第三話 ガマ王太子の素顔①
「王子!」「おーじ!」
「お嫁様、来た」「来た来た」
ガマ獣人たちに連れられて入った蛙国の王城は、中もやはり薄暗くじめじめとしている。
高い天井。太い支柱。吹抜けのテラス。街を一望できる渡り回廊。それらを抜けて大広間に行き当たると、大勢のガマ獣人たちが一堂に会し頭を垂れて
正面の祭壇に設えられた玉座には、王冠をかぶったガマ獣人、ティアラをのせたガマ獣人が鎮座している。が、そんなものは目に入らないほどの圧倒的な存在感で、巨大なガマガエルの妖怪が中心に君臨していた。
その姿にアヤメは思わず息を呑み、
「グ、グロい。想像を絶する不気味さ」
ばあやは思わず本音を漏らした。
体長は通常獣人の2倍、横幅は3倍を優に超えている。
身にまとった装束からのぞく手や顔は不気味な濃茶色の斑模様で、イボイボした突起物のあるぬらりとした皮膚に覆われている。ギョロリと突き出た目玉、うねうねと見え隠れする長い舌。それら全てが相まって、何とも言えない醜悪さを醸し出している。
「ひ、姫さま。さすがにグロテスクが過ぎますわ。よもやあれが婿さまなんてことは……」
ばあやはガマ妖怪を前に二の句が告げなくなっている。が、その醜悪な物体が唯一アヤメを受け入れてくれたガマ王太子であることは、もはや疑いようがなかった。
「姫さまは、あんなものと生涯を共に……っ」
しばらく呆然としていたばあやの落ち窪んだ目から涙が溢れ出し、皺の刻まれた頬を濡らす。アヤメはそっとばあやの頭に手を伸ばして優しく触れた。
それから震えそうな手を握り締めて、しっかりと背筋を伸ばした。
真っ直ぐに玉座を見つめ、心を込めて頭を下げる。
「ガマ王太子さま。ボッチャリ国第三皇女のアヤメと申します。この度は私の嫁入りをご了承下さり、ありがとうございます」
衣擦れの音がして、頭を下げたままのアヤメの前に気配が近づく。隣にいるばあやが、ヒィッと悲鳴にならない声を上げて後ろにのけぞり尻もちをついた。
「……うん」
アヤメが目を上げると、目の前に醜悪なガマガエルの妖怪が立ちはだかっていた。
その大きすぎる目玉は、泥だらけの古いドレスを着たちっぽけな牛蒡のような人間の、凛とした瞳を見つめた。小さな瞳いっぱいに醜い化け物を映しながら、何の翳りも見せていない。曇りのない澄んだ色をしている。
「よく来た、アヤメ」
アヤメは思わず、頬を緩めた。
ガマ王太子は、優しく沁みる甘やかな声をしている。その声が自分の名前を呼んだ時、心にひと筋の灯りがともったような気がした。
「皆のもの、祝言じゃ。我がカレイル国王太子ガマニエル・ドゥ・ニコラス・シャルルと、ボッチャリ国第三皇女アヤメ姫との婚姻をここに執り行う!」
王冠をかぶったガマ獣人が立ち上がると、高々と宣言し、大広間は歓声に沸いた。
「……ひとまず、風呂にでも入ってこい」
一同が祝言の準備に沸く中、王太子の声が上から落ちてくる。
「はい」
アヤメは微笑んでガマ王太子を見返しながら、ふと一抹の違和感を覚えた。
「お嫁様、お風呂」「お風呂」
ガマ獣人たちが再びアヤメとばあやを担ぎ上げる。
「あのっ」
ガマ王太子から遠ざかることに焦って、思わずアヤメは声を上げた。
「旦那様もご一緒に入られますか?」
場が凍る。
沸き立っていた大広間が痛いくらいに静まり返り、巨大な化けガエルも凍りついたように動きを止めた。
「……ひっ、姫さまは旅の疲れで世迷いごとをぉ~~っほっほっほぉ」
焦ったばあやが裏返った愛想笑いを繰り出し、口裏を合わせろとばかりにアヤメを担ぐガマ獣人を脇から小突く。
「お、オヨメサマ、ツカレタ」「ツカレタ」
「ツカレタナーコラ」「ドッコイショ」
ガマ獣人が完全な棒読みでばあやに加担した。
「……俺は。後でいい」
ガマ王太子はギョロ目をわずかに細めてそう言うと、踵を返した。
「ばあやは寿命が縮まるかと思いましたわ」
王城にある居室に案内され、流れるような早さで天然の露天風呂に導かれ、湯浴みをさせてもらっている間もばあやの嘆きは止まらない。
「姫さま、正気ですか? 一緒にお風呂など、あのような化け物と? 床を共にすることだに汚らわしいというか、おいたわしいというか、もごもご……ですのにっ」
しかし、アヤメは気がかりがあり、ばあやの嘆きを適当に受け流していた。
旦那様はなぜ……―――
「だいたいあの化けガエル、お風呂などと情けをかけたふりで、ワタクシどもを綺麗に洗って食べるつもりかもしれませんわよ。ワタクシ、そんな物語を読んだことがございますわ。祝宴のメインディッシュはワタクシとか、そういう……あ。いえ、決してロマンスの話ではなくてですね、やたら注文の多い料理店の話でしてね……」
あんなにも悲しそうでいらっしゃるのかしら。
「ガマ王子とアヤメ姫の末永い幸せを願って。この国の繁栄と平穏を祈って。乾杯~~~」
カレイル国皇帝の音頭で祝杯が挙げられ、王城の内外に集まった多くの蛙国民はこの国にやってきた花嫁と時期王である王太子の成婚を祝った。
「おーじ、万歳」「お嫁様、万歳」
ガマ王太子と並んで玉座に立つアヤメの周りにたくさんのお祝いの声が届く。
結った髪に睡蓮の髪飾りをつけ、純白の美しいドレスを身に纏ったアヤメは、自分が自分ではないどこかの「お姫さま」になったような気がした。実際これまでも、正真正銘、第三皇女であったのだが。
王太子が用意してくれた純白のドレスは、アヤメのサイズにピッタリだった。滑らかな素材は凹凸のないアヤメの貧相な身体を優しく包み、ふんだんにあしらわれたレースは華やかで、アヤメが動くたびにスカートの裾が軽やかに揺れる。こんなに美しいドレスを着たのは初めてだった。
「姫さま、お綺麗です。至極お似合いにございますわ……っ」
アヤメの盛装を見たばあやがまたも涙を零す。
「ばあやは、ばあやは、姫さまの幸せだけを楽しみにお仕えして参りました」
ううう、と嗚咽を上げるばあやにアヤメは優しく微笑みかけた。
「ありがとう、ばあや。私、とっても幸せよ。ばあやのおかげよ」
それは紛れもないアヤメの本心だったが、ばあやは大切な姫さまの隣に立つのがおどろおどろしい蛙の化け物であることが不憫でならなかった。高慢ちきな姉姫たちは金と銀の見目麗しい王子たちに嫁いでいったというのに。
「なぜ姫さまだけがこのような……」
問題の花婿は、何度見ても醜悪極まりない身体を煌びやかな正装に押し込み、アヤメの隣で泰然と国民たちの祝いを受けていた。
でかい。怖い。そしてやっぱり最高にグロテスク。
世間知らずで純真な姫さまはこれから訪れる初夜を含んだ結婚生活を少しも憂いておられないようだけど、もはや呪われているとしか思えないほど新郎が醜いことに、ばあやの胸は塞ぐ。
姫さまには、本当に幸せになって欲しいのに。
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