夫がくれた薔薇色のルージュを、違う男のために塗って

品画十帆

第1話 レスになっていた

 皆さんは、不倫とか浮気をしたいと思ったことが、ありますか。

 正直に告白すると、私にはありました。

 もちろん、〈夫〉には内緒ないしょのことです。


 あれは、ちょうど三年前くらい前だったと思います。


 私が勤務している支店に、社内でも顔が良いと評判の上司が、異動してきました。

 会社の中で、一番か二番のイケメンだ、と噂されている男性なのです。


 同僚の女性職員達は、着任する前から上司の噂に花を咲かせていました、毎日していたと思います。

 二十代の子も、三十代の女性も、四十代のベテランさんさえ、上司の話をしていました。


 断っておきますが、私はまだ三十代ですので、ベテランのおばさんではありません。


 そして私も、もちろん興味を持っていましたが、同僚ほどでは無かったのです。

 私の子供は、まだ小学校の低学年だったので、とても手がかかり、それどころじゃなかったのが本音です。

 育児に追われて、まるで戦争のようでした、持ち帰った仕事を深夜までしたこともあります。


 鉄棒から落ちて怪我をしたと、突然学校から呼び出されたのです。

 幸い怪我はたいしたことは、無かったのですが、仕事の締め切りは待ってはくれません。


 お給料を頂くってことは、甘いものではないと、皆さんも知っておられますよね。


 〈夫〉も子育てに協力をしてくれましたが、あくまでも協力です、メインでするのは私です。

 〈夫〉も仕事で大変だとは分かっていますが、うらむ気持ちになりますよね。

 もっと主体的にやって欲しいな、言われる前になぜ出来ないのかな、自分の子供でもあるでしょう。



 着任された上司は、端正たんせいな顔とすらり長い肢体したいを持ち、ブランド品の服を着こなす優雅ゆうがな男性でした。


 思わず見とれてしまう、かっこいい男です、男の色気ってこうなんだと思いました。

 そして、肌も動作も目も、全てが若々しいのです。


 四十代だとは知っているのですが、三十代の私から見ても、年下にしか見えない。

 驚異的に若さを保っている人、毎日努力を欠かしていない、誠実な人柄ひとがら

 とても溌溂はつらつとして、すごく清潔感があり、笑顔がまぶしいくらいでした。


 「ふぅ」と私は、溜息ためいきいてしまった事を思い出します。

 同期で一番仲が良い〈はるか〉は、「ふぁ」と息をいていました。


 「すさまじく良い男ね。 旦那とは大違いよ」


 「そんなことは無いわ。 〈はるか〉のご主人は筋肉隆々きんくにりゅうりゅうでかっこいいじゃない。 上司が良い男なのは認めるけど」


 「ふん、あんなヤツただのゴリラよ。 あんたの旦那の方が、優しくて良いと思うわ」


 「そうかな。 子育ても手伝ってはくれるけど、平凡な人よ」


 あっ、いくら気のおけない女友達だといっても、〈夫〉をけなすのは良くない。


 「ま、まあ、総合的にみて良い夫よ。 私は幸せ者だよ」


 「それにしても、良い男だわね 。奥さんは、軽い心の病らしいけど、それでもうらやましいな」


 「えっ、奥さんはそうなんだ。 噂って怖いわね。 そんな事も知られているんだね」


 「ほんとそうよね。 奥さんが病気なのに、私にも笑顔で接してくれるのが、頑張り屋がんばりやさんで健気けなげなんだよ。 いやしてあげようと思っちゃうね」


 「うふふっ、ほどほどにね。 私達は仕事で応えてあげれば良いんだよ」


 同僚が言う事も良く分かります、有名な芸能人に会ったような気がしたのです。

 そして私も、友達の〈はるか〉を笑ってはいられません。


 私はその日から、上司の姿を追っていました、仕事中にこっそりと顔を見ていたのです。

 どうしても、素敵な上司を見たかったのです、目が離せませんでした。


 私は恋に落ちていたのでしょう、それも一目惚れに近いと思います。

 小学生の子供がいる主婦が、するような事じゃないのは、充分分かっています。

 ただ、一目惚れ以外でも、結果は同じじゃないですか。

 秘めていれば、誰にも迷惑はかかりません。


 当然私は、誰にも言いませんでした、〈夫〉には新しい上司が来る話はしていました。

 だけど、着任後の話は一切していません。


 上司の話をすれば、自分の心を隠せない気がしたのです、きっと顔に出ていたでしょう。

 本気で恋をしているんですから。


 それがバレて、〈夫〉を傷つけてしまうことが、怖かったのです。

 恋をしている私が、恋した男性の話をすれば、感情がついにじみ出てしまうでしょう。

 必ず顔がニマニマしてしまうと思います、〈夫〉は大切な家族ですから、必要もない事で悲しませる訳にはいきません。


 私と〈夫〉は、子供が産まれてから、ほとんどレス状態になっていました。

 二年前からは、完全に夫婦のいとなみはしていません。


 出産後は産まれたての赤ちゃんを抱えて、私は必死でしたので、一年以上〈夫〉から誘われる事はありませんでした。

 当然だと思います。


 〈夫〉も仕事と子育てに疲れていて、そんな気持ちになれなかったのかも知れません。

 子供を寝かせつけようとして、私が子供と一緒に眠ってしまうことも、多かったのです。

 私は〈夫〉以上に子育てで、疲れていたのだと思います。

 私がメインでやっているのですから、当たり前の事です。


 子育てが少し落ち着いてから、もう来そうだ、来ないでと思っていましたが、とうとう〈夫〉が夫婦の営みを誘ってきました。

 私はこれも妻の義務だと、無理やり自分に言い聞かせ我慢したのです。

 

 子供が生まれる前と違って、何にも気持ちが良くないし、嫌なだけでした。

 〈夫〉も少しは、気を使ってくれたのでしょう、月に数回程度でした。


 誘われた時に私は、「はぁ、するの」と否定的な事を、毎回言っていたと思います。

 子育てと仕事に復帰した疲労で、早く終わって欲しいとしか、考えられませんでした。


 それに、〈夫〉に触られるのが気持ち悪いのです、〈夫〉の匂いも苦痛なのです。

 自分でも変わってしまったな、と感じます、出産前は私から誘った事もあったのが、信じられない思いです


 私が〈夫〉の誘いを断る頻度ひんどが増えていき、最後は、私がはなったキツイ言葉で〈夫〉はもう誘ってこなくなりました。


 「うっ、体を触らないでよ。 鬱陶うっとしいのよ。 私が子育てと仕事で、毎日クタクタなのは、分かっているでしょう。 気持ちが悪いから触って欲しくないわ。 そんなに性欲を発散したいんなら、風俗か浮気でもすれば良いでしょう。 あなたは、ほんと自分勝手な人間だわ」


 少しでも睡眠をとりたかったのは、本当の事だ。

 育休のブランクの後、仕事にいつまでってもついて行けずに、イライラしていたと思う。


 少し言い過ぎた。と心の中でちょっぴり反省もしたんだ。

 けど、私は謝る事はしなかったし、必要も無いと感じていました。

 何よりも、〈夫〉の誘いが無くなったので、言って良かった私は確信していたのです。


 睡眠時間が、増えるのはありがたいし、我慢もしなくて済みます。


 〈夫〉は私に、「鬱陶しい。気持ちが悪いから触って欲しくない」と言われた事が、こたえたのでしょう、あまり笑わなくなりました。

 かなりへこんでしまったのでしょう、少し心配になるほどです。


 だから私は、夫婦の営み以外の事は出来るだけ希望を聞いて、〈夫〉を立てるようにしました。

 〈夫〉は大切な家族ですから、元気でいて欲しいのです、暗いままでは子供にも影響してしまいます。


 私の気づかいもあったのでしょう、〈夫〉は立ち直り、以前と変わらなくなっています。

 ただ、ジムで体を少しきたえたり、身だしなみに気をつけるようになったのは、無駄な努力としか言えません。


 そんな事をしたところで、私の気持ちが変わるはずは無いのです、健康や仕事にはプラスになるでしょうから、めはしませんが。


 私が〈夫〉を拒絶したのは、私と〈夫〉が親になったことが、かなり影響していると感じます。

 お母さんとお父さんは、女と男では無いってことです、私はお母さんの役割をこなすので精一杯だったのです。


 それに子供が横で眠っているのに、欲情をむさぼるのは、違うと思っていたのです。

 お母さんとお父さんが、いやらしい事をしているの場面を、子供が見たらどう感じるでしょう、相当なショックを受けてしまいます。

 いつ起きるか分からない子供が、気になってしまい、行為に集中出来なかった面もあると思います。


 それから二年が経過し、子育ても仕事もかなり落ち着きましたが、私と〈夫〉のレス状態は変わりません。

 〈夫〉が性欲をどう発散しているかは、私は知りもしないし、興味さえ無いのです。


 ただ、浮気をしていない事は分かっています。

 レスではありますが、毎日一緒に暮らして、毎日横で眠るのですから、それくらいは分かります。


 それに〈夫〉は、私と子供を裏切って浮気をするような人ではありません。

 その事に関しては、信頼出来る誠実な人と信じています。



 私は不意打ふいうちにあったのだと思います、生活に男がいなくなった所へ、急に良い男が現れたのですよ。


 心臓が、ドキンと鳴るのは、止めようがありません。

 手に届きそうな場所に、素敵な男性が存在して、私へ微笑むのですからね。


 〈夫〉が笑っても、それはパパが笑っているだけです。

 子供のお父さんで大切な家族ではありますが、もう男とは見えません。

 だらしなくソファーに座っている、覇気はきの無い中年のおじさん、そのものです。


 仕事で疲れていて、子育ても少し手伝ってくれるのですから、あまり文句は言いませんが。

 とてもじゃないですが、男として愛しているとは言えないですね。


 子供が生まれる前は、毎週にようにデートをして、愛し合っていたのですが、時とは恐ろしいものです。

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