塾で先生の買っている猫のことを散々聞かされた後に、ようやく解放された。


 トボトボと歩く夜道は、人通りも少なく不気味であり、ポツンポツンと灯る住宅街の照明は、世界をそこだけ切り取って存在させていた。

 心細くつい首をすくめてしまう道を一人進んで、あまり居心地の良くない家に帰れば、そこに母と呼ばれる女はいなかった。

 代わりにメモが机の上に一枚。


 『お姉ちゃんのことで警察へ』


 ふうん。ついに見つかったのか。

 何の感慨もなかった。数回しか会ったことがない『姉』という物体に、一体、何を思えば良いのか、検討もつかなかった。


 誰もいないリビング、風呂も沸いてはいないが、我が娘が見つかったなら仕方ない。

 あんなに娘に無関心そうな女にでも、それなりの情があるんだろう。


 警察……ということは、どこかで補導でもされたのか、何か犯罪でもしていたのか。

 あり得ないことではない。

 年若い家出人が金銭を稼ごうと思えば、それだけ手段が限られるということであろう。


 息子というものを演じる必要があるならばと、風呂くらい沸かすつもりで重い腰を上げれば、スマホに着信があることに気づく。


『塾が終わったら警察に来てください』


 母からだ。

 着信は、つい先ほど。

 家に帰っている途中。

 住所と電話番号も記載されているが、ここならは、迷うことはない。

 俺は、あまりの面倒くさい状況に大きなため息を吐きつつ、玄関へと向かった。


 外に出れば、どこかでパトカーのサイレントが鳴り響いていた。

 高い音階のサイレンは、耳障りで、不機嫌な俺の気持ちを逆撫でする。


 姉が帰りたくないと警察で駄々をこねてでもいるのだろうか。

 ならば話は簡単だ。

 俺は遅かれ早かれ家を出るつもりだから、気にせず堂々と居れば良い、そう言えば良いのだ。そうすれば、姉とやらは家に帰る。

 

 どうせ誰も止めはしないだろう。

 名前だけの姉と母。一皮剥けば、赤の他人だ。

 父? 父親は、一応血が繋がっているだけで、俺が予想よりも早く家を出ることに何の異論があるとも思えない。


 家族なんて結局気持ち悪い偽物だ。

 人間なんて、底の底では結局一人。


 警察署に着いて、母に会えば、泣いた目で、俺を見ている。


「お姉ちゃん、死んだのよ」

 

 母なる物体は、俺にそう言った。

 なんの感慨も湧かない。

 そりゃそうだ。姉弟と呼ぶには希薄過ぎる関係だ。沸くわけないのだ。

 だけれども、ここで心のままに「へぇ、そう」。と、言えば、薄情だと罵られるに違いない。

 

 どうしようもない俺は、「うん」と、だけ返答する。

 てか、お前さ。

 そんなに泣くほど大事な娘なら、どうして放っておいたんだよ。

 さっさと探しにいけば良かったんじゃね?

 てかさ、お前さ。

 そんなに泣くほど娘に傍にいて欲しかったんだったらさ、どうして娘が反対しているのに、再婚したんだよ。

 俺の親父とそんなに大恋愛して感じでもないだろ?

 本当に意味不明だ。


 どうして良いか分からない俺は、母を置いて、警察署の出入り口へ。

 風除室で一人立って、スマホをいじっていると、知った顔が通り過ぎる。


「あ、先生」


 先ほど講義をしていた猫好きの塾講師が、血相を変えて俺の前を走り過ぎていく。

 そうとう焦っているのか、俺のことは気づかなかったようだ。


「は、母を! 連絡を受けまして!」


  何が起きたのかは知らないが、猫どころではなさそうだった。

 




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