第31話 自称ロミオに執着されてます。(5)後輩君編

 大学に着くと弓道部に行く前に、図書館へ向かった。丁度カウンターにいた職員に、朱里は頭をぺこぺこ下げて謝った。そんな様子に職員は笑って、“大丈夫よ。栄藤さんいつも無遅刻無欠勤なんだし。その分晴樹君に頑張ってもらいましょ”と手を振って言ってくれた。

 晴樹とは、1つ下の後輩で、朱里とは学部も、部活も、アルバイト先も同じである針ケ谷晴樹はりがやはるきのことだ。明日は彼と同じシフトだった。


「おはようございまーす、わっ!」

「せーんぱーい!会いたかった!」


 弓道部の引き戸を引いて挨拶をすると、いきなり抱きつかれた。


「あ、綾乃ちゃん、おかえり!どうだったニューヨーク?」

「はいー!ただいまです!楽しかったですよー!」


 抱きついてきたのは、後輩の三島彩乃だった。前下がりのショートボブの黒髪に、少し下がったつぶらな目。口を閉じて口角の上がった笑顔を見ると、その顔はカワウソに似て愛嬌がある。

 朱里と彩乃は中学時代からの弓道部の先輩後輩だ。古くからの付き合いなので、2人の関係性は姉妹のそれに近い。彩乃は8歳まで親の仕事の都合でカルフォルニアに住んでいた帰国子女である。なのでか分からないが、昔からスキンシップが多い。彩乃も学部は朱里と同じ国際日本学部。晴樹とは同級になる。

 彩乃の香りの色はオレンジ。高校に入る頃から、短いスパンで色が重なるようになった。それは男であったり、女であったり。大学に入ってからは特定の相手になった。朱里も知っている1つ上の経済学部の先輩だ。彼女も同じ明修高校で持ち上がり組だった。学内でも2人が仲良く歩いてる姿を見かける。

 朱里は彩乃に恋愛のことを尋ねたことはないが、本人曰く、バイセクシャルと言うよりかはジェンダーフルイドに近いそうだ。女男でもありそうでもない。その時好きになった人の性別が好き。と、言うよりかは、彼女自身定義付けしていないと言っていた。


「こら、三島。いきなり抱きつくなよ。先輩びっくりしただろ」


 そう彩乃の後ろから声をかけてきたのは、晴樹だった。すでに彼は袴に着替え終えていた。


「はるき君、おはよう」

「おはようございます、朱里先輩」


 彩乃に抱きつかれながら朱里がそう挨拶すると、さっきの不機嫌な顔が一転、晴樹は花咲くような笑顔になった。


 

 朱里は着替えを終えると、弓を射る晴樹の後ろに座った。晴樹は斜面打ち起こしから、弓を掲げた。彼は弓を引き切った時の“会”を保つ時間が短いが、この引きの動作はややゆっくりだ。弓が視線の高さになった時、いつも間がある。おそらく彼はこのタイミングで照準を定めているようだった。

 晴樹は普段愛想がいい。誰ともでも明るく話すし、聞き上手でもあるため、常に周りには男女問わず人がいる。朱里にもいつも朗らかにいろんな話を振ってくれ、気遣ってくれる優しい後輩だ。それでもなぜか彩乃にだけはぞんざいな態度をする時が多かった。

 彩乃がよく晴樹の事をからかっているからかもしれない。朱里はそんな後輩2人のやり取りを聞くのが好きだった。2人とも頭の回転が速いからか、テンポよく互いの皮肉をユーモアを交えて言うのだ。2人は大学に入る前、それこそ中学3年生の時から互いの連絡先を知っていたらしい。彩乃が言うには、晴樹の方から連絡先を聞いてきたととの事だった。なので、朱里は晴樹は彩乃に気があるのではないか、と思っていたが、そうでもなかったらしい。

 普段始終笑顔を絶やさない彼だが、弓を引く時は別人のようになる。弓道は武道だ。であるからして当然だが、笑う、という事は一切ない。始終真顔である。だからと言って気負っているとか、殺気だっているわけではない。

 弓道をしている時の彼は、いつでも自然体だった。弓というのは、肩の筋肉だけではなく、それこそ身体全体の筋肉を駆使する。どこか抜けていても、力んでいても、中てる事はできない。その点において晴樹の体の使い方というのは、非常に巧みだった。体幹とバランス感覚が良いのだろう。彼の放つ矢は的に吸い込まれるように中たる。

 晴樹は矢を口元に降ろしたかと思うと。“会”の姿勢になって3秒もしないうちに矢を放った。的の中心、図星を射る爽快な音が響いた。


「よっしゃー」


 朱里は的中させた時の掛け声をかける。通常”会“の姿勢を保たない事は“早気”と呼ばれて、形的にあまり良しとされない。実際弓道部のコーチも“晴樹はあれさえなければな”とぼやいている。

 彼の実力というのは凄まじい。中学2年生の時全国大会で優勝して以来、中学、高校、大学と、晴樹は負けなしだった。


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