用客まで思い描く。

横を見ると自分が想像したとも思えない様々な人々が俯いてれから入る列車を待っていた。

「あなたはその場にとどまりたくない、そこから出たい」

頭に浮かんで、すると改札を出るべきなのか、それともこれからくる列車に乗るべきなのか考えた。

アナウンスが流れた。

『只今——番線に6両編成上り東京行きがまいります 危ないですから黄色い線の内側に下がってお待ちください』

この列車に乗るべきなのか、と彼は思い、いやそうじゃないと考えた。

音と共にホームに列車が走り込んできた、彼は黄色い線を踏み出した。

『危ないですから』

アナウンスが流れ彼は我に帰った。

想像ではない、本当の駅にいることに気がついた。

同時に面前を列車の先頭が駆け抜けつつ減速し停車した。

開いたドアから降車客が出てきた。

彼は自分の後ろに乗車の列ができているのを見、後退りして列から出た。

怪訝な顔をしている後続の客らはそのまま列車に乗り込み、ドアが閉まり列車は発車した。

ホームのベンチまで行き腰を下ろした。

足が震えていた。

さっきまで自室にいたのに、いつの間にここに来ていたんだ?


帰宅すると、きちんと戸締りもされていて自分で外出したのは間違いがなかった。

服装も部屋着ではなく外行きに着替えてあったし、しかしその記憶がまるで抜けていた。

時計は10時過ぎになっている、起きたのが6時くらいで8時頃にネットで閲覧をしていた。

待て、と彼は引っかかった。

さっきの設問の結論は何だったんだ?

肝心の答えの方の記憶も無いじゃないか。

ノートパソコンを起動させ、ブラウザから先の履歴を選んだ。

『ロゼ・美鈴の薔薇色の未来 ヴァーチャル・カウンセリング』、トップページにユーザー名を打ち込む欄が出ていたので「B-1013」を入力してエンターキーを押した。

トライアルの画面が出てきたが、「場面1」は既に色が反転し選んでも反応が無い。

代わりに次の設問「場面2」が画面中央に来ていた。

彼は諦めて「場面2」を選んだ。


「あなたは車の量が多い四車線道路の路側帯の中にいます」


頭の中でイメージをした。

実際に知っている、インターの下に走る道路。

交通量も常に多いところだ。

赤く発色した「自分自身が「そこにいる」という想像をしながら回答をしてください。」が提示されてまた呪文のように一行が現れた。


「あなたはその場にとどまりたくない、そこから出たい」


想像した場所が目の前に広がり、同時に路側帯の植え込みから道路の方に踏み出しかけていた。

通過する車のクラクションで我に帰った。

植え込みに退いて中央に立った。

両側に車が走る中央路側帯の植え込みの中にいた、現実の。

今度も部屋の中からいきなりこの場所に来ていた。

ひっきりなしに左右を車が走っている。

路上に吸い込まれそうな奇妙な感覚に耐えながら、切れ目を狙ってタイミングを計り対岸へ渡った。

細いながらもきちんと人の歩く歩道にたどり着き、彼はそこの端の壁に手をついてへたり込んだ。


帰宅すると既に午後3時過ぎだった。

サイトの正体が何かは分からないが、設問に挑もうとすると時間が飛び、いつの間にかその場所に飛ばされ、落命寸前の状況に放り込まれる。

——得体の知れないテストなどすべきじゃなかった、もうここで中止しなければ次も危険な場面に飛ばされて命を落とす寸前までいくだろう。

テストは中止だ、もうあのサイトは開くまい。

精神的にも肉体的にも疲れ果てた。

クッションに頭を乗せ仰向けになり彼は眼を閉じた。

目蓋の裏で暗闇が広がった。

そこになぜか文字が浮かんだ。


「場面3 自分自身が「そこにいる」という想像をしながら回答をしてください。」


いや、もうこんなのに付き合うこともない、早々に忘れよう、と彼は思った。

しかし目蓋の裏で次の行が現れた。


「あなたは深い湖の岸辺にいます」


「あなたはその場にとどまりたくない、そこから出たい」


やめてくれ、と彼は思った。

既に鼻には屋外の風と水の匂いが届き、目蓋を開くと彼は湖のすぐそばにいた。

既に柵の内側に入り込んでいて、陸地の突端に立って眼下には低い日の光線に煌めく水面が波立っている。

そうしてここにはもう彼の足をとどめるものがなかった。

俺はどうしたいんだろう、と彼は思った。

あのロゼ・美鈴とやらに操られてここに飛ばされてきたのか。

いや、操られてなどいない、最後には踏みとどまってきただろう。

その場に腰を下ろして湖面の光を見た。

自ら死を選ばせられるなんてあってはならない、人間は自由であるべきなんだ。

その瞬間は誰の命令でもなく自分で選びたい。

帰ろう、そして眠るんだ。

彼は立ち上がり、湖面に背を向けた。

それからそのまま止まった。

柵までの途中に、こんな所に生えている筈のない薔薇の花があった。

彼はゆっくりと眼を閉じて——


——均一に光を注ぐ照明の下、彼は解剖台に横たわっていた。

目蓋が開かれたまま上を見上げている。

『入水自殺、または事故』

話し声が聞こえる。

『事故ならともかく自殺なら大変なことなんです』

もう一人の声が聞こえる。

彼の意識はまだそこにあった。

薔薇の花について考えていたのだ。

「薔薇色」というのはつまりローズピンクだろう。

しかし実際の薔薇の色は千差万別、色彩のヴァリエーションが無数にある。

例えば人間の皮膚の下、肉体の色はローズピンク、薔薇色なのは確実なのではないか。

これから切り開かれるこの肉体に、まだどこかに薔薇色はが残っているものなのか?


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