自称ロミオに執着されてます。〜ヤンデレ男子3人に愛される女子大生恋物語〜
藤井透弥
学部、部活、バイトが同じ、後輩君 晴樹編
第1話 学部、部活、バイトが同じ、後輩君(1)
『会いたかった。──ジュリエット』
いきなり抱きつかれた。驚いたのと同時に、とても懐かしい匂いがして、戸惑った。前もこうして、抱きしめられた事があるような気がした。
だけれど、いつ、どこで。
何も、思い出せずに、胸の中にぽっかりと穴が開く。
私を、抱きしめるあなたは、誰?
【学部、部活、バイトが同じ、後輩君】
針ケ
母親に丸の書かれた紙を差し出され、それをハサミで切れ、と言われた。ハサミなどあまり使った事のない晴樹にとっては、綺麗に丸など切れるはずもなく、それはひどく歪な楕円となった。
──この子はダメね。
母は、それを手に取ると、ぐしゃりと握り潰した。その後ろで、4歳上の兄が、ほくそ笑んでいた。
それが晴樹にとって、思い出せる限り1番古い記憶だ。
明修大学の弓道部。晴樹は、弓を射る
彼女は高く掲げた弓をゆっくりと引く。晴樹は斜面打ち起こしで射るが、対して朱里は正面打ち起こしで射る。
弓を引き切った時の状態である、“会”を保つ時間も2人は違う。晴樹はやや“早気”で射る。これは射形的にはあまりよろしくない。だけど、彼はわざとやっている。要は中ればいい。インターハイ個人戦で3連覇の偉業を成し遂げた晴樹だが、段位は初段しか持っていない。
朱里はと言うと、会をきっちり保ってから放つ。的中率はやや晴樹に劣るが、朱里の段位は四段だ。
手が離れる。彼女の横髪が靡く。放たれた矢は、先ほどと同様、真っ直ぐに的を射
った。
「……よっしゃー」
掛け声をかける。朱里は弓を離し切り、しばらく静止している。晴樹はこの“残心”の瞬間の彼女の横顔が、何よりも好きだ。的を見つめる澄んだ瞳が、とても美しい。この場にいられて、朱里を間近で見れて、心の底から幸せだと、晴樹は思う。
彼女は再び矢を構え、弓を引く。会の瞬間、その顔が少し陰って見えた。何か考え事をしている。矢が放たれる。
その矢は的を射る事なく、安土に突き刺さった。
朱里は晴樹の1つ上の先輩だ。晴樹は彼女と同じく明修大学の国際日本学部の1年生であり、同じく弓道部に所属し、同じく大学内の図書館でアルバイトをしている。彼は偶然を装っているが、全て意図的だった。
無論それは朱里の、先輩の側にいるためである。
晴樹が初めて栄藤朱里に出会ったのは、中学生の時だ。
晴樹は勉強も運動も、平均だった。勝っても劣ってもいない、普通の子。だけれど、秀才の兄がいる事で、彼への両親の評価というのは、実に冷たいものだった。特に、母親の態度が顕著だった。
小学生の頃、晴樹と母が連れ立って歩いていると、兄の同級生の母親に遭遇する事があった。時に、所謂そのママ友が、晴樹の兄の秀才さを褒めることがあった。
母は、そんなことありませんよ、などと、謙虚さを装って嘘でも兄を貶めるような発言はしなかった。
代わりに誰を貶めたのか。晴樹を、だ。
「兄が出来がいい分、ほんと弟の方は、愛想がいいだけで」
これは母の口癖。そう言って母はため息混じりに晴樹を見やる。大抵、そんな時は晴樹は暇をして、地面を弄っていることが多かった。母が顔を向けると、合図されたように晴樹は振り返り、顔を傾けて笑う。どちらかというと、母ではなく、そのママ友に対して。すると相手は大抵、手を振りながら、そんなことないですよ、とか、晴樹君かわいいもの、などと言ってくる。
そう、勉強も運動も至って普通の晴樹だが、見目はよかった。栗色の柔らかい髪に、目は大きくまつ毛も長い。小さい頃はよく女の子に間違われていた。
ママ友の発言を聞いた母は、その事を否定しつつ、口元は吊り上がっていた。晴樹はそんな母の顔を笑顔のまま見上げていた。一方で、摘んでいたダンゴムシやら蟻やらを、ぷちりと捻り潰すのだった。
普通の晴樹が、普通でなくなったのは中学生になってからだ。私立中学校に入った兄とは違い、晴樹は学区内の公立中学校に入学した。そこで彼が弓道部に入ったのは、“ゲームでいつも弓使いを使っていたから”という、実に少年らしい理由だった。
晴樹の場合、弓道の才能が開花したのは、指導者との相性が良かったからだ。社会科を担当する若い男性顧問は、弓道を武道である、と重々承知の上、スポーツとしてより的に中てさせる事に重きを置いていた。晴樹の場合、“会”の間が短い。他の指導者であったなら、正射必中──正しい射は必ず中る、という言葉の元、これを矯正しようとしただろう。だが、彼の顧問はそれをしなかった。
それを矯正すると、的中率が極端に下がってしまう事を、分かっていたからだ。大会において他の指導者から眉を顰められながらも、中学2年生ともなると、晴樹はその的中率で名を馳せるようになった。
そして8月に迎えた、全国大会。これまで県大会などでの優勝を報告しても、母は「良かったわね」と素っ気なく言った後、猫撫で声で兄の名を呼ぶのだった。父も、“そうか“としか言わなかった。だけれど流石に全国大会は見に来てくれるだろう、と思っていた。
大会の当日、母に弁当を持たされ、父に一言「よくやれよ」と、送り出された。愛想笑いを浮かべて、「行ってきます」と玄関を出た瞬間、晴樹は無表情になった。
両親が来てくれる気配はなかった。
大学受験を控えた勉強漬けの兄は、顔も見せもしなかった。
心に空いていた穴がより大きく、深くなった。
その日の晴樹は冴えていた。個人戦の予選では八射中五射以上、的に中れば決勝戦に出れる。その中で晴樹のみが八射皆中で決勝に進んだ。中学生にしてその驚異的な的中率に、会場の皆が目を見張っていた。何より、彼の“会”が極端に短かった。それは普段指彼を導している顧問も驚いた顔をしていたので、明らかにいつもと違っていた。晴樹自身はどういう心境だったか。ただ、ひたすらに“無”だった。ある意味ゾーンに入っていた。
決勝の射詰競射では三射目で彼以外皆外したので、晴樹は予選から一射も外すことなく、全国1位となった。
その実感が湧いたのは、表彰されてた時だ。名前を呼ばれてメダルをかけられると、拍手が波のように押し寄せて耳に届いた。晴樹は、笑った。でも、空いた穴は少し埋まる程度で、決して満たされはしなかった。
大会が終わり団体バスに乗るのに、外で少し待ち時間があった。晴樹は色んな人に話しかけられて、流石に辟易していた。部員も気を遣ってか、眠そうに佇む彼に声はかけず、皆やや離れたところで立ち話をしていた。しゃがみ込んでしまおうか、と思ったところで、声をかけられた。
「針ケ谷晴樹君、だよね」
それは別の中学校の女子生徒だった。彼女の運動靴を見たまま、はい、と返事をした。
眠いのに──。愛想の良い晴樹には珍しく胡乱そうに、顔を上げる。
彼女と目が合った瞬間、誰も放っていないのに、矢音が響いた。
ショートヘアの黒髪に、小さな色白の顔。薄桃色の唇に、三白眼気味の灰色がかった大きな瞳が印象的だった。
晴樹が実際出会った中で、1番美しいと感じる顔を、彼女はしていた。
「晴樹君、見てて本当に凄かった!優勝、おめでとう」
彼女は、はにかんだ。
そう言われて晴樹は、無表情になった。
無感情になったわけではない。むしろその逆だった。色んな感情が押し寄せて、処理が出来ずに完全に固まっていた。心臓の音がやたらにうるさい。体の奥から、熱が湧き上がるようで完全にのぼせていた。
「朱里ー!いくよー!」
「あ、はーい!ごめんね、いきなり話しかけて。……それじゃ」
「いえ……はい」
朱里、と呼ばれた彼女は、申し訳なさそうに頭を下げると、手を振って行ってしまった。その姿を晴樹は追うばかりで、愛想なんて微塵も振れなかった。
じゅり、どんな漢字だろう──。
寿里、樹里、珠理、朱里。彼女の名前が1つ1つ石のように転がって、空いていた穴が急激に埋まっていく。
その後のバスの中でも、晴樹は始終無表情だった。眠気は、吹き飛んでいた。
はにかみ屋の晴樹も、流石に疲れたのだろう──。顧問も部員も、そう思っていた。晴樹は頭の中で、先程の出来事ばかりを反芻していた。
明修大学附属中学3年生、栄藤朱里──。後で晴樹は知ることになるが、彼女は界隈ではちょっとした有名人だった。主な理由は、挙げれば3つある。
1つ目は、その実力。翌日行われた女子の部の個人戦、彼女は優勝はしなかったものの、3位だった。去年の大会では2位だったらしい。
2つ目は、その美しさ。見目の抜群に良い朱里が弓を構えると、彼女の関係者でない者まで携帯を掲げる。晴樹もその1人になっていた。射形の美しさが、際立っていた。彼女は昨年と同じく、技能優秀賞も受賞していた。
3つ目は、その家柄。彼女は400年以上続く香道の家元の娘だった。それだけではなく、彼女の母親は線香の製造メーカーである紀平香堂きひらこうどうの社長だ。
惚れた相手ではあるが、朱里のスペックの高さを知った時、恵まれすぎではないか、と思った。神は二物を与えないと聞いたことはあったけれど、彼女は二物どころか三物以上与えられてる。
自宅に着くと、珍しく母親が玄関で出迎えてくれた。「どうだった?」と聞かれて、晴樹はぼやっとした顔のまま、丸めて持っていた表彰状を渡した。それを受け取って、広げた瞬間、今まで冷めた色しか映していなかった母の目が変わった。ギラギラしていた。肩をぐっと、両手で掴まれその目が近づく。
「凄いじゃない、晴樹!日本一よ!」
初めてまともに母に褒められた。耳の奥で、紙を潰す音が響く。ずっと、褒められたかったはずの晴樹は、まったく笑えなかった。
気持ちわる──。
自分の母親の事を、この女のことを、心底、そう思った。
彼女と比べて、なんて汚いんだろ。
「お父さーん!晴樹ったら凄いのよー!」
母は猫撫で声で父を呼んだ。
そこで晴樹は、顔を傾けて笑った。
母に向けてではない。何事かと階段から顔を覗かせた、兄に対してだ。兄は苦い顔をしていた。その顔が、晴樹にとっては、とても笑えた。
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