エネルギーバンクの赤字宣告

まさか からだ

第1話 見えない負債

 春人(はると)は疲れていた。

 目の前のノートパソコンの画面はまるで彼のエネルギーを吸い取る吸血鬼のようだ。ゼミの課題の締切は明朝9時。カフェインで膨らんだ胃袋が悲鳴を上げる中、タイピングの音だけが静かな部屋に響いていた。


 「あと少し、あと少しで終わる……。」


 そう自分に言い聞かせながらも、文字が滲み、頭がぼんやりしていく。気付けば午前4時、ついに完成した。しかし達成感よりも、重たい疲労感が肩にのしかかった。


 「寝なきゃ……でも、まだ……。」


 そのままソファに倒れ込むように横たわった春人は、次の瞬間、深い眠りに落ちていた。




 暗闇の中、春人は目を覚ました。


 そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。代わりに、彼の目の前にはどこか近未来的でありながら古めかしい不思議な空間が広がっていた。高い天井、無数の星のように輝く光の粒子。そして、奥に見える金属製のカウンター。


 「ここ……どこだ?」


 不安に駆られつつも足を進めると、カウンターの向こうに立つ女性の姿が見えた。白い制服をまとい、透き通るような肌をした彼女は、微笑みながら春人に手招きした。


 「いらっしゃいませ。エネルギーバンクへようこそ。」


 「エネルギーバンク……?」


 春人は首を傾げる。


 「はい、お客様の心身のエネルギーを管理する場所です。」


 何を言っているのか全く理解できなかった。


 「ちょっと待ってください。ここは夢ですか?それとも……僕、死んでるんですか?」


 女性は微笑みながら首を振った。


 「ご安心ください。ただ、少しだけお休みいただいている状態です。ですが、心身のエネルギー状態が非常に危ういので、こちらにお越しいただきました。」


 「エネルギー状態?」


 彼女はカウンターの端末に手を触れ、ホログラムのようなディスプレイを呼び出した。そこには春人の名前と数値が表示されている。


 「お客様のエネルギーバンク、現在赤字状態です。」


 「赤字……?」


 「ええ。これまで無理を重ねて蓄積した負債が、限界値を超えています。このままでは危険です。」


 彼女の言葉に、春人は眉をひそめた。


 「ちょっと待ってください。エネルギーの赤字ってどういう意味ですか?僕はまだ生きてるし、普通に活動できてますけど。」




 女性は小さく溜息をつき、ディスプレイを拡大した。そこには春人の生活リズム、食事内容、睡眠時間などの詳細なデータが映し出されている。


 「見てください。あなたは過去数か月間、エネルギー消費が供給を大幅に上回っています。食事で得たエネルギー、睡眠で回復するはずのエネルギー、全てが不十分です。その結果、あなたのエネルギーバンクは赤字続きです。」


 「……そんな。」


 確かに思い当たる節はあった。大学の課題に追われ、バイトで深夜まで働き、趣味と称して動画編集に時間を費やす。食事はインスタント食品、睡眠は不規則。


 「でも、そんなの誰だってそうじゃないですか?みんな忙しいんだし、多少の無理は当たり前で……。」


 「当たり前ではありません。」


 女性の声が、少しだけ鋭くなった。


 「その結果、多くの人が突然倒れたり、深刻な病にかかったりするのです。あなたも例外ではありません。」


 春人は息を呑んだ。


 「じゃあ……どうすればいいんですか?」




 女性は再び微笑んだ。


 「まずは、エネルギーバンクの状態をリセットしましょう。そのために、いくつかの課題をクリアしていただきます。」


 「課題?」


 彼女は手元から一枚の紙を取り出し、春人に差し出した。それはまるで契約書のようだった。


 「詳しい内容はこれから説明しますが、あなた自身がエネルギーの使い方を見直し、負債を返済する必要があります。そうしなければ、あなたは赤字のまま……最終的には破綻するでしょう。」


 春人は唾を飲み込んだ。


 「……やります。」


 「では、契約完了です。」


 女性が微笑むと同時に、空間が急に揺れ始めた。眩しい光に包まれる中、春人は目を閉じた。




 次に目を開けたとき、彼は再び自分の部屋のソファに横たわっていた。心臓が早鐘を打つ。夢だったのか、現実だったのか。しかし、彼の胸にはあの契約書がしっかりと握られていた。


 「エネルギーバンク……赤字……。」


 春人は震える手で契約書を見つめながら、深い息をついた。


「 負債を返さないと……。」


 こうして、彼の奇妙な旅が始まったのだった。

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