命で買う復讐。

米酔うび

前編 少女と悪意

 コンビニ袋を片手に、黒髪ロングの美少女が新宿の繁華街を歩いていた。


 彼女が足を止めたのは――学生が遊びで来るには場違いすぎる、ボロボロの廃ビルだった。ひび割れた壁、鼻をつくゴミのにおい。そんな通路を進み、彼女は階段を上がっていく。二階。扉の前で立ち止まった美少女は、静かに取っ手を回した。


 ――カラン。喫茶店マルココと書かれた看板が、そこには掛かっていた。


 月明かりに浮かび上がったのは、一人の女性。彼女の母親だ。


 陰湿な笑みを浮かべながら、

 まるで待ち構えていたかのように、娘を出迎える。


「ママ、弁当買ってきたよ」


 制服姿の美少女は、木製のテーブルにコンビニ袋を置いた。


 店内は荒れ放題だ。

 食器――おそらく店長の置き土産。肝試しに来た若者が捨てていったゴミの山。

 散乱したそれらが、ここがすでに廃墟だと雄弁に物語っていた。


「あ……ありがとう」


 母親は毛布にくるまり、青白い顔で震えていた。

 娘を守るためとはいえ、夫を殺してしまった苦悩。警察に追われる恐怖――そのすべてが、今にも自ら命を絶ちそうな弱々しい笑顔に表れている。


 美少女の胸は、ぎゅっと締め上げられた。二人は逃亡者だ。


「ママの大好物買ってきたからっ」


 美少女は袋からおにぎり(シーチキン)とお茶を取り出した。

 木のテーブルに並べられた食事は、質素だけれどどこか温かい。


「食べて」


 少し涙ぐみながら、美少女はおにぎりを母親の口元に差し出す。

 母親はぱくりと少し含む。でも、体が無意識に反応して吐き出してしまう。


「ゴホッゴホッごめんなさい……」


 腹の虫が鳴り、体は食事を求めている。

 しかし、意に反して吐き出してしまう――その矛盾に、体は壊れそうだった。


 ショートカットの黒髪には艶がなく、体は矛盾に支配されていた。

 薬物の禁断症状――それが、今の母親を蝕んでいる。


 重圧に耐えきれず、母親は夫が手にしていた薬物に縋ってしまった。

 かつて愛していた夫と同じ末路を拒み、必死に抗ってはいる。


 だが、誰にも助けを求められない状況では薬物と決別することなど、叶わない。共存するしか道はない。そう、美少女は思った。


「もう少しだけ我慢して」

「雨音っどこに行くつもり?」


 母親が美少女の腕を掴んだ。

 しかし、その手には――美少女を止められる力などなかった。


「大丈夫だから」


 美少女は、売人狩りに向かった。

 薬物で禁断症状を抑えなければ――食べても吐き出してしまう。

 薬物に頼る以外の選択肢は美少女にはなかった。




◇◆




 売人が、にやりと笑った。


「ノルマ達成!」


 街灯の光が届かない、ビルの隙間。

 そこで三十代くらいのサラリーマンと売人が、覚醒剤の取引をしていた。


 サラリーマンは顔を引きつらせ、小さく悲鳴をあげる。


「ひっ…!」

「ん? 幻覚でも見てんのか?」


 ガタガタと子鹿のように震えるサラリーマンを、売人は怪訝そうに見た。

 その目を覗き込んだ瞬間――売人は危険を察知する。


 サラリーマンの瞳に映っていたのは、美少女の姿だった。

 バットを振り上げ、狐のお面で顔を隠した美少女が迫る。


「チッ!」


 売人は慌てて懐からドスを抜いた。

 だが――遅かった。

 

「ぐっ」


 バットが売人の頭をぶん殴った。

 ガクン、と膝が折れ、売人は一時的に身動きを取れなくなる。


 子鹿のように震えるその姿を見て、美少女は自分に言い聞かせた。

 倒せる。今なら、倒せる!


「ひ、ひぃいいいいいいいいい」

 サラリーマンが足をもつれさせながら、転げるように逃げていく。

 

「て、てめぇ!」

 額を押さえた売人が怒鳴り、場を支配しようとする。だが、美少女は震える声を押し殺しながらも、一歩も退かなかった。


「くすりくすり」


 外国人風の演技をした美少女は、小さく首をかしげた。

 そして、ぎこちない日本語で薬物を催促する。


「てめぇどこのマフィアだ! 極道なめてんじゃねぇぞっ!」

「がぁ」


 バットが鈍い衝撃と共に、売人のこめかみに直撃した。


 一般人なら戦意を失い、指示通り従っただろう。

 だが、売人は下っ端とはいえ極道――責任とプライドがある。


 売人は美少女の足にしがみつき、ゾンビのように噛みつく。

 脳震盪を起こしているため、赤ん坊と同じ顎の力しか出せなかった。


 それでも、美少女のふくらはぎには薄く歯形が残る。


「はなせっ!」


 美少女は背中や肩を何度も殴りつけ、売人を引き離そうとした。

 ぐちゃり、ボギボギ――売人の体から嫌な音が響く。それでも噛むのをやめない売人に、わずかな恐怖を覚え、美少女の表情がこわばる。


「仮にも石金組いしかねぐみの一員だろ? 小娘にいいように遊ばれやがって」


 高級スーツに身を包んだ男と、二人の下っ端が美少女に迫る。

 男の背後には、先ほど逃げたサラリーマンの姿があった。どうやら彼は、売人の兄貴を呼び寄せる、悪病神やくびょうがみだったらしい。


秋月あきづきさん――ぅ」


 安堵の表情を浮かべたまま、売人は意識を失った。


「コロスヨ」


 美少女はバットを構えて脅迫する。しかし、目の前の秋月は、幾多の死線をくぐり抜けてきたと分かる冷たい空気をまとっていた。


 そんな秋月がひぅとなるわけもなく、かつんかつんと美少女に近づく。


「外人のフリしてんじゃねぇよ」

「……それ以上近づいたら、殺してやるから」


「顔が良ければ会長好みの人形になるな」


 美少女は怪訝けげんそうな表情を浮かべた。

 人形その言葉に、全身の毛が逆立つ。

 意味を知ろうと、オウム返しで問いかけた。


「会長好みの人形?」


 秋月はニコッと微笑むと、狐のお面を蹴り飛ばした。

 お面が宙を舞う。


 美少女の凛々しさと、花のような可憐さを兼ね備えた顔が、露わになる。下っ端は気味の悪い笑みを垣間見せた。


 美少女の本能は、けたたましいサイレンを鳴らす。


「お前は殺さないし風呂ソープにも沈めない。会長の人形として生きろ」

「ふざけるな! 私は誰の物にもならない!」


 美少女は、恐怖心をごまかすようにバットを大きく振りかぶった。

 しかし、その隙の大きい構えは――勝利の芽を自ら摘んでしまう。


 秋月は元警官だ。

 教官を屠ったことがあるほど、秋月は柔道と逮捕術を極めていた。そこに、極道になってから身につけたなんでもありの喧嘩術が加わった。


 その道のプロに、素人の攻撃が通用するはずもない。

 美少女は攻撃する前に腹を殴られ、意識が闇に落ちていった。




◇◆




 秋月は、美少女をプリウスの後部座席に寝かせた。

 そしてハンドルを握り、ネオンの届かない住宅街へ向かう。

 下っ端の二人は――ビルの隙間に置き去りだ。


 そこは、一見すると平穏が漂う高級住宅街。悪人など住んでいないと思わせる空気に包まれていた。だが、少なくとも一人はいた。


 善人の皮をかぶった、ヤミ医者が。

 プリウスは、そのヤミ医者の一軒家の門前に停車する。


 秋月がチャイムを鳴らす。

 秋月に抱きかかえられた美少女を――メイド服姿の女が迎え入れた。


 一軒家に入ると、地下へと続く階段がある。

 秋月はカツン、カツンと降りていく。

 鼻をつく、血の臭いが漂っていた。


「ようこそ、人形師の作業場へ。これは、また可愛らしい子を連れてきましたねぇ。見たところ病気もなく健康そのもの。いい臓器が採れそうですよぉ」


「会長に言われて初めて来たが、気味が悪いところだな」


 薄暗い室内。

 中央には手術台と、無機質に並ぶさまざまな機器。

 壁際には六名の臓器仲介業者の社員が、黙って待機していた。


 臓器を抜き取れば、すぐに保存液へ。

 クーラーボックスに詰めて、顧客へ届ける――その流れが出来上がっている。


 石金組は、その臓器売買で年間およそ五十億を稼ぎ出していた。


「秋月びびってんのか? 幽霊がいそうだよぅ怖いよぅってあはははは」


 高級チェアに腰かける若頭――石金義浩いしかねよしひろ

 会長の唯一の息子である彼は、調査書を眺めながら秋月をからかっていた。


 その調査書には、美少女の素性が記されている。

 名前は神崎雨音かんざきあまね。十四歳。

 出身地などの情報に混じって、手書きで付け加えられた一文があった。


 母親は人殺し。警察が重要参考人として神崎雨音を追っている。


「売りを迫った父親と、買い手をぶっ殺した母親の子供か……」


 石金は鼻で笑った。


「面倒だな。でも、おやじから絶対に人形にしろって言われてるしやるしかねぇか」


 石金組の資本は、大企業と大差ない。

 警察内部や政治家とも仲良しこよしで、多少のヤバい事なら揉み消しが可能だ。

 それが出来事であろうと、人であろうと。


 とはいえ。石金組を快く思わない政治家や警察関係者も、少なからず存在する。


「それにしてもそそられる顔してんな。おやじにあげるのが勿体もったいねぇ」

「石金さん、報酬なんですけど金じゃなくて骨髄こつずいでも良い?」


 会長専属のヤミ医者――通称、人形師は、二年前。ホステスに入れ込み、貯金をすべて溶かした。それどころか、会長から借金まで背負い込んでいる。


 だからこそ。報酬の五百万円なんかじゃ足りない。

 人形師が欲するのは、それよりもはるかに値打ちのある臓器だった。


 会長の奴隷地獄から抜け出すために――ヤミ医者は必死だった。


「どれだけの収益になるか分かってんよな?」

「奴隷はもう嫌だ! 骨髄さえあれば全額、返せるんですっ」


「お前は命令通りに動くロボット。お仕置き執行ランランラン」


 若頭はヤミ医者を殴り倒し、そのまま馬乗りになる。

 拳が振り下ろされ、ヤミ医者の顔面を何度も殴打した。


 メイドが右足のホルスターからトカレフTT-33を抜く。

 わざとらしいコッキング音が、室内に響いた。


 彼女は会長の専属警護部隊員の一人。ヤミ医者の警護と監視を任されている。

 本来は会長の護衛が仕事だが、なんでも屋の顔も持っていた。


 若頭は殴打をやめない。「撃ちたければ撃てよ」とでも言いたげな表情で、メイドを睨む。会長は唯一の肉親である若頭を溺愛している。


 その思いを盾にしている若頭に、メイドは眉をひそめた。

 秋月が若頭の肩を掴み、低く告げる。「……それ以上、殴ったら死にますよ」


 若頭は振り向き、睨みつけた。


「お前も殴られたい?」

 

「会長に怒られますよ」

「……おやじに?」

「そのヤミ医者、会長のお気に入りですから」


「確かに腕だけは一流だしヤバいかも……俺様は優しいから今回だけは許してやんよ。ほら、感謝の言葉を述べろや」

 

 若頭は手を伸ばし、ヤミ医者の後ろ髪をぐいと掴んだ。


「ありがとうございます」

「おう。報酬の五百万は利子としておやじが受け取るから、今回も一銭も払えないな。さすがに可哀想だから一万やるよ。出来上がったら連絡しろ。じゃあな」


 若頭はそう言い残し、ヤミ医者の自宅ということになってはいるが、会長の所有物件――から颯爽さっそうと出て行った。


 メイドは、静かに銃をホルスターに収める。


「相変わらずのむかつく若造ですねぇ天罰が下ればいいのに」


 ヤミ医者は悪態をつきながらも、雨音を手術台に寝かせた。かつては汚れた術衣が名誉の証だったが、今では感染症のリスクがあるただの汚物だ。


 若頭のせいで汚れた術衣を取り替えるため、ヤミ医者は地下から一階へ向かう。


「いつまで待たせるんですか。顧客が待っているんですよ」


 臓器仲介業者の男性社員の発言に、ヤミ医者は思わずイラッとした。


「分かってる!」


 ドンドンと階段を駆け上がるヤミ医者を見送った社員たちが、ため息を吐く。

 その様子を見渡した秋月は、そっとメイドに耳打ちした。


「メイドさん、伝言があります。敵が紛れてやがる」


 秋月はスーツの内側のホルスターから、S&W M29をサッと抜く。

 銃口は、臓器仲介業者の六名に向けられた。

 カチ――ハンマーが下げられる音が響く。


「さすがは会長、情報がはやい。誰が敵ですか? 

 

 名乗り出ないなら全員殺します」


 メイドはニコッと微笑むと、トカレフTT-33を構えた。

 二つの銃口に睨まれた臓器仲介業者の社員たちは、まるでライオンに追い詰められたウサギのように後ずさる。


「俺だよ。誰が会長からの伝言って言った?」


 秋月は銃口をメイドに切り替え、トリガーを引いた。

 .44マグナム弾――直径1.9cmの弾頭が、メイドの頭蓋骨を粉砕し、脳をぐちゃぐちゃにかき乱す。メイドは、血を放出する死体と化した。


 臓器仲介業者の社員たちは、恐怖で息をはぁはぁさせながらも思った。「どんなクズでも、数億の価値がある。コロスだけなんてもったいない」


 臓器仲介業者にとって、人は商品だ。


「なにがあっ !?」


 発砲音を聞きつけ、ヤミ医者は地下室へ急いで戻ってきた。

 その光景に、絶句するしかなかった。


「もう一つ伝言。さようなら」


 秋月は壁にもたれかかる社員たちを、右から順番に五人射殺した。

 リロードを終えると、一番左で神に必死にすがる男を見る。

 両腕を吹き飛ばされ、胴体を踏みつけられ――男は地面に崩れ落ちた。


「天国に召されるなんて思わないことだ」


 秋月は、吐き捨てるように全弾を撃ち込んだ。

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