ハノン貴文 スペース江戸えれきてる自死
こむぎこ
第1話
貴文には幸せというものが何一つなかった。何一つないと言ってしまっても過言ではなかった。無論、はたから見ればそんなことはない。それなりの幸せがあり、それなりの裕福さがあり、何でもはないけれど何かぐらいはつかめるくらいの立ち位置があった。だというのに、すべてを取りこぼすことが生き様だと言って聞かないほどに、壊れた網のような人生の流し方をしていたのが貴文だった。起因するは恋人を見捨てたこと。それは樹海に入り込もうとする恋人だった。引き止めればきっと生きていたかもしれないだろうか。貴文の脳内にはその言葉はいつだって棲んでいた。巣くっていた。救っていたとさえいっても過言ではない。いや、今だって風の便りでは生きていると聞いている。だが、それがなんだというのだろう。人は信じたいものしか信じない。信じようと思えば信じられるだけの土壌があるのだ。強引に点と点を結び付けて、結論だけを急いでしまえばなんだって作れてしまう。思い出なんてその真骨頂であり、自分の都合のいい許しと言い訳ばかりを並べて納得の顔すら浮かべてしまえる装置だ。欺瞞だ。許されるべきではない。到底許されるべきではないというのに、その機会はじゅくじゅくと貴文の脳を脅かしていた。
この世は、生命の息吹で満ちている。なぜにそうなっているかと言えば、生きとし生けるものに価値というものが与えられてしまったからに他ならない。思想として、生命は尊いのだという考え方が跋扈しているからにほかならない。価値がないものなどないのだというお題目など、犬にでも食わせてしまえと言えば今度は犬を愛護するものが犬に喰わせるのはいかがなものかとかみつく始末。何ならば権利がないのか、義務がないのかと言えば外れたものだけである。この世から外れたものにはその保護の矛先は決して向かない。決してなどというとすぐに例外が作られてしまうのだからなるべくして言わないようにはしているのだけれど、うっかり言えば即座に反論の刃は組み立てられる。これが世界というものだなどと言えたならばよかったが、組み立てられるのは自分の中である。愚かかな、己で己の肉を効率的にそぎ落とすような刃を精製してははばかることがないのだ。これが他者から与えられる痛みであればどれほどよかったことか。その衝撃には幾分かでも他社の存在、異文化の粒子があることに他ならない。けれど閉じられてしまった繭の中でひたすらに自己嫌悪に至る刃を砥ぎ、それすらを進化の糧と言い張る様な生き様には一つたりとも歩みを進めるような兆しはなかった。それが貴文というものであることに疑いはない。
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