恐怖のドラキュラ夫人
つむぎとおじさん
1話完結
町はずれに、古い洋館があった。
鉄格子の塀に囲まれたその屋敷は、子供たちの間で「ドラキュラ屋敷」と呼ばれていた。
なぜそんな不吉なあだ名がつけられたのか。
そこに住んでいる女性の奇妙な習慣のせいだった。
彼女は滅多に外出しない。
たまの外出も、どんよりと曇った日か雨の日に限られている。
よっぽど太陽が苦手なのか、急に晴れ間が見え始めると、血相を変えて駆け出すのだ。
青白い顔をした彼女が、買い物袋をいくつも抱え、牙をむき出し、ものすごい形相で駆けていく──そんな光景を目撃した小学生が何人もいる。
ドラキュラの苦手なものといえば、銀の十字架、にんにく、そして日光である。
彼女の行動、さらに買い物袋にトマトジュースが入っていたことから、「あの人はドラキュラに違いない」という結論に相成った。
4年2組の須藤弘は、「あいつは生きたネズミを咥えていた」と証言しているが、さすがにそれは嘘だろう。
あと、トマトジュースが人の生き血の代わりになるのかもちょっとあやしい。
3組の鈴木健は、「ドラキュラってかわいそうだな。買いだめしないといけないから大変だ」と思った。
* * *
その日は朝から雨が降っていた。
午後には上がったものの、厚い雲は空を覆ったままだった。
学校の帰り、健はスーパーに立ち寄ることにした。
そこで彼は──見たのだ。ドラキュラ夫人を。
青白い顔、黒いコート、カートには大量の商品。その中にはトマトジュースも見えた。
健の心臓が早鐘を打ち出した。
噂は本当だったんだ。間違いない……いや、まだだ。早まるな。牙を確認していないぞ。
レジで不機嫌そうに口を閉じている彼女を見ているうちに、健の脳裏にある考えが浮かんだ。
(ぼくが話しかければ──?)
だが勇気を出せず、ぐずぐずしているうち、夫人は店を出ていってしまった。
健は夫人を尾行することにした。
* * *
例の屋敷の場所は知っている。帰り道に迷うことはないだろう。
健は一定の距離を保ちながら、後を尾けた。
街の中心から遠ざかるにつれて、家並みがだんだん寂しくなっていく。
やがて人通りもぱったりと途絶えた。
そのとき、夫人の脚がぴたりと止まった。
健の心臓が一気に跳ね上がる。
体が強張り、まるで金縛りにあったように動けない。
夫人がゆっくり振り向いた。
その動きがスローモーションのように、健の目には映った。
「何?」
夫人の口元から、牙が覗いている。
健が口もきけずにいると、夫人は冷たい視線を向けながら畳みかけた。
「この先、うちしかないんだけど。何か用?」
健の頭は真っ白になった。喉がカラカラに乾いている。
何か言わないと。
「あ、あの、あの……」
夫人は冷ややかな目を向けたまま、次の言葉を待っている。
その視線に押しつぶされそうになりながら、健は震える声で続けた。
「に、荷物が重そうなので持ってあげようかなって……」
夫人は一瞬驚いたような表情を見せたが、やがてニヤリと笑った。
「じゃあ、そうしてもらおうかな」
健は心の中で叫んだ。
しまった! 屋敷に閉じ込められる口実を与えてしまった!
健はしぶしぶ袋を受け取った。
しかし、トマトジュースが入った重いほうの袋は渡されなかった。
(やっぱり大事なものなんだ……)
そのとき。
「ちくしょう」
夫人が低く唸るように呟いた。細められた目が空を睨みつけている。
雲の切れ間から、まぶしい光が差し始めていた。
「ほら、走るよ!」
夫人は猛然と駆け出した。黒いコートが風になびく。
健は重たい買い物袋を抱えながら、必死で後を追った。もう顔を見られてしまったのだ。逃げても無駄だ。
夫人は走りながら、「ちくしょう」「天気予報が」などと荒い息の下で、呪いの言葉を吐き続けている。
500メートルほど走ると、ようやく屋敷の門が見えてきた。
夫人は肩から体当たりするようにして、錆びついた鉄の門をこじ開けた。
「ハア、ハア、間に合った……」
夫人は膝に手をやって呼吸を整えていた。
やがて夫人は健に向き直り、袋を受け取りながら言った。
「ぼく、ありがとね」
健は震える手で袋を差し出しながら言った。
「あの、うちに入らなくていいんですか?」
「うん? 今、入るけど。なんで?」
健は思わず口を滑らせてしまった。
「だって、太陽が照ってきたら困るんですよね?」
その瞬間、夫人の顔つきが変わった。
「今、太陽って言った? なんでそのことを知ってんの?」
夫人の異様な剣幕に健は後ずさりした。
「なんでって……だって、だって、ドラキュラが太陽に弱いって、みんな知ってるし……」
「はああ?」
夫人の声が裏返った。
あっけにとられたような表情のまま、夫人は健をじっと見つめる。
そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ドラキュラって、あたしのこと!?」
健は目に涙をためながら、うなずいた。
「だって、太陽が嫌いなんでしょ?」
夫人は一瞬固まったかと思うと、とつぜん爆笑し出した。
腹を抱えながら門に手をかける。
「まいったな」
夫人は涙を拭いながら健を見た。
「ぼく、ボーチョーって知ってる?」
「あ、はい。えっと、鉄が伸びたり縮んだり……」
「そうそう、えらいね。この門、古くてね。天気がいいと膨張して開かなくなるのよ」
「えっ、そうなんですか……」
「そう。それで急いで帰ってきたってわけ。恥ずかしいからこのことは誰にも言わないでね」
夫人は八重歯を見せながら、はにかむように微笑んだ。
(終わり)
恐怖のドラキュラ夫人 つむぎとおじさん @totonon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます