第3話 理想の家族
「どこに行くの! 拓真さん!!」
「とりあえず近所を探してきます! 笑美から連絡が来るかもしれないから、お義母さんは家にいてください!」
この寒空にコートも着ずにサンダルでふらつく人間がいたら、さぞ目立つだろう。道行く人に片っ端から聞いて回れば、笑美の足取りが掴めるかもしれない。
自転車なら、短時間で近所を見回れるし駅前には交番もあるから相談もできる。よし、靴履けた。行くぞ!
「笑美は、渡さないわ」
ゾゾリと一気に血の気がひいた。こんな低い声、お義母さんからは聞いたことがない。
「何言って……」
……お義母さん、なにしてるんですか?
それ、お義母さんが来た時用の折りたたみ椅子じゃないですか……
そんなの振り降ろしたら俺に当たって、俺怪我する……
ガツッドサッ
※※※※※
『親指はお父さん、人差し指はお母さん、中指はお兄さん、薬指はお姉さん、小指は赤ちゃん! 面白いよねぇ、まさに理想の家族像って感じ! ……ねぇ、わたしの理想叶えるの、手伝ってくれない?』
『ええ? 俺、高卒だから給料安いんだぜ? 知ってんだろ?』
『知ってるよ。拓が一生懸命勉強して資格とって、おかあさんを早く安心させたがってたの』
『! な、なんでそこまで……あっ、あいつっ! 喋りやがったな!』
『笑美さんはね、昔から人を見る目があるのだよ、むふふ』
『おい、恥ずかしいから誰にも言うなよ!』
『うん。拓がそう言うなら誰にも言わないよ。だから、手伝ってね? 拒否は不可ですよ! はい、じゃあ赤ちゃん指だして!』
『……赤ちゃん指って、小指だっけ……めんどいな……ってお前、無理やり引っ張るなよ、強引だな!』
『ゆーびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった! ふふっ、やったね! 笑美さんの初恋、実ったりぃ』
可愛げのない、俺の毛深い小指をあんなに大事そうに扱われたのは、いつぶりだったろう?
※※※※※
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
「……朝……」
なんだろ、妙に頭が痛いな。俺、頭痛持ちじゃないのにな……いや、なんか痛むの頭だけじゃないな……なんか右手の指先が痺れてる。
とりあえず、布団から出て支度しないと会社に遅れるな。すんごく気だるいけど、仕方ない。起きろ俺の頭と体。
冷えきったリビング……エアコンのリモコンのボタンを押す。
えっと、今何時だっけ? 確か今日、まだ金曜だよな……てことは早番だから……テレビつけよう。
食パン、最後の一枚だ。トースターに放り込んでダイヤル回して……一度五にしてから三にする。
「……コーヒーのも……」
のそのそと着替えている内に、ピーと鳴るヤカン。ガスの火を止め、インスタントコーヒーを入れたマグカップにお湯を注ぐ。
「熱っ」
いれたてのコーヒーなんだから、そりゃ熱いだろ。なんだって俺は、人差し指なんか突っ込んでんだ?
(ああ、朝はやっぱりコーヒーがいいわね)
「……笑美?」
慌てて人差し指を引き上げる。うっすらと白い湯気のたつマグカップの中に残るコーヒーの量は、三分の一ほどだ。まさか、人差し指が飲んだのか?
「この指……笑美のだ……まさか、俺の指全部!?」
骨が浮き出るほど細く、薄い爪の形はきれいだ。まちがいない、この人差し指は笑美の指だ。
左手は? ずんぐりむっくりで毛深い、いつもの俺の指だ。イカれてるのは右手の人差し指、中指、薬指、小指だけらしい。
「親指だけそのままなのは、お父さん指だからか?」
(そうよ、拓はパパだもん)
なんか、笑いが込み上げてくる。きっと、これは夢なんだ。夢の中なら、なんだってアリだろ。ほら、指の腹を見てみろ。ぱっくり口みたいなのが開いてるし、まるで顔みたいな皺まである。
「じゃあ、中指は長男、薬指は長女か」
(やあね、パパ。タクヤとエマでしょ?)
そうだったな……二人でわくわくしながら名づけ事典見て決めたんだ。
(一月はお正月遊びして)
「カルタとか凧揚げとかな」
(二月は節分)
「俺が鬼役な。力加減して豆投げろよ。意外と痛いんだぞ、あれ」
(三月はひな祭りとエマの誕生日)
「ああ、エマのお雛様は早くしまうんだぞ……いや、そんなに急いで嫁にいかなくてもいいから、出しっぱなしでもいいや」
(四月は進級の月)
「ほんとに、こどもってあっという間にでかくなるよなぁ。俺もあっという間にじじいだな」
(五月はこどもの日とタクヤの誕生日)
「柏餅美味いよな。だからって食いすぎるなよ、こらそれはパパのだ!」
(六月は雨だからどこにも行けなくて)
「しょうがないから映画にでもいくか? アクションものなら皆で楽しめるよな?」
(七月は短冊に願い事書いて)
「タクヤとエマはなにを書いたんだ? なに? タクヤが世界征服、エマが世界平和? 兄妹戦争勃発か!」
(八月は夏休みの宿題の追い込みをして)
「だからパパ言ったよな、嫌なことは先にやっとけって。よりによって一番めんどくさい読書感想文残しやがって、こら、タクヤ!」
(九月はパパの誕生日ケーキを焼いて)
「おっ、今年も俺の推しキャラケーキだな、皆で作ったのか? めっちゃうまそうじゃん、ありがとう……あのな、ろうそくの火は本人が吹き消すんだぞ、エマ? ま、楽しそうだからいいか」
(十月はわたしの誕生日!)
「ママにはサプライズを用意しなきゃな。いつもありがとうって……よし。タクヤ、エマ、三人で一緒に考えよう」
(十一月はお義母さんの誕生日を祝うの! 長生きしてねって)
「そうだよな、いつまでも元気でいてほしいよな」
(そして十二月はクリスマス!)
「タクヤとエマは、いつまでサンタさんを信じてるんだろうな? ほんとは二人とも、俺がサンタさんだって気づいてるんじゃ……ほら、なんかタクヤ笑った気がするもん!」
(パパ、ぼく、こないだバスケでゴール決めたんだ! すごいでしょ?)
「おっ、やるじゃないかタクヤ。俺も中学生ん時にゃバスケに夢中になってたなぁ」
(パパ、見て! このドレス本物のお姫様みたいでしょ? エマかわいい?)
「おお可愛いな、よく似合ってるよ! きらきらしててきれいだなぁ。そのうちエマだけの王子様がやってくるかもしれないぞ」
(王子様なんかいらないもん! エマ、パパと結婚するんだから!)
「……笑美……」
(なぁに?)
「小指は……その、どっちなんだ? 名前、決めないとだからさ」
(そっか、そうだよね!)
楽しみだな、タクヤ、エマ!
笑美……ありがとうな。俺に、理想の家族をくれて。
※※※※※
「茅野さん、大丈夫っすか? いやあ、なんかすごい話っすよねぇ、母親が娘を手にかけるってよっぽど複雑な事情が……あっ、すんません、無神経なこと言って! ご愁傷さまです!」
「ああ、気遣ってくれてありがとう。大事なものもちゃんと見つかって、本人の希望通り棺に入れられたから良かったさ。俺さ、頭の傷もすっかりよくなったし、急だけど再来月に引っ越すことにしたよ」
「ですよね……嫁さんとお姑さん二人一緒に亡くなってた家に住むのって、正直ちょっと無理……あれ、茅野さん、また人差し指コーヒーに浸かってるっすよ……いつも思うんすけど、熱くないんすか?」
(ああ、コーヒーおいしいわ!)
「まあ、少しくらい我慢してやらないとな」
「……へぇ……やらないとって、意味わかんないっすけど」
「さあ、軍手はめて仕事仕事!」
「まあ、茅野さんが元気ならいっか」
(パパ、今日は帰ったらぼくに宿題教えてね!)
(パパ、お土産にドーナツ買ってきて! エマね、白いのがいっぱいかかってるやつがいい!)
ほぎゃあほぎゃあほぎゃあほぎゃあ
(よしよし、いい子ね)
「泣く子はよく育つ、ってな」
俺は軍手を外し、真っ白い凸凹した指を小指から人差し指までそっと撫でた。
もうこれで、永遠に失わなくて済む。たまらなく愛しい、俺と笑美の理想の家族を。
理想の家族 鹿嶋 雲丹 @uni888
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