第2話 隠れ家

 次の日の朝。

 取りあえず気を取り直して、何時ものように清を玄関先に迎えに行ったのだが、体調が良くないから今日は学校を休む、そう#清__せい__#の母親、サチさんから伝えられた。我が儘な子でごめんね、と。

 ショートヘアの日焼けした小柄な清のお母さんだ。清と似ているのは、口元位だろうか? サチさんは、息子は亡くなった主人似なのだと笑って話してくれた事があった。

 清の父親は、清が六歳の頃、海の事故で亡くなった。サーフィンが好きで良く波乗りに行っていて。

 その日は風が強く海は荒れていて。波に乗る予定ではなかったのだけれど、たまたま通りかかった際、サーフィンに出た若者が流され。

 若者は助かったけれど、清の父親は戻って来なかった。

 そんなサチさんは、女手ひとつで清を育て上げ。仕事は写真家。今は結婚式やその他お祝い事での撮影が多いらしいが、本来は風景写真家で、主に海を撮っている。

 ご主人を奪った海なのだけれど、それはそれらしい。

 家族ぐるみで仲が良かったから、清の父親代わりに、俺の父親が二人分、その役をこなした事もあった。

 俺も一人っ子で片時も離れず、そばにいたから、互いに寂しい思いをすることもなく。清は、そんな環境で育ってきた。

 元々身体が弱いと言う印象が強いせいか、突然学校を休んでも、誰も気にしなかった。けれど、俺は朝、顔を見なかっただけで心配になり。

 あんな事があったとは言え、気になるものは気になる。何せ、療養時以外、一日たりと離れた事がなかったのだ。

 昨日の行為を問いただす以前に、その無事だけでも確認しておきたい。

 泣いて飛び出していった清の背中が思い起こされる。

 まるで、二度と戻って来ない様に思えた。



 学校帰り。まんじりともせず、一日を終えて。いささか緊張しながらも、離れの部屋へ直行したが、その姿が見えない。

 それをサチさんに伝えると、叔父の家、サチさんの弟の家に行っているのだと告げられた。暫く学校も休むと。

「体調が悪い訳じゃないのよ? ただ、ちょっと考えたい事があるみたいで…。だから、病気の心配はしないでね?」

「…なら、良かったです」

 病気なら治れば会える。けど、理由がそれじゃあ、次いつ会えるのか分からない。俺がすっかり肩を落としているのを見て。

「うちの弟ね、ちょっと変わってて。もし、清に会いに行くなら場所教えるけど…。会っても驚かないでね?」

 そう言って屈託なく笑って見せた。


 ちょっと変わってるって、何だろう?


 清がいなくなって、一週間後の土曜日。

 俺はいても立ってもいられず、サチさんから聞いた住所を訪ねていた。

 そこは海沿いの小高い丘の上。木立に囲まれた、ちょっと他とは違う雰囲気の漂う家だった。

 サチさんから、先に電話で連絡を入れて置いたからと言われ、少し緊張しながらもその玄関先へと立った。

 和洋館、とでも言うのだろうか。

 板張りの薄いブルーに塗られた壁。玄関扉には海と太陽を型どったステンドグラスがはめられていた。

 横にインターホンを見つけ、一度、コホンと喉を鳴らしてから、そのボタンを押そうとして。

「すばる──」

 背後から聞きなれた声音。弾かれる様に振り返ると、清より更に長身の大人の男の傍らに、会いたかった顔があった。

 会わなくなる前と比べて、少し痩せた気がする。


 気のせいならいいけど──。

 

 取り敢えず、無事な姿を見られてホッとする。

「…清」

 けれど、なんと言っていいのか。その後の言葉が続かなくて、掌を握りしめた。

「君、あれか? サチから連絡のあった?」

「あ、はい・・・っ、#鴇乃__ときの__#すばる、です・・・」

 これが、例のちょっと変わったと言う弟さんか。サチ叔母さんから聞いた名前は、#嶌木__しまき__#コウ。年は38歳と聞いた。

 日に焼けた肌に、色を抜いた金髪に近い、長めの髪を緩く後ろで結わえている。出で立ちは胸元を広く開けた、白い麻シャツに、同じく麻のハーフパンツ姿。足元は革のサンダルだ。

 見た目は確かにその辺の会社勤めの人間とは違ってかなりラフだが、言うほど変わってはいない気がする。

「へぇ。なんっか、キラッキラッしてるね? 君──」

「へ?」

 ズイと叔父のコウが顔を近付けてくる。涼やかな目付きが、清と似ている気がした。もう少し大人になれば、きっと清もこんな感じになるのだろうか? 勿論、顔つきだけだが。

 清が緩いシャツにハーフパンツ姿は想像できない。コウの大きな手が俺の頬に触れるか触れないかと言う所で。

「これは、清が放っておかないのも、頷ける──、って! なんだよ? 足踏むなよ…」

「余計な事、言うな。それに、気安く触んなよ…」

 清の表情が、更に険しくなった。

「ああ、そっか。ケンカの原因、それだもんね? 思い余ってつい手ぇ出しちゃったヤツ──ってぇな! っとに、叔父をもっと優しく扱え」

「……」

 清はコウをいなした後、じとっと俺を睨み付けてきた。

「何で、来たんだよ?」

「何でって…。そりゃ、心配で…」


 会いたくて。顔が見たくて。


 しかし、清はついと目を反らすと。

「俺が…何したか、分かってんだろ? …どういうつもりでここに来たんだよ?」 

「…どうって。いきなりいなくなれば、心配になるだろ? もう、一週間、連絡もなくて…」

 清は深々と溜め息を吐き出すと。

「俺がお前に何しようとしたか、分かってるんだろ?」

「それは──分かってる…」

「いいや。分かってない。俺はお前を無理やりヤろうとしたんだ。自分になにされそうになったのか、分かってんなら、会いになんて来れるわけないだろ?」

 それはそうだろう。一般的には。でも、俺はちっとも嫌じゃなかった。いや、これだと語弊があるのか。

 された行為には驚いたけれど、嫌悪感とか恐怖とか。そう言ったものは感じなかったのだ。それよりも、何よりも、清が隣からいなくなるのが怖い。

「…俺」

 何とか気持ちを言葉にしようとするが、うまく出てこない。すると叔父のコウが、パンパンと手を叩き。

「取りあえず、一時休戦。こんなとこで話さないで、中行こ。コーヒー淹れるからさ」

 にっと人懐こい笑みを浮かべたコウが、俺と清の背中を押して、家の中へと促した。


 コウがコーヒーミルで豆を挽く。コーヒーのいい香りが部屋に漂い、それだけであれば、幸せになれるはずの香りだった。けれど、清との間の空気は重い。

「すばる君、だっけ? 今日はどうすんの? 明日、休みでしょ。泊まってけば?」

「はぁ?! 何、言ってんだよ?」

 俺が答える前に、清が声をあげた。コウは肩をすくめると。

「だってもう、十五時過ぎだし。これからお茶してお話しすれば、もう夕方だよ? ここ、交通の弁良くないし。すばる君、バスできたの?」

「えっと…、はい!」

 確か行きのバスの本数は少なかったが。

「そのバス、帰りの便もうないから」

 ヘラリとコウが笑って見せる。俺は驚いてキッチンに立つコウに目を向けた。

「って、まだ15時なのに?」

「そ。ここ環境はいいんだけどねぇ。車ないとやってけないのよ」

「コウが送って行けばいいだろ?」

 清は苦虫を噛み潰したような渋面つくる。

「やだよう。お酒、飲みたいし。#湊介__そうすけ__#も来るって言ってたし。アキとマナも来るって言ってたな?」

「ほとんど毎日、来てるんじゃないか」

 清はソファの上で足を組み直し、嫌そうに眉をひそめる。すると、コウはフンと鼻息を荒くして。

「ここは、俺ん家。清はイソウロウ。了解?」

「…かってる」

 ジロリとコウノを睨み返すと、ため息を吐き出し。

「そう言う事だから。…俺が叔母さんに連絡しとく」

「え? いいよ! 俺が自分で──」

「お前話すとややこしくなりそうだし。俺がした方が早い」

 確かに。何故か信頼度は息子の俺より、清の方が高い。俺が説明より、清の話を信用するだろう。

「…わかった。よろしく」

 清はチラリと俺を見やったあと、廊下に出て俺の母親へ電話をかけた。

 コウはコーヒーを人数分テーブルにおき、その背を見送ったあと、ソファに腰かけ顎に手をあて肘をつく。

 俺はコーヒーにミルクだけ足して、口へと運んだ。

「清は君に手を出したって落ち込んでたけど、どこまでされたの?」

「?!」

 ぶっとコーヒーを吹き出しそうになって、慌てて飲み込みむせ返る。

「アハハ! かわいい反応だねぇ? キスくらい? それとももうちょっと?」


 え、遠慮はないのか?


 俺は口元を手の甲で拭いながら。

「キス…だけで、後は…」

 腹辺りを撫でられた気もしたけれど、言うほどの事ではない。

「ふうん…。清って結構奥手だけど、好きになるととことん、好きになるからねぇ。前も付き合ってた奴とは──」

 と、んんっ! と咳払いが聞こえた。見ればいつの間にか清が戻ってきていて、腕組みしてコウを睨み付けている。

「コウ叔父さん。余計な事、すばるに言うなよ…」

「ハイハイ。ちょっと世間話してただけだって」

「人の恋愛話が世間話かよ。コーヒー持ってあっち行ってろよ」

「ったく。いったいいつからこんな態度デカイ奴になっちまったんだ? 邪魔者はあっちで仕事でもしてるよ」

 コーヒーを手にリビングからダイニングテーブルに移って、こちらに背を向け置いてあったパソコンに向かう。

 それを見てから、清はおもむろに俺に目を向けると。

「…で? どうしたいって?」

 改めて清と向かい合うと緊張する。けれど、今伝えなければきっとこのまま、離れて行く事になる。

 それだけは絶対回避したかった。俺は腹を決めて、清の眼差しを正面から受け止めると。

「…俺。嫌じゃない」

 言ってから、じっと清を見返した。

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