第18話 メディチ子爵邸での交渉

 美味しい食事の後、広く温かい湯船に浸かり、美しいメイドたちからマッサージをしてもらい、最後は柔らかなベッドで横になる。


 これ以上の贅沢はあるか? と言いながらアポロは枕に顔を埋めた。


「あぁ~。なんて至れり尽くせり……幸せだぁ」

「気の抜けた声だな」

「そりゃお前、これぞ貴族生活って言わんばかりの歓待。たまには人助けも悪くねぇって思うぜ」


 現金なやつめ、とテオは思った。

 とはいえ、気持ちは分かる。


 花の都を作り出した子爵家だけあって、風呂場やマッサージの香油にもラベンダーが使われていた。

 心なしか、ベッドのシーツや枕カバーからも、心地よい香りが僅かに漂ってくる。


 大切な娘を助け出した客人へのもてなし。

 子爵家として出来る最大限のものを提供してくれたのだろう。


「知ってるかぁテオ~。ラベンダーには精神と肉体をリラックスさせる効果があってだなぁ。昔から錬金術でも良く使われる素材なんだぜぇ」


 虫刺されや傷の手当にも効果があって、ポーションなどに混ぜ合わせると特に女性冒険者に喜ばれる、とか。

 同じラベンダーでも、アングスティフォリアとストエカスは違うんだぞー、など。


 アポロはだらけ切った体勢で、気分良くウンチクを語っている。


「中々物知りじゃないか」

「これでもガキの頃から勉強してきたからなぁ」


 紅茶に口を付けたテオは、これもラベンダーか、と少し面白くなる。


「なら私からも一つ雑学を。ラベンダーの語源はラヴァレ。古代語で洗うという意味だ。風呂でも使われるのはその辺りが要因だな」

「へぇ……そいつは知らなかった」


 ——さすがに古代語までは手が回らないしなぁ。


 何気なく呟かれた言葉は、テオの知っている錬金術師ではありえないため、思わず首を捻る。


「錬金術は古い文献なども読み解くのだろう? であれば、古代語の習得は必須だと思うが?」

「そりゃ出来たら理想だけどよ、実際は無理だって。今の時代、古代語をまともに学んでるのは専門の研究者だけだ」

「なんだと……」

「そんな驚くことか?」


 アポロからすれば、こんなの常識なのだろう。

 古代語を学ぶくらいなら、一つでも多くの魔道具を作るか、独自の研究するのが今の時代の錬金術師だと言う。


「時間は有限だって知ってるから、出来るやつにやらせるのが基本だな」

「他国の言語を学ぶなども必須だったが、それもやらないのか?」

「昔と違って、今は大陸共通語だぜ。古い文献読むときは翻訳版を買うか、あるいは辞書を片手に、必要な箇所だけを読み解けばいい」

「なるほど……もう少し詳しく聞かせてくれ」

「まあ、いいけど」


 そんなに興味を持つことか? とアポロは思ったが、言われるがままに歴史を語る。


 三百年ほど前、ヘルメス大陸で錬金術による産業革命が起きた。

 それにより武力を用いた戦争は国の疲弊だけを生み、非生産的な行為だと民は気付く。


 次第に武力よりも経済力、そして錬金術の研究による発展こそが重要だと考え、真理の探究は国境を越え始めた。


 歴史の転換期——錬金術師ギルドが力を持ち始める。


 かつての錬金術師たちは、黄金錬成や万能の霊薬エリクサーの創造など、『完全』を求めて数世代、或いはさらに未来の子孫に研究を託してきた。


 自らの研究は到達点までの過程の一つ、と捉える考え方をしていたからだ。

 ゆえに文献の翻訳作業が必要であれば、自分の代がそれに一生を費やされたとしても構わない。


 それは目標のため、次世代に繋がる行為だから。

 未来のためには当然のことだった。


 しかし産業革命以降、錬金術師たちは未来の結果のためではなく、今この瞬間のために生きるようになる。


 必要なのはたった一人の万能の天才ではなく、より深く潜れるたくさんの専門家。

 未来の研究のために行う翻訳作業は、自分以外の誰かがやればいい、となっていった。


「結局のところ、ホムンクルスの研究が禁術扱いなのも、これが原因だよ」

「ん? どういうことだ?」

「ギルドからしたら、これまで積み上げてきた地盤を崩すような奇跡なんて、起きちゃ困るわけさ。錬金術は学問、誰でも同じことをしたら同じ結果が出る。だから、天才はいらない。みんなで足並み揃えてやりましょう、ってな」


 やや早口なのは、そんなギルドにあまり良い感情を持っていないからだろう。

 実際、アポロの実家はそんなギルドの都合によって潰されたと言っても過言ではない。


「ま、さすがに錬金術の起源でもある、黄金変成と万能の霊薬エリクサーは禁術扱いには出来なかったみたいだけどな」


 色々と話し込んだ。興味深い話も聞けたし、この世界のことも少し理解できた。

 もう少し慣れが必要だが、それは追々で良いだろう。


「それで、これからどうするつもりだ?」

「……もう少しだけ、現実逃避させてくれよ」

「お前がそうしたいなら構わんが?」


 こういうとき、テオは無理矢理なにかをやらせようとしない。

 自発的に動かなければ意味がないと考えているからだ。


 ただ、動かなければあとで痛い目に合わす、とは考えていた。


 ――って、考えてるんだよなこいつ……。


 アポロは内心で、溜め息を吐いた。

 そう長い付き合いというわけではないが、彼女の真っ直ぐな性格は分かりやすい。


 それに、アポロ自身もまた、このまま気を抜き続けるわけにはいかないと、本心で分かっていた。


「まさか、師匠の名義を貸してくれっていうの、拒否されるとは思わなかったぜ……」

「あれだけ感謝を伝えてきたのにな」


 ――二人には感謝をしてもしきれん! 我が家の力が及ぶ限り、どんなことでもしよう!


 そこまで言ったのに、アポロが事情を説明した瞬間。


 ――それは無理だな。


 と真顔で手のひらを返されたのである。


「あー! あんなの期待するなってのが無理だろうがぁぁぁ!」


 怒りの叫びを上げながら、アポロは枕を叩く。

 二人がここまでリーリンを送ったのは、善意だけが理由ではない。打算がありの行為だ。


 アポロは父親の不祥事によって師匠を得ることが出来ず、そのためギルドに所属出来ない。

 ゆえに子爵お抱えの錬金術師を紹介して貰い、名義だけの師匠になって貰って、ギルドに入る。


 その後は大陸を巡り、ホムンクルスの研究をするのにちょうどいい拠点を見つけるつもりだった。


 さすがに最後のは言えないが、他はリーリンにも話して、納得済み。

 正直テオも、この程度なら許可が出ると思っていた。


「まあ、子爵だって嫌がらせで拒否したわけじゃないのはわかってるけどよぉ」


 ――娘を助けてくれたことは、心の底から感謝する。可能なら手を貸したいが、大陸に跨がる錬金術ギルドを敵に回す可能性がある以上、簡単に頷くことはできないのだ。


 子爵は「力及ばず申し訳ない」とまで言った。

 テオの時代の貴族はもっと偉そうだったため、意外に思う。


 誠意ある態度であり、だからこそアポロも行き場のない怒りと困惑を抱えているのだろう。


「お前から見て、子爵の言い分は納得出来るものだったのか?」

「錬金術ギルドに対して、ルールの穴を突く行為だ。そりゃご尤も、としか言えねぇよ」


 許される行為かと聞けば、ギルドは必ず許さないと答えるらしい。

 だが絶対に駄目かと個人に聞けば、黙ってやる分には見逃すから聞くな、と返される程度のグレー行為でもあるそうだ。


 話した限り、子爵は真面目で融通が利かない性格をしているがゆえに、貴族として毅然とした態度を取ったのだろう。


「だけど交渉の余地はあるはずだ。簡単には頷くできない、って言ったからな」

「リーリンを助けただけでなく、他にもなにか望みがあるということか」

「多分、無意識に出た言葉だろうけどな。明日、それを突っ込んで聞いてみるしかねぇ」


 道中でも話題になったが、平民が貴族の協力を得るのは本来難しい。

 ましてやテオとアポロは流れ者。過去の実績もなければ、掘れば聞かせられない過去ばかり。


 今回の件は偶然が重なって得たチャンスゆえに、絶対に逃したくない、とアポロも気合いを入れていた。


 ――交渉事は苦手だから、任せるか。


 テオにそこまで焦りはなかった。

 もし駄目だったら、次に行けば良いと、そう思う。




 そして翌日。

 渋る子爵と粘り強く交渉したアポロは、ついに一つの条件を引き出した。


「……もしも我が娘の失われた視力を治せるのであれば、お前たちの望みを叶えよう。我が子爵家のすべてを使ってな」


 テオにはそれがどれほど難しいことかわからないが、少なくとも簡単ではないのだろう。


 なにせ、隣でそれを聞いたアポロの顔には、不可能だ、という文字が浮かんでいたからだ。


 ――まあだが、多分なんとかなるだろう。


 人生とはそういうものだ、と錬金術にまったく詳しくないテオは、楽観的にそう思った。


 たとえ奇跡とも言われるような確率であっても、そこに道が続いている限り不可能ではないのだから。

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