第3章 別れは突然だし、それでも諦めたくないし、私はいったい誰なの?

第9話 私は嫌いになんてならないよ、

 走る、転がるように。宵がかった町の中を。


「はぁっ、はっ、うう……っ!」


 遠ざかる、去り際の恋人の寂しそうな顔を振り切って。


「私は……っ」


 頭を横に振る、こびりついた事実を否定するために。


「私は」


 膝に手をつく、こんな時に限って電車は行ったばかり。考える時間が降って来て。

 私は、駅のベンチに座り込んだ。


「――私は、知ってた」


 それはアリーちゃんの出身を聞いた時。彼女が異世界から来たと、魔法を使ったと聞いた時に、思ったこと。「知ってた」と、確かにそう思った。


「――私の中に、アリーちゃんの知らない声が」


 〈念話〉をしてきたのかとも思ったけど、〈念話〉とははっきり違う。記憶、自分の中のアリーちゃんの声の記憶が蘇ってきて、脳裏に響いたような感覚だった。

 喉がからい、足と脇腹が痛くて、私は首元を触る。


「ねえアリーちゃん。私、アリーちゃんに会ったことがあるのかな」


 昔、アリーちゃんに会ったことがあるとしたら、それが示すのはひとつ。


「私は、異世界出身だったの……?」


 そんな訳がないと、頭を抱える。でも、じゃあなんでアリーちゃんを「知っていた」と思った?私の中の、身に覚えのないアリーちゃんの声の記憶は?

 焦る、焦る。これは、きっと、知らなきゃいけないことだ。思い出さなきゃいけないこと。


「ごめんね、アリーちゃん」


 お母さんの電話、急用なんて嘘。私は自分が怖くなって、逃げてきてしまったんだ。

 本当はもっと、おうちデートを楽しみたかったのに。


「……いおちゃん、私どうしたらいいかな」


 一番頼れる幼馴染の名前を呼んでみるけど、さすがのいおちゃんも「私って異世界出身かも」なんて冗談だと思うだろう。それに冷静になれば、そんなはずはないんだ。だって私はお母さんの子どもで、日本で生まれて、小学生のころいおちゃんと出会って、それで……。

 。小学生までの、記憶。


「ち、小さいころの記憶だから、曖昧になってるだけだって」


 不安と焦燥に駆られ、私は自分の腕の中でそう呟いた。そうだ、そう、過敏になってしまっているだけだ。ほら、思い出せば小さかったころの思い出だって。


「……はは。なんでだろ。いおちゃんと出会ってからの記憶しかない」


 電車がホームに着いた音が聞こえて、とてもそんな気分じゃなかったのに身体が勝手に動いた。気が付くと私はつり革につかまって電車に揺られていて。 

 ふと隣に目を向けると、七高の生徒二人が談笑している。リュックの外ポケットには私も使っている制汗剤が入っていて。……そうだ。

 じゃあ、は?あれは何?

 私の寝ぼけた妄想?でも私、SFとかあまり興味ないし、プラネタリウムは好きだけど全然知識もないし。そんな妄想、するとも思えない。

 あの紙は?私の記憶は?私は、ねえ、私って。


「あ」


 ぐるぐる回る思考のせいで感覚的にはその場に立ち尽くしていたのに、私の身体は私を家まで運んでいたようだ。半ば自動的に手を洗って、部屋に戻って、荷物を置く自分が居る。俯瞰して見ているみたいに。

 そのままベッドに入って眠ってしまいたいと、そう思った私の目に、机の上のくしゃくしゃな紙が、見えて。怖くなって、無理に首を動かして視線を外す。そうだ、わいたんにただいまを言わなくちゃ。


「ただいま、サポートボット――って、なんだっけ」


 え?


「今、私……何を?」


 カーテンの奥から差し込んでくる、闇が絡まった茜の光の中、私はただ立っていることしか出来なかった。

 自分の口から出た言葉の意味すら、分からずに。



※※※



 目が覚めてから、自分が寝ていたと知った。


「あれ……?」


 暗闇の中手をまさぐって、半ば無意識にそれを探す――あった、スマホ。


「連絡、来た気がしたんだけど」


 寝起きのふにゃ声で呟いた私は、私の目を覚まさせた原因である通知音を吐いたスマホを覚束ない手で操作する。操作しながら、ベッドの上じゃなくて床で寝ていたと気づいたけど、今は良い――いや、良くないかも。

 首いたい!喉がさがさ!5月といえどちょっと冷える!

 というか服着替えてないし、お風呂もご飯もまだ?時間は……って、深夜3時!?


「こんな時間に連絡って……」


 情報量の多さにめまいがする。でも、起きちゃったんだから、とりあえず連絡を見よう。

 ――メッセージアプリを開いた瞬間、私は息が出来なくなった。


「う、そ」


 差出人、アリーちゃん。

 内容。


『めぐるさま。今までありがとうございました。短い間でしたが、恋人になれて幸せでした』


 そこには、いつものアリーちゃんの明るさとはかけ離れた氷のような冷たさの文章があって。なんて、なんて書いてる?めぐるさま?うん、そうだよ。

 え、ありがとうございましたって、私何かしたっけ?おうちデート、途中で帰っちゃったのに?短い間?おうちデートの話?恋人になれてって……だって、嘘だよ。やだよ。

 アリーちゃん。


「そんな」


 震える手で、焦点の合わない目で、私はかろうじて『私なにかしちゃったかな』と返信するけど、「既読」になるだけ。アリーちゃんがメッセージを送って来たのが5分前とかだから、今ならまだ。

 待っても、返事が来なくて。

 いつの間にか30分経ってて。

 指が勝手に、通話を押してて。


「……なんで、出てくれないの」


 通話には出てくれない。『大丈夫?何かあった?』には「既読」がつく。

 おかしい、おかしいよだって、私、私たち、半日前にはあんなに。


「あれ……」


 頬がくすぐったくて、指で掻いてみてはじめて、私は自分が泣いていると知った。


「嘘」


 涙が止めどなく溢れて来る。感情よりも、言葉よりも、理性よりも衝動よりも、正直な私の涙。

 私が私の気持ちを、アリーちゃんの言葉を理解するよりも前に、ぽろぽろと、頬を叩く涙。


「わた、わたし……やだよ、なんでこんな、急に。アリーちゃん……」


 突然、それも深夜3時にを告げられて――私はそれをようやく理解して――混乱する。どうして、の四文字が、アリーちゃん、の六文字と頭の中でせめぎあって、喉が、胸が痛い。

 だって、アリーちゃん、私に好きって、言ってくれて。一緒に、「ここではないどこか」に行こうって。そう言ってくれて。


「……ああ、そっか」


 連絡しても返事がないそれが、次第に拒絶に見えて、私はようやく悟った。

 最初は友だちになりたかった。話せて楽しくて。告白されて、びっくりしたけど嬉しくて、つい「はい」と言ってしまった。アリーちゃんの好きなところを言葉にして、私がアリーちゃんのこと沢山好きなんだって自分でも気づけた。初めてのデート、おうちデートもして――キスも、して。

 アリーちゃんのぬくもりをしって、まつ毛の長さをしって、頬の熱さをしって、指の形をしって、声の色をしって。髪の柔らかさをしって。

 もう私にとって、アリーちゃんはかけがえのない大切な恋人になっていたんだ。

 出会ってから1か月。関わった時間は短いけど、もっと知りたい。話したい。これから、沢山の素敵な時間が待ってるって、思っていて。


「アリーちゃん」


 スマホを持つ力も出ない私は、脳裏に浮かぶアリーちゃんの声を初めて痛いと思ったんだ。



 結局その後、何かをする気力も起きず、私は床の上で半日を過ごした。正直時間の経過を覚えていない。トイレにも行ってないしご飯も昨日のお昼から食べてないし。

 それでも人間の身体は嫌味なもので、さっきからトイレに行けと訴えて来る。うるさい、と気まずさを覚えつつ、身体を起こす。

 そうすると、否応なくテーブルのくしゃくしゃの紙が目に入って来て、思わず視線を外そうとした私は、「えっ」固まってしまった。


「Y37……って、何?増えてる……?」


 「星間文明同盟」の下に、震えた文字で「Y37」と書いてあって。

 それが、ひどく、重たく見えて。


「うっ」


 突然襲ってきた吐き気に衝き動かされて、私はトイレに駆け込んだ。幸い嘔吐はしなかったけど、私を動かしたのはアリーちゃんでも自分でもなく、その「Y37」だった。

 何、なんなの?ほんとに、私は、今は――!!


「……待って」


 今は自分のことどころじゃないのに、と髪を振り乱した私は、ある可能性に思い至った。


「アリーちゃん、襲撃って言ってた」


 それは初デートの時。席取りに〈認識阻害〉の魔法を使って、その時に言っていた。


『一応、〈認識阻害〉の魔法を使っておきますわ。これで襲撃に合うこともないでしょう』


「あの時は気にしてなかったけど、もしかしてアリーちゃんの身になにかあったんじゃ」


 アリーちゃんは異世界から来たお姫様。何の目的でこの世界に来たのかは分からないけど、もし、もし異世界のことで問題に巻き込まれて、それで私を遠ざけようとしてくれているなら。

 ――もし、もう二度とアリーちゃんと会えなくなってしまったら。


「――ッ!!やだ、やだよそんなのっ」


 私は弾かれるように部屋を飛び出した。そのまま家も出ようと思ったけど、さすがにと思って顔だけは洗った。服も簡単に着替えた。水を一杯飲んで、着の身着のままというにはちょっとさっぱりした格好で、私は駆けだす。

 そうだ、きっとそうに違いない。あれは、アリーちゃんからのSOSなんだ。

 だって、アリーちゃんが。


『めぐるさま。お慕いしていますわ』


「私に好きって言ってくれたアリーちゃんが、何の理由もなしにいきなりお別れなんて言うはずがないよ!」


 半分確信、半分希望。

 それでもいい。何かあってからじゃ、遅いから。

 それにもし私が何かしてしまったなら、せめて謝りたいから。何をしてしまったのかさえ、私には分からないのは、嫌だ。


「アリーちゃん……!!」


 私は、昨日無意識に帰って来た道のりを逆走して、大切な恋人の家へと走った。電車の中がもどかしくて、何度か連絡しても繋がらないのがさらに心配にさせる。もう「既読」もつかないし。

 第一、本当に何か起きていたら家に居る保証もないけど、でも。


「何もしないのは嫌だから……!!」


 だから私は、全力で走った。

 走って。

 それで――



※※※



 走ってばかりだな、と苦笑を零したのは緊張を誤魔化すため。まさか恋人――うん、恋人の家に二日連続で、しかもこんな形で来ることになるとは思わなかった。

 玄関の前に立って、どうしようか迷う。大声でアリーちゃんの名前を呼ぶという選択肢が最初に来て、我ながら参ってるな、と思った。

 いや、普通にインターホンで……お願い、無事でいて。


「……っ」


 いやに大きく聞こえた呼び鈴の音の後に来た静寂が、数分にも感じられて。

 実際には数秒のその時間が経ってから、扉はあっけないほどに簡単に開かれた。中にいたのは。


「アリーちゃん……?アリーちゃんっ!?」


 いつもふわふわな金髪がくしゃくしゃにほつれていて、目の下にはくまが出来ていて。腕には赤い引っかき傷が、服も乱れてぼろぼろだった。

 ――何が、何があったの!?


「アリーちゃん、大丈夫!?アリーちゃ――」


 私は慌てて駆け寄って、アリーちゃんの身体を抱きしめようと手を伸ばして。


「えっ」


 その手を絡め取られ、気が付くと玄関に押し倒されていた。

 がちゃん、と一人でに閉まったドア。世界の音が遠ざかって、私とアリーちゃんの二人だけの玄関で。

 アリーちゃんの髪が私の顔の横に垂れて落ちて、私にまたがるアリーちゃんの顔がよく見える。悲痛に顔を歪めて、唇を噛み締めたまま私を見るアリーちゃんが。


「……あ、アリーちゃん?えっと、か、肩がね、あの、ちょっと痛いなって……」


 アリーちゃんは左手で私の肩を抑え、そのせいで身じろぎも出来ない。

 右手をその顔の前で、おもむろに構え、私をきつく見つめていて。


「……めぐるさま」


 聞いたこともないような、低い声。


「アリー、ちゃん?」


 既に私は確信していた。ああ、あったんだって。

 でもそれが何か、私には少しの見当も、つかなくて。


「……うぅ」


 喉の奥からうめくような声を零したアリーちゃんは、ぐっ、と右手に力を籠める。するとそれに連動して、薬指にはめられた指輪から、ぼう、と光が散った。

 ああ、そういえば指輪の力で魔法を使ってるとか言ってたっけ。


「わた、くしは」


 私、アリーちゃんの魔法が好き。もっと見たいと思った。

 ねえ、アリーちゃん。どうして……どうして、そんなに。


「――貴女を」


 指輪から散った黄金色の光がアリーちゃんの顔を照らす。

 はっきり見えたその表情の歪みの理由は、けれど、見なくても分かった。

 だって。


「……ッ!」


 だってさっきから、私のほっぺにさ、アリーちゃん。

 涙が、落ちてるんだ……私の大切な、恋人の。


「わたくしはッ!!」


 アリーちゃんは魔法の光で右手にナイフのようなものを形成する。

 ぷるぷると震える手で、それをなんとか構えようとして。

 ――だから、私は。


「……えっ」


 溢れる彼女の涙を、そっと拭って、微笑んだ。


「――ッ!!」


 アリーちゃんと目があって、次の瞬間、アリーちゃんは私から勢いよく身体を離すと、転がるように玄関の外へ飛び出してしまった。靴も履かず、乱れた格好のまま。

 私は痛む肩をさすりながら、ほとんど反射的にその後を追った。


「はっ、はっ……!アリーちゃん……っ!!」


 私の顔を見た時、ほんの少しだけいつものアリーちゃんみたいな表情になった。だから、聞かなきゃと思う。アリーちゃんの言葉を。

 叶うなら、私がその雨をしのぐ傘に――ううん。

 一緒に雨が止むのを、待ちたいから。


「アリーちゃん……!!」


 アリーちゃんが飛び出してからすぐに追いかけたから、遠くにその背中が見えた。今ならまだ追いつけると思うけど、ここに来るまでにも走って疲れてるし。何より昨日のお昼から何も食べてない。

 でも、そんなの!!


「待ってっ!アリーちゃん!」


 私は今ほど強く、魔法が使えたらと思ったことはない。そしたらアリーちゃんの元に、まっすぐ飛んでいけるのに。

 でも私は魔法なんて使えないただの女子高生だから、だから!


「うううう……!!!」


 全力で、なりふり構わず走るだけ!!

 それが功を奏したのか、数分の追いかけっこの末、私はとうとうアリーちゃんに追いついて、その手を掴むことが出来た。


「アリーちゃんっ!」


 こちらに背を向けて一心不乱に走っていたアリーちゃんは、私に手を握られて、ばっ、と振り返った。その顔には、混じりけなしの驚愕の色が浮かんでいる。


「はぁ、はぁ……そ、そんな――魔法を、使っていたのに」

「はーっ、ふっ、はぁっ……!だって、私っ、アリーちゃ……んの、言葉が、聞きたかったから」


 汗だくで、疲れに引きつっているかもしれないけど、でも、今の私に出来る精一杯の笑顔で、私はアリーちゃんを覗いた。

 びくっ、と跳ねたアリーちゃんは、けれど今度は逃げようとせず、その場に座り込んでしまう。歩道とは言え、道の真ん中だ。


「……アリーちゃん、少し歩ける?」

「……ええ」


 私はアリーちゃんの手を引き、静かに話せそうな場所を探した。

 少し歩いた先の高架下がいいかな。車通りも少ないし、ゆっくり話も出来そうだし。


「ここでいい?」

「……分かりました。念のため、〈認識阻害〉をかけておきます」

「あ、ありがとう」


 まだ冷たい声のまま、アリーちゃんが先にフェンスの前に腰かける。私も、その隣に座った。

 昨日のお昼ごろまでだったら、肩がくっつくくらいの距離感だっただろうな。

 今は、一人分、空けて。


「……何があったか、話してくれる?」


 私の言葉に返事はなかったけど、少ししてから小さく声が聞こえて来て、それが返事の代わりだった。


「――めぐるさま。前にもお話したと思います。わたくしが、ある目的のためにこの世界に来たと」

「……うん」

「単刀直入に言いますわ。わたくしの目的は、ある人物を――殺めることです」

「……っ!?」


 アリーちゃんの口から、そんな言葉を聞くことになるなんて思ってもいなくて、思わずアリーちゃんを振り向く。けれどアリーちゃんは俯いていて、視線が合わないまま話が進む。


「わたくし〈精霊姫〉は、〈未来予知〉という特別な力を持っています。わたくしの意志に関わらず、時折未来の予知をもたらす力です。先々代の王が重用していた騎士にも似た力があったとされていますが、いえ、こんな話ではなく……」

「……アリーちゃん。落ち着いて、ゆっくりでいいからね」

「――ありがとう、ございます。そうですね……この世界に来た直接のきっかけは、わたくしが〈未来予知〉で王国が、世界が、ある一人の少女によって滅ぼされるという未来を見たことです。予知によると、その少女は〈曇天の乙女〉という存在」


 私は何も言えなかった。

 アリーちゃんが背負っているものの大きさを、重さを何も知らないまま。一緒に歩きたいなんて、言ってしまったことを思い出して。

 ただ、強く拳を握って、「続けて」と先を促す。

 だってそれは、世界の命運なんて、アリーちゃん一人が背負うにはあまりにも。


「〈曇天の乙女〉はここ、七渡星ななとせ高校に居ると予知は告げていました。だから、わたくしはこの町に来た。〈異界渡り〉という、異なる世界を渡る魔法を使って。予知は絶対。だから、〈精霊姫〉の責務として、〈曇天の乙女〉を――殺すために」


 そうすれば危機を取り除くことが出来る、とアリーちゃんは吐き捨てるように口にした。


「……ねえ、それって。その、〈曇天の〉……〈乙女〉って、その。七高生って、こと?」


 自分で口にしてもとんでもないことのように思えるけど、でもアリーちゃんの話を聞いたら。絶対の〈未来予知〉が、七高に〈曇天の乙女〉が居ると告げた。それって、つまり。

 私の問いかけにアリーちゃんは「身に覚えがありませんか」と乾いた笑いと共に零しながら、こちらを見た。髪を払って露わになった顔には、複雑な表情が浮かんでいて。


「目的、そう、目的ですわ。ねえ、めぐるさま――わたくしは、この世界に、来た……らしいですわね」

「――えっ?」


 言われた事が、理解出来なくて。

 深夜3時のあのメッセージは、「理解したくない」だった。でもこれは「理解出来ない」だ。だって、だって。

 ――私を、殺すため?


「ちょ、ちょっと。アリーちゃん、ちょっと待って」

「――昨晩、新しい〈未来予知〉を見ましたわ。そこで、〈曇天の乙女〉の顔が告げられた……貴女と全く、同じ顔がです」

「待って、違うの、私、ほんとに何も知らなくて……アリーちゃんの世界を滅ぼすとか、第一そんな、私普通の女子高生だし」

「……そう、なんでしょうね」


 私はただおろおろと否定の言葉を並べることしか出来なかった。

 ――アリーちゃんに言っていないことが、あるから。

 私の脳裏に響いたアリーちゃんの声。知らないはずなのに浮かんだ記憶。

 もし、私が異世界出身で、昔アリーちゃんと会ったことがあるなら。

 ために、この世界に来た、ってこと?


「――違うよ、アリーちゃん」


 いや、違う。だってそれは順序がおかしい。

 もし仮に私が異世界出身なら、わざわざこの世界に来る必要はない。元の世界で事を起こせば。

 でも――アリーちゃんから、〈精霊姫〉から逃げるためだとしたら?

 いや。


「何が、違うんですの?」


 それでも、私は否定する。


「違うよ、だってアリーちゃん。私は普通の女子高生だし。もし、眠ってる力があったとしても――自己紹介で噛んで、恥ずかしいとかやってる女子に世界が滅ぼせると思う?」

「……わたくしの知るめぐるさまは、誰かを傷つけるような方では、ありませんわ」

「でしょ?だから、私が〈曇天の乙女〉だなんて――」

「ですが、わたくしの知る限り、〈未来予知〉が外れたことは、ありません」

「――っ」


 いやいやをするみたいに首を横に振ったアリーちゃん。その声には確かな拒絶があった。


「認めたくありませんわ。わたくしは、こんな未来」


 ああ、そうか。

 アリーちゃんはそれであの連絡を。こんなに憔悴しているのも、私が〈曇天の乙女〉だって知ったから、なんだ。

 よく似てる顔、とかきっとそういう話じゃないんだろう。全く同じ顔――双子だって少しは違うだろうから。って、違う。

 そうじゃなくて、そこじゃなくて。


「ねえアリーちゃん」


 私は、迷ったけどアリーちゃんの肩に手を伸ばした。びくっ、と跳ねたけど、拒絶されなくて。そのままそっと、抱き寄せた。

 ああお互い昨日からぼろぼろだね、アリーちゃん。


「よく聞いてね」

「……めぐるさま」

「私、アリーちゃんが好き。夜中に連絡を貰って改めて実感したんだ。恋人として、もっと一緒に時間を過ごしたい」

「でも」

「もし、アリーちゃんが〈未来予知〉を否定出来ないならね――否定するよ」

「めぐるさま?」

「きっと〈精霊姫〉として色んな、辛い経験も沢山したんだと思う。その、当事者の私が言うのもなんだけど……私はアリーちゃんのことを絶対に傷つけないし、何があっても嫌いになんてならないから。だから、そんな未来――私が、否定する。アリーちゃんが出来なくても、私が」

「――っ!!」


 ゆっくりと身体を離して、私はちゃんとアリーちゃんの目を見て、もう一度口にした。


「約束する。誓うよ。私は、アリーちゃんの味方だから」

「……めぐる、さまっ。わたくし、わたくし……!そんなはずはないと、信じたくないと思っても――〈未来予知〉を否定できませんでした。めぐるさまとお話もせずに、さっき、わたくし、めぐるさまを……!」

「――うん」

「良い、のでしょうか」

「良いって……?」

「〈未来予知〉を否定して。めぐるさまを、信じて」


 その目は、信じたいと。信じさせてと叫んでいた。

 ――でも私は正直、胸がつぶれるくらい不安だった。

 アリーちゃんの記憶。星間文明同盟。サポートボット。Y37。

 私には、きっと何か思い出さなきゃいけないことがある。それが、〈曇天の乙女〉と関係がないとは、断言は……出来ない。

 けど一つだけ確かなことが、あるから。


「言ったでしょ。私、この世界でアリーちゃんと一緒に歩いていきたいって。だから、信じてよ。恋人のこと」

「……です、が」

「――それにさ!」


 私は無理して明るく振る舞って、納得させようとした。

 ほかならぬ、自分を。


「もし私が本当に〈曇天の乙女〉なら、私がこのままアリーちゃんと幸せに過ごせればアリーちゃんの世界を滅ぼす!なんて、するわけないじゃん!ほら、問題解決だよ!」

「――それは。ふふ、めぐるさま、らしいですわ」

「あ、やっと笑ってくれた」

「もう……ふぅ。でも、ええ。一つ、気づきました」


 そう言うと、アリーちゃんはいつもの表情に戻って、自信たっぷりに言ったんだ。


「わたくしは、アリーチェ・フェ・アオスレン。〈精霊姫〉の仮面を演じ続けたわたくしが、恋人の一人も守れないはずがありませんわ」

「アリーちゃん?」

「ええ、そう、そうですわ!めぐるさまが〈曇天の乙女〉だと言うのなら、わたくしが共に生き、あの未来を否定すればよいのですわ!」


 勢いづいたアリーちゃんはめいっぱいのハグをしてきて、ああ、お互い汗だくだなって場違いに思う。


「……だから。だからめぐるさま。どうか、お傍にいさせてくださいまし」

「……それは、私の方こそ。アリーちゃん」


 問題は何も解決していない。

 私の過去も、〈未来予知〉の正しさも、〈精霊姫〉の責務も。

 私たちの関係を続けるべきではないと言っている全部に、でも私もアリーちゃんも、首を横に振ったんだ。だって。


「好き」

「わたくしも――好き、ですわ」


 その気持ちは、どうやったって否定できなかったから。



 この選択が、どんな結末を生もうとも――



※※※



 ――ところ変わって、アリーちゃんの家。


「あの……アリーちゃん?」

「ええ、めぐるさまっ」

「これは……?」

「ふふ、だってわたくしたち、昨日から疲れ切ってちゃんと休めていませんでしたわ!」


 高架下で話してから、「……めぐるさま。一度家に戻りましょう」という言葉に素直に従った私は今、アリーちゃんに背中を洗われている。

 そう、お風呂、一緒に。いやなんで!?

 ま、まあ確かにいろいろあって昨日は入れなかったけど――でも二人一緒って!?


「あ、あの。湯舟のお湯とか」

「心配しないでくださいまし!リネンが準備してくれていますわ」

「……そ、そっか」


 そしてアリーちゃんは、高架下で言葉を交わしてから、昨日よりも三割増しくらいで甘えて来るようになった。それはそれでめっちゃ可愛いし正直破壊力ありすぎて困るんだけど、でも今は!今はね!?

 その、なんというか色々――恥ずかしいでしょ!!!


「――ごめんなさい、めぐるさま。肩、痛かったでしょう」

「それは……気にしなくていいよ。私も、ごめん」

「何がですか?」

「だって、私のせいでアリーちゃんを、傷つけて」


 冷静に会話をすることで何とか平常心を保とうとしているけど、心臓の鼓動だけで数百デシベルくらい行きそうです。


「それは――〈未来予知〉のせいですわ!!見たくもない未来を見せて!」

「あ、アリーちゃん?」

「だからめぐるさまは、気にしないで。いつもの、めぐるさまでいてくださいませ」

「……うん。ありがとう」


 いつもの、私か。

 早く、思い出さなきゃ……それで、に胸を張ってアリーちゃんの隣ん居たいから。


「アリーちゃん、背中洗ってあげる。交代!」


 色々感考えなきゃいけないことは、あるけど。


「ありがとうございます、めぐるさま」


 とりあえず今は、このほんのひと時の温かで安らぐ時間が続けばいいと思ったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る