魔女イッリ
@therizino_luck
この吹雪は終わらず、世界を滅ぼしてしまうのでは①
ビスケットを割ったように鋭い山にはまだ雪が残っていた。ついこの間まで冬だったのだが、再び吹雪に見舞われていた湖畔の小さな国。太陽は隠れて、国には影が覆いかぶさっていた。
イッリ、10歳。
この国を治める王の娘として、大事に育てられている。今もイッリは暖かい部屋で、暖炉にあたりながら、物語を読み、メイドに髪をとかしてもらっていた。
「イッリ様、何を読んでおられるのですか」
「ありきたりな戦記物よ。もうこういうの飽きちゃったわ」
「それは、うらやましい限りでございます。本を自由に読めるのもイッリ様が恵まれた環境にいる証拠だと思います。お父様に感謝せねばなりませんよ」
「わかってるわよ。私も何かお手伝いしなきゃ」
「イッリ様はまだ子ども。それに、聡明でございます。そう焦らずとも、お役目を果たす日は必ずやってきます」
「姉様はもう活躍してるわ」
「人と自分を比べすぎてはいけません。イッリ様にはイッリ様の人生があるのです」
「それって、私の方が姉様よりも劣っているということ?」
「……もう、話を聞いておりましたか?」
イッリのメイドは、イッリに優しくつくしてくれていた。女性にしては背が高い彼女は、自立した子どもがいる初老のメイドで、イッリが生まれたころから面倒を見ている母のような存在であった。イッリの実の母は、イッリが産まれる際に死んでしまったため、イッリも彼女によく甘えたのだった。
イッリは静かに髪をとかしてくれる彼女を見た。こういうとき、昔はよく叱ってくれたのに、最近はイッリの立場を尊重してか、あまり叱るようなことはしてくれなくなった。きっとお父様に何か言われたんだわ、イッリはそう思っていた。
それはそれで、イッリにとっては好都合だった。
イッリは、早く国のために活躍したいと思っていたし、人々の期待にも答えたいと思っていた。お目付け役のような彼女の監視が弱まっている今は、チャンスなのだ。イッリのことをよく気にかけては子ども扱いする姉のクルックも、今はニグドナに留学していてここにはいない。イッリが動きだすのは、今しかないのだ。
「ありがとう。もういいわ」
「イッリ様がそうおっしゃるのであれば」
「過度な敬語はやめてよね。調子が狂うから」
「イッリ様も、周囲に存在感を示さねばなりません。一介のメイドが気軽に言葉を交わすことすら、本来であれば避けるべきなのです」
「そんなことないわよ」
「そういうものなのです」
イッリは、王族であり、人々のトップに立つための学問も勉強した上で、そういうことには反対だった。あまりに集中した権力や、本質的ではない権威の示し方は、もろく、いつか崩れてしまうものだと感じていたのだ。そういうことが重要なのはよく理解していたし、あまりイッリが意見を持って発言してよい言葉ではないこともわかっていたのだが、誰もいないとき、自分がお世話になった人とくらい、気軽に会話していたいと思ったのだ。
「イッリ様、今日はどちらへお出かけで?」
「内緒!」
「あまり……いえ、そうですか。わかりました。危ないことはしてはなりませんよ」
「子ども扱いはしないでちょうだい!」
イッリは元気よく部屋を飛び出した。
白い石で作られた壁は、この国の特徴とも言える建築様式だった。遠くから運ばれてくる貴重な石らしく、貴族だけが建物に使える素材だった。窓を閉め切っていても、明かりをつけていなくても、白い石は廊下を明るく見せる効果があり、陰鬱な外の吹雪を忘れさせてくれる。
高価な調度品はよく掃除され、城に仕えるメイドたちの優秀さを表していた。床にはやわらかそうな赤い絨毯。少し古さは目立つが、十分にきれいに使われていた。
廊下から見えるだけでも部屋数は多く、廊下からメインホールに出れば吹き抜けの階段が見えてくる。イッリの自室は二階にあった。少し弧を描いている階段を急いで降りたイッリは、数人のメイドとすれ違う度に頭を下げられる。
そんなことしなくてもいいのに、イッリはそう思っていた。
イッリが目指したのは、一階のメインホールの横にある宰相室だった。
宰相室は小さい部屋だったが、城の中で一番贅沢なソファーがある部屋だった。ふかふかな緑のクッションが、精密な黄金の彫刻があしらわれたフレームにおさまっている。贅沢品をたしなむ気持ちはイッリにはわからなかったが、そこで寝転がるのは気持ちが良い。
外国からの来客があったとき、宰相室に通して話すことが多く、部屋にはこの国の精一杯の背伸びが詰め込まれている。大事な話をするお客さんをここに呼び、国の宰相がもてなしつつ交渉したりするのだ。
「宰相さん」
「おや、まあ、イッリ様。どうしたのかな」
「お仕事手伝いにきたんだけど」
「それなら今日は経費が合っているかどうか、算術をやってくれますかな。数字が大きくなってくると、算術を正確に行えない者が近年増えていて、困っていまして」
「だったら、学校を作りましょう。教えて、広げたほうがきっと効率的よ」
「イッリ様ならそう言うと思っていましたよ。でもその話を進めることは簡単じゃない。大人は皆、長年この国にも学校が必要だと思っているけれど、実現できていないのです。それは、解決しないとならない問題が山積みであるからに他なりません」
イッリは、宰相が好きだった。イッリを子ども扱いせずに接してくれる数少ない人だったからである。平均的な体格の男性で、流行のくるくると巻いた髪型をしていて、多くの貴族が着ている服を好む彼は、いまいち冴えきらない人間だったが、そういうところも含めてイッリには好印象に映っていたのだ。
イッリは、宰相が執筆仕事をしている机へ行って、まとまった紙の束を手に抱える。
「これで全部?」
「ええ」
「お昼までには終わるわ」
「さすがです。頼みましたよ」
イッリは、紙とにらめっこしながらペンを走らせた。宰相室にあるものは、インクからペンまで高級品が取り揃えられていたが、小さな引き出しの一つがイッリ専用の引き出しとなっており、愛用の古びたペンと、つぎ足しながら使っているインクがおいてあるのだ。使用人や、よく来る商人は、使われているインクで宰相の作った書類かイッリの作った書類かわかるという。しかし、顔なじみの人は、たとえ子どもが作った書類であっても、イッリであれば不安そうな顔を見せないのだ。
イッリはそれがたまらなく誇らしかった。
狭い部屋で宰相とイッリが作業していると、メイドの一人が二人分のミルクを持ってやってきた。暖められたカップが優しく指先の神経を回復してくれる。
覚えたばかりの算術は頭を使い、非常に疲れる。国の大事なお金を扱うのでミスもできない。イッリは暖かいミルクで気持ちを回復しながら、幼い日の午前中を仕事で過ごした。
「終わったわ」
「今日も助かりましたよ、イッリ様」
「まかせて!」
手伝うと言っておいて、しっかり疲れたイッリは、仕事が終わると駆け出すように部屋を出た。向かった先は食堂だった。
メインホールから中庭へ向かう途中に食堂はある。長いテーブルには八つの椅子が並べてあった。食堂には今誰もおらず、明かりもついていない。食事の時間まではまだ時間があるのだ。
食堂の横に厨房があり、いつも香辛料のいい香りが漂ってきていた。イッリがそこへ顔を出すと、イッリに甘い料理長がいつも何かをくれるのだ。疲れたときは厨房へ向かうに限る。
厨房には白い料理人用の服を着た太った女性がいた。まんまるの目を見開いて嬉しそうにスープをかき混ぜていた。
「あら、イッリ様! ごきげんよう」
「ごきげんよう、料理長さん。今日は野菜のスープかしら」
「おいしい鶏をもらったからね。野菜と一緒に煮込むと、いい味を出すのさ。寒い冬を越すのは、やっぱりスープに限るね」
「おいしそう。ところで、今日は宰相さんを手伝ったの」
「おやまあ偉いね。戸棚に今朝焼いたお菓子があるから持っていきな。皆には内緒だよ」
「ありがとう!」
イッリは戸棚から焼き菓子を取り出して、食堂に戻る。椅子に座って、暗い食堂のテーブルに布を広げ、焼き菓子を三つ置いた。それを食べながら、窓の外の吹雪を眺める。よく見ると、朝よりも吹雪は弱くなっているようだった。
「どうしよう。村の人たちが大丈夫か見に行こうかな」
焼き菓子をすべて口に含んだイッリは、中庭に出て、外へ続く門を目指す。
暖かい服を着て、準備は万端。イッリは、手袋に手を通し、フードを深くかぶった。
城を出て村へ向かうと、まず初めに小さな湖がある。淡水魚を水揚げしている男性漁師がイッリに手を振った。無口だが、長年この国の魚事情を支える頼れる人だった。水門の管理もしており、力持ちなことが特徴だ。昔は騎士をしていて、戦争で足を怪我したのち、腕の力を利用して漁師になったのである。一昨年、最愛の妻をはやり病で亡くし、今は一人で静かに暮らしている。
続いて、芸術家一家の家が見えてきた。家族ぐるみで大量の芸術品を作っている赤い屋根の小さな家で、皆気がよく暖かい家族で有名なのだった。一家は、木彫りのアートを得意としているが、絵画や彫刻も手がける。城にある品だって、この一家が作ったものは多い。
「あら、イッリ様だわ」
母親が窓を開けて手を振った。イッリも振り返す。
「こんにちは」
「お城はどうかしら。吹雪の被害はない?」
「きっと大丈夫。それより村は?」
「うちは屋内にずっといるから大丈夫だけれど、鶏や牛がどうかしら。野菜も心配だわ」
「見てくる!」
「気を付けてくださいね」
イッリは村へ走っていった。
険しい谷に身を寄せ合うように集まったこの国は、大雪が降ると雪崩の対策をしに魔法使いたちが山へ登る。十人程度の厚着をした魔法使いと、イッリはすれ違った。彼らは戦争でもこの国の主力の兵科である。医薬品の研究が盛んなこの国は、兵士の数が少ない。訓練所も無ければ、騎士として教育を施す構造も持っていないのだった。しかし戦争は向こうからやってくる。小さな国でも例外ではなく、自分たちの身は自分たちで守らなければならないのだった。そういったときに活躍するのが魔法使いたちである。
「ご苦労様!」
「イッリ様、斜面は滑ります。お気をつけて」
「わかってるわ」
魔法使いは優秀な人がそろっている。多くの人が学園都市ニグドナへ留学経験があり、貴族社会にも理解があった。イッリに対しても、子ども相手ではなく、一人の貴族として接する。
「イッリ様、少々お待ちください」
魔法使いを率いていたリーダーが、イッリに向かって手をかざす。そうするとイッリの体の周囲にオレンジ色の空気が浮かんだ。ほんわりと暖かくなり、上着を脱いでも寒さを感じなさそうなほどだった。
「暖かくなりましたか。ついこの間思いついた魔法でしてね」
「すごい!」
「思いつけば簡単な基礎の応用です。複数の魔法を組み合わせただけ」
「それでも立派な発明よ。すごいわ!」
「イッリ様にそう言っていただけると誇らしいです」
雪崩の調査に向かった魔法使いたちと別れたイッリは、さっそく暑くなってきてしまい、手袋を外した。フードも下ろす。ほどよい風がほほを駆けていき、久しぶりに空気と触れた気がした。動物の鳴き声もよく聞こえる。木々が揺れる音、水が流れる音、空気が凍えている音。様々な音を聞いて、イッリは今日も平和を強くかみしめた。
そのままずんずんと雪に足を埋めながら歩いていき、村へ到着する。村では雪かきが行われていて、人々が外へ出ている。イッリと同い年の子どもたちも手伝っていて、それを見ていたらイッリも混ざって手伝ったほうがいいような気がしてくるが、イッリにはやることがあるのだ。
領主の娘として、挨拶だけしてその場を後にした。向かったのは農場である。鶏と、野菜を育てているのだが、ここばかりは天候の影響を強く受けてしまう。芸術一家が心配していた通り、農場は雪で覆われてしまっていた。鶏は大丈夫だろうか。もしもここがダメになってしまったら、外国と交渉して食料を得ないといけなくなってしまう。
「こんにちは」
イッリは農場で声を出した。
「イッリ様。こんにちは」
「こんにちは~」
気のよさそうな夫婦がイッリに挨拶をした。分厚い服を着こんで、雪の中作業している。
「吹雪、大丈夫だったかしら」
イッリは質問した。
「ええ、おかげ様で平気です。ですが、少しばかり野菜がやられてしまいました」
「そうなのね。宰相さんとお父様に伝えるわ。どのくらい野菜を仕入れないといけなさそうかしら」
「二週間分はあったほうがいいかもしれないなあ。ただ、最近この国もなにかと物騒ですよね。皆で切り詰めれば我慢できないほどではありませんので、お任せいたします」
「ううん、大丈夫よ。おなかいっぱいな方が嬉しいもの。相談してみるわ」
その後、イッリは村に戻って、何人かに声をかけて農場へ手助けに回ってもらった。
「これで農場は大丈夫ね」
イッリは満足げにうなずいた。
そして、最後に向かった場所。それはこの国の中枢とも呼べる施設だった。
薬品の研究所である。
魔女イッリ @therizino_luck
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