第二十五話 恋人選びの門①
「アヤメがいなくなった!?」
息急き切って知らせに来た従者からの報告に、ガマニエルの血の気が引いた。
いつも通り傍目には分からないのだが。彼の濃茶色の斑模様と突起物のあるぬらりとした皮膚は安定の気味悪さを保ったままだ。
アヤメもガマニエルもただの旅の一行として振る舞っており、一国の王族という素性は明かしていない。狙われる覚えはない。一体誰が。なぜ。
ガマニエルはすぐさま教会を出て、祭りで賑わう通りへ急いだ。
様々な市が並び、多くの人々でごった返す通りは、混雑が邪魔して中々先へ進めない。気ばかり焦るが、往来の真ん中で足留めされ、遅々として進めないガマニエルの巨体は、格好の見世物になっていた。
慌てる余り、いつもの分厚いフード付きコートを置いてきてしまった。醜悪なガマガエル妖怪の容姿を真昼の明るい日差しの下、公衆に
祭りの仮装かとまじまじと眺める者、慄きながらも目が離せない者、好奇心露わにカメラのレンズを向ける者、とガマニエルの周りに様々な視線が集まってくる。
普段のガマニエルなら、自分に向けられる好奇と蔑み、嫌悪の視線には人一倍敏感で、コートを忘れるなどという失態は犯さない。そもそも極力人混みには出て行かない。
しかし、今はそれらが全く気にならない。どう見られようと、どう思われようとどうでもいい。アヤメが無事ならそれでいい。
どうにも自分の不甲斐なさに腹が立つ。
「すまない、急いでいるんだ。通してもらえないか?」
醜悪な珍獣の見世物に集まる人々をかき分けて、ようやくルキオが先導する場所に辿り着いた。祭りの市が立ち並ぶ通りの一角で、ばあやとガラコスが途方に暮れた様子で佇んでいた。
「おーじ、消えた! 館ごと消えた!」
「姫さまが、怪しげな女に攫われてしまわれました!」
アゲハ蝶の疾風とともに魔女のような人物は消え、「シンデレラの館」などと幟の立った天幕ももろともなくなってしまったのだ。ルキオがガマニエルに知らせに行っている間、ガラコスとばあやは一帯を捜索していたのだが、怪しい女の手がかりはなかった。
「赤紫色のマントを纏った黒髪の魔女が、姫さまは為すべきことを為すために召喚されたとかなんとか……」
ばあやは不安で泣きたい気分だった。
姫さまに万一のことがあったら、ばあやはとても生きてはおられませぬ。あの世の果てまでもご一緒致しとうございます。
近くにあった玩具屋台の手刀を胸に向けて、覚悟の最期を遂げようとすると、
「ばあや、遊んでいる場合じゃない」「ない」
ガラコスとルキオに止められた。
玩具屋台の手刀は切れない仕組みになっているが、ばあやは落ち着きを取り戻した。そうだ、自らの目で姫様の無事を確認するまでは死んでも死にきれない。
ばあやは手刀を丁重に元に戻すと、両手を組み合わせて祈った。
姫さま、無事でいて下さい。
赤紫色のマントを纏った黒髪の魔女。アゲハ蝶の突風。召喚。変身……。
ガマニエルは、従者やばあやから聞いた怪しい気な女の特徴と道端に転がっていたアゲハ蝶の死骸から、ある存在に思い至る。
魔王妃ラミナ。
『ラミナ様に言いつけてやるからっ』
『ラミナ様にかかればそんな薄っぺらな愛情、ぺっちゃんこなんだからねぇ~だ!』
この寒帯国に来る前に、襲撃してきた雪女たちはその名前を呼んでいなかったか。
ラミナスランド、ラミナスゲート、ラミナス祭……
この国にはラミナに因んだものが多くある。
洞窟を隔てて魔界と隣り合うこの最北の大地は、魔王妃ラミナの支配下にあるのではないか。魔王ドーデモードが溺愛する妃ラミナ。ガマニエルが呪いをかけられる元凶となった賭けの対象……
ガマニエルは己をぶちのめしたい気分になった。
『狙われる覚えはない。一体誰が。なぜ。』なんて、何と呑気なことを。
ラミナはガマニエルに拒絶されたことを恨み、無理やり辱められたとドーデモードに吹聴した。アヤメを使ってガマニエルへの復讐を企てているに違いない。
祭りの賑わいを背に、ガマニエルは強く手のひらを握りしめた。
ラミナは千里眼を持っている。ガマニエルが真に大切にしたいのはアヤメだと見抜いたのだ。
奥歯を食いしばり、罵りの唸り声をあげる。
俺はどこまで間抜けなんだ。
危険に晒すと分かっていたのに、アヤメを魔界に近づけてしまった。連れてきてはいけなかった。
「おーじ、どうする?」「どうする?」
黙り込んでしまったガマニエルをガラコスとルキオが不安げに覗き込む。
「ラミナスゲート、……氷の洞窟に行くぞ」
アヤメに対して、『自分の望む姿になり、永遠の絆を求めて恋人選びの門をくぐる』とラミナは言ったという。魔力でアヤメを変身させ、魔界に通じるラミナスゲート、通称恋人選びの門を通そうとしているのだろう。それはもちろん、ガマニエルをおびき寄せるために。
ガマニエルは祭りの通りから外れて、ラミナスランドの果て、魔界と国境にある氷の洞窟へと急いだ。途中で、酒樽で作った山車を担いで楽しそうに通りを練り歩いていたマーカスを見つけ、確保する。戦力は多い方がいい。
「ええっと、今から参加ですか?」
氷の洞窟前は、カップルイベント参加者と関係者で大いに賑わっていた。人混みの中、アヤメの姿はもとより、姉姫たちや金と銀の王子も見つけることは出来ない。既に中に入ってしまったのかもしれない。
「実はもう締め切ったんですけど、せっかく素晴らしい仮装をなさってきてくれたことですし、お二人だけエントリーしますね」
無理を言ってガマニエルとマーカスのエントリーを受け付けてもらえた。
参加者たちは、獣やロボット、魔女や勇者、天使に妖精など様々な仮装をしている。さらに仮面をつける決まりとあって、目を凝らして誰が誰だか分からない。
ガマニエルとマーカスは素のままで仮装と認められ、仮面を渡されて合流することになった。ばあやと二人の従者たちは洞窟前で待ち構え、イベントを終えて出てきたカップルたちを見極めることになった。
この際ばあやも参加したく張り切って進み出たのだが認めてもらえず諦めるしかなかった。ペアにされそうになったガラコスとルキオが大いに胸を撫で下ろしたことは知らない。
「それではいってらっしゃいませ~~」
順番が来たガマニエルとマーカスに、イベント主催者から雪灯篭が渡される。
本来は自分で好きな形の手持ち灯篭を作るのだが、急遽参加したガマニエルにはその時間がなく、主催者が選んだ灯篭を貸してもらうことになった。リンゴを
「……可愛いっすね」
その生き生きとした可愛らしさはどこかアヤメを
「俺はこっちから探すからお前はあっちへ行け」
「ええ~~っ、一緒に行ってくれないんすか、アニキ」
名残惜しそうな仮面の大柄トカゲを追いやって洞窟に足を踏み入れ、巨大な氷柱が垂れさがっている鍾乳洞を進んで行く。内部はどこからか漏れ差す日の光が氷に反響し、薄暗いが神秘的な雰囲気をもたらしている。カツン、カツンという氷が触れ合う音がする。肌を刺すような冷気が漂い、道は入り組んで、いくつもの岐路がある。手にした雪灯篭だけが道しるべだ。
イベントカップルはお互いの仮装を知らせずに、いくつかある入り口から別々に洞窟に入る。迷路状の中を通り、灯篭の間で声を出さずにパートナーを見つけ出し、無事見つけられたら灯篭を置いて一緒に戻ってくる、という趣向になっている。
「ちゃんと俺を見つけてくださいね、アニキ」
別れ際にこそっと囁きかけられたマーカスの言葉は意味が分からなかったが、洞窟内を進むうち、不本意ながらマーカスとカップルとして参加してしまった可能性に思い至り、頭が痛くなった。
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