第22話 第二幕 見習い騎士の受難 ②

〈ミルクト視点〉

 

「すー、はー」


 大きく息を吸い、吐き出す。

 

 母親譲りの胸部が大きく隆起し、震えるが、今はその重みが有難い。

 

 安定感のある質力が、戦いを前に、乱れていた心臓を抑えつけてくれる。精神が安定する。


 そうなるよう、反復練習してきた。


「すー、はー」


 意識して深呼吸を繰り返しながら、見習い騎士である牛人ブルマンの少女、ミルクトは、自分自身に言い聞かせる。


(……大丈夫。ワタクシは勝てる。勝てますわ……)


 周囲からは自制が効かない我儘娘だと評され、自身でもその自覚はあるものの、それでもミルクトは未熟なりに、己の性格と向き合っていた。


 不完全ながらも、自らの弱点を克服しようと試行錯誤していた。


 そのうちのひとつが、こうした自己暗示。


 突発的な事態の弱さを自覚するミルクトが、いざそのときに慌てふためかないようにと、事前に気持ちを押し固める習慣動作ルーティーンだ。


「すー、はー」


 実践では、こんな呑気に精神統一をしている時間などないだろう。しかし今は模擬戦。ならばできることはやっておくべきだ。


 お母様が見ている。

 お父様も見ている。


 姉様も、先輩騎士たちも、

 ご覧になっている。


 なればこそ、情けない姿は見せられない。


 全身全霊で臨み、挑み、打ち勝って、そして見習いではなく一人前の騎士として、認めてもらうのだ。


 それがミルクトの、この戦いにかける意気込みモチベーションであった。


「あ、あの〜……」


 で、あるというのに。


「……も、もうそろそろ、いいですかね? そ、それともまだ、待ったほうが、いいのでしょうか……?」


「……っ!」


 訓練場の中央で。


 距離を置いて相対する対戦相手の大鬼人オーガからは、そういった意気込みが欠片も感じられない。


 あくまで自然体に。

 こちらを気遣う言葉まで吐いて。

 

 気弱そうに太眉を寄せながら、

 機嫌を伺ってくる。


(……こ、このお、バカにしてえ……っ!)


 それが堪らなく癇に障った。

 

 わかっている。頭ではわかっているのだ。すでに戦いの機微は始まっている。これは心理戦だ。だったら相手の挑発は無視して、精神集中に努めるのが正解であると。


「あ、あの、ボクの声、聴こえてますか? その、あのですね、ボク、不肖ですが、今回の力試し役と会い成った、ライヅ一門の末席、ハルジオ・ライヅという者ですので、どうか宜しく、お願いいたしま、す……?」


「……すー、はー」


「……うっ、ううう! ふえ〜ん、クロちゃん、エル姉様あ〜。こ、この人、ボクをずっと、無視してきます〜。ごめんなさいムリです、やや、やっぱり代わってくださあ〜いっ」


「……っ!」


 ビキビキと、額に血管が浮き出た。


 ダメだ。我慢できない。

 どうしても苛ついてしまう。


(な、なんですの、この女男おんなおとこ。本当にこんなのが、辺境とはいえ、武威で名を馳せている一派の、一員……!?)


 気に入らない。

 全くもって気にいらない。


 女のくせに、男みたいな格好をしているのも。自分と違って体格に恵まれているのに、軟弱そうな表情を浮かべているのも。どうにも甘ったれた声音も。奇妙な頭の髪飾りも。両腕の分不相応に立派な籠手も。


 何もかもが気に入らない。


 そして、なによりもこんなやつと比べられようとしている自分の立ち位置に、さらに苛立ちが募っていく。


(……ふー。落ち着いて、とにかく落ち着くのですわ、ミルクト)


 考えるまでもなく決定的に、

 相性が悪いのだろう。

 

 というかこんな軟弱女男と相性のいい人間など、存在するのか。


 甚だ疑問である。


(……集中……集中……)


 そんな役体もない雑念を振り払って、集中力を高めていると、ついに、その刻が訪れた。


「それではこれより、ブルタンク領騎士団見習い、ミルクト・ブルタンクと、ライヅ一門、ハルジオ・ライヅによる、親善試合を開始する! 両者とも己の立場に責任を持ち、その力量を振り絞って、遺恨のない試合になることを肝に命ずべし! それでは試合――始めッ!」


「うおおおおっ、ですのおおおおっ!」


 実姉である獣人騎士が試合開始を告げた直後、雌叫びをあげて吶喊とっかんしたのは、戦斧ハルバードを構えたミルクトだった。


 一息の間に十メートル近い距離を詰め、百四十センチ程度の体躯でありながら一メートル以上の戦斧を苦もなく頭上に掲げる膂力は、まさしく獣人という種族の面目躍如。


 生来の恵まれた身体能力に加え、生物が有する体内魔力オドを凝縮することで、体内においては強化魔法バフを、体表には錬精魔力ソールを展開。


 これを以て、拳は鉄を砕き、肌は刃を弾くとされる、獣人伝統の戦闘様式バトルスタイルが完成する。


「どおおおおっ、せいっ!」


 模擬戦ということで刃こそ潰されているものの、質量を有した鉄塊であることに変わない。


 直撃すれば肉は潰され、骨が砕ける戦斧の一撃が、勢いよく天上から地面へと叩きつけられた。


「……」


 とはいえ所詮、様子見がてらに放った初撃。


 速度はあっても軌道が単純であるそれを、大鬼の少女は半歩を退き、半身をずらすだけで容易に回避する。


 直後に……ズドン!


 訓練場に轟音が鳴り響いた。


「……うわっ、わっ!」


「……大丈夫だよ、落ち着きなアレク」


 大地を陥没させる斧打によって、十分な距離を置いているはずの観覧席にいた父親などは、可愛らしい悲鳴をあげていた。彼を膝上に乗せる母親が、それを宥めている。


「……」


 一方で、肝心の大鬼に動揺の気配はない。


 巻き起こった風圧によって、

 若草色の癖毛を揺らすものの。


 相変わらずその顔には困ったような、

 気弱な表情が張り付いている。


(余裕を、かましてるんじゃないですわあああああっ!)


 ビキビキと、額と二の腕に血管が浮き上がった。

 

 感情の昂りに呼応するように、半ば大地に埋まった戦斧の先端を跳ね上げて、男性用の和服を目掛けて叩きつけるが、それも必要最低限の動きで、難なく回避される。


(だったら!)


 戦斧を振り回す遠心力はそのままに、

 空中で身体を一回転。


 途中での持ち手を移動させることで、戦斧の柄頭つかがしらに余裕を作り、先端の石突を、鉄棍棒じみた速度と威力で叩きつける。


「んっ」


 これは多少の意表を突いたようで、またしても被弾こそしなかったものの、ようやく対戦相手の表情を変化させることができた。


 とはいえそれは、見事な武芸を目の当たりにした驚きというよりは、器用な大道芸に感心したという、感情の揺らぎであったが。


(……ふん! 貴方みたいなデカ女には、わからないでしょうね! 持たざる者の、気持ちなんて!)


 なにせミルクトという少女は、

 己の肉体に劣等感コンプレックスを抱いている。

 

 具体的には胸元や尻肉ばかりが肥大化して、

 一向に伸びてくれない自分の背丈に対して。


(そりゃそれだけ上背があれば、武器だって選び放題! 格闘だって有利でしょうよ!)


 高い上背とは、恵まれた体躯とは、それだけでこと戦闘においては、絶対的な優位性アドバンテージだ。


 無論、魔法や魔道具によってそうした差を埋めることは可能だが、前提として両者の技量や装備が互角であった場合、肉体フィジカル面が優れた方に勝利の女神が微笑みやすいというのは、揺るぎない事実である。


 ゆえに持たざる者は、

 技巧を凝らす。


 あるいは速度を伸ばす。

 もしくは戦略を練る。

 そして心を研ぐ。


 そうやって足りないものを補うことも、武の道だとは理解しているものの、やはり大きく、逞しく、雌々めめしい、理想的な肉体美に憧れる気持ちは、どうにも心のうちから消しきれない。


 しかもそうした天与の才を、誇るわけでもなく、それどころか雄々おおしくも男物の和装で覆い汚す目の前の鬼人オーガンは、そういった点でもミルクトの感性とは相容れない、天敵であった。


(絶対に、ぶっ飛ばしてやりますの!)


 沸騰する心の荒波と呼応するように。


 止まらない戦斧の乱舞が、

 加速していく。


 ときに刃先で激しく。

 ときに石突で苛烈に。

 

 ときには旋回運動を利用した、

 蹴り技まで加えて。


 荒れ狂う嵐のように、見習い騎士は息つく暇も与えず次々と連撃を繰り出し続ける。


 それは一種の、舞踊のようですらあった。


 荒れ狂う少女の内心とは裏腹に、それほどまでに練り上げられた、流麗な武技であった。


 可能とするのは修練と、血肉と、才能であった。


 本人は己の肉体の不適性を嘆いているが、他者からすればそれを圧倒するほどの、感嘆すべき武才である。


「うわあああ! ミルちゃん、すごい! すごいね!」


「ああ……アタイも、最近はちゃんと訓練の様子を見てやれていなかったが……こりゃ、たまげたねえ」


「ははっ。そりゃミルのやつ、母上の度肝を抜いてやるんだって、息巻いていたからね〜」


「いやはや、この歳で熱血に付き合わされる身にもなってくださいよ〜」


「そんにゃこと言って、アンタが一番ノリノリだったのにゃ〜」


 そんな身内の会話が、強化魔法を受けた聴覚に、風切り音に混ざって入り込んでくる。


 恥ずかしい。誇らしい。

 無視したい。でも嬉しい。


 そんな相反する感情は、結果として、

 思春期の少女の新たな活力となった。


(お父様! お母様! 姉上! 皆様! ご覧ください! ミルは、こんなにも強い女ですのよ!)


 息継ぎの間すら惜しんだ、旋風乱舞。

 苦しいはずの顔には、笑みすら浮かんでる。


「……ほう」


 そんな少女の健闘に、またひとつ、感心の吐息が漏れた。

 

 耳に馴染まぬ男の声を、

 鋭敏化した獣人の耳朶が拾う。


「いやさ、お見事。自身の未熟を知り、それを活かす手立てを講じる。言うは易し、行うは難し。アレックス殿は、良きご息女に恵まれなさったようだ」


 そのように評したのは、意外なことに。

 相手側である、般若面の大男であった。


 嘘偽りを感じさせない率直な称賛に、ミルクトの父親である、アレックスが応えた。


「い、いや、そんなこと……僕は何も、していませんよ」


 言葉とは裏腹に声音には、

 肉親としての喜びが滲んでいる。


「あるとすればミルちゃん自身の努力や、ブルちゃんや、騎士団の皆さんのご指導の賜物です」


「そんなことはないさ、アレク。オレサマは母親として娘を厳しく躾けることはできても、優しく育てることなんてできやしない。その上姉妹どもに散々ともみくちゃにされたミルが、曲がりなりにも腐らずああやって育ったのは、間違いなくアンタのおかげだよ。なっ?」


「そうですよ父上。父上がいなければ間違いなくオレたち姉妹一同、母上の圧に耐えかねてこの家から逃げ出しております」


「よしトルクトはどうやら母の愛に飢えているようだね。しゃーない、明日の騎士団の特訓には、久々にオレサマも参加してやろう」


「……おいいいトルクト、ふざけんな、あたしらを巻き込むんじゃないよ!」


「……とりあえず、ポーションの在庫を確認しとくにゃ」


 そうしたミルクトの心を鼓舞する、

 外野の歓声を縫うようにして――


 ぬらり、と。


「……でもまあ」

 

 あたかも、地を這う蛇のように。

 

 ミルクトの耳に滑り込んでくる、

 不穏な呟きがあった。

 

「今回は、相手が悪かったっスね」


 直後に、少女の視界が暗転する。




【作者の呟き】


 兄弟姉妹の下って、上を見て育ちますよね。

 

 ちなみに作者のリアル妹は、兄を反面教師として、非常にしっかりとした頼り甲斐のある性格に育ってくれました(涙)。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る