十二個目の手順

丁山 因

十二個目の手順

 私が物心ついたときから母方の祖母には左目がなかった。昔、事故に遭ったことが原因らしい。目は眼球ごと欠損しており、その部分にはただ暗い眼窩が見えるだけ。皮膚はその周囲で少したるみ、乾燥して見える。右目は鋭く用心深そうに周囲を観察しているが、左側の顔は不自然に静かで生気を感じさせない。外では色眼鏡をかけて目元を隠しているが、家にいるときは素面のままでいる。私はその風貌が恐ろしくて、幼いときから祖母が苦手だった。

 母の実家は島根の小さな漁師町で、代々カニ漁をしている。当時私の家は大阪で、共働きだった両親は夏休みになると私を島根の実家に預けていた。だから私にとって島根の家は馴染みが深く、思い出の多い場所だ。

 あれは忘れもしない一九八二年の夏休み、小学六年生だった私は例年通り島根の家で過ごしていた。ある日、知り合いの法事だかで伯父さん夫婦が家を空けた。その日は夜遅くまで帰ってこない。苦手な祖母と二人きりで留守番することに居心地の悪さを感じたものの、それを露骨に表現するほど私はもう子供ではなかった。


「フミ雄はオレが怖いか?」


 祖母がいきなり声をかけてきた。その時は居間でテレビを観ていて、たしかお昼のワイドショーでやっていた「あなたの知らない世界」だったと思う。話しかけられたのは番組がちょうど終わったタイミングだった。


「え、別にそんなことないよ……」


 テレビを消して祖母に答えた。小六ともなれば建前の使い方くらい心得ている。祖母のストレートな問いを否定するがそんなものは通じない。普段の接し方を見れば、私が祖母をどう思っているかは十分知られている。


「いいんだ嘘つかなくっても。オレは左目がねえからな。自分でも時々怖えと思うことがあるさ」


 今考えると祖母なりの自虐ネタだったのかもしれない。それでも私はクスリともせず、黙ったままうつむいてしまった。


「いい機会だからよ、なんでオレに左目がないのか教えてやるよ」


 そう言って祖母はテーブルに肘を付き、思いも寄らぬ話をし始めた。




 祖母が生まれたのは大正十四年(一九二五年)。実家がカニ漁をしていたお陰で、裕福とは言えないがそこそこの暮らしをしていたという。


「オレが十六の時にアメリカと戦争が始まってよぉ……」


 それは学校で習った。太平洋戦争のことだ。当初は連戦連勝で町も大いに沸いていたそうだ。


「それがミッドウェイ以降様子が変わってきてなぁ」


 若い男性が一人、また一人と兵隊に取られて、町の活気が徐々に消えていったらしい。


「オレが十八になった時にな、嫁に来てくれと言われたんだ」


 相手は祖母の四歳上。出征を控えていたらしく、急遽縁談がまとめられた。この時の結婚相手、テツ雄が私の祖父だ。だが、テツ雄には同い年で将来を誓い合っていた娘がいた。名前はキヨ子。テツ雄はキヨ子との結婚を望んでいたが、それは叶わなかった。キヨ子は父一人子一人の家庭で、十六歳の時に松江の女郎屋へ売られたという。テツ雄の結婚が決まったときは南方占領地へ、いわゆる慰安婦として出稼ぎに出ていたらしく、キヨ子の父は随分と金回りが良かったとか。

 祖母はこうした事情を結婚後に聞かされたが、特になんとも思わなかったらしい。見合いの三日後に結婚し、テツ雄と過ごしたのは一週間もなかったせいか、嫉妬どころか愛情すらなかったそうだ。


「それでよ、戦争が終わったらひと月もしねえでテツ雄が帰ってきたんだ」


 中国で終戦を迎えたテツ雄は運良く引き揚げ船に乗ることが出来、わずかひと月たらずで祖母の元へ帰ってきた。


「新婚みてえなもんだから、しばらくは仲良く暮らしてたんだがよぉ……」


 テツ雄の復員から三ヶ月もしないうちにキヨ子も南方から帰ってきた。戦地ではかなり稼いでいたらしいが、帰国のドサクサで全てを失い無一文で実家へ戻ったとか。


「爺さんはキヨ子に随分同情してな、米やら味噌やらをくれてるうちに……」


 焼け木杭に火が付いたのか、ふたりは急速に親密になった。戦争と貧困で引き裂かれたとはいえ、元々恋仲だったのだからそれは自然なことかもしれない。加えてキヨ子が娼婦だったことは町の人全員が知っており、嫁のもらい手などない。だから生きていくためにキヨ子は自分を売るようになった。テツ雄がキヨ子の面倒を見たのは、それを止めさせたかったからというのが大きい。


「そのうち家に帰らなくなってよぉ……」


 テツ雄はキヨ子の家へ泊まるようになり、稼ぎも渡すようになった。一方、本来の妻である祖母は生きていけるギリギリの金しかもらえなかったそう。

 この時点でもう小学六年生が聞くには重すぎる内容で、私は一刻も早く祖母に話を止めてもらいたかった。だが、実はここまでの話は単なる前フリにすぎず、主題はここからだった。


 祖母はいきなり恐ろしい言葉を吐く。


「だからよぉ……キヨ子を殺すしかねえなぁと思って……」

「えっ……えっ……ほんとに……?」


 突然の告白に驚きと困惑で動揺する私に、祖母は「勘違いするなよ」と笑いながら話を続けた。


「さすがに手は出せねぇから、キヨ子を呪い殺すことにしたんだ」

「の……のろい?」


 そこから祖母は詳しい呪いのやり方を話し始めた。方法は祖母の祖母、私にとっては高祖母に当たる人から聞いたという。そして高祖母は、若い頃町へやって来た流れ者の修験者から聞いたとか。そうなるともう幕末から明治初期の話だ。


「手順はいくつかあってよぉ……」


 まず白紙で人型を作って相手の髪で結び、川に流すところから始める。そこから決められた日取り、方角、場所などの手順を守りながらひとつひとつ呪いを進めていく。最後は犬の首を相手が住む家の丑寅の方角に埋めて完了する。

 呪いのやり方を伝えるのは本意ではないし、私自身も半分くらい忘れてしまったから詳細には触れないが、その時の祖母は十一ある手順を全て事細かに説明してくれた。


「やり終えるまで半信半疑だったんだけどよ……」


 呪いが完了してから十二日後にキヨ子は本当に死んだ。日中、家事の最中に突然倒れ、「熱い!!」とのたうち回りながら絶命したらしい。一緒にいたテツ雄は急いで医者を呼んだが間に合わなかった。その後警察が解剖したところ、キヨ子の喉は炭化するほど焼けただれ、肺まで真っ黒だったとか。医師は真っ赤に焼けた石炭を喉に突っ込んだようだと話していたが、もちろんそんな物はどこにもない。結局事件は不審死で処理され、テツ雄は祖母の元へ帰ってきた。


「それからは子供が次々に生まれて、オレ達は本当の夫婦になったんだ」


 祖父であるテツ雄は私が小学三年生の時、五十八歳で亡くなったが祖母との間に子供を四人作った。島根の家の家主である伯父と私の母、その弟と妹の四兄弟。子供が小さな頃は世話が大変で、祖母は随分と苦労したらしい。話がここまで来ると怖さが少し和らいだが、よくよく考えるとまだ肝心の話を聞いていない。祖母はなぜ左目を失ったのか。


「昭和三十三年の暮れにな、火鉢で火を起こしていたら真っ赤な炭が左目に飛んできたんだよ」


 祖母の左目を直撃した木炭は一瞬で目を焼いたらしい。医者に担ぎ込まれた祖母は長時間の手術の末、左眼球を摘出することで一命を取り留めた。


「それで入院中に思い出したんだ……手順は十二あったって……」


 十二個目の手順は、呪いをかけた年と同じ干支年に呪いの詳細を誰かに伝えること。呪いを伝播させることで自身に降りかかる厄災を避ける。それを怠ったから祖母は左目を失った。


「だから次の戌年にはちゃんと伝えたんだ」


 話した相手は祖父。聞いたときは随分驚いていたらしいが、元は自分にも責任があることで、それ以降はその件について一切話さなくなったそう。


 ここまで聞いて私は愕然とした。


 なぜ祖母がこんなグロテスクな話を長々としたのか。怖い話で孫の退屈しのぎをしたんじゃない。まさに十二個目の手順が今行われたのだ。今年は一九八二年、祖父が話を聞いた次の戌年だ。


 それから祖母と何を話したのかはよく覚えていない。ただ、この夏を最後に私は島根へ行かなくなった。次に島根を訪れたのは私が社会人になって二年目の年末。祖母の葬儀のためだった。祖母は亡くなる二年前に認知症を発症し、伯父夫婦の手を随分わずらわせていたらしい。ただ頭以外は健康そのもので、亡くなる前日も近所を徘徊して伯母を困らせていた。


「お義母さん元気そうだったんだけど、次の日起こしに行ったらね……」


 伯母の話によると祖母は手足を丸めた状態で冷たくなっていたらしい。その顔は大きく歪み、ひどく怯えているように見えたとか。とても人に見せられる状態じゃないからと、納棺後の顔見せはしなかった。だからどんな顔だったのか私は見ていない。


「まだそんな歳じゃなかったのにねぇ~」


 祖母の火葬中に親戚達がそんな話をしていたが、私だけは理由を知っていた。祖母が亡くなったのは一九九四年の戌年。認知症を患っていた祖母は、あの話を誰にも伝えられなかったのだ。

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