新城一味 〜私、前座です編〜

 突如始まったメンバーたちの自己紹介だが、場の空気は混沌としていた。


「みーちゃん、そう興奮しなさんなって」

「……あんたらのせいだからね?」


 翠鳥は苛立ちを隠そうともせず、腕を組んで竜雅を睨みつける。

 虎道は静かにその様子を眺めながら、軽く溜息をつく。


 ━━ああ、そうだ。こういうやつらだった……。


 一癖も二癖もあってひとりふたりでも一緒にいるとやかましいのに、全員が集まると人数以上に騒々しく感じられてしまう。

 友達など別にいらない、作らない。そう思っていたはずの自分の考えまで簡単に変えてしまうような遠慮のない連中なのだ。


「三人目までああなったら、残りもそう言わなきゃいけない空気になるでしょうが……。次こそどうにかしなさい!」

「━━はい」


 次に名乗りでたのは、年齢不相応の落ち着いた佇まいの少年だった。

 身長は高めで、亥緒よりは低いが虎道と然程変わらない。虎道のほうがほんの少し高い程度か。

 背筋をピンと伸ばした、凛とした佇まい。

 少しだけ伸ばした襟足をゴムで結んでおり、それも相まって武士のような印象がある。

 周りが中高生らしいカジュアルな服━━約一名を除く━━に身を包む中、甚平を纏っていて貫禄もある。

 この少年は只者ではない。そう思わせる威厳と風格が確かにあった。


「とうくーん、しっかりー!」


 知勇の自己紹介のときと同じく、真っ先に声を上げたのは絵馬だった。

 元気いっぱいに手を振りながら応援する姿は小さな子供のようだが、その瞳には心からの信頼が見える。


「大丈夫かな、闘志とうし……。僕みたいに変な風にならなきゃいいけど……」


 その隣で、知勇が心配そうに呟く。俯きがちに指をもじもじさせながら、友人の動向を見守っていた。


「宮木闘志です。ご回復されたようで、安心致しました、師匠」

「師匠……」


 その言葉を口にするなり、いつぞやの絵馬との会話が思い出される。


『他に何か思い出した?』

『ん……いや……』

『お弟子さんのこととか』

『弟子……?』


 ━━そうだ、あれは闘志のことだ。



 小学校、中学校とそれぞれ、冠帯区で年に一度開催される学校合同の大体育祭。毎年そうではあったが、虎道は小学二年生のとき際立つ活躍を見せ注目の的となっていた。


『キミ、なかなかやるね。去年も大活躍だったじゃん』


 そんな彼に声をかけてきたのが、虎道のあかつき小学校とは少し離れた程度にある、綾波あやなみ小学校に通う宮木狐凪こなぎという少女だった。


『キミさ、剣道でうちの弟を負かしてやってくれない?』


 実家が剣道場を営む彼女だが、自分よりも早く強く成長した弟に対して苦い感情を抱いてたらしく、そんなことを頼まれた。

 虎道は竹刀など握ったこともなかったが、紆余曲折の末、彼女の頼みを受け入れることになる。


 十回闘えば闘志が九回勝つぐらい実力差があるはずの勝負だったのかもしれない。だが、一本勝負を制したのは狐凪に基礎を教わっただけの虎道だった。

 同年代では負け知らずのはずだった、あの宮木闘志が剣道でひとつ年上なだけの素人に負けた。彼を知る人間には大変衝撃的な出来事だったらしい。


 これを皮切りに、新城虎道の名は冠帯区のあちこちで語られるようになった。

 物心つく頃から祖母に鍛えられた圧倒的な身体能力に、加減知らずの努力。それに新城一味の面々を初めとした周囲の悪ノリが加わったその伝説は、尾ひれ背びれを付けながら本人の知らないようなとんでもないものとなってしまっている。

 自らの伝説を耳にした虎道が驚愕することになるが、それはまた別のお話……。


 ともかく、あの一件は闘志が虎道を『師匠』と呼び慕い、絵馬が剣道を始める大きなきっかけとなったのだ。

 ちなみに約束を果たしたはずなのに、闘志はますますストイックに剣道にのめり込むようになり、虎道は翌年、狐凪に散々文句を言われた。


「師匠には感謝しています。“井の中の蛙大海を知らず”━━上には上がいるということを思い知らされました。あの敗北が、自分が精進する大きなきっかけになりました。師匠との出会いがなければ、今の自分はなかったでしょう」


 それだけ言うと闘志が感情の読めない瞳で、虎道をじっと見据える。

 周囲の注目が集まる最中、彼は重々しく口を開いた。


「…………油を断つと書いて油断」


 翠鳥は声を張り上げた。


「大喜利大会になってる!」


 宮木闘志という人間は、虎道以上に生真面目で融通が利かない性格をしている。

 ボケるつもりなど一切なく、虎道に贈るメッセージを何か言わなければという気持ちと、前三人の自己紹介が妙に引っ張られてしまった結果だろう。


和音わおんちゃん、先にどうかな?」

「いえ、詩愛しあさんのほうからどうぞ」

「ほらぁ! 男どものボケのせいで、残りの女子二名が紹介しにくくなってるじゃない!」


 どうぞどうぞ、と順番を譲り合う後輩女子を見ながら翠鳥が嘆く。 


「ほら、和音いきなさい!」

 

 名指しされた和音は「……わかりました」と言うと静かに立ち上がり一礼をした。


 彼女の佇まいはまさに大和撫子という言葉がよく似合っていた。

 背筋はまっすぐで、その仕草はどこか品が漂っている。

 艶やかな黒髪が肩の少し下で揺れ、名家のお嬢様のような品格があった。

 視線を一度だけ床に落としてから、ゆっくりと前を向くその動作には、まるで伝統芸能の一幕を見るかのような気品すら感じさせる。


 だが、その印象はすぐ見事に裏切られることになる。


「泉和音です。先輩には主に、生徒会の後輩としてお世話になっています。先輩は……とても努力家な方で、決して自分に傲ることなく、常に研鑽を続けている人だと尊敬しています」


 一瞬、視線を下に落とすと、和音は少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「それに困っている人がいたら、躊躇なく手を差し伸べることができる方です。そういうところが……本当に素敵だと思います」


 記憶が曖昧な自分が、そんな風に思われているとは思ってもみなかった。

 和音の言葉は、虎道にとってむず痒くも暖かさを感じさせるものだった。


「和音ちゃーん! 視線くだされ〜!」

「……それと、そこにいる肥満体は私の兄です。家族の恥さらしですけど」

「拙者の扱い酷すぎワロタ」


 はしゃぐ兄をぞんざいに扱い、「はあ……」と息をつく。その仕草には慣れきった様子さえ見て取れる。


「それと━━推しカプについてですが」


 突然の発言に、場が一瞬静まり返る。


虎道先輩×卯衣先輩こどうい虎道先輩×竜雅先輩こどりょうは王道ですが、つい先程の光景を見て、虎道先輩×知勇君こどちゆもアリだな……と」

「その告白必要だった……?」

 

 灯未がぼやくが、少し頬を染めながら遠くを見るような目をしている和音には聞こえていないようだった。

 しばらくして我に返った彼女は咳払いをする。


「……失礼しました、悪い癖です」

「本当に悪い癖だし、失礼してるわね」


 翠鳥がきっちりツッコミを入れる。


「相変わらず、わんちゃんの言ってることはうちにはよくわからないっす!」

「絵馬ちゃんはそのままでいいんだよ」

「自分と師匠の組み合わせはないのか?」

「闘志が思ってるようないいものじゃないよ……」


 絵馬と卯衣、それに闘志と知勇のやりとりが聞こえてくる。

 ちなみに虎道はどこか異国語を聞いているような心地がして、途中からずっと窓の外を眺めていた。


「え、ええ〜? なんか最後のほうが紹介しにくいなぁ……」

「ほら、詩愛ちゃん。ちゃんとお兄ちゃんに思い出して欲しいでしょ?」

「うさちゃんセンパイ……」


 場の空気に若干戸惑いながらも、卯衣に背中を押された少女がおずおずと前へ出る。


「虎道センパイ━━わたしのこと、わかりますか?」


 詩愛は長い前髪をヘアピンで留めて、隠れていた顔をあらわにさせる。

 前髪の奥から現れた顔立ちは綺麗に整っていて、まるで映画やドラマのスクリーンから抜け出してきたかのようだ。

 大きな瞳はキラキラと光を反射し、ふわりとウェーブのかかったセミロングの髪が肩に沿って流れている。

 透き通るような白い肌に、自然なピンク色の唇。まだ大人になる前の少女なのにも関わらず華のある雰囲気を漂わせている。

 その美貌は、卯衣と並んでも引けを取らないほどだった。


 彼女の瞳を見た瞬間、虎道の記憶にある日の光景が鮮明によみがえった。


 ━━それは虎道が新城家に引き取られることになり、幼稚園の園庭で別れを告げた日。

 幼い彼女の髪が風に揺れて、隠れていた顔があらわになった瞬間、虎道は初めてその瞳をしっかりと見た。

 その目には、幼いながらも別れの寂しさと、それでも虎道を見送る優しさが映っていた。


葛城かつらぎ……詩愛」


 虎道の口から漏れたその名前は、妹たちや幼馴染たちと出会う前の、たったひとりの友達のもの。

 わずかな時間しか一緒にいられなかったが、幼かった虎道にとって唯一の心の拠り所だった相手の名前。

 遠く離れた地にやってきたはずなのに再び巡り合った、強い縁で結ばれた少女だった。


 詩愛は驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかな微笑みに変わった。


「はい、呼ばれました葛城詩愛です」


 彼女の笑顔は幼い頃と変わらず、どこか優しく温かい。


「今度は、詩愛がセンパイを助けちゃいますよ」


 詩愛が明るく笑うと、虎道もつられるように微かに口元を緩めた。

 その様子を見て、和音が小さく呟く。


「なんだか私、詩愛ちゃんの前座みたいになってませんか?」


 だが、その一言に反応する者は誰もいなかった。



「じゃあ最後。あたしはあんたの幼馴染の桑折翠鳥」


 翠鳥が胸を張りながら堂々と宣言する。


「みーちゃん、オレにはもう病院でやってるから自己紹介はいらないみたいなこと言ったくせに、自分はちゃっかりするんだ……」


 竜雅が口を挟むと、翠鳥がじろりと彼を睨んだ。


「黙りなさい。あたしがルールよ」


 有無を言わせない声に、竜雅が「ええ……」と脱力気味に呟く。


 そのやり取りに、虎道は静かに目を細めた。

 昔から変わらない二人の掛け合いに、どこか懐かしさを感じる。


「以上、十一名! いえ、あんたも入れたら十二人ね。これが━━」

「大喜利集団」

「そうそう、大喜利集団━━なわけあるか!」


 翠鳥の言葉の途中に割り込んだのは虎道だ。

 表情はほとんどいつもの厳格なものだが、わずかにその肩が震えている。


「あんた、いつも真顔で冗談言うのやめなさいよ……」

「これが俺だろ」

「……ま、そういう奴よね、昔っから。別にあたしはどうでもいいけど、その大喜利集団のリーダーなのよ、あんた」

「…………」


 そのやりとりに店内には穏やかな笑い声が溶け込んでいく。

 誰かが軽口を叩けば、誰か━━主に翠鳥━━がそれに反応する。

 その輪の中に自然と馴染む自分を、虎道はどこか新鮮に感じていた。


「ほら、今日はあたしんちのおごりだから、好きなパン取んなさい」

「桑折ベーカリー最高!」

「竜雅。あんたんちは金持ちなんだから後で払いなさい」

「解せぬ」

「灯未もどうせ山程食べるだろうし、後日請求するわね」

「解せぬ」


「とうくん、相変わらず甘そうなのばっかりっす!」

「甘いものは別腹だから」

「闘志のチョイスじゃ別腹のほうしか溜まらないじゃないか……」

「絵馬ちゃんも知勇も、翠鳥先輩の家のドーナツは食べたほうがいい。湯種製法が使用されていて、もちもちに仕上げられているし非常に風味豊かなんだ。シンプルなシュガードーナツも捨て難いが、このチョコドーナツはチョコレートにも拘りがあるようで━━」

「君の幼馴染で甘党なのも知ってたけど、そんな饒舌に喋るとこ見たことなかったよ……」


「では、大喜利集団でカンパイといくでござるか」

「兄さんが仕切らないでください」

「妹が辛辣過ぎて草」

「虎道センパイ、出番ですね!」

「よっ、大将!」

「お兄ちゃん」

「ああ。……今日はありがとう。じゃあ、カンパイ」


 ━━こんな風に、笑い声が響く場所がずっと続けばいい。


 幼い頃は想像も出来なかった。

 自分を慕う、こんなにも多くの仲間たちに囲まれていることを。

 あの頃の自分が、こんな温かさを知る日が来るとは思いもしなかった。



 これはもう少し後の話になるが、虎道は帰るときに入口の扉の差し替えられた貼り紙を目にする。

 とてもパン屋の貼り紙とは思えない内容で、きっとまた笑いをこらえることになるだろう。


【本日は新城一味の打ち上げの為、貸切営業とさせていただきます】

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