利器にどこまで依存するかへの応援コメント
脳幹まことさま、
応援コメントから失礼します。
拙作『シンギュラリティと人類の未来』に骨太なレビューを頂きありがとうございました。お互いに書いていることにシンクロしている部分があったんですね。
AI ってちょっと麻薬みたいなところがありますよね。使った瞬間は自分の能力以上のことができてすごい!と思うけれど、確かにもっともっととなる部分もあると思います。
あとは使う目的を間違わないでほしいなーと思います。近い内に AI が犯罪に使われるケースが出てくるんじゃないかと心配しているところです。
レビュー、ありがとうございました!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
こちらこそ良い評論に出会えましたことを感謝しております。
AIのまわりに関して「宗教信仰の要素を感じる」という点は確かにと唸らされました。
関わり合いのない外から見ると怪しげで、中にいると実際はそうでもなく、一部に強烈な過激派がいるあたりが似てますね。
レビューでも挙げた内容ではあるのですが、
仮にAIが人々が互いの質を高め合う共創を目的に用いられるのなら、これまでにない素晴らしい道具になると思うんですよね……
ただ、実際は今までの歴史が示すような他者を蹴落とす、量の競争に用いられる公算が高く、そうなると多くの人が懸念される状況が待っているんだろうなと。
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
いずれは使わずにいられないよなと思いつつ、最後まで使わずにもがいてみようかと考える派です(`・ω・´)
仕事では議事録なんかで使ったこともありますが、当時は「あー、あの」とかも入ったり、省略されすぎていたりで自分で書いた方が早く感じました(●´ω`●)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ぜひ、自分の限界まで抗ってみることをお勧めします。
一度味を知ってしまうと戻れないし、結局こういうものは良し悪しは関係のない、決断の問題ですので……
議事録なんかも色々なAIモデルが使えるようになりましたが、最近のGeminiに会議のトランスクリプト(会話内容の文章)を読み込ませると、長時間の内容だったにも関わらず、かなり精度の高い議事録が取れました。
こういうタスクに適用する分には、AIも悪くないとは思います。(AI議事録に期待して話を聞かない本末転倒が出るかもですが)
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
知的・論理的で面白く感じます。
やり取りをした方数名がコメントを残していらして、ああ皆さんも同じ考えなのだなとホッとするというか(真に知力を鍛えたいならホッとしてはダメなんでしょうけど)……そんな感じです。
ちと現在、頭が回転しないので上手くまとめきれないのですが以下のように考えています。
い 投稿文については完全に同意。AIとどう関わるか?は自己存在の問題
ろ 将棋の世界でAIが完全にプロ棋士より強くなっている。しかしプロ棋士の存在意義はある→①AIが人間より良い(良いの基準はすみませんが適当です)作品を作る時代が来る②プロ棋士には生身の人間としての価値があるため、存続は可能と思われる。しかし、小説だとどうなるのか?
は 今後は、誰が「より高度なAI使いなのか?」の勝負になってしまう
に 現代日本において、会社の経理でPCや表計算ソフトを用いず手書き暗算で作業をしている人などいない。小説創作者の大半もいずれそうなる。
ほ 私個人的には創作において、いかに計算機以上の使い方が出来るか?を問うようにしている。表計算ソフトのエクセルでも凄まじく個性的な用い方をしている人が沢山いるように。
ほ 捕捉 私は作業効率の向上から創作の多作が可能になった。では、その多作から新しい何が見えてくるのか?(自身の創作の傾向とか)そこを自身の頭で考える
このような感じです。目新しい事は書けませんでしたがご意見いただけると幸いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
受け答えできる範囲で回答致します。
今後は、誰が「より高度なAI使いなのか?」の勝負になってしまう。
→AIにも様々なタイプが存在し、作家AIもあれば、編集者AIもある。それらのAIを効率的に使う経営者AI(エージェント)も登場しつつある。
用途ごとによく学習したAIをサブスク形式で利用させる起業家や企業も出てくるでしょう。
もはや、創作者単位だけでなく創作ビジネスの枠組みにまで到達しつつある。
「誰」に何が入るのかは注視が必要となりそうです。
現代日本において、会社の経理でPCや表計算ソフトを用いず手書き暗算で作業をしている人などいない。小説創作者の大半もいずれそうなる。
→ここは人の立場によって依存度が大きく変わってくる点になりそうです。
例として出されていた手書き暗算が表計算ソフトに代替されるケースは、暗算にせよ表計算にせよ「計算」というタスクが100%を占めており、両者でまったく同じ結果が得られることになる。
つまり代替されても何ら変わらない。
ですが創作はタスク、手段、目的が混在した複雑なものであり、出てくる結果も求めるものも人によってバラバラです。
商業作家として定期的に高い品質を出し続けることが目的であれば、確実に高性能なAIをある程度用いることになるでしょう。
それで様々な不安がなくなるなら安いものだと思います。
また、商業作家を目指して何らかの賞への挑戦を試みる方もそうなると思います。「みんなに評価されそうな作品」が勝利条件ですからね。
個人で言うと、息抜きで書いているなら、別に凝った文章を載せる必要もないでしょうから、相対的に依存度は低くなると思われます。
私個人的には創作において、いかに計算機以上の使い方が出来るか?を問うようにしている。
→個人がAIを使うことで最も優れている点は、質を高める前提となる文法や設定、
風景描写などのこちらで考えるには億劫だが、読む人を考えると盛り込まないといけない部分が省略できる点だと思われます。
つまり、オリジナリティ以外の部分の圧倒的効率化です。
逆にオリジナリティの部分でAIは、なかなか人間を侵食できないのです。ウケそうな作品は出来るでしょうが、個人の感情や思想というものは、脳だけの問題ではなく、その体の動作、周りの風景との接触、ストレスなど様々な要素が絡み合っています。
現時点のAIは身体を持ちません。おそらくAIに真の心が身につくとするなら、そこからなのかなと思っています。
まあ、真の心が私たちの思う清いものかは別問題としますが。
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
まだ1万字の小説を書くことはできないようですが、場面場面のシーンを描くことはできるようで、正直恐ろしく思います。
商業小説家ならば、という観点はさておき、趣味で小説を書く上で、AIに任せてしまうと創作の快感が減ってしまう気も。
最近よく使っているのは、小説の深いあらすじを考えた時、そこに矛盾がないかと矛盾を解消する方法を考察してもらう使い方です。
一定水準をクリアした編集者が常にそばにいてくれるようなものだと心から感動します。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
編集者やマネージャーとしての活用は、AIと相性が良いと思いますね。
一般常識を持った懇切丁寧な人物を、いつも何度でも呼べるようなものですからね。
AIへの恐怖や不信を持つ方でも、ちょっとずつ打ち解けるんじゃないかとは思ってます。(意外と失敗もしますし……)
結局、どこまでをAIに分担させるかに掛かってくるんですよね。
自分で(とても苦労して)すべて構築するのもあり、見所やネタ部分だけ自分で書いて、そこに至る過程や後始末は全部任せるとかでも良いわけです。
ただ自己表現として創作するなら、その中心には自分がいないと、やっぱりつまらないとは思いますね。
どこまで言ってもAIは「力は貸すけど、その力のせいで酷い目に遭ったり、劣等感や無力感を覚えても責任は取らない」というスタンスですから、重々考えてねという意図で本文を書いています。
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
小説なんて酒飲みながら書いて、酒飲みながら読むくらいがちょうど良い気がしました。
しかしAIは世界のインフラになり、使えるのが当たり前で、生きるために必要なものになると思います。
本文で、契約に近いという表現をしておりましたが、今ある便利なものを活用するのは現代人として真っ当なのではないかなー、と。
むしろ、コンテストの一時通過の審査を全部AIに任せれば、有象無象を切り捨ててくれますし、人間のバイアスがかかった状態で評価されるよりも、よほど参加者は納得するのではないでしょうか。
文章、音楽、画像、映像、すべてひとりで作れる良い時代なのですから、カクヨム作家の皆さんも、使えるモノは上手く活用してほしい、というのが私の感想でした。
なにより、今まで執筆に興味はあったけど、文字を書くのが苦手で…という人たちも参入しやすくなるのが良いところかと。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
敷居が低くなるのは間違いないですね。
そして「質」が向上することもほぼ確実になると思われます。誤字脱字やお作法の部分が守られ、適度に風景描写や心理描写を入れてくれるはずです。
「契約」だと述べたのは、早い話がAIは(膨大な統計データから導いた尤もらしい)結果だけを提供するツールであり、創作の在り方を根本的に変化させる可能性を持っている点です。
「世界中の名作を基に物凄く面白い作品を作ってみて」という旨を膨大な回数指示するだけで(運が良ければ)入賞するような時代がやってきたとして、それは果たして創作と呼べるのか。
「優秀な創作物は、AIにすべてを委ねることで生み出される」という図式が生まれかねないわけです。
人はその結果に誇りを持てるのか。「誇りなんて持てない! 自分で書く!」と逃げ出す人を私は笑いません。
創作に対するスタンスが人によって異なっているので、上記の結論で満足する人も一定数はいると思います。本文にある通り、みんなが可能性を持つ時代となったといえます。
今後、自己の表明のために創作をする場合は、「意志」「方向性」がより求められるようになると思っています。
自分の役割を明確にした上で、補助としてAIを用いる。執筆作業から自分だけ置いていかれないようにする。
そういった準備の上で用いるのなら、最高に優秀な相棒になるでしょう。
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
心配ですよね、私も大変危惧しています
どんな秀作を書いても「どうせAIに書かせんたんだろう」と言われる時代が来る
まず職業作家が消えるでしょうね、文学賞もなくなるでしょう
人間の創造性も失われる、下手するとネット小説サイトもなくなるかもしれません
どんなに規制しても隠れてズルする人は必ず出てくる、しかも密かに
そういうこともあって、言い訳になりますが、最近は創作意欲も失せ、ほぼ断筆状態になっています
唯一の救いはネット小説サイトは作品の公開日時を記録してくれているところです
さすがに10年前に投稿したものをAIが書いたという人はいないでしょう
今は静かに自作品が書いた小説がレガシーとして残ることを祈るのみです
作者からの返信
コメントありがとうございます。
仰ることは理解できますし、ある程度現実となるでしょう。
小説に限らず、絵画(マンガ)や音楽、プログラマに至るまで、多くの人物が将来を嘆いている状態です。
少し前まではAI特有のクセがある(むしろ綺麗すぎることが原因)から見破れる、という風潮もあったのですが……それも、あっという間に区別がつかなくなりました。
ズル……という言い回しも、将来的には消えていくでしょう。一部の小説賞では「AI利用を許諾する」旨が出ていますからね。
本文でも載せましたが、どう頑張っても「AIに関わらない」という選択肢は取れなくなります。従来よりも遥かに便利なのですから。
しかし、しかしです。
恐らく創作という営み自体は終わりません。創作の源泉は自分が持つ欲望・感情だからです。真偽・美醜は関係がありません。
いくら文明が進化しようとも、人間の不満が消えることがない以上、創作は続きます。
創作の題材探しのためにスマホを使うように、AIを使うようになる。それで自分を如何に表現するか、というステージになるのだと踏んでいます。
その際に用いるプラットフォームがカクヨムであるかどうかは、その時になってみないと分かりませんが……
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
拝読いたしました。
私も近年は、「コミコパ」というクリエイター支援AIサービスを触っています。
使い方が下手なのか、あまり役に立てることができていないのですが、一人では不可能なことを指摘してもらえるという点は非常に強力です。
ただ、まさにおっしゃられたこと、ほぼその通りの困ったことがあります。
自分の中でぼんやりしたものをAIにはっきりと提案されたとき、「まあ、一般的にはそちらのほうが受けが良いのは分かる」と思い、自分の考えを捨てることが多くなってきているように感じるのです。
更に困るのは、そうするとAIによる評価点数が上がり、「物を創る」ことよりも「評価を上げる」ことに喜びを見るようになっている。
貴著を拝読して、初めて自覚しました。AIの評価なんて、ただのアリゴリズムだというのに。
これでは本末転倒です。
長文、失礼いたしました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
AIの発言というのは「腕の良い占い師」程度に思っていた方が、おそらく後腐れはないと思います。
よく当たる占いのテクニックは「誰の身にも当てはまることを述べること」、「客の発言の内容(それに伴う仕草や声音)から言って欲しい言葉を読み取ること」です。
やり取りしていくうちに、客はひとりでに解釈・納得し、満足して帰っていくわけです。
今までの膨大なWeb情報をすべて取り込んだAIが、上記のような「それっぽいこと」を指摘するのは難しいことではありません。
実際、私達よりも「多くのことを経験し、模範解答を持っている」のですから、いっそ委ねることで良い結果になる可能性の方が高いとも思います。
ただし、それはおのずと「平仄化された表現」に近づくはずです。AIが拠り所とするのは、やはり統計だからです。
どれだけ腕が良かろうが、占い師の提案に乗るかどうかを決めるのは、あくまで客側であるべきなのです。
決して、失敗の言い訳をするための道具ではない。ここらへんはAIモデルを出す企業側も重々念押ししている点です。
創作活動、頑張ってください!
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
とても示唆に富む優れた考察だと思います。
(「四則計算に電卓を利用させるのは、何歳からが良いのか」といった問題にも通じるものがありそうです。因みに、私自身は小学2年生から、算数の宿題を手早く済ませるのに(当時はまだ珍しかった)「電子式卓上計算機」をこっそり利用していました。「遊びの時間の確保」には大いに有用でした。)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
仰る通りのような気がしますね……電卓を早めに与えてしまうことは、割り算の性質を学ぶのではなく、「21 ÷ 3」と電卓に入力することと捉えてしまう可能性がある。
「創造」を「作業」に変えてしまうリスクを持つ。
確かに早く、正確にはなるんですがね……
でもだからといって、タイプした文字を全部手書きに出来るか? と訊かれたらノーでしょうし、「考えること」もまた壮大な電卓であるAIが出してくれると言われたら、しがみついてしまうかもしれませんね。
結局、人類そのものが自らの道具と半ば融合しているような状態であり、どこまでが自分の身体で、どこからが「外」なのか、といった問題がこのAIに関する議論にもつながってくるのだと思っています。
編集済
利器にどこまで依存するかへの応援コメント
いまのAIは、パターンを学習する機械計算をベースとしていて、意識や感情はなく予測と生成が得意なツールです。
高速計算とデータ処理に強く、日常業務を効率化にするが、深い理解や創造性ができるかは人間次第。
付き合い方としては、ルーチン作業を任せて時間を節約したり、誤りのチェックに活かしたり、アイデア出しの手伝いをしてもらったり。
でも、性能は7割程度で、過ちもあれば間違いもするし、嘘も多い。
やる気のある年少者みたいな扱いをしながら、依存を避けつつ、生産性向上のために付き合ってみてはどうでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
やる気のある年少者とは、なかなか的確なAI評だと思います。
前向きで、飲み込みも早い。ただし指示が悪いと変な動きをし、責任は(身分的に)取れない雰囲気がよく出てます。
AIを執筆にあて始めた自分がみたところ、現時点のAIとは「自分自身の現在の能力に比例して自分にバフをかけるツール」です。(道具というのは得てしてそうかもしれませんが)
AIを使いこなせる人は、何が正しく何が間違っているのかを把握でき、そういった人はそもそも線引き(主導権)を自分で決められるのです。
結局は本文にある「契約」の話に繋がってくるのですが、その力に溺れることなく扱えるようにするにはどうしたらいいのか。
それは拳銃などをはじめとした、破壊力のある道具全般における課題だと思います。