第三十五話 幸せの蓮が花開く③

 かくして。


 大陸の西に位置する蛙国ことカレイル国の呪いは解かれた。かの国は太陽の明るい日差しが降り注ぎ、大地を潤す恵みの雨が降る豊かな国に戻る。

 蛙が多いカレイル国には日がな一日蛙たちの合唱が響き渡り、四季折々の花が咲き乱れた。豊饒な大地には多様な植物が豊かに実ったが、やはり特産物は美しい蓮池で採れる蓮根だった。

 人々はおおらかに働き、花を愛で、土と会話し、鳥と翔け、蛙と歌いながら、日々の暮らしを楽しんだ。


「はい、お待たせしました。魔界御一行様ご到着」

「おおう、これが月皇子の生まれ故郷でやんすね」


 温厚な気質のカレイル国民は、じめじめと国が閉ざされ、ガマ獣人の姿にされていた時も、よく食べよく働きよく遊んで楽しく過ごしていたが、王太子ガマニエル・ドゥ・ニコラス・シャルルが類まれなる美しさを取り戻し、親しみやすく愛らしいアヤメ姫を連れて国に戻ってからは、日々が俄然忙しくなった。


 ガマニエルの美しさを一目見ようと大陸中から大勢の客が押し寄せ、一時期途絶えていた外交が驚くほど盛んになったからだ。


 これには、大陸全土を横断する蜥蜴とかげ交通の長となったトカゲ族のマーカス・マルボスティンと、各国の名産品を見出し大陸内の交易を活発化させた金の国のドゴール王子、銀の国のシルバン王子の功績がある。


 マーカスは凍解した氷の洞窟を整備し、魔界と人間界を結んだだけでなく、砂漠の荒くれ者だったトカゲ族を運び屋として編成し、極寒の地から乾燥地帯まであらゆる気象地帯に交通網を巡らせた。おかげで人々は西へ東へ魔界へと好きに行きかうことが出来るようになったのである。


 蜥蜴交通を発展させた後、マーカスは寒帯国の入り口で雪女たちとバーの経営を始めた。彼の「バー・マルボスティン」には骸骨シェフ三名も雇われ、道行く人に癒しの酒や肴を提供している。


 ドゴールとシルバンは共同名義で貿易商社「金と銀」を立ち上げ、蜥蜴交通と提携して大陸に様々な特産物を流通させた。金の国で採取された金塊や銀の国天然由来の美容品もそこそこの売れ行きを見せたが、カレイル国の蓮根と水晶の人気には遠く及ばない。カレイル国産の蓮と水晶は常に品薄状態のため、彼らはしょっちゅうカレイル国に出入りしている。


 というのは建前で、本当のところは、


「ねえねえアヤメ。ピンクの靴下とブルーの靴下、この子にはどっちが似合うと思う?」

「ブルーがお似合いですわ、アマリリスお姉さま」

「ねえねえアヤメ。ピンクの腹巻とブルーの腹巻、この子にはどっちがふさわしいかしら」

「ピンクが素敵ですわ、アネモネお姉さま」


 彼らの可愛い子豚ちゃんたちが、更に可愛いミニ豚ちゃんを連れて妹の嫁ぎ先であるカレイル国に入り浸っているからである。


 金の国の皇女となった長姉アマリリスはミニ豚のように愛らしい男の子を、銀の国の皇女となった次姉アネモネはマイクロ豚のように愛くるしい女の子を出産した。

 母となった彼女たちは、飲んだくれるのをやめ、自然豊かな大地を好み、天然産物の素晴らしさに目覚めた。つまり、大地の恵みに溢れたカレイル国に入り浸り、昔から畑仕事や家事労働に長けていた末妹のアヤメに指南を仰いでいるのだ。


 「人間、変われば変わるものですわね」


 膝上まで泥水に浸かり、せっせと自然栽培に励む姉姫たちを見て、ばあやは呆れるのを通り越し、もはや感心していた。かつてアヤメやばあやを蔑んだ姉姫たちの豹変ぶりがすごい。まあ当のアヤメ姫さまが楽しげで、仲良く野良仕事に精を出しているので良しとするけれど。


 ばあやにはアヤメの幸せが一番の願いなのだ。


「情けは人の為ならず」「お互いさまって言うかね」


 アマリリスとアネモネの小さな赤ん坊たちをおんぶしたり抱っこしたりしてあやしながら、ガラコスとルキオは三人の姫君たちを温かく見守る。彼らは頻繁に訪れる各国からの来賓をもてなすため、なかなか忙しく、連日、蓮池で水晶集めに興じたり、蓮の色染めを競ったりしている。その合間に子守りにも勤しんでいるのだ。


 いまや大陸でもっとも有名な観光国となったカレイル国には、魔王ドーデモードと愛妃ラミナもやってきた。千年ぶりの新婚旅行らしい。


「お前は千年前と一ミリも変わらず美しいな」

「まあアナタったら。全く恋っていいものね」


 彼らはガマニエルとアヤメの仲睦まじい様子を見て、側にいてくれる大切な人の存在に改めて気づいたのだ。今後とも仲良くやっていきたい。


 こうして、太陽も月も魅了する恋の伝道師ガマニエル・ドゥ・ニコラス・シャルルのもとには、人も魔物も様々に訪れた。しかしその中で彼が最も緊張を強いられたのは、かつての文明大国ボッチャリ国の王フェルディナンドだった。彼が愛してやまないアヤメを冷遇した彼女の父親である。


「アヤメ、幸せそうで何よりだ。今日はお前にどうしても謝りたくて来たのだ」


 しばらく会わないうちにフェルディナンド王は一回り小さくなったように見えた。かつてアヤメを拒絶し続けた冷たい面影は見られず、ただ悔恨の色ばかりが濃く残る暗い面持ちで、通された玉座の間に膝をついた。


「お父様。おもてを上げてください」


 アヤメはすぐさま駆け寄り、父の手を取った。

 その迷いのない行動に、ガマニエルは改めて感銘を受けた。悲しく辛い仕打ちに耐え、希望を失わず、過去を許す寛大な心を持っている。彼の可愛いお嫁さんは本当に強い。


「ガマニエル王太子。実はアヤメは、彼女の母親が作り上げた人造人間アンドロイドだったのです」


 フェルディナンドは苦悩に満ちた眼差しでガマニエルを見た。


「そのことを隠し、あなた様の元へ嫁がせましたことを心よりお詫び申し上げます」

「いいえ。謝っていただく必要はありません。私はアヤメが何者であっても構いません。私の元へ嫁いできてくれたことに心から感謝しています」


 ガマニエルはいたわりに満ちた仕草でアヤメをそっと引き寄せた。アヤメは嬉しそうに微笑みながらガマニエルの腕に収まる。その様子を見て、フェルディナンドの目に涙が浮かんだ。


「アヤメ。お前の母アキナは、科学に情熱を掲げた優秀な研究者だった。美しい人だったが自分の外面には構わず、明けても暮れても研究に没頭していた。自国の王である私のことも誰だか分からないほど、研究一筋の変わった令嬢だったのだ」


 父王から母妃の話を聞くのは初めてだ。アキナはまだ幼いアヤメを遺して亡くなった。


「私は彼女の熱意と情熱、未来を信じる強さに惹かれた。彼女は子を宿せない体質だったが、それでも構わなかった。六年がかりで求婚し、ようやく承諾をもらった時は天にも昇る気持ちだった。彼女と共に歩む未来は輝かしいと信じていた。しかし……」


 フェルディナンドの老いて落ちくぼんだ瞳から一筋の涙がこぼれた。


「アキナは御子を諦めなかった。アンドロイドに真実の愛を注げは人間になれると信じた。彼女は自分の全てを注ぎ、お前を誕生させたのだ」


『どうしてアヤメはお母さまみたいに綺麗じゃないの?』

『それはいつか、真実の愛を手に入れた時生まれ変わるためよ』


 アヤメの記憶にある母は、優しく穏やかで、アヤメの成長を心から願っていたように思う。母の深い愛情の記憶があるから、アヤメは容姿を蔑まれようと気にせず生きてこられた。


「お前が人間になることを願うあまり、アキナは無理を重ね、体調を崩した。そして帰らぬ人となってしまった。アキナを失った悲しみは深く、あまりにも大きかった。私は心をむしばみ、科学技術もお前の存在も受け入れられなくなった。何もかも否定してしまった。今は、お前に辛く当たってしまったことを後悔している。すまなかった」


 父王はぽろぽろと涙をこぼしながら深く頭を下げた。


「お父様、大丈夫です。私、とっても幸せです。お父様のこと、恨んでいません。ばあやたちと外で働くのは楽しかったし、最愛の旦那様にも会わせて頂けたんですもの。私を誕生させてくれたお母さまにも、心から感謝しています」


 アヤメはひざまずく父王の手を取り、しっかりと握った。


「ありがとうございます、お父様」


 アヤメが囁くと、


「ああ、アヤメ。……すまない、アヤメ……っ」


 フェルディナンドは慟哭どうこくした。


 彼は初めて娘の手を取った。小さく温かく弾む生命力に満ちた愛おしい手。この娘はもはやアンドロイドではない。真実の愛を手に入れて、アキナが切望した人間に生まれ変わったのだ。


 この世にはまだ、奇跡がある。

 信じれば、奇跡は起こる。


「お父上、これからまた科学技術の復興も目指しましょう。科学と魔力の融合は、大陸に更なる発展をもたらすでしょう」


 ガマニエルは小さく震える国王の肩を優しく叩いた。

 最愛の人を失う悲しみの深さは計り知れない。アヤメを失ったかもしれないと思った時の絶望はすさまじかった。ガマニエルにはフェルディナンドの気持ちが分かるような気がした。


「ありがとう、ガマニエル殿。ありがとう、アヤメ」


 初めて結ばれた父娘の手に、愛情に満ちた大きく温かな手が重なる。


 人は失敗や過ちを繰り返す。

 それでもやり直すことが出来る。

 かけがえのない愛情を与えてくれる人は必ずいるから。


 今日もまた、大陸には太陽と月の希望に満ちた光と恵みの雨が降り注ぐ。


【了】



 本編完結。ラフな感じの番外編を追加します。

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