第8話 大切なもの

「どけ!」

 声と同時、ゴッっと言う、人の殴られた音と共に、俺の上にあった嫌な重みと、気配が消えた。ドサリと人が跳ね飛ばされた音。

「…おい。進士。これはどういう事だ?」

 清が俺の身体を大事そうに抱え起こす。男を殴り倒したのは清だった。

 いつの間にか、コウと湊介もいて。コウは進士の胸倉を掴んでいる。

 それで、この一件は終了となった。



「警察に通報する!」

 そう息巻くコウを何とか抑え込み、俺はその場を取りなした。

「俺、何ともないですし、もう本人、殴られてるし…」

 その後、進士の仲間の男は意識を取り戻して、コウの手によって拘束された。

「けど、このままじゃ収まらない」

 そう口にしたのは清で。その目は怒りに燃えている。

 すっかり項垂れ、ソファに座る進士の右頬は赤く腫れている。コウが殴ったのだ。

 モデルの仕事は当分、休まねばならないだろう。

「俺、事を大きくするつもりはないです。ただ」

 俺は進士へ目を向けると。

「もう、清に迷惑はかけないで下さい。それだけ約束してもらえるなら、今回の事は忘れます…」

 進士はチラとこちらに目を向けたが、直ぐに反らし。

「…分かった」

 俺はその言葉にホッと息をつく。

 その後、仲間の男と進士は皆の前で念書をかかされ拇印をついた。

 二度と清に近づかない事、俺に手を出さないこと。もし、今後同じ事を起こせば、きっちり証拠を揃え警察に突きだす事。

 開放された仲間と共に、進士も外へと出ていく。その背へ向かって清は。

「俺はあんたの事を今後一切忘れる。もう興味がないんだ。どこでどうなっても知らない。二度と思い出さない。…さよならだ」

「……」

 進士は一旦、立ち止まったものの、一度も振り返らず、来た車でそこを後にした。



「はぁ。とにかく、無事で良かった」

 それまで心配そうな視線を投げかけていた湊介が、ホッと肩で息をつく。

 実は俺がコウの家に向かったあと、不審に思った清がコウに連絡を入れたのだった。

 湊介と買い出しに出ていたコウは、途中で清を拾い大急ぎで家へと戻り。

 俺の危機はこうして救われたのだった。

 コウは以前に進士に合鍵を渡してあって、それをすっかり忘れていたらしい。それが今回の悪事に使われたのだ。忘れんなよと、湊介に突っ込まれていたが。

 因みに端末を忘れたのは偶然だったらしい。

 コウは去っていった方向を眺めながら。

「ったく。いつからあんな奴になっちまったのか…」

 すると清は無表情で。

「前からだよ…。冷徹で自分勝手で、自己中心。結局、一番、自分が好きなんだ」

「よく見てんな? ま、それもそうか…」

 そう。僅かでも付き合っていたのだ。冷静な清が気付いていないはずがない。

「さて。少し落ち着いたらもう帰った方がいいだろう。自転車で帰るのか?」

 コウは俺達を振り返る。俺は自転車だったが、清は車できたはず。清はコウに送って貰うだろう。

「俺は自転車で──」

 そう口にすれば。

「一緒に歩いて帰る。行こう」

「いいのか? 時間かかるけど…?」

「一人で帰らせたくない。じゃあ、俺らこれで」

 清はさっさと俺の乗ってきた自転車のロックを外し、出ていこうとする。俺も慌ててその後に続いた。

「じゃあ、また!」

「ああ、今日の事は本当に済まなかった! 

気をつけて帰れよ!」

 コウは湊介と共に、俺達の姿が見えなくなるまでそこで見送ってくれた。


「なんか、疲れたな…」

 俺は全て終わってどっと疲れが襲って来たのを感んじた。

 清は横目で俺を見ながら。

「襲われたんだし。当然だよ」

 すると、清は突然、そこに立ち止まった。

 丁度沈みかけた太陽が、辺りをオレンジ色に染め始めている。清の顔もオレンジに染まって見えた。

「清?」

「すばる。怖かったろ? 俺だって怖かったってのに。しかも、見知らぬ奴にって…。もう、あんな目にすばるを合わせない。合わせたくない…」

 俺は笑って見せると。

「俺、あんま深く考えないのが取り柄なんだ。今日の事も、さ。だから──」

 俺はすばると向き合うようにきちんと立つと。

「お前が気に病むな。これは俺の出来事だ。それに、あんな奴がしたことで、お前に暗くなって欲しくない。俺は笑ってる清が大好きだ」

「すばる…」

「な。帰り、小腹になんか入れとこうぜ? 駅前のコロッケ食いたい! あと、隣のたい焼きも!」

 そんな俺に清は苦笑する。

「うん。分かった…。そうしよう」

 それから、清は見たことがない位、優しい眼差しで俺を終始見つめていた。

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