風の時代の物語

三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)

第1話 風の時代の物語(新しい価値の風篇)

⬜︎⬜︎⬜︎ 風が変わった日 ⬜︎⬜︎⬜︎


 その日、鳴海なるみ市は春の穏やかな日差しに包まれていた。


 高校生の青木陽介あおきようすけは、いつものようにサッカーの練習に汗を流していた。グラウンドには友達の笑い声が響き、陽介も次の練習メニューを確認しながら軽くジョークを飛ばしていた。『この調子なら、次の試合も』――そんな思いは、一瞬で粉々に砕かれた。


 最初は低い唸り声のような音だった。次の瞬間、大地が牙を剥いた。


「っ!」


 グラウンドが波打ち、校舎の窓ガラスが次々と砕け散る。陽介は反射的にその場にしゃがみ込んだ。まるで大地そのものが怒り狂ったような揺れに、誰もが声を失った。


「地震だ!」


 誰かの叫び声が、不自然なほど鮮明に耳に残った。


 同じ頃、役場の会議室では坂上美咲さかがみみさきが資料を広げ、住民支援の計画を練っていた。天井から降り注ぐ粉塵。机の上で踊る書類。悲鳴が響く中、美咲は咄嗟に叫んだ。


「みんな、机の下に伏せて!」


 揺れが収まると、陽介は我を忘れて走り出していた。見慣れた町並みは一変していた。倒壊した建物。ひび割れた道路。泣き叫ぶ人々。遠くでは黒煙が立ち上る。現実とは思えない光景が、確かな恐怖となって背筋を這い上がった。


「母さん! さくら!」


 妹の名を叫びながら荒れ果てた道を駆け抜け、自宅にたどり着く。母と妹は無事だった。だが、安堵は一瞬で凍りついた。父の姿がない。


「お父さんは?」


 震える母の声が、世界の色を変えた。


「ボランティアに行ったまま、戻ってこないの…」


 その日、父は地域の清掃活動に参加していた。陽介は懐中電灯を掴み、暗闇の中へ飛び出した。


 震災から二十六時間後、全てが終わった。瓦礫がれきの下から覗いた血に染まった作業着。それは間違いなく父のものだった。


 息が詰まる。視界が歪む。膝が崩れそうになる。春風が頬を撫でていく中、陽介は震える手を握りしめた。


「守れなかった」


 その言葉が、呪いのように頭を支配する。


「陽介君」


 肩に置かれた手の温もりに、ゆっくりと振り返る。父の古くからの友人である消防団員の目が、優しく陽介を見つめていた。


「お父さんは最後まで、誰かを助けようとしていたんだ。誇りに思っていい」


 その言葉が胸を温め、同時に新たな決意を生んだ。


「これからは、僕が守る」


 町はまだ混乱の渦中にあった。けれど陽介は、冷たい風の中に確かな変化の兆しを感じ取っていた。それは――新しい時代の風だった。


⬜︎⬜︎⬜︎ 次回予告 ⬜︎⬜︎⬜︎


 避難所で出会う様々な人々。それぞれが抱える痛みと希望の物語が交錯する中、陽介は初めて社会の現実と向き合うことになる。そして、坂上美咲は混乱の中で住民たちを支える使命を見つけていく。


 次回――「希望の種」。新しい未来への一歩が、静かに動き始める。


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