わたくし、婚約破棄されますわ!

雛星のえ

とある悪役令嬢の心算

 リネル=フランクリン。それがわたくしの名前。

 公爵家に生まれたわたくしには、アルティ=ガウス様という、それはそれは素晴らしい婚約者がいます。

 王族の血を引く彼は、その象徴である金髪をたなびかせ、空のように澄んだ碧眼で全てを冷徹に見通す。

 まだほんの小さな子供にすぎないのに、どんなときでも仮面のように表情を崩さない。

 例え狡猾で口の上手い者を前にしても、臆することなく数手先を読み相手を完膚なきまでにねじ伏せる。

 幼くして頭の切れる、眉目秀麗なお方。

 彼の隣に並び立つには、相応の努力が必要だと瞬時に悟りました。事実王妃教育は、血反吐を吐いてしまいそうなほど厳しく、何度逃げだそうとしたか。その数は計り知れません。

 けれど不思議と、アルティ様のためだと思えばどこまでも頑張れたのです。

 二人の間に愛があったかといえば、難しい話だったかもしれません。婚約者として最低限のことはしてくださったけれど、逆に言えばそれ以外は何もありませんでした。

 わたくしの前ですら甘えを許さず、毅然とした態度で接する。しかしわたくしは、それに不満を抱いたことなど一度だってありませんでした。

 

 時は流れ、わたくしたちは学生として日々勉学に励んでおりました。貴族学校に通い、仲間たちと切磋琢磨し、様々な学びや経験を得て成長する。わたくしは相変わらず、アルティ様にふさわしい人物であれと研鑽を積んでおりました。

 そんなわたくしが現在見ている光景は――な、なんと!

 人通りの少ない廊下にて、編入生のスズネ様と、婚約者であるアルティ様が仲良く談笑している場面ではありませんか!

 何故わざわざ人目のつきにくい場所で……それに心なしか、距離だってとても近い気がしますわ。そんなにくっつかなくたっていいじゃありませんの。

 怒りや嫉妬にも似た感情を覚えたその瞬間、わたくしの脳裏に浮かんだのはとある物語。

 平民の少女は、ある日聖女としての力を授かる。聖女とは国として丁重に扱い、保護しなくてはならない存在だった。国の加護を受け、貴族学校へ編入した彼女は、とある出来事をきっかけに王太子と出会い恋に落ちた。

 聖女――ヒロインは内気ながらも、王太子に近づき己をアピール。しかし、それをよしとしないのが、彼の婚約者であった令嬢、つまり悪役令嬢だ。

 悪役令嬢はヒロインに数多くの嫌がらせを仕掛ける。ヒロインは苦難を乗り越え、王太子とも次第に惹かれ合っていき、最終的に彼の婚約者にまで上り詰めるというお話。ちなみに、悪役令嬢は最終的に罪を暴かれ婚約破棄された上、相応の罰を受けていた。

 これが物語の内容。今や国中で大流行、知らぬ者はいない、と言われしめたほどの人気を博す小説である。

 

 ……これってまるで、わたくしとスズネ様みたいではありませんこと?

 

 スズネ様がヒロインで、悪役令嬢がわたくし。

 偶然にも、スズネ様は実際に平民の出自を持ち、聖女として強い魔力を持つ偉大なお方でした。そして思い至ったのです。

 もしかしたら、スズネ様もあのヒロインと同じ気持ちなのかもしれない。

 本当はアルティ様がお好き。けれどそれは、報われない恋だと知っている。

 苦い気持ちを隠し何事もないように振る舞いながらも、しかし本心では彼を思う気持ちを止められず……――。

 そうであらば、わたくしのやるべきことはただ一つ。

 わたくしが、あの悪役令嬢となり彼らを婚約に結びつけるのです!

 その日からスズネ様への態度を一変させました。具体的には、ちょこっと偉そうに振る舞ってみました。

 未来の王太子妃たるもの、身分の貴賤により態度を変えるだなんて言語道断。これは平民だろうが貴族だろうが、「対等」に接するという、自らの信念に背くものになりますけれども……。

 少し心苦しいが、アルティ様と結ばれるためには必要な試練。なんて、気持ちが彼女には理解できなくても構いません。もとより、わかってもらおうなんて思ってもいないのですから。

 その甲斐あってか、彼らの距離は以前にも増して縮まったような気さえしますわ。最近は人目につきにくい温室で、仲良くティータイムをなさっているようですし。

 アルティ様の前でも、我が儘極まりない迷惑な女性を演じました。物語の悪役令嬢も、確かこんな感じだった気がしますので。

 思惑通り、彼はわけがわからない、と言ったような目を向けておりました。これで好感度が下がるのも、時間の問題と言えるでしょう。

 周囲からも奇怪な目を向けられましたけれど、わたくしは態度を変えませんでした。ここまで来てしまったからには、悪役令嬢としての務め、立派に果たしてみせましょう。


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 時が過ぎ去るのは存外早いものであり、気づけば出会いと別れの季節であった。肌を刺すような寒気に耐え凌ぐ日々は、いつの間にか麗らかな日差しが降り注ぐようになりつつあります。

 これから行われようとしているのは、王族主催の卒業パーティー。わたくしたちは、これを以て学園を去ることになります。

 人生という長い長い歩みの中に、一つの区切りをつける大事な催し事。

 そして――わたくしにとっては己の行く末を変える出来事であり、大がかりな舞台。

 全幅の信頼をおく侍女たちによるセットアップは完璧です。自画自賛、うぬぼれといえば少々お恥ずかしいですが、”絶世の美女”と褒め称えても差し支えないでしょう。これで何があろうとも、わたくしは自信を持って立っていられますわ。

 アルティ様は律儀なもので、会場に到着するなりわたくしをエスコートなさってくれた。

 ……んん? 思ってた展開とは、ずいぶん違いませんこと?

 確か物語の悪役令嬢はそれさえもしてもらえずに、初めから一人寂しいお姿を見せていましたのに。

 首を捻り頭に疑問符を浮かべながらも、彼の好意を無碍にするわけにもいかない、と言い聞かせわたくしは入場する。

 王宮の広間には、既に無数のご学友が歓談や飲食を楽しんでおられました。

 深紅のカーペットを踏みしめるなり、喧噪にまみれた場面は一瞬静寂を見せるも――次の瞬間には、拍手と歓声で溢れかえります。

 わたくしに、アルティ様のパートナーでいる資格はないというのに。彼らを欺いているのかと思うと、胸中が罪悪感で支配されました。自身の気持ちを見なかったことにして、広間の中央へと視線を向けます。

 白色光を放つ煌びやかなシャンデリアの下。ブカブカの青いコートをまとい立っていたのは、聖女であるスズネ様。

 青……アルティ様を象徴する色と同じもの。当たり前と言えば当たり前……ですわよね。

 アルティ様が不意にわたくしの手を離し、彼女の側へと歩み寄りました。王太子と聖女が肩を並べるその姿は、思った通りとても絵になるものでした。

 そして、これから起こることを瞬時に理解します。

 ああ、ついに始まるのですね。

 ここから先は、わたくしが待ちに待った時間。数ヶ月をかけ下準備を行ってきた脚本をお披露目するとき。

 わたくしへの、断罪という名の幕が上がろうとするその一時。

 この身は一体どうなってしまうのでしょうか。よくて国外追放、修道院送り。悪くて投獄、幽閉……処刑。アルティ様のことですわ、敵と見なした者は徹底的に排除なさるお方。恐らく、わたくしも今回そのような末路を辿るのでありましょう。

 しかし、これで二人が幸せになれるというのならば、わたくしは自身の行動を悔いたりなどいたしません。むしろ胸を張って然るべきでしょう。

 けれど何故でしょう。こんなにも心が締め付けられるのは。

 おかしいですわね、当に覚悟はできていたはずですのに。このときを、今か今かと待ち焦がれていたはずなのに。

 ……わたくし、本当は、死ぬのが嫌だったんですの?


「私、アルティ=ガウスは――」


 わたくしの気持ちなんて、感情なんて置き去りにして、アルティ様が唐突に切り出しました。皆様は、殿下の次なる言葉をきちんと聞き届けるべく口をつぐみます。

 静寂がさらにわたくしを苦しめます。侘しさからか、彼が肺に息をため込む音がわずかに聞こえました。

 今よりも、大きな声ではっきりと確かに婚約破棄を告げるべく。

 ぎゅ、と目をつぶり、はやる鼓動を落ち着かせますが――、彼は待ってくれるはずもありません。

 無情にも、薄い唇は罪状を音にして――。


「聖女スズネと、第二王子であるカイン=ガウスの婚約を承認したこと、ここに宣言する」

「……んっえ??」


 予想だにしないお言葉に、淑女としては恥ずべき声が漏れ出ました。

 婚約承認? 誰と誰の?

 スズネ様と、アルティ様の弟君であるカイン様の婚姻を。間違いなく、アルティ様はそうおっしゃった。

 わたくしが呆気にとられている合間に、どこからともなく現れたカイン様はスズネ様と手を取り合い、微笑みあっています。その笑顔と流れる空気が、お二人の仲を証明する何よりの証拠でありました。

 カイン様。アルティ様の弟君であり、この国の第二王子であるお方。王族の証である金髪を肩まで伸ばし一つに結んだ彼は、紅玉のように輝く赤い瞳を有していました。

 温厚な性格であるが病弱であり、滅多に王宮から出られないと聞いておりましたのに。いつの間にスズネ様とあんなにも仲睦まじく……彼らは一体いつから関係があったのでしょう。

 青い上着は周囲を欺くためのものだったらしい。中身は彼女の細身を強調する、ベルベット生地の赤いドレス。冷静に観察してみれば、ネックレスやイヤリングといった装飾品もカイン様の瞳で統一されておりました。

 いえ、そうではありません。ちょっと待って、ちょっと待ってください、……おかしくないですか?


「わたくしと婚約破棄するのではなかったのですか!?」

「なんだ、したいのか?」

「いえ、そういうわけでは……!」


 両手で口を覆い、咄嗟に出てきた言葉を飲み込みました。

 そういうわけではないって、どういうことですの? だってわたくしは、スズネ様とアルティ様が一緒になることを望んでいたはずでしょう。

 だから物語の悪役令嬢になりきって意地悪をして、自身の評価を下げて、彼らが二人幸せな道を歩めるようにと、その一心で今まで振る舞ってきましたのに。

 最悪の道、死さえ怖くないと己に言い聞かせこの場へ立っておりますのに。

 感情の矛盾に困惑していれば、誰かがわたくしの肩にそっと触れました。とっさに見上げた先にはアルティ様。彼はほんの一瞬だけ、わかりにくい程度に口角を上げます。

 

「そして。私は彼女、リネル=フランクリンを妻とし、この国をよりよいものへと発展させていくことを約束しよう!」

「へぇっ!?」


 あまりの情報の多さに事態が飲み込めません。

 混乱するわたくしをよそに、周囲は祝福の声をあげるばかり。会場中は拍手と歓声で溢れかえり、それが皆様の意向であると察するのは想像に難くありません。

 しかしそうはいかないのが、当人であるわたくし。だってわたくしは本日、婚約破棄される前提でここに立っておりましたのよ?


「アルティ様お願いです。少し、お、お待ちくださ――」

「俺は、昔からリネル一筋だ」

「へ」


 ぴしり、と身体が硬直するのを感じます。

 スズネ様の口からは「おお言い切った、やるじゃないポンコツ」などと聞こえる始末……それがアルティ様のお耳には届いていないことを願うばかりですわ。このような場で不敬罪があなたに適応されるなんて、絶対に嫌ですわよわたくし。

 いいえ、問題はそこではありません。今、アルティ様はなんと仰いました?

 聞き間違いでなければ、わたくし一筋であると――いいえまさかそんな、彼に限ってそのようなことは……!


「おい、聞いているのか?」

「なッ何がですの!?」

「その様子だと聞いてないな」

「い、いいえ? しっかりと聞いておりましたわ! スズネ様と、弟君であるカイン様が婚約されるのでしょう? こんなにもおめでたいことはございませんわ!」

「その後」

「えと、えと……」


 ごめんなさい。あまりにも衝撃が強すぎて忘れてしまいましたわ。

 というよりは、現実を受け止め切れていない――、と言った方が正しいでしょう。

 だってアルティ様がわたくしを好きだなんて、それも昔からだったなんて、到底受け入れられないんですもの!

 何か返さなくては、と口を開くも、漏れ出るのは情けない音ばかりで言葉にすらなりません。


「目をそらすな」

「ッ」


 慌てふためき目線を右往左往させるわたくしの顎を、アルティ様の大きな手が優しく捉えました。ぐい、と強い力で引っ張られ、強制的に視線が絡みます。

 わたくしをしっかりと見据える青い瞳は、この世のものではないと思えるほど美しい輝きを放っていました。瞬きすら許されないほどの緊張感――しかしそのゾッとするような神秘に、思わず吸い込まれてしまいそうになります。こんなことをされてしまえば、誰であろうとも一瞬で魅了されてしまうほどの煌めき。

 ……なんですの? わたくしの知っているアルティ様とはずいぶん別人ではございませんか!?

 だってアルティ様といえば、いつだって毅然とした態度で振る舞い、何があろうとも鋼鉄の仮面を外すことのないお方。こんな甘い言葉を囁くだなんてことは未来永劫ありえないはずでしたのに。

 こんなにも愛おしくてたまらないものを慈しむかのような、砂糖のように甘く優しい瞳でわたくしを見つめるだなんてこと、絶対にあり得ないと思っていましたのに!

 だってそんな素振り、一度たりとも見せたことありませんでしたのよ? 信じろというのが無理なお話ではありませんこと!?

 諦めの悪いわたくしは、それでも必死に虚空を見つめようとあがき続けます。ああけれど、……きっと無理ですわね。


「申し訳ございません。にわかには信じがたいお話でしたので、夢ではないのかと疑っております……。それに――それにわたくし、最近、まともにアルティ様のお顔を見ておりませんの……」

「それもそうだろうな。俺はここ最近、聖女スズネといる時間の方が多かったからな。だがそのおかげで気づくことができた。今後一切、俺はリネルへの好意を隠さない。ありのままを伝えていくことにする。覚悟しておくんだな。愛しの婚約者さん?」

「あ……ぁあ……」


 触れられている部分が熱い。心臓がドキドキと早鐘を打ち、次第に呼吸間隔が短くなるのも感じます。

 その時、わたくしは気づきました。……気づいてしまいました。

 いえ、もしかしたらずっと昔からわかっていたけれども、気づいていないふりをしていただけなのかもしれません。

 アルティ様のこと、本当に愛していたのは――恋い焦がれていたのは。

 紛れもない、このわたくし自身であったということに。

 だからあの震えは、心臓の鼓動に落ち着きのなさは、死への恐怖から来るものではなかったのでした。

 大好きなアルティ様に別れを告げられること。それが、わたくしが真に恐れていたことだったのです。


 その後自身の気持ちをはっきりとさせたわたくしは、正式にアルティ様のプロポーズを受け入れました。お返事を耳にしたアルティ様は、それはそれはまぶしい笑顔を浮かべわたくしを力強く抱きしめました。

 長い長い時を経て、わたくしたちはあの日宣言した通り、陛下と皇后として自国をよりよいものへと発展させていきます。

 そして、わたくしとアルティ様が死を別つその時まで、幸せに暮らすのはまた別のお話――。

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