06:みぜりーがあらわれた。
ガーゴイルたちによる領主館襲撃は、騎士団の奮闘によって退けられた。
しかしながら騎士団も小さくない被害を受けており、もし更なる追撃があった場合はかなり厳しい状況となることが予想された。
今回の戦闘で怪我を負ってエントランスに運び込まれたのは4名。その中で唯一、致命傷に近い重傷を負った者がいた。
クロスヴェイン騎士団長、オーライア・ジェントルース。
彼はクロスヴェイン領主であるジャンと同い年で、王の側近の中でも特に優秀な剣士を代々輩出しているジェントルース家の長男である。
少年時代から剣の腕前で同年代に比肩する者はなく、弱冠24歳にして”アークウィル王国騎士十傑”の栄誉を得たのち、クロスヴェイン騎士団長の拝命と共に聖剣グランエクシードを王より賜ったほどの男だ。
聖剣を携えることは名誉でもあるが、同時にリスクも背負う。
魔獣や人間に敵対的な魔法生物は本能的に聖剣の存在を
だがオーライアは聖剣を賜ってから4年、これまで幾度とあった魔獣との戦闘で一度たりとも怪我を負うことがなかった。
しかし今回の敵は戦況を覆すほどの知能と力を持っていた上に、騎士団員にとって未知の存在だった点も非常に不利な条件だった。ガーゴイルは何者かが命令下に置かない限り人間を襲うことはない。実はガーゴイルが使役され、戦闘に投入されたのは、この大陸では数百年ぶりの事だった。
彼は現在、昏睡状態のまま
例え騎士への復帰は難しくとも……生きてほしい。
ジャンは友であり忠臣である彼の冷たい手を握ることしかできなかった。
館に詰めていた関係者や知人、部下の騎士たちの多くも横たわる彼の元に集まり、回復を祈った。
……これが騎士団付の治癒師?
私は目を疑った。信じられないくらい練度が低い。
2人がかりであの調子だと、救える命も救えないわ。
そっか、この領地には優秀な治癒師が圧倒的に少ないんだ……だから、中央広場でも見かけなかったのね。
確かガーゴイルのツメは右脇腹から左へ突き抜けていた。もし背骨を損傷してたら、あの治療レベルでは命を拾うのが精一杯だ。半身付随なり重い後遺症が残る可能性が高い。騎士団への復帰は奇跡が起きても無理だろう。
……私なら、すぐに完璧に治せる。
でもそのためには彼に直接触れなきゃいけない。それに
うーん。敵対行動をとられる可能性しか思い浮かばない。
でも、ここで聖剣使いを失うのは、あまりに痛手だ。それに……。
後で後悔するなら、人を助けて後悔したほうがいい。
やろう。きっと何とかなる!
私は覚悟を決めると、高い天井に向けて澄んだ鳴き声を放った。
「わんっ!」
エントランスに反響する、甲高い犬の鳴き声。
驚いた人々が周囲を見回し、負傷者から注意が逸れた。狙い通りだ。
この隙に人の垣根をすいすいっと抜けて、横たわる騎士団長の傍に寄る。
そして小手が外された腕にそっと前脚を乗せ……静かに、魔力を流し込む。
『
温かな光が彼の身体を包み込み、周囲にいた人々は何事が起きたのかと彼を注視する。
深く刻まれていた脇腹の傷は時間を早回しで見るかのように再生していき、それに呼応するように私の姿が鮮明になっていく。
光が収まる頃には、傷は完全に消えていた。
しかしそこにいた人々の視線は、傷跡よりもいつの間にか人垣の中に出現した一匹の子犬に注がれていた。
「えっ?」
「どこから現れた!?」
驚愕が波紋のように広がる。
それに数瞬遅れて、場にいた騎士たちが領主や治癒師たちを半ば強引に遠ざける。そして横たわる騎士団長ごと包囲すると、正体不明の犬へ槍先を向けた。
先ほどの襲撃の余韻も冷めやらないタイミングで、これは然るべき警戒だった。
(……さて、どうしようかな。)
私に向けられている視線が多すぎるから、
私があれこれ考えている間にも、武器を手にした騎士たちがじりじりと警戒網を固めていくその時。
息を呑むような緊張の時間を破ったのは意外な人物だった。
「わんわんだ!」
甲高い、無垢な声。
小柄な身体でするりと包囲を抜け、子犬に駆け寄る幼い少女。
近くにいた騎士たちは両手で槍を構えていたため、咄嗟に止めることができない。
「ミゼリー!」
「行っちゃダメ!」
騎士たちの後ろへと遠ざけられていた領主と、怪我人を収容する部屋の準備を指示していて娘から目を離してしまった妻エルジーナが、同時に焦燥の声を上げる。
しかし少女は、その警告をまるで気にする様子もなく子犬を抱き上げると、やわらかなほっぺでふわふわの毛皮を堪能した。
「わんわん、かわいい~」
「ミゼリー、その犬を置いてこっちに戻ってくるんだ」
ジャンはゆっくりと低い声で呼びかけた。
しかし娘の返事はすげない。
「や!」
即答だった。
「ミゼリー!」
再び鋭く響く声。
だが、それに答えたのは愛娘ではなく……
「ジャン、そう怒鳴るな」
そう言って静かに上半身を起こしたのは、騎士団長オーライアだった。
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