第20話 海姫と二人の侍女の日常茶飯事 <後編>

 <<第4週目>>


 婚約発表が近付き、さすがに放置したままではまずいと判断した侍女頭が応援に訪れた。

 夕刻、着替えに戻った婚約者を捕まえて数日前に仕上がったドレスとブラシ、化粧道具一式をそろえて迫った所、婚約者は予想に反して意外なほどあっさりと応じてくれた。


「まぁそろそろ確認しとかないと、とは思ってたんだ。あいつにも時間が空くようなら付き合うように言ってみるか」

 こんな時間に事前に連絡もなく国王を駆り出そうという婚約者。若い侍女達は主の言葉にぎょっとしたが、侍女頭は心得たもので国王の元へ行くために退室した。


「化粧は自分でするから、髪の毛やってもらっていい? 仕上がる頃には超過勤務になっちゃいそうだけど」

 少し申し訳なさそうに言いながら、婚約者は己の頬を両手で包み込む。それから顎からこめかみへ、頬から目頭へ、鼻の両脇から顔の外側へ、流れるような動きで両手を顔の上で躍らせた。

 主の不可解な様子に怪訝な表情を浮かべながら髪結いの娘のユキが髪を手に取った所で声がかかる。

「毛先痛んでるでしょ? いいように切っちゃって」

 確かに潮風にさらされて来た海姫の髪の毛先は痛んでいた。


 もっと早くから手入れをしていたらもう少し艶を出せたのに。

 太く、量も多かったが見た目に反して柔らかいのでまとめ髪には向いており、ユキはこれまで言い出せなかった事を悔いる。

 そうこうしている間に、婚約者はまるでパンの生地でも扱うかのように顔をこねくり回した後、ようやく化粧道具を手に取った。

 髪を結いながらの為、あまり顔を動かす事が出来ない婚約者はハナに指示をして化粧道具を次々受け取った。その指示は的確で分かりやすく、ハナが戸惑う事はなかった。


 やっぱりこの人は半商半賊で、ドレファン一家の海姫なんだ……

 ドレスに着替える手伝いをする際、ハナは気付いてしまった。

 おそろしく引き締まった体に、いくつかの傷が残っている。

 右の手首にはぐるりと一周するようにかぎ裂きの古傷。二の腕には刃物によるものだろうか、線のようなものや、すこし膿んでしまったのか盛り上がったような跡が数点。

 充分とは言えない夜の明かりの中では分かりにくいが、日中の日差しの中ではさすがに分かってしまうだろう。


 それで長袖とか、長手袋とか言われてたのね━━

 ドレスの採寸時の様子を思い出した。

 そして隠すべきは傷だけではなかった。

 決して太い腕ではないのに、動くたびに鍛え上げられた筋肉がどこかしらで主張してくる。

 腕を上げる、少しひねる。それだけで美しい筋肉が浮き彫りになるのだ。


 これじゃ乾杯するだけでみんな固まっちゃうわ。

 服飾店の娘は今後いかにしてこの問題を対処すべきか、検討を始めたのだった。


 ふと、髪に集中していたユキが向かいに立つハナの異変に気付いて手を止めた。

 目が大きく、可愛らしい顔立ちのハナの目が一層徐々に大きくなって行く。

 そう言えばハナに指示して受け取る道具や色が異常に多く、化粧にはあまり使わないような色を刷毛に取っては顔に乗せている気がするが。


「まぁ、とりあえずこんなものかな。どう? 最近の夜会のお嬢さん方の真似してみたんだけど」


 仕上がった主の姿を見て、ユキとハナは顔を見合わせた。

 二人とも同じ疑問を抱き、きれいに表情に出ていた。


 ━━入れ替わる暇なんて無かったわよね?


 どうして目の大きさが変わっているのだろう、どうして輪郭まで変わっているかのように見えるのだろう。

 そう動揺する二人の前に立つは、紺色のドレスを纏う絶世の佳人。


 うわぁ、傾国が来ちゃった。

 ハナは少しだけ怯えたのだった。


 ※※


 シーアは侍女頭の後について国王の執務室へ出向くと、侍女頭に促され一人で執務室に入る。

 普段は気軽に入室しているが、この姿で守衛に入室を認めさせるには手間取りそうだったからだ。


 国王は書き物から顔を上げ、その姿を見ると満足そうに目を細めた。

「さすがだな」

「もっと褒めてもいいぞ」

 シーアは紅をさした唇に挑戦的な笑みを刻んだ。

 彼女は世界中に根付く多種多様な文化を見聞した人間であり、それを組み合わせる事で新たな技法を自然と編み出し活用する事の出来る人間だった。そのうちの一つがこの顔立ちを少しばかり変え、そこに各国の高級娼婦から学んだ化粧の仕方を駆使し、独特の化粧を乗せる事で印象を変化させるすべである。


 ゆっくりとした足取りで婚約者の傍に立ったレオンは、ダンスの相手を求める形式に倣った仕草で右手を差し出す。

 その手に軽く左手を乗せ、一歩前に出てから右手をレオンの腕に添えた。

 レオンがシーアの細い腰に手を回し、視線をからめると自然と息は合う。かつてドレファン一家に属したレオンから学んだように身を委ねるようにしてステップを踏んだ。


 くるくると回る中、髪を結い上げ無防備にさらされた首筋に頬を寄せて来るレオンに、シーアは小さく言う。

「そういうのは契約に入ってない。恋人を作るなり、専門家プロにお願いするんだな」

 さいわい、それはからかうような口調ではあったが━━

 専門家と来たか。

 レオンは内心苦く思いながら、首元に顔を寄せたまま平然を装って告げる。


「仲睦まじい婚約者同士ならこれくらいは当然だろう」

 そしてそこで、「まぁ、それもそうか、少々は仕方ないな」と思ってしまうのがシーアが仕事人間だと言われる所以かもしれない。


「ここは狭いな。移動するか」

 ふとレオンがそう呟いた。

「贅沢だな。充分だろ」

 シーアは広すぎる部屋を見て顔をしかめる。

 そんな顔をしても今夜の彼女は美しかった。

 エスコートの体を崩さず、執務室を出た彼の歩みがいつもより遅い事にシーアは気が付いた。

 女性に合わせる紳士の嗜みに、「なるほど、連れだって歩く練習にはなるか」と歩調を合わせて来る勘のいい彼女にレオンは満足を覚えずにはいられない。

 歩き方も、エスコートされるマナーもほとんど覚えているようだ。

 ダンスはほぼ完璧で、どれだけの夜会に潜り込んできたのやらと呆れる。

 それでも部屋を出る気になったのは、あれ以上二人きりの部屋で自分を抑える自信がなかったからだ。

 真剣に求婚した相手と寄り添っているのは正直きつかった。人目があればいくらでも自分を抑えられる。


 夜も更けているので見かけるのは衛兵ばかりだった。

 派手な美女を伴う国王に礼を忘れるほどにぎょっとする彼等に、練習とばかりにシーアは微笑みかける。

 その様子を見ながらレオンは少し気遣い気に口を開いた。

「今日の顔も悪くないんだが、もう少し柔らかいというか、優しい感じには仕上がらないか?」

 言葉を選びに選んだそれは、苦情ではなく打診と言った物言いだった。


「やっぱりか。部屋の子達にも言われたよ。ちょっと今日はきつくなり過ぎた。国王の婚約者なんてやった事ないから程度が分からなかったんだ」

 シーアは肩をすくめる。 

「次はもう少し可愛げのある女に化けるよ」

「それは楽しみだ」

 レオンは素直に本心を口にした。


 後日、やり直した顔で現れた婚約者を見てレオンは思わず息をのんだ。

 ━━これはこれでやり過ぎだ。

 月光のようなたおやかさを体現して見せた彼女は、神々しい雰囲気さえ醸し出していた。


 美しい婚約者に入れあげる国王を演じるにはまさに適役だ。

 隙を見せれば相手も動きやすかろう。

 それは海の国の王と、海姫の企みであった。

 当初の計画通りである。

 しかし、その予想をはるかに上回ってしまった姿を他の者の目に晒すのは少し、面白くない気がするのだった。


 

 <<三か月後>>


 夜会はシーア付きの侍女二人の楽しみになった。

 シーアは「ドレス1着をいかに着回せられるかが淑女の嗜み、という風潮を作りたい」と風変わりな目標に挑戦中である。

 侍女頭が「予算は取ってある」と何着か作る事を訴えかけるのだが、シーアは「まぁ金は残しといて後悔する事はないから」と言って受け流した。

 ドレスをいかにして着回すか。そして主の華麗なまでの変貌ぶり。

 それは日頃、仕事に対して達成感をあまり感じられない彼女達を大いに満足させた。

 化粧の前に毎回時間をかけて顔をこねくり回す事に関して聞いてみれば「こうすると顔の形って変わるんだよ。なんか流れが良くなるらしくてさ。まぁ時間が経てば戻るけどね」などと実に不可解な答えを返されたのだが、実際その様を見せられている二人はすんなりと納得したのだった。


 今夜も主は国王の手を取って一曲だけ踊った。

 踊りながら彼女が獲物を求めて目を光らせているのだと思うと、せっかくの夢のような光景も台無しだと思わざるを得ない。

 音楽が終わればシーアは貴族や家臣からの国王への挨拶攻撃に少しばかり付き合う。

 その後、案の定国王から離れて令嬢方に近付いて行った。

 国王の婚約者が異性に近付くのは禁忌とされているので無難な選択だと周囲は思うだろう。


 しかし、違うのだ。

 主いわく「趣味と実益」。

 誰もが目を奪われるような絶世の美女に化けておいて、もう本当に、あの方は━━

 ユキは頭痛のする思いで主の姿を見守るのだった。


『ずっとむさくるしい男所帯で暮らしてきたもんだからさ、その反動で可愛いものに目がないんだよね』

 婚約者は堂々とそう言ってのけた。


 素直な態度は好ましい。彼女の長所の一つだと思う。

 海の上では見られない花などを見るとつい近寄りたくなるのだと言っていた。

 それは「かわいい女の子」も例外ではないそうで、観察していると容姿や年齢を問わず女性に対してとても気さくで、いわく「女の子は誰だって可愛いもんだ」ときた。


 街中でこんな男がいれば確実に軽い遊び人よね、とユキは思わずにはいられない。

 実際、他国の港では「シーアだったらタダでいいわ」と本気交じりに公言する娼婦も存在する。それも一人や二人ではない事は海に生きる連中の間ではここ数年で笑い草として割と有名な話になっていた。

 シーアが女性に対して実際に悪さをするでなし、ドレファン一家の跡取り候補のそんな情報は当然取るに足らない物だと判断されたため五年前に離れたレオンには知らされてはいない。


 ユキもまた主がそんな箔付きだとは知る由もない。しかし。

 王妃になる人が女好きって……

 まあ男好きよりはまだマシか。

 声をかけるだけで何か手を出すわけではないし。

 そう内心考えたユキは、このところ自分を納得させるのが本当に上手くなったなと思うのだった。


 シーアは若い令嬢に寄って行っては声をかける。

 懐柔や、国王に近付く者への牽制が目的だと見られる事もあった。

 しかし実際は単なる彼女の趣味の時間であり、その間、他の女性が国王に言い寄る機会を作っている。

 まさに実益。

 侍女たちに言えはしないが、婚約者を演じるシーアは自分のこの案をいたく気に入っていたのである。


 シーアが「海の国の黒真珠」と呼ばれるようになる頃には、城の人間は普段の姿か夜会等の婚約者としての姿か、どちらか一方しか知らない人間ばかりになっていた。

 王城勤めの人間は役割があり、基本的に担当の場所・定められた特定の時間しかいない。

 下働きの人間が夜会の彼女を知らないように、夜会に関わる人間が日中下働きのような格好でうろついているシーアを見ても同一人物だとは誰も気付かないのである。

 不思議なもので「海の国の黒真珠シーア・ドレファン」は姿はほとんど見せないにも関わらず人々に強烈な印象を残し、それとは対照的に「目つきの悪い地味顔の海姫シーア・ドレファン」の存在は徐々に薄らいでいった。 


 異なる二つの容姿を持つシーア・ドレファン。

 二人を同一人物だと認識する者は少なく、やがて普段の姿の彼女を婚約者の小間使いだと思っている人間さえ出始めた。


「シーア様の小間使いだって言ったら城門だって出入り自由よね」

 本来は交代で食事を取るべきだが、仕事も限られているので二人の侍女はいつも一緒に食べていた。

 そんな中ハナは本当に何の気なく軽口を叩き、その後二人して沈黙した。


 あの驚異的なまでの化けっぷりは、それが目的なのではないだろうか。


 そんな恐ろしい考えが浮かんだが、かぶりを振って即座に打ち消す。

 お互い「なんてね、失礼だったわね」と誤魔化すように言って慌ててパンを口に運んだが、気付いてはいけない事に気付いてしまった感が付きまとい、残念ながらその日の昼食は何を食べても味が感じられなかった。

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