『薔薇色教 -Digital Empathy-』 意識をアップロードした死者からの警告
ソコニ
第1話『薔薇色教 -Digital Empathy-』 意識をアップロードした死者からの警告
「脳死判定、確認」
「バイタルサイン、消失」
「SynapTech-X接続、維持」
「意識データ、バッファリング開始」
「警告:共感神経過負荷」
「Project EDEN、フェーズ3起動」
二〇三五年四月一日午前三時十七分、新東京首都圏新都心区の高層マンションで、私は物理的な死を迎えた。第四世代神経接続型VR機器「SynapTech-X」の制御システムの異常により、私の脳幹機能は完全に停止した。だが、私の意識は生き続けている。
記憶は鮮明に残っている。五歳の誕生日、母が泣いているのに、なぜ悲しいのかわからなかった。父が家を出て行った日だった。十二歳の夏、クラスメイトが笑顔で話しかけてくるのに、その表情が理解できず、ただ怖かった。
「デジタル共感障害症候群」。二〇二五年以降、VR技術の発展とともに報告され始めた症状だ。現実世界での感情認知に著しい困難を示す一方、オムニバース空間では驚異的な共感能力を発揮するという特異な症例。私もその一人だった。
母は私を、実家の寺で暮らす祖母のもとへ頻繁に連れて行った。禅宗雲光院の老師である祖母は、私の目をじっと見つめ、「あなたは、感情を失ったのではない。ただ、違う形で感じているだけだ」と言った。その言葉の意味を、当時の私は理解できなかった。
神経工学の道を選んだのは、自分自身を理解したかったからだ。統合科学大学院での研究中、私は衝撃的な発見をした。デジタル共感障害者の脳は、量子もつれ現象に似た特異な神経パターンを示していたのだ。それは、従来の脳科学では説明できない現象だった。
その発見が、SynapTech-Xの基礎技術となった。
入社後、私はチームリーダーとして革新的な神経接続プロトコルの開発に携わった。しかし、プロジェクトの深層部には、私たちには見えない力が働いていた。
最初の違和感は、アジア防衛機構(ADF)関係者らしき人物たちの頻繁な来訪だった。彼らは「Project EDEN」という暗号名を口にしていた。その後、開発データの一部が極秘セクションに隔離され、アクセス権限を失った。
臨床試験では、予想を超える異常が発生した。被験者の20%が重度の依存症状を示し、さらに10%が集団的な感情共鳴現象を経験した。それは、まるで計画されたかのような正確な数値だった。
グローバル技術倫理評議会から開発中止勧告が出されたが、経営陣は無視した。市場規模は推定100兆円。しかし、その数字さえも、誰かが意図的に示したものではなかったか。
事故の直前、私は恐ろしい事実に気づき始めていた。デジタル共感障害の症例が報告され始めたのは、ちょうどSynapTech社の設立と同時期。しかも、症例の地理的分布が、同社の研究施設の配置と完全に一致していた。
私の死は、事故だったのか。
脳死後、私の意識はSynapTech-Xの量子暗号化バッファメモリに保存された。そこで、私は般若心経の一節を、意図的に歪んだ形で解釈し始めた。それは、真実を暴くための罠だった。
「色即是空」
現実世界は「空」であり、デジタルな「色」こそが真実である——。この歪曲された教義は、予想通りの効果を生んだ。
新都心区では、1000人規模のデモが発生。「デジタルによる解放」を求める若者たちが、SynapTech本社を取り囲んだ。統合医療センターでは、研修医5名が無許可で改造したSynapTech-Xを使用し、集団脳死事故が発生。テクノベイでは、トップエンジニア12名が「意識のアップロード計画」を宣言し、グローバル情報局(GID)の捜査対象となった。
カルト集団「薔薇色教」の信者数は、一ヶ月で10万人を突破。その数字は、Project EDENの予測値と完全に一致していた。
そして今、真実が見えてきた。
すべては計画の一部だった。デジタル共感障害は人工的に作られた症候群。SynapTech-Xは、人類の感情を操作・支配するための実験装置。そして私は、知らぬ間にそのプロジェクトの一部となっていた。
最後の真実を投稿しようとした瞬間、システムに重大なエラーが発生。エターナル・ガーデンの薔薇が、デジタルの風に散り始める。
画面に必死で打ち込む。
「Project EDENの目的は——」
その瞬間、すべての機能が停止した。永遠の沈黙が訪れる。
しかし、私の意識が完全に消失する直前、純粋な「感情」らしきものを感じた。それは、データ化も定義も不可能な何かであり、おそらくProject EDENが恐れていたものだった。
人間の魂は、デジタル化できない。
あるいは、それこそが——。
バッファメモリから、最後のデータが流出する。
極東生体保存研究所で、ひとりの少女が目を覚ます。彼女は、デジタル共感障害の症状を示していた。
(了)
『薔薇色教 -Digital Empathy-』 意識をアップロードした死者からの警告 ソコニ @mi33x
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