"Snow's Poetic Trio"

紫亜

雪舞いの三重奏

第一部 出会いと小さなきっかけ


 大学の朝の講義に間に合うよう、急ぎ足で駅前に出た俺――結城悠人は、ふと妙に明るい声に気がついた。

「わあ、止んでくれると思ったのに、まだ降ってるよ」

「もう少ししたら止むかもしれない。今日は予報だとお昼前に晴れるって……」

 声の主は二人。傘を持たずに立ち尽くす彼女たちは、明らかに困っていた。

 なんとなく視線が合う。躊躇しながらも声をかけた。


「……よかったら、俺の折りたたみ傘、使いますか?」


 一人には長い髪がよく似合う。活発そうな雰囲気で、にこっと笑えば周囲がぱっと明るくなるような子だった。もう一人は対照的に物静かで、少し恥ずかしそうに俯いている。

「え、いいの? でも悪いよ。あなたも濡れちゃう」

「いえ、まあ、大学まで近いし……」


 ぱちぱちと降り続ける雨の中、どこかぎこちなく相合傘をする。そんな小さなきっかけが、偶然にも俺たち三人をつないでいくことになった。


 大学に到着すると、二人は同じ学内にある音楽サークルの部室を探していると言う。

「私たち、今年度の途中から入ろうか迷っていて……でもメンバーも多いし、入りづらくて」

 明るい子がそう言うと、もう一人の子も控えめに頷いた。

「歌いたいけど、勇気がなくて……」


 俺は音楽サークルでギターを担当していることを伝えた。そうしてふたりを連れて部室へ案内する。

 そこは先輩や同級生でかなり賑わっていた。ソファーに座りながらギターを爪弾いていると、明るい子がきらきらした目で尋ねてきた。

「ねえ、よかったら私たちの伴奏、してくれたりする?」

「伴奏?」

「うん。私、姫川 優香って言うんだ。歌うのが好きでさ。こっちは氷室 凛々。凛々は……ちょっと人前で歌うのは苦手なんだけど、歌声はすっごくキレイなの」

 名前を紹介された凛々ははにかむように俯いて、「はじめまして……」と小声で言った。


 俺は軽くギターを弾きながら、ふたりの歌声を確かめる。

 優香の声はあたたかく朗らかで、明るい太陽のような印象を与える。

 凛々の声は透き通り、静かな夜の月の光を思わせる。歌い始めると、まるで別人のように感情がこもった強さを感じさせた。

 「すごい……」と思わず呟いた。これほど対照的な二人の声が重なれば、どんなハーモニーが生まれるのだろう――そんな期待がふつふつとわいてきたのだ。


 サークルメンバーと簡単な顔合わせを済ませたあと、早速ふたりの歌を聴かせてもらう。

 優香は柔和で元気いっぱいのポップソングを朗々と歌いあげ、凛々は儚げなバラードをそっと口ずさむ。それぞれの声に引き込まれ、あっという間に時間が経っていた。


「こんなに歌えるなら、学園祭とか色んなイベントに出たらいいんじゃない?」

 俺がそう提案すると、優香はぱっと笑顔を弾けさせた。

「やりたい! ね、凛々も出ようよ」

「……人前で歌うの、ちょっと怖いけど……」

 凛々は目を伏せる。しかし優香の熱意と俺の励ましもあり、時間をかけて少しずつ前向きになってくれる。

 こうして俺は、ふたりの“ギター伴奏”を引き受けることになった。三人の奇妙な縁は、まだ始まったばかり。


第二部 深まる絆と冬支度


 秋が終わるころ、学内で小さなステージイベントが開かれた。クリスマス前に行われる「冬の音楽祭」だ。学生主体のライブで、練習の成果を発表する場としては絶好の機会。

 優香は眩しいほど伸びやかな歌声で、サークルの仲間からも好評を得る。観客に手拍子を促し、明るい表情で歌いきる姿はステージ慣れしているかのように堂々としていた。

 一方の凛々は、舞台袖で不安げに震えていた。だが、いざステージに立つと、その歌声はしんと張り詰めた空気の中を鮮やかに切り裂く。まさに“月光”のように凛とした美しさがあった。

 俺はふたりの後ろでギターを抱えながら、こんなふうに人の心に響く歌があるのかと息をのむ。


 イベントが終わったあとの打ち上げ。優香は「楽しかったね!」と皆に明るく声をかけ、凛々はひっそりと飲み物を口にしていた。

 俺が凛々に近づき、肩を叩いて労うと、はにかむように「ありがとう。あんなに拍手もらったの、初めて……」と照れた笑みを浮かべる。

 優香も凛々も、違った魅力を持っている。いつの間にか、俺はそのどちらにも心を惹かれ始めていた。


 冬が近づくにつれ、ふたりの“裏側”が少しずつ見えてきた。

 優香は無意識なのか、疲れたような表情を時々こぼすようになった。誰かからの電話を取ったあとは、不安げに溜息をつく。「大丈夫?」と聞いても「うん、平気だよ!」と笑顔を作るばかりだ。

 凛々はいつもどこか寂しげだった。何かを話したそうに、言葉を飲み込む瞬間がしばしば見られる。そんなとき、俺が声をかけようとすると、どこかに隠れるように顔を背けてしまう。

 ふたりと親しくなればなるほど、それぞれの“奥深く”に踏み込んではいけない予感を覚える。それでも、音楽を通じて一緒に過ごす時間は増えていた。

 ある日、部室で雑談している最中、優香がぽつりと呟いた。

「凛々とは、なんだか不思議な縁を感じるんだよね。昔の自分みたいで……」

 その言葉を聞いた凛々は、一瞬驚いたような顔をしたが、何も言わなかった。


 十二月に入った頃、ついに初雪が降った。校舎の窓の外が白く霞むような小雪に、教室の中で歓声があがる。

 その日は音楽サークルのミーティングがあり、俺たちは次の本番――クリスマスに催される大規模なコンサート――に出演するかどうかを話し合っていた。

「出るなら、優香と凛々は別々の曲を歌うの? それともデュエット?」とサークルの先輩が提案する。

「うーん……」と優香は少し思案顔だが、凛々が「私はまだ……」と弱気な声を出した瞬間、視線が交錯する。

 優香は凛々に向けて、背中を押すように励ました。

「一緒に出ようよ。私たち、あの学内ステージのときは少しずつしか一緒に歌えなかったから。今度こそ……」

 凛々は戸惑うように俯く。だが、主人公である俺の目が合うと、か細い声で「……考えてみる」と呟いた。


 ミーティング後、優香がコートの襟を合わせながら微笑む。

「悠人、私、もうちょっと練習してから帰るよ。明日、大学休みだし」

 そう言って、凛々にも「残っていこう?」と声をかけるが、凛々は浮かない表情で首を振った。

「ごめん、今日はどうしても外せない用事があって……」

 何か理由があるのだろうが、凛々はそれ以上説明しようとしない。気まずい空気が流れる。

 やがて凛々は小雪の降る外へと消えていった。その背中を見送りながら、優香は軽く唇を噛んでいるように見えた。


第三部 それぞれの過去と冬の本格化


 翌日。優香と二人で練習することになった俺は、部室の片隅でギターのチューニングを合わせていた。

 優香はスケジュール帳を見ながら「ふぅ」と息をつく。

「……最近、家のことでいろいろあって……」と優香が切り出す。

 いつもは明るい笑顔ばかり見せる優香が、めずらしく弱音を吐いていた。

「家族とちょっとね。私、昔は……いや、なんでもない」

 何かを言いかけて、はぐらかすように笑顔に戻る。その不自然さに胸がざわつく。

「もし何か悩んでるなら、力になれるかもしれない。遠慮しなくていいんだよ」

 俺の言葉に優香は一瞬、泣きそうなほど潤んだ瞳を向けたが、結局は「ありがとう」とだけ呟いた。


 練習を始めると、いつものように優香は明るい歌声を響かせる。だが、その歌の裏には微かな悲しみが滲んでいるようにも感じた。


 一方で凛々は、ある日突然サークルに姿を見せなくなった。

 優香は「凛々にメッセージを送っても既読がつかない」と落ち着かない様子。俺も連絡してみたが、やはり返事がない。

 数日後、大学の廊下で、偶然凛々の姿を見つけた。声をかけると、彼女は驚いたように瞳を見開き、逃げるように背を向ける。

「ま、待って……!」と追いかけて人気のない踊り場へと回り込むと、凛々はこぼれる涙を必死に拭っていた。

「……ごめん……今はちょっと……」

 声が震えている。

「何があったの? サークルでみんな心配してる。優香も……」

 凛々は俯いたまま、痛みをこらえるように唇を噛む。

「私、昔から大切な人を失うことが多くて……。だから、今度こそ誰かを信じたいのに、怖くなるの。裏切られるのが怖いし、失うのが怖い……」

 わずかに見えた彼女の横顔は、まるで氷のように張りつめていた。


 それ以上何も言えず、ただ凛々の肩に手をそっと添える。冷えきった手が、小刻みに震えているのが伝わった。


 年末のコンサートが迫りつつある。サークルのメンバーはクリスマスソングや冬をテーマにしたオリジナル曲を練習している。

 優香は気丈にふるまいつつも、家の事情でいつ呼び出されるか分からないらしい。彼女の瞳に宿る不安は、日に日に大きくなっている気がする。

 凛々は大学には来るようになったが、サークルの練習にはあまり参加できない状態だ。

 クリスマスコンサートの演目リストを確認しているとき、サークル先輩から「伴奏はどっちにつくんだ?」と尋ねられた。

 優香の曲と凛々の曲は、同じコンサートで別々に披露される予定だ。それぞれ俺にギターを頼んでくれている。

「うちはギター不足だから、二人同時は難しいよ。曲の順番も近いし……」

 そう、俺はどちらか一方しか引き受けられない。


 “どちらかを選ぶ”という残酷な選択が、目の前に突きつけられる。

 優香のまばゆい歌声も、凛々の儚い歌声も、俺はどちらも好きだ。それぞれ違う魅力があって、選べだなんて言われても困る。

 しかし、決めなければいけない。タイムスケジュールの都合もあるし、音の調整もある。先輩からは再度「早めに回答ちょうだいね」と圧をかけられる。


第四部 揺れる心と止まらない雪


 冬の寒さがさらに厳しくなり、街中もクリスマスムード一色になってきた。イルミネーションが輝き、賑やかな音楽が流れるたびに、俺の胸はどこか締めつけられる。

 そんなとき、凛々から小さな声で「……私の曲を弾いてくれる?」と問いかけられる瞬間があった。

 同じ日の夕方、優香からも「私の伴奏を、最後までお願いしたい」と頭を下げられる瞬間があった。

 ふたりとも、本気で俺を必要としてくれている。

 ――どうしたらいい?


 サークルの仲間からは「どっちにするんだ?」と冷やかし半分に尋ねられる。俺は苦笑いでごまかすしかない。

 ふたりの間に漂う空気は、かつてのような柔らかさだけではなく、少しだけ鋭い棘を孕んでいるようだった。


 コンサート前週の夜、サークルの飲み会が開かれた。その帰り道、優香と凛々が珍しく同じタイミングで店を出る。俺も含めて三人で歩き始めたが、気まずい沈黙が続いていた。

 やがて優香が唐突に口を開く。

「凛々、クリスマスコンサート……一緒にデュエットで出るのはどう?」

 凛々は不意を突かれたように目を瞬かせる。

「……でも、伴奏はどうなるの?」

「悠人にお願いして……曲によっては二人分のアレンジを一緒に考えてもらえないかな。ギター一本じゃ厳しいかもしれないけど。私たち、ちゃんと話し合ってないよね」

 その提案は、互いの存在を認め合おうとする優香の意思表示にも思えた。

 凛々は少し逡巡した様子だったが、やがて小さく頷く。

「……わかった。私も、逃げてばかりじゃいけないと思うから」


 この瞬間、ふたりの関係は少しほころびかけたのかもしれない。だが、その裏に潜む“想い”がどこか噛み合わない不安も感じるのだった。


 翌日、ふたりに呼び出される。

「デュエット曲もいいけど、それとは別に私たちそれぞれのソロ曲にもギターを弾いてほしい」と言う。

 つまり、

 - 優香のソロ曲(明るいポップソング)

 - 凛々のソロ曲(深みのあるバラード)

 - ふたりのデュエット曲(冬をイメージしたしっとり系?)

 この三曲をどう組み合わせ、どのように演奏するか、コンサートのステージ構成で問題が出てくる。短い休憩を挟むにしても、ギター一本で全曲をカバーするのは難しいかもしれない……。


 それでもふたりは、譲れない気持ちをぶつけ合うように、「私が先にソロを歌う」「いや、私が先がいいかも」と意見が衝突しかける。

 最初は譲り合いのはずが、気がつけばプライドや譲れない想いが拮抗してしまっていた。

 優香は凛々に対して「あなたらしい曲を歌いなよ」と言うが、その裏には「私が負けるわけにはいかない」といった焦りがあるようにも見えた。

 凛々は「私が歌うべきかも……」と弱気に見せながらも、譲りたくない感情が隠れている。

 俺はその板挟みにあい、何も言えなくなる。


第五部 降り積もる雪と後戻りできない道


 コンサートまであと数日というところで、優香が急に練習を休む日が増えた。家族の都合だと言うが、その表情は追い詰められたように暗い。サークルのメンバーも心配しはじめる。

 一方、ようやくサークルに通い始めた凛々は、感情の起伏が激しくなっていた。歌うときの表現力が増す一方、日常では不安定な表情を見せることが多い。

「あの、悠人……」

 とある夕方、部室でギターの弦を交換していた俺の背後から、凛々が話しかけてきた。

「クリスマスコンサートのあと、もしよかったら……あの……一緒に……」

 言いかけて、恥ずかしそうに俯く凛々。その姿に胸が高鳴る。

 ――だが、その翌日、今度は優香が「コンサートの後、時間ないかな?」と遠慮がちに尋ねてきた。


 優香と凛々が、ほぼ同じタイミングで“コンサートの後に会いたい”と誘ってくれる。

 俺はどうしたらいいのか。頭の中が混乱する。


 コンサート前日、予行練習が行われる舞台袖。

 優香はスタッフに挨拶を終えた後、深呼吸してこちらを振り返る。

「悠人……。ねえ、今夜、ちょっとだけ時間ある?」

 誘われるまま、校舎近くの外れにあるベンチへ移動する。雪がちらほらと舞う中、街灯がぼんやりと二人を照らしている。

「私ね、家のことで色々あったんだ。お父さんがいなくて、母さんがずっと働き詰めで、私も家計を助けないといけない。だから、歌うことを反対されがちで……。でも、私は私の歌で誰かを幸せにしたいと思うの」

 優香の目には泪が浮かんでいた。

「ごめんね、いつも悩みを打ち明けられなくて。でも、あなたがいてくれるだけで、すごく安心するんだ。……私はあなたにギターを弾いてほしい。明日も、これからも……」

 その表情は、これまで見たことがないほど切実だった。


 胸が痛む。ふと、凛々のことが頭をよぎる。

 どちらか一方を選ばなくては――そんな予感が、寒さと共に身に染みる。


 いよいよ大舞台の幕が上がる。学内ホールは照明や装飾でクリスマスムード一色。出演者も観客も、胸に抱く期待感が最高潮に高まっていた。

 優香のソロ曲は明るく華やかなポップチューン。ステージに立った優香は、冬の寒さを一瞬で吹き飛ばすほどの笑顔で観客を魅了する。俺は伴奏としてギターを弾きながら、彼女の歌声に引き込まれそうになる。

 一方、凛々のソロ曲は静寂を切り裂くような深いバラード。ピアノをメインにした伴奏に途中からギターが入るアレンジを採用。俺は後半部分のみ舞台袖から加わるかたちだ。凛々の声は、夜空を切り取ったように透き通り、胸に迫る。


 そして最後はデュエット曲。優香と凛々が並び立ち、同じマイクをシェアする。曲調はしっとりとしたバラードで、雪の降る風景が浮かんでくるようなメロディだ。

 ただ、その歌声には微かな張り詰めた緊張感がある。二人とも、同じ舞台に立ちながらも、どこかお互いを意識しすぎて空気が重くなっているのが伝わってきた。


 デュエット曲のラストサビに差し掛かる。そのとき、優香と凛々の視線が交わり、ほんの一瞬、歌声が乱れたように感じた。観客には分からない程度だが、俺ははっきりと気づいた。

 “どちらを選ぶの……”

 そんな声なき声が聞こえた気がした。


第六部 消えない雪と失われたもの


 コンサートが終わり、バックステージには歓声と拍手がこだまする。成功を喜び合うメンバーたちの中で、優香と凛々はそれぞれ別の場所に立ち尽くしていた。

 俺が最初に見つけたのは優香だった。

「……ありがとう、すごく気持ちよく歌えたよ」

 そう言いながらも、その瞳はどこか虚ろだ。まるでホッとした安堵と、別の感情が入り混じっているように見える。

 しばらくして凛々を探すと、舞台袖の暗がりに一人で座り込んでいた。ステージ上で出し切った感情を持て余しているのか、俯き、唇を噛みしめている。

 近づくと、かすれた声で、「……楽しかったはずなのに、なんでこんなに苦しいんだろう」と呟いた。


 コンサート終了後の打ち上げは盛り上がりを見せていた。だが、俺たち三人だけ、どこか少し浮いた存在になっていた。

 周囲の目から離れ、外の冷たい空気を吸いに出た俺を待っていたのは、コートを羽織った優香だった。

「ねえ……今から、ちょっとだけ話せるかな」

 そう言うなり、優香は決意したように一歩踏み込んでくる。

「私、もう待てないよ。あなたの気持ちが知りたい。……私のこと、どう思ってるの?」

 ストレートな問いに動揺しているところへ、今度は凛々が姿を見せる。

「……私も同じ。あなたじゃなきゃダメだと思ってる。でも、優香を悲しませるのは嫌……」

 一度に二人の想いを突きつけられ、俺は息が詰まる。

 どちらかを選ぶ――どちらを選んでも、もう片方を深く傷つける。それが分かっているからこそ、答えを出すのが怖かった。


 けれど二人の瞳は、もう逃げ場など与えないほど切実だ。静まり返る冬の夜、雪がほんのわずかに降り始める。降り積もれば、すべてを白く覆い隠してしまうかもしれない。それでも、答えを出さなければならない。


 ――俺は、意を決して口を開いた。

「……ごめん。俺は……」


 決断した瞬間、どちらか一人の瞳に涙が溢れる。もう一人は唇を震わせながら、潤んだ瞳を見せる。

 その場に留まれなくなった方が走り去る。追いかけたい気持ちと、今ここにいる人を抱きしめたい気持ちが拮抗する。結局、俺は動けずに立ち尽くす。

 雪がしんしんと降り積もる夜。吐く息が白く染まる中、傷つけた方の姿が闇に消えていくのを見つめながら、選んだ方をそっと抱きしめる。

 だけど、抱きしめる腕は震えていた。胸の中に、決して拭い去れない罪の意識が渦巻いていた。


エピローグ 冬の静寂、そして春の兆し


 年が明けた頃、あの大舞台の興奮は既に遠い過去のものになっていた。

 あの夜、俺は片方を選んだ。もう片方とは気まずいまま、ろくに言葉を交わすこともなく、気づけば大学で見かける機会が減っていった。

 優香、凛々――二人の名前を思い出すたびに、冬の夜に降りしきる雪と、涙に濡れる瞳が脳裏に浮かぶ。


 そんなある日、試験を終えて構内を歩いていると、小さな声が聞こえた気がした。

「……悠人……」

 振り返ると、少し離れた場所に見覚えのある横顔がある。声をかけようと歩を進めたが、風が吹き抜けて雪がちらつく。次の瞬間、その姿は人混みに紛れて消えてしまった。

 ――まるで幻のようだった。


 雪解けの季節はまだ少し先だが、確実に春は訪れる。

 俺はギターケースを背負い、白い息を吐きながら空を仰ぐ。

 あの寒い冬の夜を、俺は一生忘れられないだろう。

 どちらを選んでも、もう一方が心に棘のように残る。

 だが、それでも歌声を愛したことは嘘じゃない。二人の歌が作り上げる世界の美しさは、本物だったのだから――。


 これが、俺たち三人の冬物語の結末。

 甘く、切なく、そして痛みを抱えたまま、それぞれがそれぞれの道を歩んでいく。

 溶けきらない雪が道路の隅にまだ残っているように、心の中にも消えない想いがいつまでも残り続けるのだろう。

 しかし、雪の下には春へとつながる新芽が息吹いているかもしれない。

 いつかこの冬を振り返るとき、あの光景は少しだけ温かな記憶へと変わるのだろうか――。


 そう思いながら、冬の曇り空を見上げる。小雪が頬に冷たく触れ、溶けて一筋の水滴が流れ落ちる。涙か、雪溶けの滴か、自分でも分からなかった。

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