第13話 焦燥の前線
王都から加わったエリスが到着して数日。王国軍第七機甲騎士団の陣営には、わずかな安堵と新たな緊張が同居していた。
エリスの丁寧な物腰と柔らかな笑顔は、荒んだ兵士たちの心を一時的に和ませてくれる。だが、その間にも帝国軍は着々と再編を進めているという報告が届いており、リオンたちは落ち着かない日々を過ごしていた。
薄暗い夜明け。陣営の周囲には哨戒兵たちが配置されており、リオンは目をこすりながら自分の持ち場へと向かう。
カールは既に起き出しており、夜通し行われていた警備と巡回の報告をまとめていた。
「リオン、昨日は休めたか? あまり眠れなかったんじゃないか」
「そうですね……。なんだか胸騒ぎがして、結局うまく寝つけませんでした」
リオンの返事を聞くと、カールは小さく溜息をつく。「帝国軍が再編しているって話だし、気持ちは分かるが、倒れられたら元も子もないぞ。休めるときに休んでおけ」
「ありがとうございます、カールさん。気をつけます」
エルドもやって来たが、顔には疲労の色が濃い。
「おはようございます。……ああ、体が痛い。昨日、ちょっと張り切りすぎました」
「大丈夫か、エルド? 無茶をしやがって」
リオンが苦笑すると、エルドは肩をすくめて苦笑いを返す。
「訓練で新しい動きに挑戦したんだよ。そしたら筋肉痛がひどくて……」
そんな冗談めいた会話を交わしながらも、3人の表情はどこか落ち着かない。いつ帝国が次の攻撃を仕掛けてくるか分からないという現実が、全員の心を縛りつけていた。
朝の警戒任務を終えたリオンとエルドは、ギルフォードに呼び出され、作戦室へと足を運んだ。そこにはエリスも同席しており、地図を睨んでいた。
「リオン、エルド。ちょうどいいところだ。お前たちにも聞いてほしい話がある」
ギルフォードが2人を手招きし、隣の席を促す。エリスは丁寧に一礼してからリオンたちに視線を向けた。
「隊長、帝国軍の動向に何か変化があったのですか?」
エリスの問いに、ギルフォードは深く息を吐く。
「どうやらクラウス隊が再び動き始めたらしい。インフェルノフレームを使った小規模な奇襲を、いくつかの前線で行っているとの報告がある」
クラウス――帝国軍の指揮官であり、前回の戦闘では漆黒のフレームに片腕を落とされた人物だ。
「クラウスが復讐心を持ってこちらを狙ってくる可能性は高い。何より、インフェルノフレームの量産は続いている以上、こちらの警戒を解くわけにはいかない」
ギルフォードは地図を指しながら説明を続ける。
「この周辺の地形は比較的開けている。帝国軍が少数のフレームでも高速奇襲を仕掛けてくれば、我々は守り切れないかもしれない」
リオンはその言葉に眉をひそめた。
「そんな……。もう少し後方に下がるべきでしょうか?」
エルドも同調する。
「ここで防衛線を張るのは危険ですよ、隊長。補給も追いついていないのに」
しかしギルフォードは首を振った。
「本部からの指示で、ここを放棄するわけにはいかない。この陣地を失えば、帝国軍は王国領へと一気に突入してしまうからな。幸い、エリスも来てくれたし、先日の補給で多少の余力はできたはずだ」
カールが地図を見ながら呟く。
「とはいえ、数の差はどうにもならないですね。インフェルノフレームが相手だと、現状オメガフレームで守り切るのは厳しい。漆黒のフレームが再び現れるかどうかは分からないし……」
「そうですね……」
エリスは静かな声で同意を示す。「あの漆黒のフレームが何者なのかは分かりませんし、こちらが期待して呼べるものでもありません。自分たちで防衛を完遂する術を考えなければなりませんね」
作戦会議がいったん終了し、兵士たちはそれぞれの業務に戻っていく。リオンはエルドとともに、整備中のオメガフレームを確認しに行った。
そこではエリスが整備士たちと打ち合わせをしており、その丁寧かつ的確な指示に、周囲の兵士が感嘆の声を上げている。
「エリスさん、すごいな……。王都から来たってだけじゃなくて、現場のこともよく理解してるみたいだ」
エルドが感心したように話しかけると、リオンも小さく笑みを浮かべた。
「ああ。あの落ち着きは本当に助かるよな。皆、彼女がいるだけで少し安心できるんじゃないか」
やがてエリスが2人に気づき、足早に近づいてきた。
「お疲れさまです。オメガフレームの修理、少しでも早く終わらせたいですね。敵の動きが本格化する前に万全の体制を整えましょう」
「はい。俺たちも手伝います。エルド、行くぞ」
「了解です!」
こうして兵士総出でフレームの整備や物資の管理に力を注ぎ、陣営全体がせわしなく動き回る。しかし、その根底には帝国軍の猛攻を恐れる不安が常に漂っていた。
一方その頃、帝国軍本拠地ではクラウスが新たな作戦を練っていた。片腕を失った指揮官機は修復作業が終わったばかりだが、既に再出撃の準備を整えようとしている。
「大尉、インフェルノフレームの追加分が到着しました。正式配備にはもう少し時間がかかりますが、先行運用であれば即日でも可能かと」
部下の報告に、クラウスは満足げに頷く。
「そうか。では、すぐに準備しろ。今度こそ王国軍の防衛線を破り、あの漆黒のフレームとやらをおびき出してやる」
片腕を修復した指揮官機を見上げながら、クラウスは拳を握りしめる。
「あのフレームが王国軍の兵器でないなら、なおさら排除する価値がある。余計な未知数は消し去らねばならん。俺が直接ケリをつける……!」
帝国軍内部では、漆黒のフレームの正体を探る動きもあるようだが、クラウスにとっては復讐が何よりの最優先だった。
夕刻。王国軍の陣営では、一時的に整備と訓練を終えた兵士たちが集まり、簡易的な夕食をとっていた。
リオンとエルドもその輪に加わり、パンとスープを口にしながらあれこれと話を交わしている。
「結局、帝国軍の新たな動きってのはまだ掴めてないんですよね?」
エルドがカールに尋ねると、カールは低く唸るように答えた。「偵察隊がいくつか情報を持ち帰ってきたが、決定的なものはない。ただ、向こうも再編を終えつつあるはずだ」
「次に来るとしたら、いつになるんだろう。……気が休まらないですね」
リオンが視線を落とすと、エリスがそっと声をかけてくれた。「リオンさん、あまり思いつめないでください。今できる最善を尽くせば、あとは運命に任せるしかないと思います」
「……そうですね。ありがとうございます、エリスさん」
リオンは苦笑いしながらも、内心少し救われた気分だった。
そんな中、ギルフォードが姿を現す。「皆、食事は済んだか? 悪いが少し集まってくれ」
隊長の声に場が静まり返る。何事かと兵士たちが注目する中、ギルフォードは落ち着いた声で伝える。
「偵察隊から報告が入った。帝国軍が本格的に動き出したらしい。インフェルノフレームを主力とする部隊がこちらに向かっている、とのことだ」
その言葉に陣営の空気が一変する。「やはり来るか……」という呟きや、不安そうな表情が広がる中、ギルフォードは続ける。
「まだ距離はある。恐らく明日には前哨戦が始まると予想される。各自フレームの整備を完璧にし、厳戒態勢を取れ。負傷兵や後方要員にはできるだけ安全な場所に下がってもらうが、我々前線組は徹夜で準備に当たるぞ」
リオンは思わず唇を噛む。
「……ついに来ましたか」
エルドは拳を握りしめながら頷く。
「ああ、やるしかない。今度は漆黒のフレームが現れないかもしれない。俺たちだけで耐えないと」
「はい。皆で力を合わせて、なんとか持ちこたえましょう」
エリスは丁寧な口調でそう言いながらも、その瞳には強い決意の色が宿っていた。
夜が深まる中、兵士たちは再び慌ただしく動き始めた。オメガフレームの最終点検、弾薬や魔石などの補給、そして陣地の防衛ラインを改修する作業。寝不足と疲労が全身を蝕むが、誰も弱音を吐かない。なぜなら、次の戦いを乗り切れなければ、自分たちだけでなく王国全体が危機に瀕することを理解しているからだ。
リオンもカールやエルドとともに、深夜までフレームの調整に当たっていた。
「よし、こんなもんか……。カールさん、エルド、俺のフレームは一通り終わりました」
「そっちは終わったか? じゃあ次はエルドのフレームだな。お前の機体は昨日の訓練で結構傷んでるだろ」
「ええ、よろしくお願いしますよ。フレームが壊れたら俺はただの足手まといですからね」
そんな軽い冗談を言い合いながらも、手は休めずに作業を進めていく。やがて周囲の喧騒が徐々に静まっていくのを感じたころ、朝日がゆっくりと地平線を照らし始めていた。
「一晩、ずっと働き詰めか……」
リオンはわずかな仮眠さえ取れずに指先に油や擦り傷がつくまま作業をしていたが、不思議と眠気は感じなかった。むしろ次の戦いに対する緊張感がそれを打ち消しているようだった。
朝日が陣営を照らす頃、ギルフォードが再び声を上げた。
「皆、よくやった。これで一通りの準備は整ったはずだ。だが、油断するな。帝国軍がいつ来てもおかしくない状況だ」
兵士たちは眠い目をこすりながらも気持ちを奮い立たせ、配置につく。リオンとエルド、そしてエリスは前線部隊の一員として、いざというときにすぐ出撃できるようスタンバイに入った。
「リオンさん、エルドさん。万全ではないでしょうが、今の我々にできることはやり尽くしましたね」
エリスが静かな口調で言うと、リオンは力強く頷く。「はい。あとは帝国軍が来たら、全力で迎え撃つだけです」
エルドも笑みを見せる。
「漆黒のフレームなんか頼らなくても、俺たちだってやれるところを見せてやりましょう。カールさんも負ける気はないですよね?」
ちょうど通りかかったカールは苦笑混じりに応える。
「当然だ。隊長を含め、皆で必死に作り上げた防衛線だ。簡単には破らせないさ」
こうして王国軍は、次なる戦いに向け、全員が心をひとつにしようとしていた。夜も明けきらない早朝、遠くで小鳥が鳴く声が微かに聞こえるが、それさえも緊迫した空気の中では遠い存在だ。
「さて……そろそろ帝国軍が姿を見せる頃かもしれない」
リオンは東の空を見据えて呟く。そこには何も見えないが、胸の奥には焦燥感が広がっていた。
漆黒のフレームは再び姿を現すのか、それとも――。
王国と帝国、それぞれの軍が絡み合う運命の歯車は、再び大きく回り始めようとしていた。
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