第二十一話 愛しの旦那様奪還作戦③

 唇に触れる慎ましやかな感触に、ガマニエルは目を覚ました。


 あれ。俺は今、……


 目の前には瞳を閉じたアヤメの顔。

 伏せたまつ毛が影を落とす。神々しいくらい真剣な面持ち。


 ……え。あれ、いや、え……?


 瞳を瞬く。何度も瞬く。瞬いて、更に瞬く。瞬きの速さに動揺が表れる。


 もしかして、俺は今、アヤメにキスされてる……?


 自覚した途端、一気に顔に熱が集まり、心臓が爆速で動き出す。

 肩口にアヤメの小さな手の重みを感じ、無意識にアヤメの身体を支えると、弾かれたようにアヤメが目を開けた。


 わ……っ


「旦那様?」


 アヤメが真っすぐに自分を覗き込み、その瞳の奥に安堵の光が灯った。


「旦那様、良かった! 目覚められたんですね!」


 そう言って、しがみ付いてきたアヤメをともかく大切に支えながら、状況認識力ははるか遠くに飛ばされたまま、なかなか戻ってこなかった。


 もしかして、俺は今、アヤメにキスされてた……?


 確かに。唇にほのかな感触があった。

 でも正直、慎まし過ぎてよく分からなかった。甘いとか酸っぱいとか全然分からなかった。

 

 嘘だろう? なぜ人生最大級に大事なイベントの記憶が曖昧なんだ?

 こ、……これは、やり直しを希望してもいいものだろうか?


「アヤメ……?」


 ガマニエルは事態を把握できないまま、しかしその一番大事な部分だけは是が非でも確認しようと、そろそろとアヤメを覗き込むと、


「あっ、他の皆さまも解いて差し上げなくては」


 アヤメが勢いよく頭を上げ、顎に不意打ちの頭突きを食らうことになった。


「ごめんなさい、旦那様。大丈夫ですか?」

「もちろん、大丈夫だ」


 純粋にガマニエルの顎を心配するアヤメに、不埒な考えを見透かされる前に、食い気味に引き攣った笑みを返す。


 実際、アヤメの小さな頭がぶつかったところでガマ妖怪のガマニエルには痛くもかゆくもないのだが、おかげで状況認識能力が戻り、視界が開けた。

 自分は今、見渡す限り一面銀世界にいる。

 壮大な氷の渓谷を背景に、周りには氷の彫刻がずらりと並べられている。

 これは緊急事態であり、明らかにキスのやり直しなどを希望している場合ではない。


「あ~あ、解けちゃったぁ」「綺麗な彫刻だったのに~~」

「一番強い像だったのにぃ~~」


 雪女たちが身体をくねらせながら空中に浮かび、氷の彫刻の間をふらふら巡っている。よく見ると、彫像にされているのは、腹心の部下だったり、迷惑な他国の王子だったり、認めた覚えのない弟分だったりした。


「姫さまっ、姫さま、お見事ですっ! ブラボー! bravo!」


 更には仁王立ちで拍手喝采しているばあやの姿も見える。


 待てよ。

 この状況でキスしてきたのはアヤメの方だから、絶対にダメということもなくもないのでは……


 チラリと浮かんだあきらめの悪い考えに、ばあやの目がきらりと光る。

 何か含むものを感じる。やり直しなど所望したら刺されるかもしれない。


「じゃあ、失礼しますわ」


 うだうだと検討している間に、気が付けばガマニエルの腕の中から抜け出したアヤメが、隣に立つトカゲ族長マーカスの彫像に登り、あろうことかその可愛い唇でごつい氷に触れようとしていたので、


「ちょっと待て」


 ガマニエルは全力で引き留めた。


 俺の嫁は一体何を?


 慌てた余りにアヤメの首根っこを掴み、猫のように宙づりにしてしまったが、


「王子様には目覚めのキスが必要なんです」


 振り返ったアヤメがさらりと言い放ったので、思わずもっと高く掲げ持ち、しみじみ下から観察してしまった。


「……旦那さま、高いです」


 ……俺の嫁が小悪魔にすぎる。


 気を取り直して説明を聞くと、雪女に氷漬けにされた彫像は相思相愛の証明で元に戻るという。

 

 なるほど、それでキスか。と頷きかけて、相思相愛っ? と動きを止める。

 つまり、アヤメのキスで目覚めた俺は、アヤメと相思相愛。俺はアヤメが好きで、アヤメも俺が好き。つまりは究極の両想い。

 何という有意義な証明なんだ……っ、ガマニエルが弾む気持ちを抑えきれず、柄にもなく口角をぴくぴく引き攣らせていると、


「まあ、恋愛じゃなくてもいいんだけどぉ」

「敬愛とか」「友愛とか」「師弟愛とかね~」


 雪女たちがふて腐れたように放つ余計な声が聞こえてきた。

 

 ……なんだとお?


「なるほど、分かりました。では、ここはばあやが一肌脱いで進ぜましょう!」


 上がったり落ちたり浮き沈みの激しいガマニエルの内心を置き去りに、ばあやが雄々しく進み出て、氷漬けになっているガマ獣人の従者、ガラコスとルキオに勢いよく口づけた。


「……げ」「……ろ」「……げ」「……ろ」


 氷から解き放たれたガラコスとルキオが蛙特有の丸い目をさらにまん丸に見開いて、ゲロゲロ鳴いた。言葉にならないようだ。


「おおっ、ワタクシたち、相思相愛なのかぁ」


 ばあやが乙女チックに頬を赤く染めるのを見て、


「ウ……」「ゲ……」「ゲロ……」「ゲロ……」


 従者たちのゲロゲロ鳴きが止まらない。

 いたいけな部下にすがるような目で見られたガマニエルは、


「相思相愛とか、あまり関係ないんじゃ?」


 試しに氷漬けのマーカスに軽く触れてみたら、


「アニキぃぃぃ~~~~~っ」


 瞬時に解き放たれた厳つくてデカいトカゲ男に抱き着かれて、ゲロゲロ気分にさいなまされた。

 ……これ、相思相愛とか関係ないだろう。


「……おーじ、浮気」「浮気」


 ゲロゲロ気分から立ち直ったらしいガラコスとルキオが訳知り顔でガマニエルを見る。いやいや、お前たちのせいだから!

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