第37話

 じり、とアクイとの距離を詰める。悠々と微笑むそれは、相変わらず動かない。とりあえず、武器が分かりやすいやつで良かった。両手を覆うトゲトゲは、どう考えてもこれで殴る以外の使い途がない。トゲが全部折れているのが気にはなるけど、ある意味オレらしいのかもしれない。

 横目で斉藤センパイの様子を窺う。まだぺたんと座り込んだままだけど、目はオレの姿を捉えている。さっきよりはマシみたいだ。

 すうっと息を吸って、低く跳ねる。その勢いで殴り掛かると、アクイはひらりと避けた。笑みを貼り付けたまま、次々と殴りかかるオレの拳を躱していく。センパイの大剣と違って、オレのはリーチが短い。電車を壊す心配はないけど、当たらなければ意味がない。一度少し距離をとって、改めて間合いを計る。

 よく考えてみると、こいつの攻撃の仕方をオレは知らない。あのマスコットモドキはがばっと口を開いて飲み込もうとしてきたけど、この女モドキはどうなんだろう。今更だけど、うかつに近付いていいものかどうか。今のところゆらゆら体を揺らすだけで何も仕掛けてこないそれを睨みつける。

「メフィ、もしこいつに負けたらどうなる?」

「負ける、というのがどのような状態かによるね」

「最悪の場合どうなるか教えて」

「最悪、というのも曖昧だけれど。取り込まれるね」

「取り込まれる?」

「セカイに取り込まれ、その一部になる。そうなるともう観測できない」

 言っていることはよく分からないけど、ヤバそうなのは分かった。とにかく、こいつをぶっ飛ばして元の世界に戻らないといけないってことだ。

「センパイ」

 アクイと距離を取りながら、センパイに近付く。まだ座ったままのセンパイは、今にも泣き出しそうな子供みたいな顔でオレを見上げた。

「帰りましょう」

 そう言って手を差し出す。折れ曲がり自分に切先を向けたトゲだらけの甲と違って、手のひら側はつるんとしている。その感触を確かめるように、手袋に覆われたセンパイの指が触れた。思っていたより小さく感じるその手をぐっと握り締めると、センパイはよろめきながらも立ち上がった。

「……ありがとう」

 そう呟いたセンパイが、床から錆の浮いた鉄塊を引き上げる。傷だらけで錆び付いていても、決して折れないセンパイの剣。白々としたLEDライトに照らされても輝きもせずただ鈍く存在感を発するそれは、何よりも美しく見えた。

「あいつ、わりとすばしっこくて。なかなか当たらないんですよね」

 アクイは相変わらず笑いながらこっちを見ているだけで、何をしてくるでもない。表情が見えるようになったぶん、余計に不気味だ。

「うん……あたしも、戦うよ」

 センパイの瞳に光が戻る。鉄塊を両手で構え直すと、座席がヒーターごと巻き込まれて捲れ上がった。両足を踏ん張り腰を下げたセンパイが、その張り詰めた力を解放するタイミングを窺っている。

 外れて斜めに転がるシートを飛び越え、オレはアクイの横をすり抜けた。振り向きざまに蹴りを入れると、女モドキはステップを踏むようにひらひらそれを避けた。ドアの前に寄ったその体に、黒く輝く塊が飛び込んでいく。ぐるんと回転する大剣が車両を両断しながらアクイを飲み込み、瞬く間に消し飛ばした。ばっくりと割れた裂け目から暗闇がどっと流れ込んできて、あっという間に車内を満たしていく。視界が完全に飲み込まれる前に、オレを振り返る顔と目が合った、気がした。

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