お腹減ったもん!

うたた寝

第1話


 疲れた。疲れ切った。真っ白に燃え尽きた。もしくは真っ黒に燃やし尽くされた。

 毎日を勤労感謝の日にしてほしいと思うほどに勤労に疲れ切っている。何でこんな思いをしてまで働かなくてはいけないのだろうか?

 もう金持ちになりたい奴だけ働けばいいのではないだろうか? その日の食事と寝床さえ提供してくれれば文句言わないからもう国に養ってほしいくらいだ。別に贅沢したいわけでも豪華な生活したいわけでもないのに何で日夜こんな働かなくてはならないのか。

 顧客は口を開けば不条理なことばかり言ってくるし、会社の偉い人はその不条理をすんなり受け入れるし。実際に作業をする現場の人間の気持ちも少しは考えてほしいものだ。売り上げが~、とかの諸事情はあるのだろうが、その売り上げを上げる社員に限界が来ているぞ。

 これで出世欲のある人間ならば、『よーし、ここで名を売って一気に出世だ!』とか、あるいは家族の居る人であれば『家族のためにも頑張るぞ!』となるのだろうが、あいにくどっちも無い彼からするとキツイ労働はただただキツイのである。

 会社員の唯一の楽しみと言っても過言ではない昼休みでも楽しむ余裕など今は無い。昼休みだろうが定時後だろうが休日だろうが容赦なく仕事が降って湧いてくるのだ。昼食を食べに行く食欲も元気も無い。疲れた。もう疲れた。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ、と横の空席に話し掛けたいくらいには疲れた。

 もうこのまま永眠でもしてやろうかと机に突っ伏して寝る姿勢を作っていると、


 チョンチョン、と優しく肩を触られた。


 が、彼は寝ています、の姿勢を崩さない。昼休みに話し掛けてくる奴にロクな奴は居ないのである。どうせ何か仕事を持ってきたのだろうが無視だ無視。今は昼休み。絶対働かん。無視していると、


 トントン、と肩を叩く力がちょっと強くなった。


 しかし彼は無視をする。この手の根気比べは折れた方の負けである。こういう時に『ん? なに?』と優しく対応する奴ほど仕事を抱え込み過ぎててんてこ舞いになるのである。もうそんな優しさなどとうに捨てた。その優しさに付け込んで仕事を押し付けてくるのが奴らのやり方である。断固無視である。

 根気比べに勝ったのか、背後に居た人物が離れていく気配がした。籠城戦に勝ったな、と思い彼が本格的に寝ようとしていると、


 ゴンッ! と何かで肩をぶっ叩かれた。


 どちゃくそ痛ぇっ!! 何だっ? 何で叩かれたっ!?

 痛みと衝撃でカバっと起き上がって振り返ると、そこにはハンマーを抱えてニコッと微笑んだ女性が居た。

 おそらくそのハンマーで寝ている人の肩をぶっ叩くという狂気に満ちたことをしたものと思われるが、そんなこと無かったと言わんばかりの屈託の無い笑顔を浮かべると彼女は言い放った。

「お腹減った!」



 半ば強引に(ハンマーで)脅されてやってきたのは会社の近くにあるトンカツ屋。近くにはあるのだが、場所がちょっと分かりづらいところにあるためお昼時でも比較的空いている穴場の店である。お昼時に二人で来てもサラッとテーブル席に案内される。

 席に座ると彼女は店内を見渡して、

「何か、来るの久しぶりだねー」

 確かに、と彼も店内を見渡す。入社したての頃は同期と一緒に来たりなどもしていたが、今では一緒に来る同期がそもそも会社にほとんど残っていない。ブラック企業、というわけでもないが、会社に勤めている勤続年数が上がっていくと、自然と同期も減ってくるものである。

 ある者は夢ができたと辞めていき、ある者は寿退社で辞めていき、またある者は上司と折り合いがつかずに辞めていき、またある者は意味深に小指を立てて辞めていった。これに関しては具体的に何があったのかいつか詳しく聞いてみたいものである。

 別の部署や支部などにも同期は居るため、同期社員、という区切りで見るとまだそれなりに残ってはいるが、関わりのあった同期、となると今となっては彼と彼女くらいのものだ。

 まぁ、

「最近どう? 仕事大変じゃない?」

 彼女が聞いてくるので彼はからかうように、

「おー、流石上司殿。部下のことを気遣ってくださいますか」

「それ止めてってば……」

 嫌そうな顔をして水を飲む彼女。それを見て彼はケラケラ笑う。

 そう。同期、ではあるのだが、彼女は彼の上司に当たる。世間的に言えば、出世競争に負けた、とでも言えるかもしれない。

 出世欲の無い彼ではあるのだが、それでも同期の方が先に出世し、ましてや自分の上司になった時にはそれなりに複雑に思い、戸惑いもしたのだが、

「そっちこそ大変そうだよな。会社に顔出しているの大分久しぶりじゃね?」

 彼女の多忙さを見て、出世して羨ましいなんて気持ちは一ミリも沸いてこなかったが。彼の目で見える範囲でもまぁ忙しそうにしている。顧客の所に行っては理不尽に怒られ、会社に戻ってはお偉いさんに理不尽に怒られ、現場の社員からは不満の声で怒られと、どこ行っても怒られている印象である。

 出世欲の無い人が増えている、なんて話を聞いたこともあるが、実際に出世して仕事量が増えた人を見て思った。確かにこれは出世したがらないだろうな、と。よっぽど会社が好きか、よっぽど役職や年収などの社会的ステータスでも気にしていない限り、自分から望んで出世はしないだろうな、と。

 彼の認識では彼女もそれほど出世欲が強くなかった印象だが、仕事ができる、というのも考えもので、前任の上司が辞めた瞬間、すぐに彼女が繰り上がってそのポジションをやらされているような感じだ。

 爆発的に仕事量や責任が増えた印象だったが、同期というお世辞抜きでもよくやってくれていると思う。直属の上司ではあるのだが、そのあまりの多忙さゆえに彼が彼女と直接顔を合わせたのは大分久しぶりである。

「何言ってるの。元気元気~」

 両手で力こぶを作って小躍りする彼女だが、

「カラ元気じゃね?」

「………………」

 彼が突っ込むと彼女は力こぶを作ったままそっと目を逸らした。どうやら図星らしい。まぁあれだけ忙しければ元気もあるまい、と彼が思っていると店員さんが注文した料理をドーン! と持ってきた。

 店員さんが彼のところに料理を置こうとしたので、違う違う、と彼女の方を指し示す。まぁ、勘違いしても無理はあるまい。彼女の目の前に置かれているのはロースカツ定食(ご飯・キャベツ大盛り)+カツ丼(ご飯大盛り)+単品の巨大エビフライ(2本)。これが一人前でしかも女性の方が食べるとは思うまい。

「太るぞ?」

「セクハラッ!」

 怒られた。セクハラなのだろうか? 親切心による忠告のつもりなのだが。まぁ小さな親切大きなお世話という言葉もある。ここは言葉を変えてみよう。

「体重増えるぞ?」

「同じだよっ!」

 また怒られた。ずいぶんとカリカリしている。あれだろうか? 仕事でストレスでも溜まっているのだろうか? 仕方ない。もうちょっと言葉を変えるか。

「彼氏できないぞ?」

「何でできてない前提なんだよっ!!」

 一番怒られた。面倒くさい。というか、

「おっ、じゃあできたの? 彼氏」

「………………できてねーけどよ」

「できてないんじゃん」

「うるさいうるさいうるさいっ!!」

 ご機嫌斜め、という感じでカツ定食を口へとかきこむ彼女。ゆっくり食べなさい、と言う暇さえなく、手品かな? と思うくらいペロッとあっさりカツ定食を食べ終えた彼女は、

「むしろこれぐらい食べないとアタシ痩せて死んじゃうよ」

 まぁ、確かに。仕事のストレスによる爆食いか、多忙な仕事で消費したカロリーに見合うカロリー摂取なのかは判断が難しいところだ。

「大体、キミこそそんな量で足りるわけ? 全然食べてないじゃん」

「お前は『一人前』という概念を知っているか?」

 大盛り二人前(+エビフライ)女と比較すると確かに彼の量は少なく見えるが、彼の前にもしっかりとミックスフライ定食(並)が置かれている。ちなみに、大盛りにしなくても結構量があったりする。

「女子より食べない男子なんてモテないんじゃな~い?」

 どうやら『彼氏できない』って言ったのを根に持っているらしく、嫌味たらっしく言ってくる彼女。しかし、

「その言葉、そのまま逆にして返したいところだが」

「セクハラッ!」

 怒られた。流石に理不尽じゃないだろうか? まぁ理不尽には慣れているが。ご飯粒が大量に付いた箸で彼を指すという色々なマナー違反をした後、彼女は再びカツ丼を頬張り始める。いかん、また手品みたいにカツ丼を消す気か。このままでは彼のミックスフライも消されかねない、と彼はアジフライを口へと放る。すると、

「っ!?」

 彼は目を見開いた。熱い、というオチがないでもないが、目を見開いて箸を止めるほどに美味しかった。昔はよくこの店に来ていたし、アジフライだって初めて食べたわけではない。この料理の味は知っているハズなのだが、結構衝撃を受けるくらいには美味しかった。孤独のグルメのBGMでも流したいくらいである。

 気分は井之頭五郎のため、松重豊の声でモノローグでも付けようかと思ったが……、気の利いたセリフが思いつかないため止めた。美味いもんは美味い。それ以上の情報など要るだろうか? いや、要らない。

 彼が二口目を放ろうとすると、目の前でニコニコしている彼女と目が合った。見てみるとカツ丼も既に空になり、エビフライの一本が半分ほどかじられている。はは~ん、さては、

「何だ? 欲しいのか? 仕方ないな。ちょっと待ちなさい」

「あっ、いやっ、ねだったわけじゃ……まぁ、くれんなら貰うけど」

「たくさん食べて大きくならないとねー」

「おい待て。今どこ見て言ったおい」

「セクハラッ!」

「こっちのセリフじゃっ!!」

 プンスカ文句を言いつつ貰った一口ヒレカツをもしゃもしゃと咀嚼する彼女。ホントよく食べるよなー、昔からこんな食べたっけ? 食べる量明らかに増えてね? ……やっぱ太った? と若干失礼なことを思いつつ、彼がじーっと彼女のことを眺めていると、

「……食べづらいんだけど」

 彼女からクレームが入った。そりゃじっと食べているところ見られたら食べづらいか、と視線を彼女から外して彼も自分の食事を再開する。のだが、

「………………(じーっ)」

 仕返し、というわけでもないのだろうが、今度は彼女が彼のことをじーっと見つめている。

「……食べづらいんだけど」

「あ、ごめん」

「もうやらんぞ」

「いや、だから別にねだってないってば。……くれるなら貰うけど」

 まだ入るのかよこいつすげーな、と感心しつつも、そういえばさっきもこっちのことを見てたな、と思い出し、

「さっきから何見てるんだよ?」

「あ、いや、」

「エッチ」

「エッチぃっ!? さっき人の胸に思いっきり視線落とした奴に言われたくはないやいっ!!」

「早く大きくならないとなー」

「だからどこ見て言ってるんだっ!? エッチっ! スケベっ! 変態っ!」

「やだなー。そんなに褒められると照れるぜ」

「褒・め・てなーいっ!!」

 ぜえ……ぜえ……、とツッコミ疲れを起こして息を切らしている彼女。これしきのツッコミ量で息が上がるとは、まだまだだな。

「まったくもう。人がちょっと『美味しそうに食べるなー』と思って見てただけで……」

「何だ? やっぱり俺のミックスフライ狙ってたのか」

「そういう意味じゃないやいっ!!」

 美味しそうに食べていたのはむしろ彼女の方だと思っていたのだが、そんなに美味しそうに食べていたのだろうか? 確かに『美味い』とは思ったが。……ああ、でも言われてみれば、

「ちゃんとこういう風に食事取ったの久しぶりかもしれないから、それでかな」

「えっ? なにっ? 食べてなかったの?」

「いや、食べてはいたんだが……」

 食べなければ死んでしまうためもちろん食べてはいた。だが、それはほとんど空腹を満たす作業のようなもので、今みたいに美味しい物を食べて楽しもう、という意識で食事をしたのは久しぶりのような気がする。

「ダメだよー。ちゃんと食べなきゃ。人間、食欲と睡眠欲は大事よ」

「あと性欲な」

「セクハラッ!」

 今のは自覚ある。彼はおかしそうに笑った。

 誰かとご飯を食べたのも久しぶりだし、ましてこんな風に楽しく話して食事をしたのも久しぶりだった。美味い物を食べている時にイラつく人なんて居ないし、楽しく話している時にイラつく人も居ない。仕事の疲れが全部吹き飛んだ、とまでは言わないが、それでも大分心の中がスッキリはした。

 何のために働いているか、そんな深いこと考えたことも無かったが、こうして楽しく食事をするためであれば、理不尽な仕事をやってお金を貰っているかいはあるのかもしれない。しばらくは仕事乗り越えられるかもな、と思った彼は、

「ありがとうな」

「うん?」

「俺に気遣って声かけてくれたんだろ?」

 きっと多忙の中、彼が仕事大変なのを知ってわざわざ会社に寄って様子を見に来てくれたのだろう。自分だって相当忙しいだろうに、気にかけて、ご飯にまで誘ってくれて、何ていい同期、いい上司だ、と思っていたら、

「………………へっ?」

「………………えっ?」

 彼女の全力のキョトン顔。釣られて彼までキョトン顔になる。彼女は手を横に振りながら笑顔で、

「いや、全っ然。単純にお腹減ったからご飯行きたかっただけ」

「………………」

「………………」

「何だよてめぇふざけんなこの野郎っ!!」

「うぇぇぇつっ!? 何でアタシ怒られてるのっ? 理不尽っ! すっごい理不尽っ!!」

「社会人は理不尽の連続だ。いい加減慣れたろ」

「うぇぇぇんっ! 働きたくないよぉぉぉっ!!」



「えっ? 奢りじゃないの?」

 レジで『会計別々で』と抜かし始めた彼女に背後から文句を言う彼。彼女は取り出した財布から懸命に小銭を探しながら呆れたように、

「何で奢んなきゃいけないんだよー」

「上司だろ?」

「同期だろ?」

 ケチな女である。仕事量や責任も増えているだろうからいっぱい給与貰ってて不公平だなんて言わないが、それでも役職手当などもついて彼より給与貰っているだろうに。

 奢ってもらえないことにいささか納得のいってなさそうな彼は道中ぶつくさぼやきながらレジへと向かう。ケチだ食いしん坊だの文句は聞き流してもよかった彼女だが、最後にちっちゃくデブと呟かれたのは容認しがたい暴言のため彼のケツを背後から蹴飛ばしておく。

 少し離れたところで会計をしている彼の背中を見ながら彼女はポツリと一言、


「……良かった、元気になったみたいで」


「何か言った?」

 店員さんから受け取った小銭をしまいながら戻ってきた彼が聞いてくる。彼女は顔の前で手を横に振ってから、

「ううん。美味しかった、って言ったの」

「確かに美味かったな」

 お腹を擦り満足そうな彼に彼女は言う。


「また来ようよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お腹減ったもん! うたた寝 @utatanenap

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ